目次
岩松研吉郎追悼 野村伸一
高名の木のぼり(「木々雑記」より) 岩松研吉郎
残暑中国散見(「木々雑記」より) 岩松研吉郎
私の知る岩松のこと 菅野扶美
岩松研吉郎『堀田善衛全集』書き入れ 復刻・解説、金井広秋
曺国考――曺国事態から東アジア市民の連帯へ 野村伸一
再訪1984(二) 金井広秋
新経綸問答 野村伸一
水曜日、三人会略年譜――この5年半のこと
広場考未完――2度のあとがきに代えて
内容説明
追悼 岩松研吉郎 三人の老生の書生談義は続く
元慶応教授らの「老いのたわごと」を雑誌にしたら……。古典・民俗・時事などに容赦なき放談の数々!
慷慨談式の内閉ではしょうもない、と(昔ながらの用語で)意志統一し、三人それぞれの、今日の東アジアとその中の日本にかかわる意見・異見、卓見・短見を、世間におしつけ・ひろめよう、ということにした。
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広場考未完――2度のあとがきに代えて
2号刊行(2019.3)のあと、「韓国の蠟燭集会」の意味を考えているうちに曺国事態が起こり、2020年春からは新型コロナのため世界の既存のあらゆる体制が機能不全になった。この間、1年有半。これを書いている今日(2020.10.1)は農暦8月15日。韓国では秋夕。家族会同し祖先迎え、そして墓参。膳には里芋汁や各種の餅、料理が並ぶ。人びとはおのずと「過もなく不足もなく8月秋夕のようであってほしい」とおもう。秋夕とはそんな日だ。
9世紀、円仁は山東半島の新羅寺院(赤山院)でこの日を祝うのをみた。韓国だけでなく中国でも日本でもこの夜の満月のもと、平安を享受してきた。しかし、今年はどうか。韓国ではコロナ禍のため「大移動」は自粛とのこと。東京の西部もあいにく曇り空、未明に月明かりはなかった(10月2日は明月が現れたが)。
この間、2019年8月24日、岩松研吉郎、安眠、「穏やかな最期でした」のメールをもらった。1年後、よき伴侶菅野扶美さんが普段着の岩松さんについて語ってくれた。その上でおもう。氏は多読で博学、批評眼鋭く、議論の広場を好んだ。それもあって広場論「曺国考」を書いた。「われわれが曺国だ」という数十、百万の覚醒された韓国市民は東アジア民衆にとっても希望であり、未来だ。「過激」な共和主義者岩松さんは曺国事態についてどうおもっただろうか。聞きたかった(以上、2020.10.1)。
残念。ともかく、70過ぎの巷の三老生は、昔話や愚痴は好まなかった。5年半で14回、ビヤホールでの経綸問答。文学は語るが俗情との結託は排する。おもえば、愉快な集まりでした。とはいえ、岩松さんの堀田論はメモだけ。金井氏ならではの解説は得たが、さてどうか。またその小説は全五百枚とか。今なお文学青年で、もとより未完。野村の「曺国考」も道半ば。いずれも中途で恐縮ですが、扶美さんの文もあり、この小冊子はこれにて終了です。岩松さん、日本国は泥船化の懼れあり、浄土にて安らかに(2021.10.11)。(N)
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執筆者紹介
野村伸一(のむら しんいち)
1949年生まれ。
慶應義塾大学名誉教授。
近作に編著『東アジア海域文化の生成と展開 〈東方地中海〉としての理解』(風響社、2015年)、共編著『能楽の源流を東アジアに問う』(風響社、2021年)など。
岩松研吉郎(いわまつ けんきちろう)
1943年東京生まれ。
慶應義塾大学名誉教授。福州大学外国語学院日語系客員教授。2019年8月24日、肺癌により死去。享年75。
日本語日本文学専攻。近業は俳句誌『都市』への「木々雑記」連載など。
金井広秋(かない ひろあき)
1948年生まれ。群馬県前橋市に育った。学生時代は学校新聞の編集にかかわり、また同人誌「映画のおと」「文化同盟」の創刊にくわわった。作品に『死者の軍隊』上下(彩流社刊。2015)『ボクちゃんの戦争』(「慶應義塾高等学校紀要」1991)『黒田喜夫ノート』(「三田新聞」1970)等がある。元慶應義塾高等学校教諭。
菅野 扶美(すがの ふみ)
1954年東京生まれ。
共立女子短期大学名誉教授、日本文学(専門は中世文学・芸能・信仰)。
岩松研吉郎妻。