学校教員たちの植民地教育史
日本統治下の朝鮮と初等教員
統治政策と子供たちをつなぐ存在の教員はどういう人々だったのか。その特徴を多角的に分析、教育実践にどう取り組んだのかを詳解。
著者 | 山下 達也 著 |
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ジャンル | 歴史・考古・言語 |
シリーズ | 風響社ブックレット 風響社ブックレット > 植民地教育史ブックレット |
出版年月日 | 2022/03/31 |
ISBN | 9784894893184 |
判型・ページ数 | A5・62ページ |
定価 | 本体700円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
1 なぜ植民地の教員か
2 本書の性格と本論の構成
一 日本統治下朝鮮の初等学校
1 朝鮮に設置された初等学校
2 「内鮮別学」と「内鮮共学」
二 教員たちの「民族」
1 日本人教員と朝鮮人教員の混在状況
2 制度上のポストと両者の関係性
3 日本人教員に求められた役割
4 「民族」による待遇差
5 教員の「同化」と「差異化」
三 教員社会の中の性別
1 男性教員と女性教員の数の推移
2 女性教員増加の受けとめられ方
3 性別に応じた「適材適所」論
4 性別と「民族」差の重なり
四 朝鮮における教員の養成と確保
1 朝鮮の教育機関での養成
2 教員試験の実施
3 日本からの教員招聘
五 教員たちによる教育実践研究
1 朝鮮における教育実践研究活動の存在
2 朝鮮初等教育研究会について
3 教育実践研究の内容とその特徴
六 植民地権力への従属性と緊張関係
1 国家と教員の関係
2 植民地教育政策の「担い手」としての教員
3 支配の浸透を批判的に阻もうとする教員の存在と教員政策のほころび
むすびにかえて――当事者たちの「声」について
参考文献
内容説明
民族、性別、養成ルートから現場まで
統治政策と子供たちをつなぐ存在であった教員。彼らはいったいどういう人々だったのであろうか。本書は、その特徴を多角的に分析し、教育実践にどう取り組んだのかを詳解。時代と格闘した姿に迫る。
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はじめに
日本の植民地で行われた教育とはどのようなものだったのでしょうか。
本書では、学校の教員という人々の存在に注目することで、この問いについて考えてみたいと思います。具体的には副題にも示した通り、日本統治下の朝鮮半島に設置された初等学校の教員たちに焦点をあてます。植民地での教育について考えるためには、教育の制度や内容に関する理解と検討が不可欠ですので、そうした点にも言及しますが、あくまで学校教員という存在をおもな手がかりとする点に本書の特徴があります。
ではなぜ植民地での教育について論じようとする際、本書では学校の教員、なかでも日本統治下朝鮮の初等学校で働いた教員に注目するのでしょうか。その理由は二つあります。
第一は、教員が教育政策と子どもの中間に位置し、両者をつなぐ存在であったからです。植民地における教育に限らず、政策レベルで決定した教育内容が学校での実践に至る過程には必ず教員たちの政策理解や解釈、実践研究等の活動が介在しています。端的に言えば、〝教育政策〟と〝学校で教育を受ける子ども〟の間には〝教員たち〟がいたということです。したがって、政策レベルでの決定事項やその変遷を追うだけでは、学校という教育現場の実態を充分に知ることが難しいのです。現在の学校教育について論じる際にも同様のことがいえるでしょう。つまり、第一の理由は教員という職業そのものに注目することに関わるものです。
第二の理由は、学校の中でも特に日本統治下朝鮮の初等学校に着目することに関わるものです。現在の我々が日本の旧植民地での教育について知ろうとするとき、その教育活動が誰に対して行われたものなのか、つまり、「教育の対象」を意識することが極めて重要となります。具体的にいえば、その教育が現地の人々に対して行われたものであるのか、あるいは宗主国側(「内地」)の人々に対して行われたものであるのか、またはその両方かということについての注意が欠かせないということです。植民地で行われた教育についての言説が、「教育の対象」を意識されずに出回ることになれば、例えば、植民地に居住した宗主国側の人々のための教育活動があたかも現地の人々に対するものであったかのような誤った認識を生むリスクがあるからです。同様に現地の人々に対する教育活動が在植民地本国人に対する教育活動として誤って捉えられるリスクもあります。日本統治下朝鮮での初等教育は原則として朝鮮人児童と日本人児童を分け、通う学校、教育内容、修業年限、カリキュラム等を区別していました。いわゆる「内鮮別学」という運営方式です。本論で詳述しますが、この方式は途中で「廃止」され、制度上は「内鮮共学」に変更されますが、実態としての「内鮮別学」は残存し続けます。こうした初等学校の状況には、植民地における教育であるがゆえの政策の特徴を顕著に見ることができるのです。つまり、朝鮮の初等教育は植民地での教育がどのようなものであったのかということを考えるうえで格好の事例となるのです。加えて、教員集団も現地の人々(朝鮮人)と宗主国側の人々(日本人)によって構成されており、教員の「民族」混在という点からも、「日本統治下朝鮮の初等学校」は注目すべき対象といえます。
ところで、教育という営みは学校という場においてのみ行われるものではありません。また、教員と子どもという関係性においてのみ行われるものでもありません。したがって、植民地という環境下においても学校ではない場で、また、教員と子どもではない関係性の中でも営まれる教育活動が存在していました。そうした場、関係性における教育の営みへの着目も植民地での教育の実相に迫るうえで重要なことでしょう。
本書では学校教育を扱いますが、より大きな文脈で植民地教育を論じようとするとき、こうした課題についても別途取り組まなければならないことを念のため付言しておきます。
2 本書の性格と本論の構成
本書は、筆者がこれまで行ってきた植民地朝鮮における学校教員に関する研究の成果を土台にしていますが、研究者向けの専門書ではありませんので、植民地での教育について詳しく知らない、考えたことがない人たちを含め、多くの読者が読みやすい内容、構成となるよう努めました。そのため、史料の引用や検証作業の詳しいプロセスなどに関する記述は最小限にとどめ、あくまで教員を手がかりに植民地教育の実態に迫るための有効な視点の提示に注力したつもりです。
そのことを踏まえたうえで、本論の構成(全六節)について簡単に紹介します。
まず、一節では、本書を読み進めるうえで読者の皆さんに知っておいてほしい日本統治下朝鮮における初等学校の制度とその変遷について略説します。特にそこで登場する普通学校は本書全体を通じておもに注目する教育機関となります。
次に二節では、日本統治下朝鮮の初等学校には日本人教員と朝鮮人教員が混在していたこと、そして「民族」という属性に注目した時、両者にはどのような違いがあったのかという点について役割や待遇の面から検討します。また、朝鮮人教員の「同化」と「差異化」をめぐる状況から植民地教育を担った教員集団独自の特徴についても述べます。
他方、日本統治下朝鮮における学校教員たちの存在様態は、「民族」という属性への着眼だけでは十分に捉えられません。そこで三節では、男性教員・女性教員という二分された「性別」に焦点をあてて教員を見ていくことにします。具体的には、教員社会の中での「性差」の認識や「適材適所」論、女性教員の苦境等、植民地教育の現場の雰囲気をうかがわせる教員の実態について見ていきましょう。
さて、日本統治下朝鮮で働く教員たちはどのように養成・確保されていたのでしょうか。四節では、そのことについて述べたいと思います。具体的には、朝鮮の教育機関での養成、試験による確保、日本からの招聘という三点を取り上げ、養成・確保ルートという観点から植民地教員の姿に迫ります。
五節では、教員たちによって行われた教育実践研究の内容とその特徴について見ていきます。前述したように、教員は政策と子どもの間に位置し、両者をつなぐ存在として捉えることができます。教員たちが教育実践を行ううえで何を課題として対象化し、実践研究に取り組んだかという点に注目します。
そして最後に、六節では、国家と教員という少し大きな文脈の中で植民地教員についての検討を行います。近代社会においては学校教員という職業から払拭することができない国家への従属性が、日本統治下朝鮮ではどのように確認できるのか、ここまで見てきた内容を踏まえて述べるとともに、他方で植民地支配の浸透を批判的に阻もうとする教員の存在を取り上げ、支配システムに内側からほころびと停滞をもたらした教員集団の一面にも注目します。
以上六節からなる本書を通じて読者の皆さんが当時の学校教員の姿に迫ることができ、植民地教育について考えるための一助となれば幸いです。
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執筆者紹介
山下達也(やました たつや)
1981年生まれ。
2010年、九州大学大学院人間環境学府博士後期課程修了。博士(教育学)。
専門は教育史。
現在、明治大学文学部准教授。
主著書として、『植民地朝鮮の学校教員――初等教員集団と植民地支配』(九州大学出版会、2011年)、『教育の歴史・理念・思想』(協同出版、2014年、分担執筆)、『在朝日本人情報事典』(ポゴサ、2018年、分担執筆)、論文として、「植民地期朝鮮の教育実践研究――『朝鮮の教育研究』の分析を中心に」(『アジア教育』第9巻、2015年)、「日本統治期朝鮮における学校観形成の一側面――普通学校修身書にみる学校の描写と指導の変遷」(『韓国文化研究』第11号、2021年)ほか。