ホーム > 工業団地がやってきた
目次
まえがき(内藤 耕)
《プロローグ》(内藤 耕)
序章 工業団地と地域社会の変容(内藤 耕)
はじめに
1.デサコタと工業団地
2.グローバリゼーションのなかのインドネシアと日系企業
3.工業団地開発
4.都市化と混住化
5.さらなる景観変容―大規模商業施設の登場
6.研究手法
おわりに
コラム1:不動産開発ブームで激変したカラワン(新井健一郎)
第一章 穀倉地帯から工業団地へ(倉沢愛子)
はじめに
1.トゥルックジャンベ周辺の土地権利関係
2.開発に向けて土地買収
3.消えた水田
4.変容する村社会―農民でなくなった農民たちのその後
5.村落社会内の二つの空間
おわりに
コラム2:村の変貌を見守ったオマ村長一族(倉沢愛子)
第2章 都市化のさらなる進展と持続する農村的特徴(小池 誠)
はじめに
1.デサコタ化
2.2007年と 2016年の悉皆調査
3.調査から明らかになる都市化
4.持続する農村的な社会関係
おわりに――変わったこと、変わらないこと
コラム3:変化を生き抜いた家族の歩み(小池 誠)
第3章 流入してきた新住民(伊藤 眞)
はじめに
1.調査地概況と混住化
2.アンケート調査から見た住宅団地の新住⺠の諸特徴
3.旧住民と新住民
おわりに―混じり合わない混住化
コラム4:カンプンと住宅団地を繫ぐ糸(倉沢愛子)
第4章 非正規雇用労働者への視点(大井慈郎)
はじめに
1.都市圏の拡大と非正規雇用
2.アパート調査の概要
3.郊外の拡大と居住地区のモザイク
4.向都市移動と就業
おわりに
コラム5:工場への就職から大学卒への夢(大井慈郎)
第5章 都市化と沿道商人の流入(内藤 耕)
はじめに
1.ふたつの沿道
2.沿道の景観
3.商業従事者たちと店舗の状況
おわりに
コラム6:小洒落た喫茶店とアントレプルヌールシップ(内藤 耕)
第6章 カラワンにおける森林と集落(伊藤 眞)
はじめに 森林集落を見つける
1.森林と土地と住人
2.林業公社研修資料から
3.カラワンにおける森林・土地紛争
小結―見出された問題
第7章 SDTVモデルの検証(新美達也)
はじめに
1.SDTVモデルとその課題
2.カラワンとナムディン
3.カラワンとナムディンのその後
おわりに
終章 混住と工場労働の外側(内藤 耕)
1.ふたたび「混住化」をめぐって
2.村長選挙――分断と対立
3.工場労働の外側
4.アンダーグラウンドな力学
《エピローグ》(内藤 耕)
あとがき(内藤 耕)
索引
《プロローグ》(内藤 耕)
序章 工業団地と地域社会の変容(内藤 耕)
はじめに
1.デサコタと工業団地
2.グローバリゼーションのなかのインドネシアと日系企業
3.工業団地開発
4.都市化と混住化
5.さらなる景観変容―大規模商業施設の登場
6.研究手法
おわりに
コラム1:不動産開発ブームで激変したカラワン(新井健一郎)
第一章 穀倉地帯から工業団地へ(倉沢愛子)
はじめに
1.トゥルックジャンベ周辺の土地権利関係
2.開発に向けて土地買収
3.消えた水田
4.変容する村社会―農民でなくなった農民たちのその後
5.村落社会内の二つの空間
おわりに
コラム2:村の変貌を見守ったオマ村長一族(倉沢愛子)
第2章 都市化のさらなる進展と持続する農村的特徴(小池 誠)
はじめに
1.デサコタ化
2.2007年と 2016年の悉皆調査
3.調査から明らかになる都市化
4.持続する農村的な社会関係
おわりに――変わったこと、変わらないこと
コラム3:変化を生き抜いた家族の歩み(小池 誠)
第3章 流入してきた新住民(伊藤 眞)
はじめに
1.調査地概況と混住化
2.アンケート調査から見た住宅団地の新住⺠の諸特徴
3.旧住民と新住民
おわりに―混じり合わない混住化
コラム4:カンプンと住宅団地を繫ぐ糸(倉沢愛子)
第4章 非正規雇用労働者への視点(大井慈郎)
はじめに
1.都市圏の拡大と非正規雇用
2.アパート調査の概要
3.郊外の拡大と居住地区のモザイク
4.向都市移動と就業
おわりに
コラム5:工場への就職から大学卒への夢(大井慈郎)
第5章 都市化と沿道商人の流入(内藤 耕)
はじめに
1.ふたつの沿道
2.沿道の景観
3.商業従事者たちと店舗の状況
おわりに
コラム6:小洒落た喫茶店とアントレプルヌールシップ(内藤 耕)
第6章 カラワンにおける森林と集落(伊藤 眞)
はじめに 森林集落を見つける
1.森林と土地と住人
2.林業公社研修資料から
3.カラワンにおける森林・土地紛争
小結―見出された問題
第7章 SDTVモデルの検証(新美達也)
はじめに
1.SDTVモデルとその課題
2.カラワンとナムディン
3.カラワンとナムディンのその後
おわりに
終章 混住と工場労働の外側(内藤 耕)
1.ふたたび「混住化」をめぐって
2.村長選挙――分断と対立
3.工場労働の外側
4.アンダーグラウンドな力学
《エピローグ》(内藤 耕)
あとがき(内藤 耕)
索引
内容説明
日系企業の進出は地域をどう変えたか
大規模工業団地は急激な都市化をもたらし、農村地帯の風景を一変した。新たな住民や大小の商業施設の陰で、古くからの住民とその暮らしはどう変わったのか。緻密な現地調査で跡づける。
*********************************************
まえがき
ジャカルタから東方に50kmほどのところにあるカラワン(Karawang)県は穀倉地帯として知られてきた。いまでも県の北部地域には広大な水田が広がり、生産される米は銘柄米として流通している。インドネシア史を知る人には1945年8月の独立宣言前日、スカルノが青年たちに拉致連行され武装蜂起を説得されたレンガス・デンクロックがあると言えば、想像がつくだろうか。当時は高速道路などなかったとはいえ、ジャカルタからさほど遠くはなかった。
このカラワン県は、いまではインドネシアを代表する工業地帯としても知られるようになってきている。県の南部に複数の大規模工業団地が立地していて、全国から若い労働力が集まってくる。
本書は、日本経済の拡張の果てに東南アジアの一地域でおきた社会変容を追うものである。
ジャカルタから東方向、バンドン方面に向かう地域は、80年代後半からつづく開発ラッシュのピークにある。2018年に汚職が発覚して頓挫した大規模な都市開発メイカルタ計画の狂乱ぶりにもそれは象徴されている。中国の支援を受けて建設が進む高速鉄道に、ジャカルタの都心から伸びる通勤鉄道の延伸、そして大動脈ジャカルタ=チカンペック高速道路の拡幅(高架化、2020年完了)とインフラ開発も進んでいるが、その背景には、この地域がインドネシア有数の工業地帯であることが指摘できる。日本のおよそ5倍もの国土面積をほこるインドネシアであるが、製造業なかでも外国資本による工場の多くがこのせまい地域には集中している。ジャカルタ=チカンペック高速道路の開通が呼び水となって90年代からはじまった集中が、さらなるインフラ開発をかさねて現政権の下でも一気に加速している。
そして、これらの工場群で単独で立地しているケースはあまりない。物流と通勤を支える高速道路沿いに連なるのは大規模工業団地である。その多くが日系資本によって開設されている。当然のごとく、入居企業の多くも日系企業である。
インドネシアにかぎらず、東南アジアの工業化に大きな影響を与えてきたのは日本である。日本経済の基幹産業である自動車産業の展開は長い歴史をもつが、1985年のプラザ合意以降、関連産業の進出が加速していった。部品産業は多くの場合、単独での立地よりもインフラの整った工業団地を選好する。なかでも日系資本によって整備された工業団地は、安心感を与えてくれる。
こうして東南アジアは工業団地をベースとして、日系企業を受け入れ続けた。日本と東南アジアは、このプロセスのなかで結びつきを強めてきた。
これを受け入れる側の視点に立って見てみようというのが、本書の初発の動機である。巨大な工業団地が進出してくることによって東南アジアの地域社会になにが起きてきたのか。
キーワードとなるのは都市化、そして混住化である。工業団地が開発されるなかで、農村地帯が人びとの集住する都市に変容していく。商業施設が増えて商業地域が出現することももちろんであるが、地域の混住化が進行する。異なる国や地域の出身者が大量に流入してくる混住化は都市化の一部と見なすことができる。理論的には、あまりドラスティックな混住化が見られない都市化もありうる。だが、都市化は一般的に国内外のさまざまな人の流入をもたらす。
首都ジャカルタへの通勤圏としてはやや遠距離にあって地方都市の様相が強いが、本書で扱う西ジャワ州カラワン県もまたそうした波のなかにある。もともとは穀倉地帯であったこの県が工業県として知られるようになったのは、日系や韓国系の工業団地が進出して以降のことであった。大量の労働者が域外から流入し、かれらを受け入れるためのアパートや住宅団地が建設されていった。また、人口密度が高くなるにつれ商店の立地を見るようになり路上商人たちも増えていった。かれらの多くもまた外部からの流入者であった。つまり、大規模工業団地に吸い寄せられるようにたくさんの流入者が現れ、地域はもともとの住民を残しつつ混住化していった。
この混住化は、住民相互のコミュニケーションがあまりない状態をつくり上げていった。かつてJ・ファーニヴァルが指摘した複合社会のような状況が生まれていた。
本研究は2016年から4年間にわたっておこなった調査研究に基づいている。ただしこれには先行する別の調査プロジェクト(2006年〜2010年度)があった。両者のあいだには5年間のブランクがあったが、序章や第5章で詳細を見るようにこの間に商業地区の整備が一気に進んだ。巨大なショッピングモールや四つ星の高級ホテルがいくつも出現し、地域の様相は一変したと言ってよい。商業化や混住化は都市化の一面と捉えられるが、この地域ではまず混住化が進行し、その後に大規模な商業化の進展をみた。
本書ではこうした変化を、特定のコミュニティを丹念に調査することによって素描したものである。調査手法は質問紙を用いた住民調査や関係者への聞き取りを中心とした徹底した現地調査であった。各種統計資料やネット上の情報なども活用しているが、現地調査が本研究の要であった。人類学やオーラルヒストリーの専門家を擁した6人の研究者集団にとって現地調査を中心とした調査は、なんの疑問の余地もないものであった。日本の東南アジア研究においても、現地調査はひとつの王道であった。だが、そもそも現地調査はなぜ必要なのだろうか。
4年間におよんだ調査期間のあいだにインドネシアでもIT化が進み、調査地でもたとえば配車アプリの普及をみたり、行政の各種データが紙での提供からWEBでの公開に移行していった。それにもかかわらず、いやそれだからこそ現地調査の重要性を再認識させられている。WEBに相当量が掲載されている統計書の多くでは、その数字を算出する根拠となった手順が不明瞭なものがほとんどであった。数字そのものもつじつまが合わない、ひどい場合は土地の面積のように年々変化することなどまず考えられないはずのデータが、同じ年の同じ統計書のなかで異なっていたりする。県の統計局が発表する統計のなかにはある項目が、下位の行政機関のデータでは得られないこともあった。本研究においてとくに集中的にとりあげるS村にいたるや、近年ネットでの情報発信を強めているものの、人口を掲載する欄は2022年10月時点で空欄のままである。そうした例があまりにも多い。となると現地の行政機関でしつこく聞き回る、そしてときには自ら調べまわることが欠かせない。
かといって統計データがまったく信用できないということもない。二次的な数的処理をためらうような統計データも、現地調査によって得られた知見を通してその蓋然的正しさを裏付けることができる場合も多いか、むしろほとんどである。インドネシアにおける調査は数字と現地との往復の中で進んでいく。
さて、本書は、異なる専門領域の研究者が共同して行った調査の結果である。うまくコラボレーションができた部分もあったと思う一方で、調整に苦慮した部分も少なくない。各人の専門性や個性に任せて、自由にしている部分もある。読者にそれが不協和音のように思えたとしたら、ひとえに研究代表である編者の責である。
ただ、ひとつだけ明示してお断りしておかなければならないのは、匿名性の確保についてである。本書では、村名や住民の氏名は原則として匿名ないし仮名とした。理由は、インフォーマントが特定されることで彼らになんらかの不利益が及ぶことを恐れたからである。しかし、読者のなかには、このネットの時代にここまで地域の実相を記述することはほとんど実名をあげているに近いと感じる向きもあるかもしれない。郡や県の名称も仮名にするべきであり、地図も載せるべきではないといった判断もあるだろう。
この点はとくに悩んだ。社会学的調査や一部の地理学的調査では可能な限り仮名が基本となっている。私見ではその理由は、調査が問題意識を立てた形でおこなわれるケーススタディであるからではないだろうか。それに対して、歴史学などは固有名詞にこだわる。A氏とかB社ではなく、具体的な名前をもった個人、組織の考えや行動を記述していくことに意味を見いだす。日本の東南アジア研究も歴史研究に強みをもってきたことから固有名詞を大切にしてきたように思う。地域研究はケーススタディではない。個別具体的な地域にアプローチするかぎりはその地域の個性に着目しなければならない。
こうしたことから政治家など、公的に露出が多い個人については原則として実名となっている。政治家が特定できれば、地域も特定できてしまう場合があることは重々承知の上である。また、村名など伏せ字としているにもかかわらず、一部の資料についてはその真正性を担保するために正確な表記をとらざるをえなかった。
以下、本書の構成を簡単に紹介する。
序章「工業団地と地域社会の変容」(内藤 耕)では、後に続く各章の導入として、第一に工業団地が入ってきたことによって、西ジャワの農村社会が被った変化を見ていく視点を整理したい。鍵となるのはデサコタ論などでも示された「混住化」の概念である。また、第二にこのカラワン県の特徴について議論しておきたい。そして第三として、本書のもととなった調査の概要とその方法論上の特色を示していく。
第1章「穀倉地帯から工業団地へ――そして村はどう変わったのか」(倉沢愛子)は地域の歴史を追いながら、その変貌を分析するものである。本研究の対象であるS村では、1990年代前半に建設された大規模工業団地とそれに連動して開発が進んだ住宅団地のために、多くの水田が失われ、地域社会は、農村から、都市的な空間(デサコタ)へと変貌した。本章ではその変貌を、オランダの植民地時代から現代にいたるまで通覧し、水田の消滅と住民の生業変化について追っていく。
第2章「旧村落の住民――9年間でなにが変わり、なにが変わらなかったのか」(小池 誠)は、2007年におこなった調査の結果(世帯構成、教育水準、世帯主の職業・収入、通婚圏など)と、2016年の調査の結果を比較し、またインタビュー調査の成果も参照して、9年間の社会変化を明らかにする。教育水準の向上と職業の多様化が進展するも、社会関係としては農村的特徴を残っていることが示される。
第3章「流入してきた新住民――混じり合わない混住化」(伊藤 眞)では、分譲住宅地をとりあげ、村外/域外からの流入した住民たちの特徴をみていく。あつかうのは、2017年に実施した調査の結果であるが、前章で紹介している旧集落の住民との比較を通して、両者の違いを浮き彫りにしていく。
第4章「非正規雇用労働者への視点――集落部アパート群調査より」(大井慈郞)では旧集落部のアパート住民を対象とした2017年の調査結果をもとに、工場労働者の向都市移動と就業機会の現状を明らかする。「人的つながり」である親族・同郷者ネットワークの就業に際しての重要性が低下していることなどを指摘する。他方で、短期雇用を繰り返す現在の非正規雇用制度のもと、次の就職に向けた情報交換のための工場労働者同士の人的つながりが重要な役割を担っている状況を描き出した。
第5章「都市化と沿道商人の流入」(内藤 耕)では、急速に多様化し階層化していくこの地域の商業シーンについてあきらかにしていく。とくに裏通りにあたる沿道Aとショップハウスが建ち並ぶ表通りの沿道Bを比較し、景観の違いと営業する商人の属性の違いを素描する。そこでは、地域のひとびとだけではなく外来者によって商業空間が自然発生的に形成されていた。
第6章「カラワンにおける森林と集落:取り残された開発」(伊藤眞)では、工業団地にはさまれてあたかも取り残されたかのように見える森林集落をとりあげることで、開発の意味を考えていく。開発には光と影ふたつの側面がある。カラワン地域の工業化は、近代的な工業団地、住宅団地群、そしてショッピングモールを生み出す一方で、森林とそこで暮らす人びとの存在を周縁化させ、見えにくくさせてしまった。しかし、こうした周縁化された部分にも光をあてることで初めて、地域の社会変化をより動態的に捉えることが可能となると考える。
第7章「SDTVモデルの検証――カラワンとナムディン」(新美達也)では、ベトナム村落研究の桜井由躬雄が提唱したSDTVモデルについて再考整理することと、カラワンにおけるその適用可能性について検証する。ベトナム語の「朝行って、夕方帰る」、すなわちコミューティングに由来するSDTVは、親世代の農業就労と子世代の工場労働によって農家の可処分所得が保障されるというモデルである。しかし、その成立にはいくつかの条件がある。それらの整理をとおしてカラワンにおける地域発展の課題を考える。
以上のほか、いくつかのコラムを用意した。ともすれば本書のような内容はかわいた調査報告のようになりがちである。人間の営為の結果を分析しているのに人間が見えないことになってはいないか。地域の実相はもっとなまなましい。これらのコラムを通して多少なりとも地域のみずみずしさを伝えられたらと思う。コラムについては、2007年にはじまった第1期の調査の主力メンバーであった新井健一郎氏にも協力いただいた。なお、上記のうち第4章および第5章は既発表論文を加筆修正したものである(書誌についてはそれぞれの章を参照されたい)。そのほかは基本的に本書のための書き下ろしである。
工業団地の進出を契機に進んだインドネシアにおける地域社会変容は、日本の影響といった大きな枠組を前提としつつも、地域のさまざまな力学を得て進行した。なかでも他地域からの人びと(異なる社会文化的属性の人びと)の流入にともなう「混住化」は景観の都市化とあいまって、地域を極めて不安定な状況に招いた。その実相を示すことで日本と東南アジアの関係の省察と地域における共生戦略のヒントにつなげることが本書の目的である。コラムを添えることでそうした意図がうまく伝わっていることを願うばかりである。
また、蛇足ながら、工業団地の入居企業の雇用状況は本研究が大きく関心を寄せるところである。しかしながら、企業に関する調査は、実は簡単なことではない。労務にかかわる調査が含まれるとなるとなおさらである。先行研究のほとんどはなんらかの伝手で企業での調査を許されたケーススタディである。対して、本書はあくまで工業団地をとりまく地域社会に焦点をあてている。だが、住民のなかの工場労働者への質問を通して、工業団地の中にも視線を向けている。海外進出企業の研究にも資するところがあれば、望外の幸せと考える。
*********************************************
編者紹介
内藤 耕(ないとう たがやす)
1962年生まれ。
1991年慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。
専攻は社会学、国際コミュニケーション研究、インドネシア研究。
現在、東海大学文化社会学部教授。
著書として、『国際コミュニケーションとメディア:東アジアの諸相』(学文社、2019年、共著)、『消費するインドネシア』(慶應義塾大学出版会、2012年、共著)、『都市下層の生活構造と移動ネットワーク』(明石書店、2007年、共著)など。
序章、第5章、終章、コラム6ほか担当
執筆者紹介(50音順)
新井 健一郎(あらい けんいちろう)
1970年生まれ。
東京都立大学社会科学研究科単位取得退学。
専攻は都市人類学、インドネシア研究。
現在、亜細亜大学都市創造学部准教授。
著書として『消費するインドネシア』 (慶應義塾大学出版会 、2013年、共著)、『首都をつくる:ジャカルタ創造の50年』(東海大学出版会、2012年、単著)、論文として“Jakarta "Since Yesterday": The Making of the Post-New Order Regime in an Indonesian Metropolis.” Southeast Asian Studies 4 (3), 京都大学CSEAS,(2015年)など。
コラム1担当
伊藤 眞(いとう まこと)
1950年生まれ。
1982年東京都立大学社会科学研究科博士課程単位取得退学、博士(社会人類学)。
専攻は社会人類学、移民研究、ジェンダー研究、東南アジア社会研究。
現在、東京都立大学客員教授・名誉教授。
著書として、『東南アジアにおけるケアの潜在力:生のつながりの実践』(京都大学学術出版会、2019年、共著)、『性の文脈』(雄山閣、2003年、共著)、論文として、「ワリアとLGBTのはざま」(『社会人類学年報』vol.44、2019年)など。
第3章、第6章担当
大井 慈郎(おおい じろう)
1984年生まれ。
2015年東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
専攻は都市社会学、インドネシア研究。
現在、岩手保健医療大学看護学部講師。
著書として、『社会運動の現在:市民社会の声』(有斐閣、2020年、共著)、論文として、「郊外工場労働者の向都市移動と就業状態:インドネシア首都郊外工業団地周辺集落部アパート群調査より」(『社会学年報』48号、2019)、「東南アジア都市化論の再構築に向けて:人口移動による過剰都市化論の検討」(『日本都市学会年報』48号、2015)など。
第4章、コラム5担当
倉沢 愛子(くらさわ あいこ)
1946年生まれ。
1979年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。コーネル大学Ph.D、博士(学術)。
専攻は日本占領期インドネシア研究、インドネシア社会史。
現在、慶應義塾大学名誉教授。
著書として『南島に輝く女王 三輪ヒデ:国のない女の一代記』(岩波書店、2021年、単著)、『インドネシア大虐殺:二つのクーデターと史上最大級の惨劇』(中央公論新社、2020年、単著)、『戦後日本=インドネシア関係史』(草思社、2011年、単著)ほか。
第1章、コラム2、4担当
小池 誠(こいけ まこと)
1956年生まれ。
1991年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会人類学)。
専攻は社会人類学、インドネシア研究。
現在、桃山学院大学国際教養学部教授。
著書として『生をつなぐ家:親族研究の新たな地平』 (風響社、2013 年、共著)、『東インドネシアの家社会:スンバの親族と儀礼』(晃洋書房、2005年、単著)、論文として「YouTubeを通して発信するスンバ:インドネシア東部における伝統の再活性化」(『桃山学院大学総合研究所紀要』48巻1号、2022年)
第2章、コラム3担当
新美 達也(にいみ たつや)
1967年生まれ。
2011年中央大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。
専攻は開発経済学、ベトナム地域研究。
現在、名古屋学院大学経済学部准教授。
著書として、"25 NAM VIET NAM HOC - THEO DINH HUONG LIEN NGANH”(ベトナム学25周年-学際研究動向)(Nha xuat ban The Gioi, 2014, 共著)、『高度経済成長下のベトナム農業・農村の発展』(JETROアジア経済研究所、2013年、共著)、論文に「ベトナムにおける日本語教育と人材供給に関する一考察」(長崎外大論叢25号、2021年、共著)など。
第7章担当
大規模工業団地は急激な都市化をもたらし、農村地帯の風景を一変した。新たな住民や大小の商業施設の陰で、古くからの住民とその暮らしはどう変わったのか。緻密な現地調査で跡づける。
*********************************************
まえがき
内藤 耕
ジャカルタから東方に50kmほどのところにあるカラワン(Karawang)県は穀倉地帯として知られてきた。いまでも県の北部地域には広大な水田が広がり、生産される米は銘柄米として流通している。インドネシア史を知る人には1945年8月の独立宣言前日、スカルノが青年たちに拉致連行され武装蜂起を説得されたレンガス・デンクロックがあると言えば、想像がつくだろうか。当時は高速道路などなかったとはいえ、ジャカルタからさほど遠くはなかった。
このカラワン県は、いまではインドネシアを代表する工業地帯としても知られるようになってきている。県の南部に複数の大規模工業団地が立地していて、全国から若い労働力が集まってくる。
本書は、日本経済の拡張の果てに東南アジアの一地域でおきた社会変容を追うものである。
ジャカルタから東方向、バンドン方面に向かう地域は、80年代後半からつづく開発ラッシュのピークにある。2018年に汚職が発覚して頓挫した大規模な都市開発メイカルタ計画の狂乱ぶりにもそれは象徴されている。中国の支援を受けて建設が進む高速鉄道に、ジャカルタの都心から伸びる通勤鉄道の延伸、そして大動脈ジャカルタ=チカンペック高速道路の拡幅(高架化、2020年完了)とインフラ開発も進んでいるが、その背景には、この地域がインドネシア有数の工業地帯であることが指摘できる。日本のおよそ5倍もの国土面積をほこるインドネシアであるが、製造業なかでも外国資本による工場の多くがこのせまい地域には集中している。ジャカルタ=チカンペック高速道路の開通が呼び水となって90年代からはじまった集中が、さらなるインフラ開発をかさねて現政権の下でも一気に加速している。
そして、これらの工場群で単独で立地しているケースはあまりない。物流と通勤を支える高速道路沿いに連なるのは大規模工業団地である。その多くが日系資本によって開設されている。当然のごとく、入居企業の多くも日系企業である。
インドネシアにかぎらず、東南アジアの工業化に大きな影響を与えてきたのは日本である。日本経済の基幹産業である自動車産業の展開は長い歴史をもつが、1985年のプラザ合意以降、関連産業の進出が加速していった。部品産業は多くの場合、単独での立地よりもインフラの整った工業団地を選好する。なかでも日系資本によって整備された工業団地は、安心感を与えてくれる。
こうして東南アジアは工業団地をベースとして、日系企業を受け入れ続けた。日本と東南アジアは、このプロセスのなかで結びつきを強めてきた。
これを受け入れる側の視点に立って見てみようというのが、本書の初発の動機である。巨大な工業団地が進出してくることによって東南アジアの地域社会になにが起きてきたのか。
キーワードとなるのは都市化、そして混住化である。工業団地が開発されるなかで、農村地帯が人びとの集住する都市に変容していく。商業施設が増えて商業地域が出現することももちろんであるが、地域の混住化が進行する。異なる国や地域の出身者が大量に流入してくる混住化は都市化の一部と見なすことができる。理論的には、あまりドラスティックな混住化が見られない都市化もありうる。だが、都市化は一般的に国内外のさまざまな人の流入をもたらす。
首都ジャカルタへの通勤圏としてはやや遠距離にあって地方都市の様相が強いが、本書で扱う西ジャワ州カラワン県もまたそうした波のなかにある。もともとは穀倉地帯であったこの県が工業県として知られるようになったのは、日系や韓国系の工業団地が進出して以降のことであった。大量の労働者が域外から流入し、かれらを受け入れるためのアパートや住宅団地が建設されていった。また、人口密度が高くなるにつれ商店の立地を見るようになり路上商人たちも増えていった。かれらの多くもまた外部からの流入者であった。つまり、大規模工業団地に吸い寄せられるようにたくさんの流入者が現れ、地域はもともとの住民を残しつつ混住化していった。
この混住化は、住民相互のコミュニケーションがあまりない状態をつくり上げていった。かつてJ・ファーニヴァルが指摘した複合社会のような状況が生まれていた。
本研究は2016年から4年間にわたっておこなった調査研究に基づいている。ただしこれには先行する別の調査プロジェクト(2006年〜2010年度)があった。両者のあいだには5年間のブランクがあったが、序章や第5章で詳細を見るようにこの間に商業地区の整備が一気に進んだ。巨大なショッピングモールや四つ星の高級ホテルがいくつも出現し、地域の様相は一変したと言ってよい。商業化や混住化は都市化の一面と捉えられるが、この地域ではまず混住化が進行し、その後に大規模な商業化の進展をみた。
本書ではこうした変化を、特定のコミュニティを丹念に調査することによって素描したものである。調査手法は質問紙を用いた住民調査や関係者への聞き取りを中心とした徹底した現地調査であった。各種統計資料やネット上の情報なども活用しているが、現地調査が本研究の要であった。人類学やオーラルヒストリーの専門家を擁した6人の研究者集団にとって現地調査を中心とした調査は、なんの疑問の余地もないものであった。日本の東南アジア研究においても、現地調査はひとつの王道であった。だが、そもそも現地調査はなぜ必要なのだろうか。
4年間におよんだ調査期間のあいだにインドネシアでもIT化が進み、調査地でもたとえば配車アプリの普及をみたり、行政の各種データが紙での提供からWEBでの公開に移行していった。それにもかかわらず、いやそれだからこそ現地調査の重要性を再認識させられている。WEBに相当量が掲載されている統計書の多くでは、その数字を算出する根拠となった手順が不明瞭なものがほとんどであった。数字そのものもつじつまが合わない、ひどい場合は土地の面積のように年々変化することなどまず考えられないはずのデータが、同じ年の同じ統計書のなかで異なっていたりする。県の統計局が発表する統計のなかにはある項目が、下位の行政機関のデータでは得られないこともあった。本研究においてとくに集中的にとりあげるS村にいたるや、近年ネットでの情報発信を強めているものの、人口を掲載する欄は2022年10月時点で空欄のままである。そうした例があまりにも多い。となると現地の行政機関でしつこく聞き回る、そしてときには自ら調べまわることが欠かせない。
かといって統計データがまったく信用できないということもない。二次的な数的処理をためらうような統計データも、現地調査によって得られた知見を通してその蓋然的正しさを裏付けることができる場合も多いか、むしろほとんどである。インドネシアにおける調査は数字と現地との往復の中で進んでいく。
さて、本書は、異なる専門領域の研究者が共同して行った調査の結果である。うまくコラボレーションができた部分もあったと思う一方で、調整に苦慮した部分も少なくない。各人の専門性や個性に任せて、自由にしている部分もある。読者にそれが不協和音のように思えたとしたら、ひとえに研究代表である編者の責である。
ただ、ひとつだけ明示してお断りしておかなければならないのは、匿名性の確保についてである。本書では、村名や住民の氏名は原則として匿名ないし仮名とした。理由は、インフォーマントが特定されることで彼らになんらかの不利益が及ぶことを恐れたからである。しかし、読者のなかには、このネットの時代にここまで地域の実相を記述することはほとんど実名をあげているに近いと感じる向きもあるかもしれない。郡や県の名称も仮名にするべきであり、地図も載せるべきではないといった判断もあるだろう。
この点はとくに悩んだ。社会学的調査や一部の地理学的調査では可能な限り仮名が基本となっている。私見ではその理由は、調査が問題意識を立てた形でおこなわれるケーススタディであるからではないだろうか。それに対して、歴史学などは固有名詞にこだわる。A氏とかB社ではなく、具体的な名前をもった個人、組織の考えや行動を記述していくことに意味を見いだす。日本の東南アジア研究も歴史研究に強みをもってきたことから固有名詞を大切にしてきたように思う。地域研究はケーススタディではない。個別具体的な地域にアプローチするかぎりはその地域の個性に着目しなければならない。
こうしたことから政治家など、公的に露出が多い個人については原則として実名となっている。政治家が特定できれば、地域も特定できてしまう場合があることは重々承知の上である。また、村名など伏せ字としているにもかかわらず、一部の資料についてはその真正性を担保するために正確な表記をとらざるをえなかった。
以下、本書の構成を簡単に紹介する。
序章「工業団地と地域社会の変容」(内藤 耕)では、後に続く各章の導入として、第一に工業団地が入ってきたことによって、西ジャワの農村社会が被った変化を見ていく視点を整理したい。鍵となるのはデサコタ論などでも示された「混住化」の概念である。また、第二にこのカラワン県の特徴について議論しておきたい。そして第三として、本書のもととなった調査の概要とその方法論上の特色を示していく。
第1章「穀倉地帯から工業団地へ――そして村はどう変わったのか」(倉沢愛子)は地域の歴史を追いながら、その変貌を分析するものである。本研究の対象であるS村では、1990年代前半に建設された大規模工業団地とそれに連動して開発が進んだ住宅団地のために、多くの水田が失われ、地域社会は、農村から、都市的な空間(デサコタ)へと変貌した。本章ではその変貌を、オランダの植民地時代から現代にいたるまで通覧し、水田の消滅と住民の生業変化について追っていく。
第2章「旧村落の住民――9年間でなにが変わり、なにが変わらなかったのか」(小池 誠)は、2007年におこなった調査の結果(世帯構成、教育水準、世帯主の職業・収入、通婚圏など)と、2016年の調査の結果を比較し、またインタビュー調査の成果も参照して、9年間の社会変化を明らかにする。教育水準の向上と職業の多様化が進展するも、社会関係としては農村的特徴を残っていることが示される。
第3章「流入してきた新住民――混じり合わない混住化」(伊藤 眞)では、分譲住宅地をとりあげ、村外/域外からの流入した住民たちの特徴をみていく。あつかうのは、2017年に実施した調査の結果であるが、前章で紹介している旧集落の住民との比較を通して、両者の違いを浮き彫りにしていく。
第4章「非正規雇用労働者への視点――集落部アパート群調査より」(大井慈郞)では旧集落部のアパート住民を対象とした2017年の調査結果をもとに、工場労働者の向都市移動と就業機会の現状を明らかする。「人的つながり」である親族・同郷者ネットワークの就業に際しての重要性が低下していることなどを指摘する。他方で、短期雇用を繰り返す現在の非正規雇用制度のもと、次の就職に向けた情報交換のための工場労働者同士の人的つながりが重要な役割を担っている状況を描き出した。
第5章「都市化と沿道商人の流入」(内藤 耕)では、急速に多様化し階層化していくこの地域の商業シーンについてあきらかにしていく。とくに裏通りにあたる沿道Aとショップハウスが建ち並ぶ表通りの沿道Bを比較し、景観の違いと営業する商人の属性の違いを素描する。そこでは、地域のひとびとだけではなく外来者によって商業空間が自然発生的に形成されていた。
第6章「カラワンにおける森林と集落:取り残された開発」(伊藤眞)では、工業団地にはさまれてあたかも取り残されたかのように見える森林集落をとりあげることで、開発の意味を考えていく。開発には光と影ふたつの側面がある。カラワン地域の工業化は、近代的な工業団地、住宅団地群、そしてショッピングモールを生み出す一方で、森林とそこで暮らす人びとの存在を周縁化させ、見えにくくさせてしまった。しかし、こうした周縁化された部分にも光をあてることで初めて、地域の社会変化をより動態的に捉えることが可能となると考える。
第7章「SDTVモデルの検証――カラワンとナムディン」(新美達也)では、ベトナム村落研究の桜井由躬雄が提唱したSDTVモデルについて再考整理することと、カラワンにおけるその適用可能性について検証する。ベトナム語の「朝行って、夕方帰る」、すなわちコミューティングに由来するSDTVは、親世代の農業就労と子世代の工場労働によって農家の可処分所得が保障されるというモデルである。しかし、その成立にはいくつかの条件がある。それらの整理をとおしてカラワンにおける地域発展の課題を考える。
以上のほか、いくつかのコラムを用意した。ともすれば本書のような内容はかわいた調査報告のようになりがちである。人間の営為の結果を分析しているのに人間が見えないことになってはいないか。地域の実相はもっとなまなましい。これらのコラムを通して多少なりとも地域のみずみずしさを伝えられたらと思う。コラムについては、2007年にはじまった第1期の調査の主力メンバーであった新井健一郎氏にも協力いただいた。なお、上記のうち第4章および第5章は既発表論文を加筆修正したものである(書誌についてはそれぞれの章を参照されたい)。そのほかは基本的に本書のための書き下ろしである。
工業団地の進出を契機に進んだインドネシアにおける地域社会変容は、日本の影響といった大きな枠組を前提としつつも、地域のさまざまな力学を得て進行した。なかでも他地域からの人びと(異なる社会文化的属性の人びと)の流入にともなう「混住化」は景観の都市化とあいまって、地域を極めて不安定な状況に招いた。その実相を示すことで日本と東南アジアの関係の省察と地域における共生戦略のヒントにつなげることが本書の目的である。コラムを添えることでそうした意図がうまく伝わっていることを願うばかりである。
また、蛇足ながら、工業団地の入居企業の雇用状況は本研究が大きく関心を寄せるところである。しかしながら、企業に関する調査は、実は簡単なことではない。労務にかかわる調査が含まれるとなるとなおさらである。先行研究のほとんどはなんらかの伝手で企業での調査を許されたケーススタディである。対して、本書はあくまで工業団地をとりまく地域社会に焦点をあてている。だが、住民のなかの工場労働者への質問を通して、工業団地の中にも視線を向けている。海外進出企業の研究にも資するところがあれば、望外の幸せと考える。
*********************************************
編者紹介
内藤 耕(ないとう たがやす)
1962年生まれ。
1991年慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。
専攻は社会学、国際コミュニケーション研究、インドネシア研究。
現在、東海大学文化社会学部教授。
著書として、『国際コミュニケーションとメディア:東アジアの諸相』(学文社、2019年、共著)、『消費するインドネシア』(慶應義塾大学出版会、2012年、共著)、『都市下層の生活構造と移動ネットワーク』(明石書店、2007年、共著)など。
序章、第5章、終章、コラム6ほか担当
執筆者紹介(50音順)
新井 健一郎(あらい けんいちろう)
1970年生まれ。
東京都立大学社会科学研究科単位取得退学。
専攻は都市人類学、インドネシア研究。
現在、亜細亜大学都市創造学部准教授。
著書として『消費するインドネシア』 (慶應義塾大学出版会 、2013年、共著)、『首都をつくる:ジャカルタ創造の50年』(東海大学出版会、2012年、単著)、論文として“Jakarta "Since Yesterday": The Making of the Post-New Order Regime in an Indonesian Metropolis.” Southeast Asian Studies 4 (3), 京都大学CSEAS,(2015年)など。
コラム1担当
伊藤 眞(いとう まこと)
1950年生まれ。
1982年東京都立大学社会科学研究科博士課程単位取得退学、博士(社会人類学)。
専攻は社会人類学、移民研究、ジェンダー研究、東南アジア社会研究。
現在、東京都立大学客員教授・名誉教授。
著書として、『東南アジアにおけるケアの潜在力:生のつながりの実践』(京都大学学術出版会、2019年、共著)、『性の文脈』(雄山閣、2003年、共著)、論文として、「ワリアとLGBTのはざま」(『社会人類学年報』vol.44、2019年)など。
第3章、第6章担当
大井 慈郎(おおい じろう)
1984年生まれ。
2015年東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
専攻は都市社会学、インドネシア研究。
現在、岩手保健医療大学看護学部講師。
著書として、『社会運動の現在:市民社会の声』(有斐閣、2020年、共著)、論文として、「郊外工場労働者の向都市移動と就業状態:インドネシア首都郊外工業団地周辺集落部アパート群調査より」(『社会学年報』48号、2019)、「東南アジア都市化論の再構築に向けて:人口移動による過剰都市化論の検討」(『日本都市学会年報』48号、2015)など。
第4章、コラム5担当
倉沢 愛子(くらさわ あいこ)
1946年生まれ。
1979年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。コーネル大学Ph.D、博士(学術)。
専攻は日本占領期インドネシア研究、インドネシア社会史。
現在、慶應義塾大学名誉教授。
著書として『南島に輝く女王 三輪ヒデ:国のない女の一代記』(岩波書店、2021年、単著)、『インドネシア大虐殺:二つのクーデターと史上最大級の惨劇』(中央公論新社、2020年、単著)、『戦後日本=インドネシア関係史』(草思社、2011年、単著)ほか。
第1章、コラム2、4担当
小池 誠(こいけ まこと)
1956年生まれ。
1991年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会人類学)。
専攻は社会人類学、インドネシア研究。
現在、桃山学院大学国際教養学部教授。
著書として『生をつなぐ家:親族研究の新たな地平』 (風響社、2013 年、共著)、『東インドネシアの家社会:スンバの親族と儀礼』(晃洋書房、2005年、単著)、論文として「YouTubeを通して発信するスンバ:インドネシア東部における伝統の再活性化」(『桃山学院大学総合研究所紀要』48巻1号、2022年)
第2章、コラム3担当
新美 達也(にいみ たつや)
1967年生まれ。
2011年中央大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。
専攻は開発経済学、ベトナム地域研究。
現在、名古屋学院大学経済学部准教授。
著書として、"25 NAM VIET NAM HOC - THEO DINH HUONG LIEN NGANH”(ベトナム学25周年-学際研究動向)(Nha xuat ban The Gioi, 2014, 共著)、『高度経済成長下のベトナム農業・農村の発展』(JETROアジア経済研究所、2013年、共著)、論文に「ベトナムにおける日本語教育と人材供給に関する一考察」(長崎外大論叢25号、2021年、共著)など。
第7章担当