目次
牽牛花(あさがお)の廃屋
一 永訣の午後
二 祠堂に続く道
三 養鶏場と文化住宅
四 謎の祖先
五 北上川
松の根と赤飯
一 香菜
二 死者との共食
三 さまよえる魂たち
四 中廊下
五 女の力
道玄坂のセミ
一 宮沢賢治
二 敗北
三 広瀬川
四 華南
五 ンゴーイローイヤン
教育者とネコ
一 スー
二 カドヴェオ族の紋様
三 植物図鑑
四 地理の先生
五 世代を超えて
跋
附録 自著作目録
内容説明
「少年老い易く 学成り難し……」
この朱熹の漢詩は「階前の梧葉すでに秋声」で結ばれる。
中国人類学に着実な足跡を残してきた著者にも、少年時代はあり、初渡航やフィールドワークに緊張する青年期もあった。定年退職に際し、研究・調査の逸話を交え語る、東北人としての自伝的エッセイ。
*********************************************
序
本書は、文化人類学者として約四〇年の研究者生活を過ごしてきた筆者が、大学を定年退職するにあたり、これまでの生い立ちや人生の体験を振りかえりながら、自分にとって文化人類学の研究とはいったい何であったのだろうかと、とりとめもなく思いめぐらせたことがらを書き留めたものである。
「十月の梧葉」というタイトルは、漢詩の「階前梧葉已秋声」(階前の梧葉すでに秋声)にちなんだつもりである。明初の五山僧の作とも、また朱熹(朱子)の作とも伝わるこの漢詩は、「少年易老学難成」(少年老いやすく学成りがたし)という有名な一句ではじまり、「一寸光陰不可軽」(一寸の光陰軽んずべからず)とつづくが、あえてこの漢詩の一節にちなんだタイトルにした私の意図は、そこから容易に理解されることと思う。
岩手県の花巻市にある私の実家には、玄関の脇に樹齢約九〇年の大きな梧桐の木があり、この梧桐の木のすぐ奥にあたる場所に、私が中学から高校にかけて読書や受験勉強のために使っていた一室があった。思えば私は、この梧葉のもとで、人生の幕開けの一時期を過ごしたのである。爾来、当時の勉学や思索は、その後の時間の経過と人生の積み重ねを経て、研究者として書いたいくつかの著作や論考の中へとそれなりにつながっていったようにも思われるのだが、その一方で、あの部屋の窓から梧桐の葉を眺めながら夢想していた未来というものがあったとすれば、はたしてその何パーセントを、私は成就することができたのであろうかと自問してしまう。
あの実家の玄関脇の、梧葉は年々歳々秋声を伝え、時間にはかぎりのあること、見はてぬ夢の大きさに比べて己の歩みはあまりにも遅いことを私に悟らせようとしてきたのかもしれないが、私は人生の折々の喧噪や繁忙にかまけ、そのことには気づきもしないままに徒に馬齢を重ねてきたように思う。本書はそうした私の、半世紀を超える半生についての反省と追憶の記である。
*********************************************
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年、岩手県花巻市生まれ。
1986年、東京大学大学院博士課程中退。学術博士(東京大学1989年)。専攻、文化人類学。
国立民族学博物館助手、東北大学教養部助教授、同大学文学部助教授を経て、1996年より同大学東北アジア研究センター教授。
著書に『中国人の村落と宗族』(1991年、弘文堂)、『客家―華南漢族のエスニシティーとその境界』(1993年、風響社)、『中国社会の人類学』(2004年、世界思想社)、『連続性への希求―族譜を通じてみた「家族」の歴史人類学』(2021年、風響社)、『客家―エスニシティーの形成とその変遷』(2021年、風響社)、
Ancestral Genealogies in Modern China: A Study of Lineage Organizations in Hong Kong and Mainland China(Routledge、2022年)
など。