シバジ
韓国・朝鮮における代理母出産の歴史社会学
女性は子供を産む道具なのか 子孫を残す圧力と構造を深く分析した注目の論考。
著者 | 渕上 恭子 著 |
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ジャンル | 社会・経済・環境・政治 |
出版年月日 | 2023/02/20 |
ISBN | 9784894893344 |
判型・ページ数 | A5・648ページ |
定価 | 本体7,000円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
凡例
序章 研究の視座
一 研究の立脚点
二 先行研究の検討
三 各章の概要
四 研究の方法
●第I部 朝鮮時代のシバジ
第一章 韓国映画『シバジ』の民族誌
第二章 シバジの代理母制度形成の時代背景
一 両班層における父系血統主義の浸透
二 「七出三不去」による離婚抑制策
「惡疾」による離婚の事案
「婬僻」による離婚の事案
「無子」による離婚の事案
「嫉妬」による離婚の事案
「不順舅姑」による離婚の事案
三 「庶孽禁錮法」による庶子差別
第三章 文献資料にみる「シバジ」研究の系譜
一 李圭泰の著作にみるシバジの生活世界
二 李圭泰の「シバジ夫人」
シバジ夫人の先天的条件(第一章)
種受け日を決める高等数学(第二章)
哀情の「母」(第三章)
臍につけた「勲章」(第四章)
客間のお客さんと奥の部屋のお客さん(第五章)
三 朝鮮時代後期の実学書にみる「シバジ」研究の系譜
柳重臨著『增補山林經濟』
徐有榘著『林園十六志』
四 隠語の伝承にみるシバジの身分層形成過程
第四章 伝説および映像作品にみるシバジの売買風習
一 智異山ピアコルの「種女村」伝説
二 『野女』にみるシバジの売買風習
三 『糸車よ、糸車よ』にみるシバジと「シネリ」
四 『恣女木』にみるシバジと「シネリ」
●第Ⅱ部 「現代版シバジ」の実像
第五章 婚外交渉型代理母出産
一 内縁関係の代理母
二 女児を産んで引き取りを拒否されたシバジ女人
三 「シバジ契約」を反故にされた代理母
四 脅迫・恐喝罪に問われたシバジ女人
五 「シバジ詐欺」をはたらく女人
六 シバジにされた視覚障碍人
第六章 人工授精型代理母出産
一 韓国における「不妊」の現状
二 「性なき生殖」の始まり
三 非配偶者間人工授精(AID)の歴史
四 代理母出産に転用されるAID
五 メディアに表れた人工授精型代理母出産
六 マスメディアに現れた人工授精型代理母
第七章 体外受精型代理母出産
一 「試験管アギ(ベビー)」の誕生
二 「母」を分割する体外受精・胚移植
三 伏せられた国内初の体外受精型代理母出産
四 第一病院による「代理母妊娠」事例発表
五 「韓國補助生殖術の現況」に表れた代理母施術
六 症例研究論文の中の親姻族代理母
七 世化産婦人科医院による代理母の公募
八 「子宮賃貸型代理母」の出現
第八章 ドナー卵子を用いる体外受精型代理母出産
一 母体を部品化する体外受精・胚移植
二 代理母出産を補完する卵子提供
三 「姉妹間卵子供与」の推進
四 卵子提供者の高齢化
五 拡がる卵子売買
六 卵子売買に後押しされた代理母出産
第九章 韓国の代理母出産をめぐる法的・倫理的問題
一 法の死角地帯に置かれた代理母出産
二 否定される法制化
人工授精および代理母に対する認識
人工授精および代理母を勧めるか
金銭的、非金銭的代理母について
代理母出産の法制化に対する社会的受容度
三 「母」の規定の有効性
四 男児を得るための代理母出産
五 親族間代理懐胎をめぐる倫理問題
六 忌避される異世代間の代理母出産
●第Ⅲ部 グローバル化時代のシバジ
第一〇章 韓国における生殖ツーリズムの展開
一 国境を越える不妊夫婦・代理母・卵子ドナー
一九九〇年代初盤:代理懐胎の技術を求める日本人夫婦による私的代理出産ツアー
一九九〇年代後半~:中国同胞女性による出稼ぎ代理母出産
二〇〇三年二月~二〇〇四年末:日本からの期間限定卵子提供ツアー
二〇〇七年~:韓国人不妊夫婦の夫による「遠征代理母出産」
二〇一〇年~二〇一一年上半期:日本人女性同士の渡韓卵子売買
二 「朝鮮族シバジ」の出稼ぎ代理母出産
三 拡大する「遠征代理母出産」
第一一章 「グローカル化」する代理母出産
一 国内外における代理母市場の変容
二 韓国人不妊女性の高齢化
三 露呈する「性交渉型代理出産ツーリズム」
四 「性交渉型代理出産ツーリズム」の仲介業者
五 「ベトナム新婦シバジ事件」の波紋
六 シバジへの回帰
結語 研究の展望
あとがき
参考文献・参考資料
付録 代理母出産資料集
写真・図表一覧
索引
内容説明
女性は子供を産む道具なのか──。
李朝の因習と悲恋を描いた映画『シバジ』は、現代における代理出産請け負いの登場と照応し新たな論点となった。近世から近代の歴史・文献を渉猟し、子孫を残す圧力と構造を深く分析した注目の論考。
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はじめに
シバジとは、字義通りに言えば「種受け」で、古びた言葉で言えば「借り腹」、現代風に言うならば「代理母」のことである。
今から約二五〇年前の朝鮮時代の後期に、祖先の霊を祀り、家門の「代を継ぐ」、跡取り息子に恵まれない両班家(朱子学を修め、代々高位官職に就いていた支配階級の家門)に雇われ、子供の産めない本妻に代わって、主人と交合し、秘密裏に男児を産んで引き渡すことを代々の生業とする、「シバジ」と呼ばれる女人達が実在していた。
シバジは、男児を産めば、耕地や米等の多くの報酬を手にすることができたが、生まれた子が女児であったら、僅かな穀物が与えられるだけで追い出され、その子を連れて帰らなければならなかった。故に、シバジの村は女ばかりの村となり、その娘もまたシバジとして生きていかなければならない運命をたどっていた。
折しも、米国で、代理母契約の有効性をめぐって、代理母と依頼人夫婦の間で熾烈な法廷闘争が繰り広げられた「ベビーM事件」が世界中の注目を集めていた一九八六年に、「種受け」の娘の悲しき定めを描いた韓国映画『シバジ The Surrogate Womb』が制作され、国内外で大きな反響を呼んだことによって、そうしたシバジの代理母制度が広く世界に知られるようになった。
側室、後宮、女官、愛妾、側女、侍女等々、子供の産めない本妻に代わって夫の子を産む女性は、古今東西、身分や階層の如何を問わず存在していた。
近隣の東アジアにおいても、宋代・元代から明朝・清朝の時代にかけて盛んに行われていた「典妻」(妻の質入れ)や「租妻」(妻の賃貸借)、あるいは、江戸時代の中期から明治初期の日本において武家や商家の慣行となっていた「妾奉公」等、他人の妻を質受け・賃借して自分の息子を産ませる「借り腹」の習俗や、跡継ぎの予備となる子を産ませるための女性を奉公人として雇い入れる慣習があったことが知られている。
朝鮮の王室や日本の皇室あるいは武家社会といった、直系の男系継承者を得ることが最大の懸案とされていた王家や支配層では、側室を置くことが公認され、子孫の断絶を回避するための方便として、娶妾が制度化されていた。それらの歴史においては、子供の産めない正室に代わって、跡取りを産んだ側室が寵愛を受けて、富と権力を手中に収め、その外戚らが権勢をふるった例が多々あった。側室が王家の一員として公に認められていた朝鮮王朝においては、世継ぎを産んだ側室が、側室の最高位である「嬪」の位を賜り、宮廷の重臣の位に相当する正一品の品階を授与されていたほどであった。
欧米の研究者は、しばしば『旧約聖書』の「創世記」を引き合いに出し、(当時八六歳であったといわれる)アブラハムの妻で不妊のサライが、召使いの女ハガルをアブラハムのもとに遣わして、イシュマエルという男の子を産ませた話や、ヤコブの妻のラケルが、召使いの女ビルハにヤコブの子を産ませた話を、代理母出産の先例として取り上げている。
だが、シバジは、こうした側室や妾、召使いの女等とは、その性格を大きく異にしている。側室や後宮等は、正妻よりは格下に見られていたものの、その役割は公認されていて、ひとたび男児を産めば、跡取りの生母としてのゆるぎない地位を獲得していた。それに対して、シバジは、その存在自体が秘密に伏せられていて、たとえ男児を産んだとしても、決して跡取りの生母として認められることはなかった。また、側室や愛妾等は、跡取りを産んだことで有形無形の利益に与ったにせよ、そのこと自体を仕事としていた訳ではなかった。だが、シバジは、本妻に代わって跡取り息子を産むことを生業としていた、言うならばプロの代理母であり、シバジが手にしていた報酬は、男児を妊娠するための性交をし、跡継ぎを産んで引き渡すという仕事の対価に他ならなかった。
そのように考えると、側室や妾、召使いの女等は、代理母というよりはむしろ「代理妻」であったのに対し、シバジは、まさしく「出産後に、生まれた子の親になることを希望する者に引き渡すことを約束して妊娠し出産する」という、今日の代理母出産の定義を具現していた、世界に類例のない職業的代理母であったと言えよう。
そうしたシバジの代理母制度が、何故に朝鮮時代の上流両班層において受容されていたのであろうか。
儒教が国家の統治理念とされ、父系血統の純血性やそれを保障するための女性の貞操が何よりも重く見られていた朝鮮時代にあって、自らの腹を貸し他の男性の子を産むことを代々の生業としていたシバジは、朝鮮王朝の身分制度の最下層をなす賤民層に位置づけられていた。だが、名家の両班を父として生まれた、賤民ではあっても血筋のよいシバジは、名門両班家の血統を継ぐ男児を産ませるに足る「借り腹」として重用されていた。
朝鮮時代には、格式のある両班家が妾を取ることは、家名を傷つけるため憚られていた。そのうえ、両班の離婚は国法によって厳しく抑制されており、たとえ子供の産めない妻であっても、離縁することは容易でなかった。また、当時の朝鮮においては、「庶■(ウォル)禁錮法」によって、両班の妾の子孫達(庶■(ウォル))は官職に就くことが認められておらず、嫡男を儲けないことには、両班家の家門を継承することが叶わなかった。
そのような時代背景のもとで、名家の血を引いており、本妻に代わって隠密に男児を産むことを職業とするシバジは、絶孫の危機に瀕した名門両班家の「嫡男」を儲け、血筋を守るバックアップ装置の役割を担っていたと考えられる。
朝鮮王朝の終焉から百年余り経た現在では、シバジという身分や生業自体はなくなっている。だが、男系子孫を絶やすことが祖先に対する大罪とされる儒教の伝統が今なお根強く残る韓国で、シバジは、不妊治療の名において跡取り息子の代理母出産を請け負う「現代版シバジ」となって生き続けている。
近年の韓国において、体外受精・胚移植、卵子提供といった不妊治療が日々発達を遂げてゆくなかで、高度生殖技術の装いを凝らした「現代版シバジ」の代理母が、金銭と引き換えに男児の妊娠を強いられて、女児を妊娠したら中絶させられたり、出産後に引き取りを拒否されるといった、シバジの伝統にまつわる深刻な生命倫理問題が生起している。
また、世界の情報化と脱国境化が進展し、「生殖のグローバル化」が進行する中で、韓国人不妊夫婦の夫が「朝鮮族シバジ」と呼ばれる中国同胞代理母に産ませた婚外子の「国際養子縁組」や、不妊の妻をもつ韓国人男性と開発途上国の女性との「国際結婚」を装った「代理出産ツーリズム」が表面化し、シバジの伝統に起因する国際的人身売買事件が相次いでいる。
代理母出産の名を借りた、代理母への人権侵害が横行する韓国社会のこうした現実は、朝鮮時代に遡るシバジの代理母制度の因習によるものとして、否定的に受け止められるかと思われる。だが、韓国では、父系血統を受け継ぐ男児を儲け、家門の「代を継ぐ」ことは、いかなる犠牲を払ってでも遂行するべき、子孫としての務めとされており、男系の血筋を絶やさないための代理母出産となれば、法や倫理に反するとしても容認されることがある。その背景には、父系の子孫を絶やさないことを生命倫理よりも重くみる儒教の崇祖思想があり、そうした韓民族の儒教思想の伝統と生命倫理が抵触するところに、今日の韓国の代理母出産をめぐる倫理問題が生起していると思われる。
「生殖のグローバル化」が進行する今日において、韓国の内外で代理母出産をめぐって生起している諸問題の全貌を理解するべく、本書で韓国の代理母のルーツである「シバジ」を取り上げて、韓国・朝鮮における代理母出産の変遷過程について歴史社会学的視点から考察し、今日の世界における代理母出産の研究に取り組むための礎を築いてゆきたい。
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著者紹介
渕上恭子(ふちがみ きょうこ)
1959年生まれ。
1991年、慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。博士(社会学)。慶應義塾大学文学部非常勤講師。
主な著書に、『華僑華人の事典』(共著、丸善出版、2017年)、『アジアの生殖補助医療と法・倫理』(共著、法律文化社、2014年)、『グローバル化時代における生殖技術と家族形成』(共著、日本評論社、2013年)、『シリーズ生命倫理学第1巻 生命倫理学の基本構図』(共著、丸善出版、2012年)、『東北アジア研究叢書第43号 ノマド化する宗教、浮遊する共同体:現代東北アジアにおける「救い」の位相』(共著、東北大学東北アジア研究センター、2011年)、『バイオ・コリアと女性の身体——ヒトクローンES細胞研究「卵子提供」の内幕』(勁草書房、2009年)『民俗宗教の地平』(共著、春秋社、1999年)、『宮古市史(民俗編)上巻・下巻』(共著、宮古市教育委員会編、1994年)、『東アジアのシャーマニズムと民俗』(共著、勁草書房、1994年)など。