アフリカにおける健康と社会
人間らしい医療を求めて
2017年開催の公開シンポジウムの成果(神戸大学国際学研究推進センター主催)。グローバル・サウスから見た人間らしい医療。
著者 | 井田 暁子 編 梅屋 潔 編 |
---|---|
ジャンル | 社会・経済・環境・政治 報告書・報告論集 |
シリーズ | アジア研究報告シリーズ |
出版年月日 | 2023/03/25 |
ISBN | 9784894893115 |
判型・ページ数 | A5・212ページ |
定価 | 本体1,800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
ネット書店を選択 |
---|
目次
刊行によせて──アフリカの視点から「人間らしい医療」のあり方を探求する(落合雄彦)
●本論
アフリカの叡智から学ぶ社会デザイン──マラウイのHIV/エイズ流行における社会変容から学ぶこと(杉下智彦)
一 はじめに
二 調査
三 マラウイでの活動
四 調査手法
五 結果
六 考察
人々の分け前と統治のテクノロジー(西 真如)
一 配分の政治と統治のテクノロジー
二 南の世界における新しい配分の政治
三 HIV流行と健康統治のテクノロジー
四 この自由な世界で 65
タンザニア農村部の一次医療施設に働くヘルスワーカーの動機づけ(佐藤美穂/デオグラティアス・マウフィ)
一 はじめに 69
二 タンザニアの地方の一次医療施設で働く医療従事者の動機付け
三 結論
病院の門──子どもが語るセネガルの公的医療、貧困、排除(井田暁子)
一 問題提起──サハラ以南のアフリカにおける医療へのアクセスと、「病院利用者」としての子どもの視点
二 子どもが語る「病院」
三 病院の門をくぐる(人類学者の経験と医師の視点)
四 考察──「もう一つの視点」が示す公的医療の課題と無関心の代償
ウガンダ東部パドラにおける病いのカテゴリーとその処方(梅屋 潔)
一 はじめに
二 調査地の概況
三 トウォ(tuwo)の観念と種類
四 資料の分析と考察
五 むすび
●コメント
アフリカの医療(medicine)について(ロジャー・バガンブラ(土取俊輝訳))
一 はじめに
二 歴史をふりかえって
三 アフリカの医療
四 アフリカの医療機関と汚職/腐敗(コラプション)
五 伝統的な医療を発展させるには
六 結論
「アフリカにおける健康と社会」に関する考察──「宗教」および「人権」との関わりを中心に(土取俊輝)
現代アフリカにおける医療と統治をめぐって──南部アフリカ牧畜民研究の視点からのコメント(宮本佳和)
一 はじめに
二 「人間らしい」医療?
三 医療制度と国家統治
四 家畜への医療と感染症対策
五 おわりに
あとがき(井田暁子)
●付録
開会挨拶(桜井 徹)
シンポジウム プログラム
索引
内容説明
2017年12月16日にJICA関西(兵庫県神戸市)で開催された公開シンポジウム「アフリカにおける健康と社会──人間らしい医療を求めて」(主催:神戸大学国際人間科学部・国際学研究推進センター、共催:国際協力機構(JICA))の成果。5つの論考と3つのコメントなどを収録。
グローバル・サウス、なかでも貧困がいまなお深刻なサハラ以南アフリカを舞台に、「人間らしい医療」のあり方を学際的かつ多専門的に追究した意欲的な試み。
*********************************************
──アフリカの視点から「人間らしい医療」のあり方を探求する
落合雄彦
本書は、二〇一七年一二月一六日にJICA関西(兵庫県神戸市)で開催された公開シンポジウム「アフリカにおける健康と社会──人間らしい医療を求めて」(主催:神戸大学国際人間科学部・国際学研究推進センター、共催:国際協力機構(JICA))の成果をまとめたものである。
「人間らしい医療」の探求は、けっして新しい課題ではない。たとえば、一九八〇年代前半、カナダのトロント大学のディミトリオス・オレオポウロス教授は、「人間らしい医療」(“Humane Medicine”)と題する一文のなかで、「第二次世界大戦以後のテクノロジー、疾患に関する理解、そしてその治療をめぐる顕著な進展にもかかわらず、今日の医師は、五〇年前の先人たちよりも人々の尊敬を享受できずにいる」とした上で、その一因として、医師が患者の「疾患」にばかり注目してその「人間」としての存在を軽視し、「思いやりのあるケア」(humane care)を提供しなくなったことを挙げている[Oreopoulos 1983: 1279]。また、一九九〇年代に入ると、従前の近代医学における科学至上主義に対する反省から、「根拠に基づく医療」(evidence-based medicine:EBM)が謳われるようになる。EBMとは、入手可能な範囲で最も信頼できる根拠を把握した上で、眼前の患者の臨床状況や価値観を適切に考慮しつつ最善の医療を行おうとする一連の行動指針を指す。そこでは、純粋科学としての医学の「正しさ」(唯一性)を患者に一方的あるいは権威的に押し付けるのではなく、最新最良の医学的知見を踏まえつつも、個々の患者の価値観を反映した医療の「適切さ」(多様性)が重視される。そして、二一世紀に入ると、EBMをより発展させるような形で、患者の選好・価値観をより重視した「価値に基づく医療」(value-based medicine :VBM)という概念も注目されるようになっている[尾藤 二〇一四]。
しかし、こうした「人間らしい医療」の探求をめぐるこれまでの議論は、主にグローバル・ノース(先進国を中心とする相対的に豊かな諸国)を舞台に展開されてきた。これに対して本書は、グローバル・サウス、特にそのなかでも貧困がいまなお相対的に深刻なサハラ以南アフリカを舞台としつつ、「人間らしい医療」のあり方を学際的かつ多専門的に追究しようとする意欲的な試みにほかならない。
本書には、五本の秀逸な論考が収められている。
杉下智彦「アフリカの叡智から学ぶ社会デザイン──マラウイのHIV/エイズ流行における社会変容から学ぶこと」は、一九九〇年代のマラウイにおけるHIV/エイズのパンデミックと同時期に生じた社会変容を民族誌的に描き出す。エイズは後天性免疫不全症候群(acquired immunodeficiency syndrome:AIDS)のことであり、レトロウイルス科のヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus:HIV)によって引き起こされる疾患を指す。HIV/エイズを完全に治療する方法は、いまなお確立されていない。しかし、今日では抗レトロウイルス療法(anti-retroviral treatment:ART)がアフリカ諸国を含めて広く普及しており、この結果、新規HIV感染者数やエイズ関連死亡者数は一九九〇年代のピーク時に比べて激減している。HIV/エイズはかつてのような「死に至る病」ではもはやなく、たとえHIVに感染したとしても、ARTを受けることによってエイズの発症を相当程度遅らせたり、あるいは、それをほぼ完全に抑えられたりする時代を迎えている。
しかし、そうしたARTがまだ確立・普及していなかった一九九〇年代、南部アフリカのマラウイでは、HIV/エイズはまさにパンデミックともいうべき状態にあった。そして、そうしたなかマラウイ南部の都市ゾンバにある病院で外科医長として勤務していたのが杉下であり、彼は、診療活動のかたわら、病院および周辺地域でHIV/エイズに関する広範なフィールドワークを実施する。杉下によれば、マラウイに広く居住するチェワ人の社会では、HIV/エイズは人間の不道徳に対する先祖からの罰や呪いではなく、誰もそれを操作できないような、神による道徳的行為(福音)とみなされていたという。そのため、HIV/エイズの患者は、治療を積極的に行ったり、先祖の呪いを解こうとしたりするのではなく、むしろ病気を受容して宗教的な儀礼に身を投じようとする。具体的には、HIV/エイズのパンデミックに揺さぶられた一九九〇年代のゾンバ周辺のチェワ社会では、アフリカ独立教会(African Independent Churches:AIC)の潮流に属するザイオン教会やペンテコステ教会による宗教運動の興隆がみられた。そこには、欧米の医学雑誌やジャーナリズムが作り出したがっていた、HIV/エイズの猛威の前に無力で脆弱なアフリカの人々、というイメージはみられなかったという。むしろ、猛威を振るうHIV/エイズの前に当時無力であったのは、有効な治療方法をいまだ見出せずにいた近代医学の方であった。チェワの人々は、HIV/エイズのパンデミックを経験しながらもそれに対して無力だったのではなく、そうした過酷な状況を受け入れ、それを宗教的儀礼の再興を通して能動的に生きようとしていた。杉下はそこに、チェワの人々の生の「たくましさ」を見出すとともに、民衆を社会変革の主体とする社会デザインを考える上でのひとつの重要なヒントがある、と指摘する。
西真如「人々の分け前と統治のテクノロジー」は、南部アフリカ諸国(特に南アフリカ)の現金給付プログラムとアフリカ諸国(特にエチオピア)の抗HIV治療の普及という二つの事例を通して、アフリカにおける配分の政治と統治のテクノロジーが人々の生活や社会関係に与えてきた影響を分析している。ここでいうところの統治のテクノロジーとは、「国家が人々に働きかけ、管理するために用いる様々な技術や知識の集合のこと」を指す。たとえば、指紋のような人間の身体的特徴を用いて個人を特定する方法や技術のことを一般に生体認証というが、それが国家によって取り込まれると統治のテクノロジーになる。そして、やや意外に聞こえるかもしれないが、生体認証によって人々を統治する「生体認証国家」の起源は、グローバル・ノースではなくグローバル・サウスにこそあるという。特に、植民地期からアパルトヘイト期に南アフリカで開発された指紋による身元確認制度こそが、生体認証による国家統治の淵源とされる。一般に官僚制度が高度に発展した欧米や東アジアの諸国では、国家は国民の就労状況や家族関係などを可能な限り把握し、それを文書で管理する「文書国家」を築き上げてきた。これに対して、人々の生活を把握する能力もなければ、あえてそれを把握しようともしないアフリカの植民地国家では、文書ではなく生体認証によって人々を管理する「生体認証国家」が発展した[ブリッケンリッジ 二〇一七]。そして、そうした統治のテクノロジーによって支えられ、あるいはそれと密接に関わりながら展開されてきたのが南部アフリカ諸国の現金給付プログラムであり、そこでは、就労や家族関係に紐づけされない形での現金給付プログラムという配分の政治が行われてきたという。
他方、西は、アフリカにおけるもうひとつの配分の政治と統治のテクノロジーの事例として、二一世紀に入って多くのアフリカ諸国において実施されるようになった、無償あるいは低価格での抗HIV治療薬の提供を取り上げる。その際に特に注目するのが、「90─90─90(トリプル・ナインティ)」と呼ばれる介入目標である。これは、二〇二〇年までに、HIV感染した人々のうち九〇%がHIV検査を受けて感染の事実を自覚し、そのうち九〇%がHIV治療を受け、さらにその九〇%でウイルス量が抑制されている状況を達成するというものである。この90─90─90という目標の本質は、HIV感染をできるだけ早期に収束させるための指針を明示することにある。しかし、検査や治療において一〇〇%(完璧)を目指そうとしない90─90─90という政策目標は、一見現実的であり、健康統治のテクノロジーを体現した有用な指針であるかのようにみえるが、逆をいえばそれは、検査を受けなかったり治療が失敗したりする「例外」をある程度の範囲で許容してしまうことを意味する。このため、たとえばエチオピアでは、90─90─90という政策目標の達成を目指す過程のなかで、国家が、HIV治療を受けられなかったり、HIV治療を受けても生活に困窮したりする人々を「例外」とみなし、そうした人々への規範的な責任を回避する状況がみられるようになっている、と西は警鐘を鳴らす。
佐藤美穂/デオグラティアス・マウフィ「タンザニア農村部の一次医療施設に働くヘルスワーカーの動機づけ」は、タンザニアの保健システムの最前線(末端)で働く保健医療従事者に焦点をあて、その動機づけに関する量的・質的調査の結果をまとめたものである。佐藤らは、タンザニアのムベヤ州とリンディ州にある公的一次医療施設(診療所、保健センター)に勤務する保健医療従事者を対象に質問票を用いた量的調査と質的インタビュー調査を実施した。その結果、保健医療従事者が、給料が少ないために家計の支出を賄えず、商店などで「つけ」で商品を購入したり、患者やその家族から「わいろ」を受け取ったりしている実態が明らかになった。また、診療時間外に医療サービスを提供した場合の超過勤務手当が支払われず、無報酬の時間外労働を事実上強制されているケースが散見されること、タスク・シフティング(高度な資格を有する医療従事者の特定の任務を、研修期間がより短い他の医療従事者に委譲すること)によって重い負担と責任を背負わされながら、そうしたプロセスで身に着けたスキルや経験が給料や昇進に必ずしも適切に反映されていないこと、サポーティブ・スーパービジョン(県保健局が保健医療施設に対して定期的に実施する訪問指導)が実施されなかったり、たとえ実施されてもフィードバックがまったくなされなかったりすることが多いこと、タンザニアでは各医療従事者は自分の職務と職責を明記した職務記述書を発行されなければならないが、四〇%弱の回答者がそれを発行されていないこと、人事評価システムは一応導入されているものの、それが昇進などに適切に活用されていないこと、農村部の一次医療施設では医薬品や医療器材だけではなく、電気や水といったライフラインさえもがしばしば欠如していること、適切な職員住宅が提供されていないことなどの多くの問題点が浮き彫りになった。そして佐藤らは、そうした諸問題を個別に整理・分析した上で、医療機器や電気・水道の整備には相当程度の時間と予算が必要となるものの、超過勤務手当の不払いや職務記述書の不交付といった、一次医療施設に勤務する医療従事者の労働意欲に悪影響を及ぼす諸要因については「すぐに実行できる改善点」であると指摘している。
井田暁子「病院の門──子どもが語るセネガルの公的医療、貧困、排除」は、病院サービスへのアクセスがしばしば制限されているセネガル都市部の状況を子どもの視点から捉え直そうとする試みである。井田は、二〇〇九年から二〇一〇年にかけて、セネガルの首都ダカールの子どもたちを対象にして病院体験を尋ねる様々な調査と観察を実施した。そして、作文、絵画、インタビューなどの形で収集された子どもたちの「証言」をもとに、ダカールにおいて病者が病院利用を拒否される背景を、①診察料と貧困、②医療者と病者の社会的距離、③病院内の権力関係、という三つの視点から分析する。具体的には、ダカールの国立病院では、患者は門で診察料を支払わなければ病院内に入ることが許されないが、それが支払えないために病院の門前で物乞いをする病者を目撃した子どもや、自分自身が診察料を支払うために病院の門前で物乞いをしなければならなかった子どもの証言などが紹介される。また、ダカールの国立病院では、病院関係者の友人や知人はしばしば優遇され、優先的に治療を受けられるが、病院関係者を知らない人々は病院サービスの利用にあたって差別を受けることがしばしばあり、そうした都市部の病院特有の差別的な取り扱いの実態が子どもたちの証言を通して浮き彫りにされる。さらに、子どもたちの証言からは、病者が病院の門から入ることを拒否する守衛は、実は医師などの医療従事者に対して弱い立場に置かれており、そうした病院内の権力関係という「現場の規範」が病院サービスへのアクセスを制限する一因となっていることも読み取ることができる。
梅屋潔「ウガンダ東部パドラにおける病いのカテゴリーとその処方」は、ウガンダ東部パドラに居住するアドラと呼ばれる人々に注目し、アドラ社会でみられる病気の種類・症状・原因・対処法を詳細に提示する。アドラの社会では、病気は「トウォ」(tuwo)と呼ばれ、それが偶然に生じることはなく、その背後には「リフオリ」(lifuoli)という不幸が必ずあるとされる。また、病気を治療する者を「ミレルワ」(mileruwa)と呼ぶが、それには、近代的な医療従事者を意味する「ムズング」(muzungu:「白人の」の意)と形容される人々と、「ニャパドラ」(nyapadhola:「パドラの」の意)と形容される伝統的施術師の両方が含まれるという。そして梅屋は、アドラ社会にある八八種類の病気と対処方法を詳細に整理・提示した上で、口腔内を清潔に保つであるとか、患部を洗浄するとかといったサニテーションに関する観念がアドラ社会の病気観にはかなり広くみられること、しかし、そうした衛生観念が植民地化以前からアドラの人々の常識であったのか、植民地化後に外部世界からもたらされたものであるのかは軽々に判断できないこと、そして、不治の病がこの世にある以上、病因の説明として霊的な存在が援用される余地は常にあり、また、「ムズング」と修飾される近代的な「ミレルワ」(治療者)だけではなく、「ニャパドラ」と形容される伝統的施術師の出番が求められる場面もけっしてなくならないことなどを指摘する。その上で梅屋は、アフリカの人々の病気観が、キリスト教や西洋医学との邂逅によっても、理論としては大きな影響を受けなかった、とする長島信弘の主張を紹介しつつ[長島 一九八七]、「伝統」と「近代」は、必ずしも対立したり相克したりするものではなく、いわば絡み合うように日常の生のなかに織り込まれていくものかもしれないと説く。また、「近代化」はアフリカの人々の生活を激変させてきたが、その一方で彼らは、そうした環境の急激な変化に対して実に柔軟に適応してきたともいえるのであり、アドラ社会の病気観はまさにそのひとつの証左であるかもしれないとみる。そして、そこに見出せるアドラの人々の環境適応能力を深く理解し活用することこそが、「人間らしい医療」のあり方を考える上でのひとつの重要な示唆になりうる、と梅屋は論じる。
本書には、こうした五本の論考のほかに、ロジャー・バガンブラ「アフリカの医療(medicine)について」(土取俊輝訳)、土取俊輝「「アフリカにおける健康と社会」に関する考察──「宗教」および「人権」との関わりを中心に」、宮本佳和「現代アフリカにおける医療と統治をめぐって──南部アフリカ牧畜民研究の視点からのコメント」という三つの文章が収録されている。
*********************************************
井田 暁子(いだ あきこ)
フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)博士課程修了、博士(社会人類学)。専門分野は、人道・開発援助政策、保健システム、患者中心の医療、子ども学。WHO、UNHCR等を経て、JICA緒方貞子平和開発研究所研究員。主な論文に、"Grandir à l’hôpital au Sénégal. Les vécus des douleurs chez les enfants cancéreux en milieu hospitalier"(Revue des Sciences Sociales, 2020年)、「沈黙と言葉:西アフリカの小児科病棟におけるすれ違いとオープンダイアローグへの考察」(『N: ナラティヴとケア』 2017年)がある。
梅屋 潔(うめや きよし)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。慶應義塾大学文学部卒、大学院社会学研究科修士課程修了。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員(DC、PD)、国際協力事業団専門家、東北学院大学教養学部准教授などを経て現職。ケープタウン大学人文学部客員教授(2019-2020)、カメルーン・ランガア研究所名誉研究教授。主な著書に『福音を説くウィッチ:ウガンダ・パドラにおける「災因論」の民族誌』風響社、2018年、その英語版であるThe Gospel Sounds like the Witch’s Spell: Dealing with Misfortune among the Jopadhola of Eastern Uganda. Bamenda: Langaa, 2022(JCAS賞作品賞受賞)、共編に、I. Hazama, K. Umeya and Francis B. Nyamnjoh (eds.) Citizenship in Motion: South African and Japanese Scholars in Conversation. Bamenda: Langaa RPCIG, 2019. T. Enomoto, M. Swai, K. Umeya and Francis B. Nyamnjoh (eds.) Bouncing Back: Critical Reflections on the Resilience Concept in Japan and South Africa. Bamenda: Langaa RPCIG, 2022など。
落合 雄彦(おちあい たけひこ)
慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得満期退学。龍谷大学法学部教授。主な編著書に、『アフリカ潜在力のカレイドスコープ』(晃洋書房、2022年)、『アフリカの女性とリプロダクション:国際社会の開発言説をたおやかに超えて』(晃洋書房、2016年)、『アフリカ・ドラッグ考:交錯する生産・取引・乱用・文化・統制』(晃洋書房、2014年)、『スピリチュアル・アフリカ:多様なる宗教的実践の世界』(晃洋書房、2009年)など。
桜井 徹(さくらい てつ)
一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得、博士(法学)。現在、神戸大学国際文化学研究科教授。主な著書に、『リベラル優生主義と正義』(ナカニシヤ出版、2007年)、(co-edited with USAMI Makoto) Global Justice and Human Rights (Archiv für Rechts- und Sozialphilosophie Beiheft 139). Stuttgart: Franz Steiner. 167pp. 2014, (co-edited with Mauro Zamboni) Can Human Rights and Nationalism Coexist? Milton: Taylor and Francis. forthcoming.
佐藤 美穂(さとう みほ)
長崎大学熱帯医学・グローバルヘルス研究科・多文化社会学部助教。人類学修士(ビンガムトン大学大学院人類学部)、公衆衛生修士(ワシントン大学 公衆衛生大学院 グローバルヘルス学部)、医学博士(長崎大学医歯薬学総合研究科)。エチオピア、タンザニアなどにおいて、人類学的手法を用いながら保健システムや人々の健康希求行動に関する研究を実施する。また、教育、研究活動の傍ら、保健分野の開発援助プロジェクトに短期専門家として参画している。
杉下 智彦(すぎした ともひこ)
東北大学医学部卒業、大学院(ハーバード大学、ロンドン大学、グレートレイク大学)卒業。修士(公衆衛生、人文科学)、博士(地域保健)。屋久島尾之間診療所理事長、東京女子医科大学国際環境・熱帯医学講座客員教授、国際協力機構グローバルヘルスアドバイザー。保健システム専門家としてアフリカを中心に世界20か国で技術支援、政策立案に携わる。2015年に策定された持続可能な開発目標(SDGs)国際委員をはじめ、国際機関、開発援助機関などの専門委員を務める。著書『すべては森から』(建築資料研究社、2020年)、母と子の新型コロナ(世界書院、2021年)、実践グローバルヘルス(杏林書院、2022年)など。2014年ソーシャルビジネスグランプリ大賞、2016年医療功労賞受賞。
土取 俊輝(つちとり としき)
北海道大学文学部人文科学科卒業、神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程前期課程修了、修士(学術)。現在、神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程後期課程在学、日本学術振興会特別研究員(DC2)、四天王寺大学非常勤講師。著書に『御所の献灯行事:御所市内ススキ提灯献灯行事調査報告書』(共著、御所市教育委員会、2019年)、Citizenship in Motion: South African and Japanese Scholars in Conversation(共著、Langaa RPCIG、2019年)、『百花繚乱:ひょうごの多文化共生150年のあゆみ』(共著、神戸新聞総合出版センター、2020年)、Bouncing Back: Critical reflections on the Resilience Concept in Japan and South Africa(共著、Langaa RPCIG、2022年)がある。
西 真如(にし まこと)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科単位取得退学、博士(地域研究)。広島大学人間社会科学研究科准教授。主な論文に "Care during ART scale-up: surviving the HIV epidemic in Ethiopia" (BioSocieties, 2022)、「グローバル・ヘルスにおけるWHO事務局長の役割」(『法律時報』 93巻1号、2021年)、「あの虹の向こう::大阪市西成区の単身高齢者と世代・セクシャリティ・介護」(『ケアが生まれる場:他者とともに生きる社会のために』、ナカニシヤ出版、2019年)、主な著書に、『新型コロナウイルス感染症と人類学:パンデミックとともに考える』(共編著、水声社、2021年)。
ジーン・ロジャー・エドガー・バガンブラ(Jean Roger Edgard Bagamboula)コンゴ共和国出身。博士(法学)。国際政治を専攻し、アフリカ各国の国際関係、アフリカにおける少数先住民の保護、伝統的薬剤知識、民族対立、貧困問題、環境問題などグローバル・イシューに関する国際的な解決方法を探る。上海・復旦大学卒業。近畿大学大学院博士課程修了。大阪大学および神戸大学非常勤講師。コンゴ語、リンガラ語、フランス語、国際コミュニケーション、アカデミック・コミュニケーションなどを教える。
デオグラティアス・マウフィ(Deogratias Maufi)
公衆衛生修士(オーストラリア、ニューサウスウェールズ大学)。タンザニア、モロゴロ州キロサ県、ムベヤ州ムベヤ市の保健事務官(Health Secretary)として勤務。その間、保健省を休職し、USAIDやJICAの保健プロジェクト(州保健行政システム強化プロジェクト フェーズ2、2011年〜2014年)にスタッフとして参画した経験を持つ。2016年からは大統領府地方自治庁地域行政担当上級健康サービス管理者(Senior Health Services Administrator)としてタンザニアの保健行政に携わった。2019年3月没。
宮本 佳和(みやもと かな)
神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程修了、博士(学術)。現在、日本学術振興会海外特別研究員(海外PD)。主な論文に、 "Traditional Authorities, Legal Power, and Land Disputes in North-West Namibia" (Anthropology Southern Africa, Vol.45, No.1, 2022)、"Taboos Related to the Ancestors of the Himba and Herero Pastoralists in Northwest Namibia: A Preliminary Report" (The Working Paper Series of JSPS Core-to-Core Program, No. 4, 2019)、「放牧地争いにおける伝統的権威::ナミビアの土地改革と慣習法の明文化」(『文化人類学』、第83巻第3号、2018年) など。2021年度笹川科学研究奨励賞(日本科学協会)他を受賞。