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韓国朝鮮の文化と社会 22

韓国朝鮮の文化と社会 22

特集=〈巫俗(シャーマニズム)〉〈迷信〉再考

著者 韓国・朝鮮文化研究会
ジャンル 定期刊行物
シリーズ 雑誌 > 韓国朝鮮の文化と社会
出版年月日 2023/10/15
ISBN 9784894899728
判型・ページ数 A5・172ページ
定価 本体3,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

特集=〈巫俗(シャーマニズム)〉〈迷信〉再考

 特集「〈巫俗(シャーマニズム)〉〈迷信〉再考」趣旨(川瀬貴也)

特集論文

 韓国キリスト教の巫俗性再考
   ――言説の変遷史と類型論的考察を中心に(古田富建)

 巫俗は宗教か、「宗教ではない宗教」か
   ――韓国巫俗言説における「宗教」概念との関連を中心に(新里喜宣)

 近代朝鮮文学と「迷信」――啓蒙と生の原動力(影本 剛)

一般論文
 都市に村をつくる――戦後京都マエブケの朝鮮人の生活と狡知(呉 仲元)

ひろば/マダン
 全北大学校米・生・文明研究所(林慶澤〈本田洋訳〉)

展評
 「在日朝鮮人美術史に見る美術教育者たちの足跡」展と「朴民宜の絵と尹正淑の詩」展(古川美佳)

エッセイ
 韓国映像資料院韓国映画博物館を訪ねて(辻 大和)

 「占い」体験記──光州無等山(광주 무등산)付近にて(宮内彩希)

彙報
 編集後記
 韓国・朝鮮文化研究会会則
 英文目次・ハングル目次
 執筆者一覧

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内容説明

特集=〈巫俗(シャーマニズム)〉〈迷信〉再考

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      特集「〈巫俗(シャーマニズム)〉〈迷信〉再考 趣旨   川瀬貴也 より




 朝鮮半島地域の文化研究において、巫俗(シャーマニズム)が重要な位置を占めていたことは言うまでもなかろう。外国人の研究としてはキリスト教の宣教師の「現地調査」がその端緒と言えるものだった[김종서 二〇〇六]。植民地期を代表する研究として、京城帝国大学の赤松智城・秋葉隆の研究[一九三七~三八=一九九七]があげられるが、この書では「女性を中心とする巫俗文化」と「男性を中心とする儒教文化」の二重構造が提示され、朝鮮女性の信仰世界を「巫俗」「道教」「仏教」のシンクレティズムとする見解が強調されている。朝鮮人学者たちも崔南善や李能化の研究を魁として、文化人類学、民俗学、宗教学、社会学など諸分野において巫俗を長年研究してきた。朝鮮半島の新宗教や、時にはキリスト教の分析においても「シャーマニックな特徴」[崔吉城 二〇二一]は、ある意味「朝鮮文化の本質的なもの」として提示されてきたかも知れない[真鍋 二〇〇〇]。

 一方巫俗は、近代初期から啓蒙主義者に攻撃、非難されたことも重要である[川瀬 二〇一五][미야우치 사키 二〇二一]。文化研究において巫俗は朝鮮民族の核をなすものと見なされがちではあったが、いわゆる「迷信」の中に巫俗はカテゴライズされてきた。別言すれば近代社会において、「まつろわざるもの」の代表でもある巫俗は、規律権力によって敵視され、取り締まられる対象であった。「近代」の洗礼を受けた朝鮮人の啓蒙思想家も、「迷信」としての巫俗を攻撃し、職能集団としてのムーダンも朝鮮王朝時代から社会的に低い地位に置かれた。そして巫俗を「宗教」よりも一段低いものと見なす近代的な学知の存在も見逃せない影響を持っていた。

 しかし解放後も、例えばセマウル運動において「迷信打破」が高唱されようとも巫俗やシャーマニックな新宗教は決してなくならなかった。そして近年の韓国においては巫俗の祭祀(クッ)の保存会が設置されその維持が図られ、時には無形文化財指定を受け、一種の「文化ナショナリズム」の中核に置かれるなど、その扱いは大きく変容を遂げた。とは言え、韓国巫俗を無形文化財として語る場合、巫俗の「宗教性」、すなわち「迷信」的な側面が排除される傾向にあるとの指摘も重要であろう。要するに近現代朝鮮において巫俗は、「啓蒙の対象」であるのと同時に「民族文化の粋」として、両義的な意味を負わされてきたということである。

 以上のような問題意識を共通のものとし、開催されたシンポジウム(二〇二二年一〇月二二日開催、於東京大学)が、本特集論文の元になっている。以下で、各論文を簡単に紹介しよう。

 古田富建氏の「韓国キリスト教の巫俗性再考―言説の変遷史と類型論的考察を中心に」は、「朝鮮(韓国)キリスト教はシャーマニックである」という言説の再検討を中心としたものである。これまで、韓国内外の学界においては、「韓国キリスト教は巫俗的(シャーマニック)な特性がある」というのは、ほとんど自明の言説であった。特に「祈福信仰(いわゆる御利益信仰)」「悪魔払い」「神から直接啓示を受ける」「神癒」「集団的エクスタシー」「入信忘我状態」「カリスマ的な聖職者のリーダーシップ」など、さまざまな現象がこれまでの研究で列挙されてきた。また、上記のような特徴を持つキリスト教系新宗教(旧統一教会など)の存在も、キリスト教と巫俗の関係を論じる際に参考にされてきた。しかし研究者からこれらの特徴・現象は巫俗に限ったことではなく、広く宗教全般に見られることであり、本流とされるキリスト教でも観察されるものであるとの反省が出てきた(ペンテコステ派など)。本論文において「韓国キリスト教は巫俗的」という言説は、日本ではいまだ強く否定されていないものの、本国韓国ではすでに実態を伴っておらず、強調されなくなっていると古田氏はまとめている。また、「儒教と巫俗」「理と気」など、二元論(二重構造モデル)で語られてきたキリスト教及び韓国文化そのものも射程に入れ、そのような類型の有効性を再確認しようとした論考とも言えるだろう。

 新里喜宣氏の「巫俗は宗教か、「宗教ではない宗教」か―韓国巫俗言説における「宗教」概念との関連を中心に」は、「巫俗」に対する評価が六〇年代以降、「祈福信仰」が迷信として否定的に捉えられつつも、文化として肯定的な価値が付与されることになった流れをまとめ、巫俗を「宗教」と捉える言説の変化に注目した学説史的な論考である。別言すれば、巫俗の宗教的側面に関する言説の歴史的展開を省察しようとしたものである。例えば土着化神学や民衆神学を専攻するキリスト教の神学者、また民俗学者の一部は、巫俗の宗教的側面を評価し、クッに見られる共同体意識、ムーダンと信者の情熱的な信仰などを「宗教」として認める視点を打ち出した。しかし一方で、キリスト教をモデルとするような「宗教概念」によって、宗教には倫理意識、歴史意識、共同体意識などのいわば普遍的価値観が求められるとされ、巫俗にはこれらが欠如していると見なされ、巫俗を不完全な宗教、すなわち「宗教ではない宗教」とする認識が成立することになったという。新里氏は特に巫俗を「宗教」と見なす側を再検討することにより、韓国における「宗教概念の揺らぎ」を浮き彫りにしようと試みている。

 影本剛氏の「近代朝鮮文学と『迷信』──啓蒙と生の原動力」は、植民地朝鮮とその前後における朝鮮文学において、いかに迷信(的なもの)が描かれたかを検討したものである。影本氏の論考は、特に「ジェンダー問題」を前面に押し出している。文化人類学などで唱えられてきたことだが、「憑依」とは一種の「ジェンダー的な戦略」となる。社会での発言権がない女性が、男性をしのぐ発言力を持つ契機として、人々をひれ伏させる神格を憑依させることは通文化的に見られる。朝鮮の近代文学において描写された「憑依」もその例に漏れない。つまり、身分的、性別差別を前提とする社会では、「憑依」は差別を乗り越える契機になり得る。つまり、現実社会で対等な関係が存在せず、小説内で「対等」な会話が発動されるには「憑依という迷信」が必要になってくると影本氏は説く。一方近代においては、ある意味当然ながら啓蒙的な知識人は憑依に代表される迷信を打破することを試みるが、しかし民衆は自らの「生の危機」において、迷信にすがらざるを得ない。つまり、迷信こそが「生の原動力」となる状況が存在していた、ということでもある。そのような時代状況を的確に反映しているいくつかの小説の分析を通して影本氏は、「迷信」の描写に、社会の正常性(差別を前提とした非─迷信的な世界)に穴を穿つ可能性を読み込んでいる。

 三名のシンポジウムでの発表および今回の特集論文は、総じて巫俗の「持続性(生命力と言ってもよいかも知れない)」に着目しつつ、近現代における変容と広がりの再確認を行ったものと評せるだろうが、シンポジウム時のコメンテーターであった川上新二氏が「世界観、儀礼、概念も重要だが、霊的存在との直接的な交流という巫俗の最も基本的な部分に関して、あまり言及がなかったように思える」と評したように、実際の現場からの分析、というのは少なかった憾みはあったかも知れない。

 しかし、どの発表ももちろん「現場」を忘れた「安楽椅子の学者」を気取ったわけではなく、巫俗という現場をどのような視線が貫いていたかを丹念に分析しようとし、「認識自体が形成される現場」を、分析者自身をも含めて描写したものであることも確かである。今回の特集論文が巫俗の近現代史、もしくは「宗教」「迷信」概念を再検討するよすがとなれば幸いである。

 

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執筆者一覧(掲載順)

川瀬 貴也  京都府立大学文学部 教授
古田 富建  帝塚山学院大学リベラルアーツ学部 教授
新里 喜宣  長崎外国語大学外国語学部 准教授
影本  剛  立命館大学ほか 非常勤講師
呉  仲元  同志社大学大学院社会研究科 博士後期課程
林  慶澤  全北大学校人文大学 教授
本田  洋  東京大学大学院人文社会系研究科 教授
古川 美佳  女子美術大学 非常勤講師
辻  大和  横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院/都市科学部 准教授
宮内 彩希  広島修道大学法学部 准教授

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