目次
一 問題の所在――人類学と史実について
二 相互浸透する二つの記憶形態
三 記憶と歴史の段階論的変遷
四 歴史物語と「喩法」の陥穽
五 不確定な現代世界における「史実性」
六 本書の構成
●第一部 戦争・紛争の記憶と国家
第一章 沖縄シャーマニズムにおける「記憶の倫理」と痛みの民族誌(北村 毅)
一 はじめに
二 あるユタの戦争体験と憑依体験
三 「戦死者を救え」との啓示
四 カミダーリと召命
五 戦死者供養
六 死者の離散と道徳的危機
七 怪異と「苦しみのエコー」
八 「なされるべきこと」と「記憶の倫理」
第二章 遺骨収容活動におけるつながりの辿り方と飛び越え方――戦没者と生者の関係の生成をめぐって(深田淳太郎)
一 はじめに
二 戦没者とつながる二つの方法
三 遺骨との距離を埋める――隣接するつながりを辿る
四 戦没者への到達──最後の一歩を飛び越える
五 焼骨式──集合的戦没者の完成
六 おわりに――集合的記憶と終われない拾骨
第三章 ペリリュー島における太平洋戦争の記憶とモノのエイジェンシー(飯髙伸五)
一 もつれあう太平洋戦争の記憶
二 先行研究
三 ペリリュー島
四 戦争の記憶を喚起するモノの行方
五 すれちがう/絡み合うエイジェンシー
六 むすびにかえて
第四章 記された記憶、刻まれた歴史──台湾東海岸の抗日事件記念碑から考える(西村一之)
一 はじめに
二 統治記録と住民の記憶そして町の歴史
三 「マララウ事件」の利用
四 放置を前にして「英勇」を悼む──清明節の中で
五 おわりに
第五章 九・三〇事件後のインドネシア地方社会と社会的記憶の現在(山口裕子)
一 インドネシア集団的暴力の集合的記憶
二 歴史と記憶のスペクトラム
三 複数の暴力の集合的記憶――第二波、一九六九年ブトン事件
四 第一波、一九六五年の名前のない暴力と流刑地の記憶
五 公定史の呪縛と絡めとられない記憶
第六章 想像の記憶と記憶の創造──インドネシアの博物館展示をめぐる一考察(金子正徳)
一 はじめに
二 インドネシアにおける博物館略史
三 現代インドネシアの博物館における展示の分析――人物ジオラマに注目して
四 インドネシアの博物館展示をめぐる考察
●第二部 移動と定着の記憶
第七章 〈南洋群島〉という植民地空間における沖縄女性の生を辿る――「実践としての写真論」を手がかりに(森 亜紀子)
一 はじめに
二 統計と語りからみる沖縄の人びとにとっての南洋群島
三 ある首里女性のスナップショットを読み解く――移動と遭遇の軌跡
四 南洋育ちの娘たちのポートレイトを読み解く――狭間を生きる
五 おわりに
第八章 ディアスポラの家族史と民族の語り――フィジーの首都近郊におけるヴァヌアツ系少数民族の祖先語りの分析から(丹羽典生)
一 はじめに
二 ヴァヌアツ出身者のフィジーへの定着
三 起源と移転に関する記憶と語りから見えてくること
四 おわりに
第九章 記憶の不安――フィジー・キオア島において「移民」であること(小林 誠)
一 はじめに――「移民」の不安と記憶
二 移住の歴史
三 記憶と見えない不安
四 不安の顕在化とその文脈
五 不安の余地――語りの検討から
五 おわりに――不安と希望
第一〇章 「キーシナリオ」の不在――イタリア在住のフィリピン系第一・五世代のあいまいな未来イメージをめぐって(長坂 格)
一 はじめに
二 移住者の未来イメージ
三 第一世代のイタリアへの移住
四 第一世代のイタリア生活とキーシナリオの形成
五 第一・五世代の移住経験
六 比較
七 おわりに
●第三部 他者接触と記憶の媒体
第一一章 皮膚から紙へ刻み写す――ビーチコマーと民族学者によるマルケサス諸島のイレズミの記憶(桑原牧子)
一 はじめに
二 文様の時間、施術経験の時間
三 皮膚から皮膚へ刻み写す
四 皮膚から紙に記録する
五 紙から皮膚に復刻する
六 おわりに
第一二章 モノのやりとりをめぐる齟齬と擦りあわせのプロセス――西洋人とトンガ人の歴史的出会い(比嘉夏子)
一 西洋人とトンガ人の歴史的出会い
二 モノをめぐる多様なやりとりと解釈
三 ふるまいの変化と身体化
第一三章 パプアニューギニア、アンガティーヤの他者接触と世界の拡大をめぐる「記憶」(吉田匡興)
一 はじめに
二 本章における叙述の枠組み
三 アンガティーヤにおける初期接触以降の歴史的経過
四 過去表象の中の共通部分──アンガティーヤの中心性と周縁性
五 「集団間記憶」の抽象性と「集団内記憶」の優勢
六 集団内記憶としてのストーリー
七 ストーリーの諸相
八 おわりに――アンガティーヤにとっての世界の拡大過程
第一四章 西洋人にルーツを求める系譜語り――ミクロネシア連邦ポーンペイ島の親族関係にみる他者接触と史実性(河野正治)
一 はじめに――公的な記憶から零れ落ちるヴァナキュラーな記憶
二 諸外国からの統治と親族関係の変容
三 ポーンペイ島民による過去の想起の諸相
四 ジョン・ブラウンの子孫たち――国境を越える親族集団と他者接触の痕跡
五 系譜語りが紡ぐ過去と現在の親族関係
六 ジョン・ブラウンとは誰か――親族の記憶にみる史実と史実性
七 おわりに
第一五章 クリスマス島での英米核実験をめぐる記憶――キリバス人の被ばくの「語り」による再構築(小杉 世)
一 はじめに――他者の体験を想像すること
二 帝国のプロジェクトのはざまで――クリスマス島移住者のルーツ
三 英米核実験をめぐる記憶
四 被ばく者協会の成り立ちと現在
五 記憶の継承について
あとがき(丹羽典生)
写真図表一覧
索引
内容説明
史実と虚偽のあわいに立つ
ヨーロッパ人の登場から植民地支配、大戦とナショナリズム、邦人移民や核実験など、海洋がつなぐ地域には異質な他者との多様な接触の歴史/記憶が交錯・堆積する。本書はその痕跡=遺物や遺骨、古びた写真、語りや歌謡、身体に刻まれたイレズミ等にひとまず「史実性」を措定し、現在する影響力の意味に着目する。注目の論集。
*********************************************
序論――不確実性の時代における記憶と歴史の人類学
風間計博
一 問題の所在――人類学と史実について
人間は豊かな想像力を有しており、未来の予測や架空の物語、高度な抽象的思考を言語化し、文章化することができる。現実を超えた空想世界の広がりは、例えば「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会い」という詩的表現の生成を可能にする。翻って、経験に即した現実的な文章表現は、いかなる過程を経て生み出されるのだろうか。
私たちが自らの経験に関わる文章を書こうとするとき、必然的に過去の出来事について、すなわち記憶に基づいて記述することになる。仮に、人類学者が実地調査地で出会った人々や人類学者自身の調査経験について記述する場合、当人の記憶や調査ノートに頼って文章を書くはずである。さらに、調査地に住む年配者の生い立ちや、遥か昔に亡くなった祖先の逸話を書き記そうと試みるとき、人類学者は直接目撃できない過去の領域に踏み込むことになる。そこでは、運よく残された文字列等の断片、あるいは過去の出来事や世代を超えて伝承された人々の語り(narrative)に頼ることになる。
かつて人類学者が主要な調査対象としたのは、人々自身が文字記録を残してこなかった「無文字社会」であった。近代人類学では、構造機能主義をみればわかるように、研究対象の諸社会は、非歴史的モデルとして提出されてきた。一九八〇年代以降のポストコロニアル批判のなかでこのモデルは棄却され、歴史事象が人類学者の注意を強く引くようになった[e.g. Thomas 1991; サーリンズ 一九九三、森編 二〇〇二]。しかし、従来の人類学的歴史学(anthropological history)や歴史学的人類学(historical anthropology)は、西欧近代的思考に沿った歴史主義(historicism)の呪縛に囚われたままであった。在地の観点を取り込んだ「歴史の人類学(anthropology of history)」は、充分に確立されてこなかったのである[Palmié and Stewart 2016: 209-210]。「歴史の人類学」の構想は、実証主義とは異なる歴史方法論の必要性を訴える。
例えば、文字に拠らない歴史を考えると、神話や説話、系譜知識等の口碑伝承が重要である。留意すべきは、語りのみが記憶伝達の媒体ではないことである。詩歌や踊りといった身体表現、石や木、身体に刻まれた文様や絵画が、過去の出来事を鮮やかに伝えることもある。一方、考古学ならば発掘された遺物を、文字のある地域における歴史学ならば紙や羊皮紙、石や木簡等に記された文字記録を史料とする。考古学において発掘された遺物は科学的検証が行われ、歴史学でも厳密な史料批判が行われる。ただし当然ながら、歴史学者の依拠する文字記録が絶対に「正しい」わけではない。個別事象の文字記録や遺物は、過去の出来事をそのまま映し出す「証拠」ではなく、記録と歴史は乖離した独立事象のこともある。
調査地の人々の過去について記述する場合、人類学者は、文書に比較して変容や消失しやすい、あるいは曖昧で信憑性の疑わしい語りや歌謡等に依存せざるを得ない。ここで、多様な伝承に依拠して構築された歴史は、どの程度まで信頼に足るのかが問題となる。換言すれば、「歴史の人類学」において、「史実(historical fact)」とはいかに規定されるのだろうか。仮に、伝承の信憑性が棄却された場合、何が史実の代替概念になりうるのだろうか。他方、文書の綿密な解釈により所与の史実に接近できるとする、実証主義的な歴史方法論は、唯一の最適解といえるのだろうか。結論を先取りしていえば、本章では、真偽のあわいに中動態的な「史実性(historicity)」を措定することになる。
二 相互浸透する二つの記憶形態
本書は、オセアニアと東南アジア島嶼部を対象地域とした、記憶と歴史に関する人類学の論集である。両地域は、人文学・社会科学において人為的に切り離されて論じられる傾向があった。しかし本書では、両者の地理的連続性や歴史的共通性ならびに差異に着眼したい。そして、在地住民を軸に据えて、アジア太平洋戦争の経験とその痕跡、国家内の暴力的な弾圧、ナショナリズムに関わるモノの展示、世代を超えた移住や出稼ぎ経験、オセアニアにおける数世紀を遡るヨーロッパ人との初期接触、核実験による被曝等の事例をとりあげる。
当該地域は、かつて列強国による分割支配にさらされてきた。そして、アジア太平洋戦争に巻き込まれた後、多くの植民地が独立して新興国となった。歴史経緯のなかで、人々は侵入してきた他者に支配された。独立前後の時期から、新興国家エリートはナショナリズムを喧伝して国民統合を試み、その過程で軋轢が生じた。また、人々は自発的に移動して他者と遭遇し、他者との戦闘や対立、あるいは平和的協働を経験した。本書では、こうした多様な事例を提示・分析し、在地の人々の記憶と歴史について人類学的に追究していくことになる。
次章以降の具体的な事例研究に入る前に、序論では議論の射程を拡張し、虚実入り混じる電子情報の氾濫した現代世界における記憶の生成過程と伝承のあり方、さらには歴史の真偽が問われるせめぎ合いについて考えたい。
さて、一般に記憶とは心理学の領域で扱われ、実証的な心理学では再現性が重視される。対して歴史とは、法則性を認めるか否かは別として、一回性の過去の史実に関する客観的分析に根ざすものである。両者は相容れず、ピエール・ノラのような歴史家は、記憶をあからさまに敵視さえしていた[Camacho 2011: 9-10]。しかし本書で扱うのは、個人の脳内に電気的・物質的に蓄積された神経情報としての心理学・生理学的記憶ではない。むしろ、個に閉じた狭隘な記憶概念を解放し、複数の人間によって共有された歴史・文化的な記憶を主題化する[Bloch 1998; Mageo ed. 2001]。
そして本書では、過去の経験を想起した語りのみならず、過去に生起した出来事の遺物や写真等、モノの形態をとる記憶、環境のなかで間身体的に生成・伝達される歴史記憶を想定する。ここで歴史記憶を焦点化するにあたり、両極にある二つの記憶形態を便宜的に想定しておく[cf. アルヴァックス一九八九、Connerton 1989]。
(一)集合的記憶:国民やエスニック集団を統合する首尾一貫した公的な記憶形態
(二)ヴァナキュラーな記憶:人々の日常生活に根差した矛盾や曖昧さを含む記憶形態
本書では集合的記憶を切り詰めて、近代国家やエスニック集団の統合、政治的論争の場に強固に絡みつく概念としておく。狭義の集合的記憶は、集団を内閉化させて外部に敵対者を作り上げ、国家間の戦争やエスニック集団間の紛争において自己正当化の主張に根拠を与える[Gills ed. 1994; Camacho 2011]。ただし、たいていの場合、これは政治的意図をもって構築あるいは歪曲された記憶であり、他集団あるいは自集団の一部からの信任が得られず、異議申し立てが行われることもしばしばみられる。
もう一方のヴァナキュラーな記憶は、人々の経験の語りや世代を超えた口碑伝承、私的な手紙や写真等を含む緩やかな記憶を指示する。日常の出来事から、異質な他者との遭遇や侵略、故郷からの移住、過酷な戦争や災害等、人々自身や祖先による個別経験の記憶である。記憶を再構成する過程で、意図せざる誤謬や矛盾、あるいは意図的な虚構が入り込むこともある。
ただし本来、両者は明確に切り分けられるものではなく、相互に浸透しうる。もつれ合って不可分となり、状況によっては相互に転化する可能性もある。つまり、両者の区分に注意を向けるよりも、むしろ両者の重なりや絡み合いへの着目が重要である。以下では、具体的事例の検討を行う準備として、二極においた公的な集合的記憶および日常経験のヴァナキュラーな記憶の相互浸透を見据えながら、生成・継承あるいは忘却される歴史記憶のもつ性質を検討する。そして、歴史記憶の人類学的追究が、いかに不確実な現代世界を生きる私たちの視野を拡大させ、歴史に関わる思考の枠組みを変形させる可能性をもつのか考えたい。
(後略)
*********************************************
編者紹介
風間 計博(かざま かずひろ)
1964年生まれ。
総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
専攻は人類学、オセアニア社会研究。
現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。
主著書として、『強制移住と怒りの民族誌:バナバ人の歴史記憶・政治闘争・エスニシティ』(明石書店、2022年)、『交錯と共生の人類学:オセアニアにおけるマイノリティと主流社会』(ナカニシヤ出版、2017年、編著)、『窮乏の民族誌:中部太平洋キリバス南部環礁の社会生活』(大学教育出版、2003年)など。
丹羽 典生(にわ のりお)
2005年、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会人類学)。
専攻は社会人類学及びオセアニア地域研究。
現在、国立民族学博物館教授。
主な業績に、『太平洋諸島の歴史を知るための60章:日本とのかかわり』(石森大知・丹羽典生編、明石書店、2019年)、『〈紛争〉の比較民族誌:グローバル化におけるオセアニアの暴力・民族対立・政治的混乱』(丹羽典生編、2016年)、『現代オセアニアの〈紛争〉:脱植民地期以降のフィールドから』(丹羽典生・石森大知編、昭和堂、2013年)など。
執筆者紹介(掲載順)
北村 毅(きたむら つよし)
1973年生まれ。
2006年、早稲田大学人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。
専門は文化人類学、民俗学、沖縄研究。
現在、大阪大学大学院人文学研究科・教授。
主著書として、『死者たちの戦後誌:沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶』(御茶の水書房、2009年)、論文として、「「沖縄の精神衛生実態調査」にみる戦争と軍事占領の痕跡」『シリーズ 戦争と社会5:変容する記憶と追悼』(蘭信三他編、岩波書店、2022年)、「戦争の批判的家族誌を書く:家族のヴァルネラビリティをめぐるオートエスノグラフィ」『文化人類学』(87巻2号、2022年)など。
深田 淳太郎(ふかだ じゅんたろう)
1977年生まれ。
2008年一橋大学大学院社会学研究科単位修得退学。博士(社会学)。
専攻:文化人類学、経済人類学。
現在、三重大学人文学部・准教授。
主な業績:共著として『サブスタンスの人類学:身体・自然・つながりのリアリティ』(ナカニシヤ出版、2023年)、『会計学と人類学のトランスフォーマティブ研究』(清水弘文堂書房、2021年)など。
飯髙 伸五(いいたか しんご)
1974年生まれ。
2008年、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会人類学)。
専門は社会人類学、オセアニア地域研究。
現在、高知県立大学文化学部教授。
主著書として、Heritage, Contested Sites, and Borders of Memory in the Asia Pacific (Edward Boyle and Steven Ivings eds., Brill, 2023, 分担執筆)、『大日本帝国期の建築物が語る近代史:過去・現在・未来』(上水流久彦編、勉誠出版、2022年、分担執筆)、論文として、“Remembering Nan’yō from Okinawa: Deconstructing the Former Empire of Japan through Memorial Practices” (History and Memory Vol.27 No.2, 2015)など。
西村 一之(にしむら かずゆき)
1970年生まれ。
2000年、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。博士(文学)。
専攻は文化人類学。
現在、日本女子大学人間社会学部教授。
主な業績として、“The ‘Crossover Generation’: Residents of Taiwan’s East Coast under Multi-layered Foreign Rule.” Memories of the Japanese Empire: Comparison of the Colonial and Decolonisation Experiences in Taiwan and Nan’yō-guntō (Yuko Mio ed., Routledge, 2021)、『境域の人類学:八重山・対馬にみる「越境」』(上水流久彦・村上和弘・西村一之編、風響社、2017年)など
山口 裕子(やまぐち ひろこ)
1971年生まれ。
2008年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。
専門は社会人類学、東南アジア地域研究。
現在、北九州市立大学文学部教授。
主著書として、『歴史語りの人類学:複数の過去を生きるインドネシア東部の小地域社会』(世界思想社、2011年)、『国家英雄が映すインドネシア』(金子正徳、津田浩司との共編著、木犀社、2017年)、主論文として、「序 (特集)ハラールの現代:食に関する認証制度と実践から」(『文化人類学』第83巻4号、2019年)など。
金子 正徳(かねこ まさのり)
1972年生まれ。
2004年、金沢大学大学院社会環境科学研究科(博士課程)修了。博士(文学)。
専門分野は文化人類学。
現在、摂南大学国際学部准教授、摂南大学大学院国際言語文化研究科准教授。
主な業績として、「インドネシアにおいて「洗う」ということ」『〈洗う〉文化史: 「きれい」とは何か』(国立歴史民俗博物館・花王株式会社編、吉川弘文館、2022年)、「民族のしがらみを超えて:ランプン州における地域称号制度と地域社会の課題」『「国家英雄」が映すインドネシア』(山口裕子・金子正徳・津田浩司共編著、木犀社、2017年)、「コラージュとしての地域文化:ランプン州に見る民族から地域への意識変化」『民族大国インドネシア:文化継承とアイデンティティ』(鏡味治也編著、木犀社、2012年)など。
森 亜紀子(もり あきこ)
1980年生まれ。
2010年京都大学大学院農学研究科博士課程修了。博士(農学)。
専門は沖縄近現代史、南洋群島研究。
現在、同志社大学〈奄美-沖縄-琉球〉研究センター嘱託研究員、土庄町地域おこし協力隊・域学連携担当。
主な論文として、「〈南洋群島〉という社会空間の生成:沖縄出身南洋教育世代の台頭と帝国のヒエラルキー」(『歴史学研究』1024号、2022年)、「切り落とされてきた場所・出来事から考える:呉・沖縄・南洋群島を糸口に」『広島 爆心都市からあいだの都市へ』(高雄きくえ編、インパクト出版会、2022年)。訳書として、『生きた労働への闘い:沖縄共同体の限界を問う』(ウェンディ・マツムラ著、増渕あさ子・古波藏契・森亜紀子訳、法政大学出版局、2023年)など。
小林 誠(こばやし まこと)
1980年生まれ。
首都大学東京人文科学研究科単位取得満期退学。博士(社会人類学)。
専攻は社会人類学、オセアニア民族誌。
現在、東京経済大学コミュニケーション学部准教授。
主な業績として、『探求の民族誌:ポリネシア・ツバルの神話と首長制の「真実」をめぐって』(御茶の水書房、2018年)、『アイランドスケープ・ヒストリーズ:島景観が架橋する歴史生態学と歴史人類学』(風響社、2019年、共著)。『たえる・きざす(生態人類学は挑む)』(京都大学学術出版会、2022年、共著)など。
長坂 格(ながさか いたる)
1969年生まれ。
1998年神戸大学大学院文化学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。
専門は文化人類学、移住研究、東南アジア地域研究。
現在、広島大学大学院人間社会科学研究科教授。
主な業績として、『国境を越えるフィリピン村人の民族誌:トランスナショナリズムの人類学』(明石書店、2009年)、Mobile Childhoods in Filipino Transnational Families(Palgrave Macmillan, 2015年、共編著)など。
桑原 牧子(くわはらまきこ)
1969年生まれ。
2003年、オーストリア国立大学人類学Ph.D.
専門は文化人類学、地域研究(ポリネシア)。
現在、金城学院大学文学部教授。
主な業績として、『身体を彫る、世界を印す:イレズミ・タトゥーの人類学』(山本芳美、桑原牧子、津村文彦共編著、春風社、2022年)、「イレズミをどこから眺めるか:マルケサス諸島の道具と施術技術」『モノ・コト・コトバの人類史 総合人類学の探究』(後藤明、大西秀之編、雄山閣、2022年)など。
比嘉 夏子(ひが なつこ)
1979年生まれ。
2011年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(人間・環境学)。
専門は人類学(オセアニア島嶼社会研究および応用人類学の実践)。
現在、合同会社メッシュワーク共同創業者。
主著書として、『贈与とふるまいの人類学:トンガ王国の〈経済〉実践』(京都大学学術出版会、2016年)、『地道に取り組むイノベーション:人類学者と制度経済学者が見た現場』(北川亘太・渡辺隆史との共編著、ナカニシヤ出版、2020年)など。
吉田 匡興(よしだ まさおき)
1970年生まれ。
一橋大学大学院社会学研究科地域社会研究専攻、単位修得退学。
専門は文化人類学、ニューギニア地域研究。
現在、桜美林大学リベラルアーツ学群非常勤講師。
主な業績に、『宗教の人類学』(石井美保・花渕馨也・吉田匡興共編、2010年、春風社)、『共在の論理と倫理:家族・民・まなざしの人類学』(風間計博・中野麻衣子・山口裕子・吉田匡興共編、2012年、はる書房)など。
河野 正治(かわの まさはる)
1983年生まれ。
2017年筑波大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程修了。博士(国際政治経済学)。
専攻は文化人類学及びミクロネシア地域研究。
現在、東京都立大学人文社会学部准教授。
主な業績として、『権威と礼節:現代ミクロネシアにおける位階称号と身分階層秩序の民族誌』(風響社、2019年)、「序:歓待の人類学」(『文化人類学』85巻1号、2020年)、「食物展示の意味をずらす技法:ミクロネシア・ポーンペイ島の儀礼実践にみる価値転換と創造の萌芽」(『社会人類学年報』48号、2022年)など。
小杉 世(こすぎ せい)
1968年生まれ。
1996年、神戸女学院大学文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。文学修士(英文学)。He Hiranga Māori (Certificate of Māori Studies、ワイカト大学)。
専門は、英語圏文学、オセアニア研究、ポストコロニアル研究、環境人文学。
現在、大阪大学人文学研究科言語文化学専攻教授。
主な業績として、『土着と近代:グローカルの大洋を行く英語圏文学』(共著、音羽書房鶴見書店、2015年)、『オーストラリア・ニュージーランド文学論集』(共著、彩流社、2017年)、Indigenous Transnationalism: Essays on Carpentaria(共著、Giramondo、2018年)、『トランスパシフィック・エコクリティシズム:物語る海、響き合う言葉』(共著、彩流社、2019年)、『終わりの風景:英語圏文学における終末表象』(共著、春風社、2022年)など。