目次
凡例
地図・写真
●日記本文
日記本文─1940年─
日記本文─1941年─
日記本文─1942年─
日記本文─1943年─
日記本文─1944年─
日記本文─1945年─
●西川寛生「戦時期ベトナム日記」解説(宮沢千尋・武内房司)
1 インドシナとのかかわり
(1)山根機関員として
(2)大南公司への入社
2 日記に見るベトナム民族運動
3 西川日記から見えてくるもの
おわりに
参考文献
西川寛生「戦時期ベトナム日記」関連年表(武内房司)
あとがき
索引
内容説明
戦時期日本と東南アジアの関係を知る同時代資料、全文を翻刻
日本軍の北部仏印進駐から、仏印処理とベトナムへの「独立付与」、日本の敗戦とベトナム民主共和国独立に至る時期、ベトナム民族運動にも関わる一方、現地の人々の暮らしや風物、軍人、商社員などさまざまな日本人の生活を描く、第一級の史料。(学習院大学東洋文化研究叢書)
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はじめにより
本書は、西川寛生(本名捨三郎、1921-2005)氏が日本の「北部仏印進駐」前の1940年9月7日から敗戦後に木造小型船で日本へ帰還する1945年9月8日まで、ほぼ毎日つけていた日記の全文である。北部仏印進駐から、1945年3月9日の日本軍によるフランス植民地支配の解体(いわゆる「仏印処理」)とベトナムへの「独立付与」を経て、日本の敗戦とベトナム民主共和国独立に至る時期に、現地でベトナム独立運動にも関わりながらインドシナ在住の民間日本人の視点から書かれた同時代の記録である。本日記は、著者が敗戦時に苦労して持ち帰り大切に保管されてきたものであるが、今回新たにご遺族の同意を得て出版の運びとなったものである。
西川氏はこの日記のなかで、5年余にわたるインドシナ滞在中に見聞したさまざまなできごとを、激動する当時の日本・インドシナ関係、世界情勢の推移をふまえ冷静かつ客観的な筆致で描き出している。日記にはそれまで日本人にはあまりなじみのなかったいわゆる「仏印」の人々の暮らしや日常生活、ベトナムやラオス、カンボジアの自然や風景、戦時下の「仏印」に進出した軍人・軍属、商社員などさまざまな日本人の生活が紹介されるだけではない。日本の「仏印進駐」により活性化したベトナムの民族運動や自らが交流を持った民族主義者たちの動向も、日本の外交文書など公的な行政文書ではうかがうことのできない詳細さで、生き生きと叙述されている。
この時期の日本とベトナムの関係についての同時代資料の多くは、日本の敗戦により廃棄されるか、消失した。これまで、この時期の歴史を研究しようとするとき、フランス側の残した植民地関係資料か、日本人の回想記や後年のインタビューに依拠せざるをえなかった。西川の日記は、政治・軍事・経済・文化各方面にわたる日本・ベトナム関係史のみならず、戦時期の日本の東南アジアとの関係を考えるにあたっても多くの新たな情報や視点を提供してくれる第一級の同時代資料である。
なお、西川氏は終戦から10年後、「ベトナム共和国」のサイゴン(現ホーチミン市)に、大南公司社員として再び赴任し、詳細な日記を残している。同日記は、2015年に、本書と同じく学習院大学東洋文化研究叢書の『西川寛生「サイゴン日記」:1955年9月〜1957年6月』(風響社)としてすでに刊行されている。同書巻末の「補注」および「解説」もあわせてご参照いただければ幸いである。
編者
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編者紹介
武内 房司(たけうち・ふさじ)
1956年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程修士課程修了。
現在、学習院大学文学部教授。
主要編著:
武内房司編『中国近代の民衆宗教と東南アジア』研文出版、2021年、武内房司編『日記に読む近代日本5 アジアと日本』吉川弘文館、2012年、武内房司編『越境する近代東アジアの民衆宗教:中国・台湾・香港・ベトナム、そして日本』明石書店、2011年
宮沢 千尋(みやざわ・ちひろ)
1962年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学(文化人類学専攻)
修了。
現在、南山大学人文学部教授。
主要編著:武内房司、宮沢千尋編『西川寛生「サイゴン日記」一九五五年九月~一九五七年六月』風響社、2015年、宮沢千尋編『アジア市場の文化と社会:流通・交換をめぐるまなざし』風響社、2005年