目次
プロローグ:ジャワ芸能へのいざない
●序説
第1章 インドネシアの国家と無形文化遺産のあり方
一 無形文化遺産の伝承
二 調査地の概要と調査対象
三 インドネシアの国民文化創生とジョクジャカルタ王宮舞踊
四 先行研究
五 研究方法と調査の概要
六 本書の構成
七 インドネシア語・ジャワ語のカタカナ表記
第2章 ジャワ社会の価値体系と王宮舞踊
一 ジャワ人の生き方:アルス(洗練)とカサル(粗野)
二 神と調和するための王宮舞踊
三 女性群舞にみる調和概念と振る舞い
第3章 ジョクジャカルタ王宮舞踊の概要
一 王宮舞踊の技術
二 王宮舞踊の種類
三 関連するジャワ諸芸能
●第1部 ジョクジャカルタ王宮舞踊の発展の歴史
第4章 王宮内:歴史を刻む
一 インド文化との融合:「古のジャワの理想型」の誕生
二 オランダ植民地下の王宮舞踊(1578~1945年頃)
三 神聖な任務:過酷な上演と厳しい稽古
第5章 王宮外:ナショナリズムによる王宮舞踊の大衆化
一 ナショナリズムと王宮舞踊
二 初の民間舞踊団体:クリド・ブクソ・ウィロモ
三 民族学校タマン・シスワ
●第2部 踊り手たちの回顧の語り(国家独立~1970年頃)
第6章 旧貴族中心の舞踊活動:精神を満たす舞踊
一 王宮と王宮母体の舞踊団体の誕生(1950年)
二 王宮舞踊の学習システム:変化と維持
三 王宮舞踊を学ぶことの意義
四 踊ることへの責任感
五 王宮舞踊の閉鎖性と不人気
第7章 無形文化遺産概念への気づき:観光芸能への批判
一 担い手不在の文化創造
二 不自然な基調報告
三 紛糾した質疑応答:王宮舞踊の「遺産」とはなにか
●第3部 王宮舞踊の大衆化──秘伝の公開と女性の活躍(1970~1998年頃)
第8章 秘伝の精神論の公開
一 伝承の失敗と講演の試み
二 秘伝の精神論の講演録
三 文化の戦略的記述と上演
第9章 踊り手サスミント・ディプロと舞踊創作
一 生い立ち
二 舞踊伝承の決意:サスミント・ディプロのスピーチ
三 女性舞踊の創作
第10章 舞踊コンテスト
一 ゴレの公式化
二 舞踊コンテスト
三 舞踊劇スンドラタリ・フェスティバル
第11章 観光芸能の功罪
一 ジョクジャカルタにおける観光芸能の状況
二 ホスト・ゲスト重視型:サスミント・ディプロの観光芸能(1981)
三 ゲスト偏重型:「心づくし」の観光芸能(1992)
第12章 女性の踊り手の躍進
一 女性舞踊の意義
二 女性の進出:王宮舞踊の種類と上演機会
三 学習システムと教育機関
●第4部 新たな伝承のかたち──王家の復権への道程(1998年~)
第13章 舞踊活動の停滞:踊り手たちへのインタビュー
一 前期20年の特徴と前時代の文化・観光政策批判
二 上演機会と舞踊団体・教室
三 年配・指導者層の踊り手の想い:世代間交流の滞りと閉塞感
三 若い踊り手の想い:「楽しい」/「残念」
四 稽古の実態
第14章 新しいスタイルでの伝承
一 稽古文化の復活に関する議論
二 新しい舞踊教室の誕生
第15章 創造と伝承:王家の文化イニシアティブの復権(2019年~)
一 王宮の舞踊活動の停滞(1990年前後~2018年)
二 特別州法の制定(2012年)
三 風変わりな王宮文化とその指導者(2019)
四 王宮舞踊のためのYouTube活用戦略
五 精神論ジョゲッド・マタラムの伝承と新作舞踊の創作
エピローグ:伝承することとは
謝 辞
文献
資料
索引
内容説明
インドネシア芸能の源流を探る
古都ジョクジャカルタの王宮に伝わり、常に政治・文化の中心にあった舞踊。伝統の保持と近代化の間で翻弄されながら、踊り手たちが伝承してきたプロセスを、古文書の渉猟と彼らの語りから立体的に解明。一瞬の輝きを保持するという困難を、民間信仰や通底するジャワ人の思考様式の中で問い返す、貴重な試み。
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プロローグ:ジャワ芸能へのいざない
スリンピと呼ばれる女性4人で舞うジャワの王宮舞踊がある(口絵2)。2010年1月、私はジョクジャカルタ王宮で毎日曜日ごとに観光客向けに上演される王宮芸能でスリンピを鑑賞していた。4人の踊り手は同じ衣装を着け、同じ化粧を施し、ぴたりと振りを合わせ宇宙の調和を描く。終盤で踊り手は2×2に並んで腰を落とし、ジェンケンと呼ばれる座った体勢をとるはずだった。
ところが、その日、一人の踊り手がタイミングを間違えて早く腰を落としてしまった。あとの3人の踊り手は困惑し、互いの様子を伺いつつ、やや遅れて本来より早く腰を落とした。当時、私はジョクジャカルタに調査滞在しており、王宮舞踊をひとりの先生に師事しつつ、シスウォ・アモン・ブクソという舞踊団体でも学んでいた。私は個人稽古のたびに先生に、あちこちで見た舞踊や稽古の様子を話していた。早速、その日のスリンピも映像を見せながら話した。先生の反応は意外だった。
「これはね、間違えた一人に合わせて、あとの3人も同じように間違えるのが正しいの」
先生の話はおよそ次のようだった。ジョクジャカルタ王宮舞踊では正しく踊ることが正しいのではない、たとえ間違えても全員が同様に踊り、全体が調和されていることが大切。
ちょうどその頃、私はスリンピをシスウォ・アモン・ブクソで学んでいた。王宮舞踊はどの教室でも一人で踊る舞踊から学び、次に群舞のスリンピやブドヨ、舞踊劇を学ぶ。群舞の難しさは全員がぴたりと息と振りを合わせて同様に踊ることにある。スリンピであれば二組のペアが全く同じように、マハーバーラタ物語の戦いの一場面を描く。見た目には分かりにくいが、群舞は個人の舞踊技術より相手と息を合わせて踊ることのほうが、はるかに難しい。
至らない私は当時、スリンピの稽古のたび、クリス(短剣)を刺しあう場面では(本当に刺すわけではない)、相手がもっと近くに寄ってくれないとクリスが刺せないとか、二人で上腕を付けて行う体の上下運動では相手のタイミングが早すぎる、などと心の中でつぶやいていた。本来は双方ともが踊りやすいように相手の息を読みながら調整するものだし、こう心の中でぼやくことさえ、ジャワ人的な思考ではないと理解はしていた。しかし、まさか間違いまで相手に合わせるものだとは思わなかった。しかもあの時の王宮だと、3人とも何食わぬ顔をして平然と瞬時に間違うことがジャワ人的となる。
こんなこともあった。現地調査に入って間もない頃、大学から調査用のビデオカメラが送られてきた。郵便局からは日本円で6000円ほど必要なので、郵便局まで来るように通知が届いた。私はなぜ受け取りに6000円も必要なのか分からず、それにまだインドネシア語もおぼつかなかったため、芸術大学でガムラン音楽を教える先生に郵便局に付き添ってもらった。先生は局員との話し合いを終えて車に乗り込むや否や憤慨した。賄賂として6000円を要求されたと思ったようだった。私たちはすぐに芸術大学に戻って学長に販売目的で送られたものではないという旨のレターをもらい、その足で郵便局に引き返したが、先生の機嫌は悪く車の中でもぶつぶつ文句を言っていた(もちろん私にはいつも通り優しかったのだが)。
ところが再び件の局員に会うなり先生は満面の笑みで、やぁやぁどうもお世話になっています、と親しげに局員の肩をぽんぽんと叩きながら握手まで交わし和やかな会話が始まったのである。おかげで無事に6000円を渡すことなくビデオカメラを手に出来たが、私は先生の態度の変わりようにあっけにとられてしまった(あとで判明したが、いくつか行き違いが重なり6000円を要求した郵便局は間違いとは言い切れなかった)。
この2つの出来事は関係ないように思える。しかしいずれも極めてジャワ人的な思考と行為である。本書はジョクジャカルタ王宮舞踊の伝承を描くものだが、それはこういったジャワ人の思考と価値体系、それに基づく行為を描くことでもある。
本書の目的
本書は無形文化遺産の伝承というテーマについて、ジョクジャカルタ王宮舞踊を事例に文化の担い手の視点から論じることを目的とする。ジャワには2つの王家とそれぞれの分家に独自の様式の舞踊が伝わるが、本書では特に断らない限り王宮舞踊あるいはジャワ王宮舞踊とは、ジョクジャカルタ王家様式の舞踊をさす。
国際的な合意としての無形文化遺産の枠組み、定義の変化とともに、無形文化保護のアプローチも変化してきたが、無形文化はかたちが残らない文化である以上、担い手が何を何のために、どのような方法で創り発展させ、伝承してきたのか、そして今、まさに何をどういった方法で次の世代に伝えていこうとしているのか、その姿を担い手コミュニティ内部から追うことは、無形文化遺産の伝承を考えるうえで最も核となるのではないか。そのために本書では多種多様なインドネシア芸能のうち、ジャワ島中部の古都ジョクジャカルタの王宮に伝わり、常に政治・文化の中心にあった舞踊をとりあげ、踊り手たちが伝統の保持と近代化の間で翻弄されつつも、現在まで王宮舞踊を伝承してきたプロセスを丁寧に追いながら考えてゆく。
ジョクジャカルタ王宮舞踊を取り巻く社会状況は、およそこの100年の間に目まぐるしく変化した。もともと王宮舞踊は王スルタンの専有物であり、オランダ植民地時代には王宮外に出ることはなく、狭い王宮内で、貴族という限られた社会階層のなかで豪奢に発展してきた。ところが20世紀初頭に始まるナショナリズムの運動、1945年の国家独立という流れの中で王宮舞踊は王宮の外に出てゆく。そして全インドネシア国民が誇るべき国民文化のひとつとして文化政策により保護・育成され、ジョクジャカルタだけでなく、首都ジャカルタや他州、海外でも盛んに上演されるようになった。それに伴って王宮舞踊の担い手は、植民地時代に高い地位と高給を保証され、神聖な任務として毎日厳しい稽古を行っていた貴族から、広くインドネシア国民へと変化した。もはや王宮舞踊は余暇に行うものとなり、踊ることでは食べていけなくなった。
そういった様変わりした社会で、何世代にも渡って育まれてきた文化を伝承することは容易ではなかったが、ジョクジャカルタ王宮舞踊は現在まで多くの変化を経て発展し続けている。そのプロセスについて本書では、踊り手たちの日常生活における王宮舞踊の意義や在り方に着目して、彼らが何を変えず、何を変化させながら、王宮舞踊を伝承してきたのかについて、4年8か月の参与観察と膨大な聞き取り調査、丹念な史料の渉猟から紐解いていく。その背後にあるのは一瞬ごとに生み出されては消えていく無形文化遺産の営みにおいて、何を伝え遺していくことが「伝承」といえるのかという問いである。
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著者紹介