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ヨルダン社会経済の変容  新刊 これから出る本

移民・難民受け入れ国家の所得・労働・女性参加

ヨルダン社会経済の変容

戦争や紛争を逃れた人びとは、ここで国籍を得、働き、生きている。統計資料や世帯調査などから、多様な「生活」の実相に近づく。

著者 臼杵 悠
ジャンル 社会・経済・環境・政治
出版年月日 2025/02/28
ISBN 9784894890329
判型・ページ数 A5・240ページ
定価 本体3,500円+税
在庫 未刊・予約受付中
 

目次

はじめに

序 章

   第1節 中東・ヨルダンの社会経済をめぐる問題と本書の課題
       1 問題の所在
       2 ヨルダン社会経済をめぐる先行研究
       3 本書の課題
   第2節 本書の依拠する資料
       1 人口センサス
       2 「世帯の支出と所得に関する調査」と世帯調査
   第3節 本書の構成

第1章 1990年代の転換と社会経済

       はじめに
   第1節 構造調整と「ヨルダン人」の帰還
       1 経済危機と自由化
       2 湾岸危機・戦争による「ヨルダン人」労働者の帰還
   第2節 帰還者の背景:「パレスチナ人」とオイルブーム
       1 国家形成とヨルダン国籍を持つパレスチナ「難民」
       2 オイルブームによる送金と外国人労働者の増加
   第3節 社会経済の変容
       1 人口・婚姻・経済成長・産業・教育・労働市場
       2 首都アンマンの歴史と拡大
       おわりに

第2章 行政区からみる社会変容

       はじめに
   第1節 行政制度と行政区分の起源
       1 人口センサス
       2 現在の行政制度
       3 行政区分の起源
   第2節 行政区の変遷
       1 境界の確定
       2 行政区域の拡大と細分化
   第3節 国民を「測る」試みと調査内容の変化
       1 行政区の名称の変化
       2 都市と農村の定義
       3 調査・記載項目の変遷
       おわりに

第3章 地域類型からみる社会

       はじめに
   第1節 分析方法と指標
       1 2004年人口センサスと行政区分「tajamma‘」
       2 分析の方法と扱う指標
   第2節 教育・所得・就業・移動からみる地域類型
       1 因子分析結果
       2 クラスター分析結果
       3 クラスター分析結果の総括
   第3節 県ごとの地域差:労働部門と経済活動分類から
       おわりに

第4章 所得の構造と空間分布

       はじめに
   第1節 所得格差の変遷
       1 「世帯の支出と所得に関する調査」
       2 所得格差と所得水準の変遷
   第2節 所得構成要素と国内の所得構造・分布
       1 所得構成要素の分類
       2 所得分布の状況と世帯主の基本属性
       3 ヨルダン全体の所得構造と分布
   第3節 所得の空間分布と構造
       1 地域別の平均所得
       2 県別の所得の構成要素および構造と分布
       おわりに

第5章 労働参加

       はじめに
   第1節 検討する要因とデータ
       1 ヨルダン人の労働参加に影響を与える要因
       2 世帯調査の概観:人口センサスとの比較から
   第2節 労働市場への参入と撤退
       1 年齢別労働参加率
       2 教育水準からみる年齢別労働参加率
       3 婚姻状態からみる年齢別労働参加率
       4 教育水準と婚姻状態からみる年齢別労働参加率
   第3節 労働参加の決定要因
       1 分析手法
       2 結果
       3 教育水準・婚姻状態別の労働市場参加決定要因
       おわりに

第6章 ヨルダン人の就業と失業

       はじめに
   第1節 就業者の分類と失業状況
       1 就業者と失業者の定義
       2 失業状況
   第2節 賃金労働者の就業状況
       1 男女・公共部門別就業状況
       2 教育水準および婚姻状態からみる就業状況
   第3節 賃金所得の決定要因
       おわりに

終 章

あとがき
参考文献
索引

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内容説明

個人や家族の暮らしから中東の今を見つめる
移民大国ヨルダンが抱える問題は、市井の日常から見て取れるはずだ。戦争や紛争を逃れた人びとは、ここで国籍を得、働き、生きている。本書は、統計資料や世帯調査などマクロ・ミクロのデータから、多様な「生活」たちの実相に近づく試みである。


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      はじめに



 移民や難民を幾度も受け入れてきたヨルダンという国家が抱える問題は、日常生活のなかに見て取れる。首都アンマンの交通網に関する話から始めよう。アンマンには国内外からの人口が集中するため、交通網も発達せざるを得ない。この出来事から、政府や社会が急速な人口増加とそれによって起こる問題に対処しようとしていることがわかる。

 2023年2月末、コロナ禍を経て数年ぶりに筆者は、ヨルダンの首都アンマン北部にあるヨルダン大学近くの大通りを歩いた。数年前と異なるのは、道の中央を高速バスが絶えず走行していることであった。アンマンの南北を結ぶ重要なこの道路は、公式には「クイーン・ラーニア通り」と現王妃の名が付けられているが、通称「大学通り」と呼ばれる。筆者がヨルダンに滞在していた2014年から2016年、大学通りに高速バスの姿はなかった。バスが通るはずの道路中央の道は途中まで作られて工事が中断されたため、外国人留学生のなかには歩行用道路と認識していた人もいたほどである。当時、開通時期は未定であったが、コロナ禍を経て無事にバスが走り始めたようだ。高速バスの開通だけではなく、道路の開発も進み、環状交差点も建設された。例えば、ヨルダン大学から大学通りを少し南下した先にある通称「スポーツ・サークル」は、かつては名前のとおり環状交差点であった。しかし、コロナ禍を経て道路がいくつも交差する大きな立体交差点となり、昔の面影は見えない。急勾配の坂が多いアンマンでは鉄道網を作るのが難しく、住民の移動手段はバスや車に限られるので、人口が増え続ける都市部、特にアンマンでは交通渋滞が深刻化している。それを緩和しようと立体交差点が作られたのである。高速バスもまた、専用道路を作ることで道路の利用者を減らし、渋滞を緩和するために作られた。

 ヨルダンが常に抱えてきた問題は、頻繁かつ突発的に起こる外からの人口流入にどう対処するかであった。ヨルダンは1946年の建国以降、周辺諸国の戦争や紛争の勃発に伴う移民や難民の発生によって、幾度も国外から住民を受け入れてきており、都市も発展した。例えば、アンマン旧市街からヨルダン大学まで北へ向かう際、バカア行きの大型バスに乗る。このバカアという町には、国内最大のパレスチナ難民キャンプがある。建国直後に政府が発行した統計書には、バカアという町の名前や人口は載っていなかった。人口が少なすぎたか、もしくは町自体がなかったのだろう。ところが、難民キャンプがこの場所に作られたことで町は発展し、現在はバスターミナルが置かれるまでに至った。いわゆる難民と呼ばれる人びとは、このバスに乗って市内を自由に移動している。1940年代から1960年代にかけてパレスチナ難民を受け入れたヨルダンは、2000年以降にもイラク難民やシリア難民を受け入れた。また、エジプトやシリアといったアラブ諸国だけではなく、南アジアや東南アジアからも外国人労働者を受け入れ続けている。ヨルダンへの大規模な人口流入は、周辺諸国の政治・経済情勢を強く反映している。ヨルダン社会を見れば、中東諸国の政治・経済情勢が明らかになると言っても過言ではないだろう。

 石油というイメージが強い中東地域にありながら、ヨルダンは非産油国である。国際社会からそれほど重要視されてこなかったため、ヨルダンを取り上げる研究はほとんどなかった。また、数少ない研究もほとんどが、一見脆弱に見える国家がいったいどのように生き残ってきたのか、国王の外交手腕や生存戦略に着目してきた。ヨルダン社会の住民そのものが議論の対象とはならず、住民を対象にしたとしても国家の脅威として難民のみに着目する研究が多かった。しかし、上記の交通網の例のように、難民は難民キャンプだけに住んでいるのではない。町を超えて自由に行き来している。それは購買行動として、あるいは労働という形で、国内の経済活動に内包されているのである。このような状況は、ヨルダンに住むパレスチナ難民の多くがヨルダン国籍保持者であるという事情も関係している。住民を対象とした研究の重要性にもかかわらず、ヨルダンを対象とした研究、特に経済研究において、住民が持つバックグラウンドを踏まえた研究はほとんど行われてこなかった。この理由の1つに、統計資料、特にミクロデータを用いた研究蓄積の不足がある。トルコやエジプトといった例外を除き、中東諸国の多くは統計データをほとんど公開してこなかったため、詳細な研究が難しかったのである。ところがヨルダンについて言えば、第1章で詳しく説明するように、1990年頃の社会経済の転換を契機に社会経済への関心が高まったことで、本格的な経済調査が多数実施されるようになった。本書は、これまで本格的に参照しえなかった政府による国勢調査、ならびに独自の世帯調査に基づいている。これによって当該テーマに踏み込むことが可能になった。

 本書が目指すのは、ヨルダン社会を個人や世帯単位で社会経済的側面から明らかにすることである。全数調査を用いてヨルダンの社会変動を論じることで、ヨルダン国家および住民が周辺諸国の戦争や紛争、あるいは1970年代からのオイルブームに大きく翻弄されてきたことがわかるだろう。その上で、独自の世帯調査のミクロデータに加えて2年間のフィールド調査によって得られた知見も加味し、ヨルダン社会を所得や労働の観点から数値的、生活レベルで分析する。これによって、移民や難民の受け入れを幾度も行ってきた社会が、外からの人びとをどのように受け入れ、また移民や難民の受け入れが人びとの社会経済生活にどのように影響を与えたかが見えてくるだろう。

 以上の試みは、これまで人文科学に主導され、歴史や文化に研究が偏りがちであった中東研究に対して社会経済的観点から貢献するものでもある。近年、中東情勢に対する注目が集まり、社会科学、特に政治に関する研究が増加している。しかし、中東住民の社会経済に関する研究はいまだ限られている。実際、社会科学的な視角が希薄であったこともあり、開発経済学など理論的な研究分野では中東はほとんど言及されてこなかった。本書では、このような社会科学における中東研究の遅れに鑑み、今日の中東を社会科学的に分析しうる枠組みを模索することをも目指す。

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著者紹介
臼杵 悠(うすき はるか)
1987年、東京都生まれ。
一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(経済学)。
現在、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所ジュニア・フェロー。
主な著作に、『移民大国ヨルダン――人の移動から中東社会を考える』(ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻14、風響社、2018年)、「対ヨルダン援助――難民受け入れ国の経済的自立を目指して」(阪本公美子・岡野内正・山中達也編『日本の国際協力 中東・アフリカ編――貧困と紛争にどう向き合うか』ミネルヴァ書房、28–33頁、2021年)、「ヨルダンにおける失業問題とジェンダー」(長沢栄治監修、岩﨑えり奈・岡戸真幸編『労働の理念と現実(イスラーム・ジェンダー・スタディーズ)』明石書店、119–130頁、2024年)など。


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