目次
第1部 長崎華僑とその祭祀・芸能
第一章 長崎華僑の概要
一 華僑の略史
二 長崎華僑の来日と親族関係
三 華僑社会における組織の変遷
第二章 長崎日本人社会に根付いた華僑の祭祀と芸能
一 明清楽
二 長崎に定着した年中行事──長崎くんちを中心に
第三章 長崎華僑における伝統的な祭祀・芸能
一 祭祀の運営組織
二 伝統祭祀と芸能
第四章 中華街の町おこしと新伝統祭祀の創出
一 新地中華街と中華街商店街振興組合
二 伝統芸能の復興とその伝承の担い手
三 長崎ランタンフェスティバル
第2部 神戸華僑とその祭祀・芸能
第一章 神戸華僑の概要
一 華僑の略史
二 華僑社会における組織の変遷
第二章 祭祀・芸能とその伝承
一 主な祭祀とその変容
二 芸能とその伝承
第三章 中華街の町おこしと新伝統祭祀の創出
一 神戸の南京町と南京町商店街振興組合
二 春節祭の創出と発展
三 阪神・淡路大震災と南京町に関する記録
第3部 横浜華僑とその祭祀・芸能
第一章 横浜華僑の概要
一 華僑の略史
二 華僑社会における組織の変遷
第二章 祭祀・芸能とその伝承
一 主な祭祀とその変容
二 芸能とその伝承
第三章 中華街の町おこしと新伝統祭祀の創出
一 横浜中華街および中華街発展会協同組合
二 春節祭の創出と発展
第4部 日本華僑における祭祀・芸能の類型とエスニシティの再編
第一章 日本華僑における祭祀・芸能の類型
一 祭祀の類型
二 芸能の類型
三 祭祀と芸能からみた華僑文化の変容
第二章 日本華僑における伝統の再編・創出とエスニシティ
一 長崎における伝統の再編・創出
二 神戸における伝統の再編・創出
三 横浜における伝統の再編・創出
第三章 三地域華僑社会の特質
付録 華僑にかかわる中国の伝統的祭祀・芸能の由来
一 中国における春節と元宵節
一 中国における春節の慣習
二 伝統的芸能──花会
二 清明節、関帝祭及び媽祖信仰
一 清明節
二 関帝祭
三 天上聖母──媽祖
三 普度──泉州を中心に
一 普度の由来
二 泉州における普度
あとがき
参考文献
年表
図表・写真一覧
索引
内容説明
長崎・横浜・神戸の三大中華街における華僑社会を比較し、その来歴、親族・同郷組織を紹介。激変する日本社会にあって、たえず再編される祭祀や芸能を通し、在日華僑コミュニティの特色を明示し、多様なエスニシティの実態に迫る。
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はじめに 王 維
本書の主たる目的は、現地調査と文献研究に基づき、日本華僑の文化・社会のダイナミズムをエスニシティの視点から考察することにある。その際とくに祭祀と芸能に焦点を当てるが、それは、変動過程にあるエスニシティにおいて、それらが極めて重要な意味をもつからである。綾部恒雄も、アメリカ社会において「大社会のなかで社会化されつつも、民族集団の成員は彼らの祖先の文化との象徴的な関係を発展させているということである。こうした場合、民族的芸術や音楽などが民族的アイデンティティのシンボルになりやすいと言われる」[綾部 一九九三?一八]と述べ、エスニシティ再編・再生過程における芸能の重要性を指摘している。
「エスニック・グループ」及び「エスニシティ」の定義は研究者によって違いが大きいが、本書ではまず次のような定義と視点に準じたい。
「エスニック・グループとは『国民国家の枠組みの中で、他の同種の集団との相互行為的状況下にありながら、なお、固有の伝統文化と我々意識を共有している人々による集団』のことである。……民族という概念が静的であるとすれば、エスニック・グループという概念は動的であるといえる。エスニシティはこうしたエスニック・グループが表出する性格の総体を指している」[綾部 一九九三?一三]。
ただし、日本華僑を一つのエスニック・グループとする場合、前記の定義に完全にはおさまらない。まず一つには、華僑の場合、「他の同種の集団との相互行為的状況下」というより、上位社会(日本社会)との相互行為的状況がより重要である。さらに、「相互行為的状況」は、国民国家の枠組みの内部のみに限定されない。むしろ、出身国との相互行為や、出身国とホスト国(上位社会)との関係が与える影響が極めて大きい。そこで、定義の一部を「出身社会、上位社会及び他の同種の集団との相互行為的状況下」と置き換えたい。
エスニシティにおいて「帰属認識」を重視したF. Barthは、「エスニックな範疇の重要な特性は『客観的』差異の総体ではなく、その行為者自身が意味あると考えているもの」だとしている[Barth 1994(1969): 10-13]。
「『客観的』差異」については、日本華僑の場合も、住居、服装、生活様式など文化の日常的・外面的な側面において、上位社会(日本社会)の中で社会化し、「同化」する傾向が強い。言語についても、とくに長崎では中国語さえも話せない華僑が多くなっている。華僑たちは、日中戦争中や戦後の苦難と被差別のなかで、日本社会への適応を強いられ、また一方で、近代化を進める日本社会に積極的に順応してきたのである。しかし、一九七二年の日中国交回復を転換点として、近年、華僑社会の中に伝統文化復活の動きが、無意識的にも、また意識的な運動としても、顕著に見られるようになってきた。
日本華僑社会の場合、大規模な集団的移住がなかったため、中国の伝統的な宗族は、少なくとも形式的な組織としてはほとんど定着していない。しかし、例えば長崎華僑において、華僑同士は婚姻による関係の網目によって互いに強固に結ばれており、そのエスニック・グループとしての境界は維持されてきた。上位社会との交渉の中で、日常的・外面的な文化は「同化」の傾向を示してきたが、華僑社会が日本社会に単純に同化してきたのではなく、「華僑であること」(華僑としてのアイデンティティ)はエスニック・グループの境界内で潜在的に保持されてきたのである。
前記のような状況の中で、日本華僑が意識的に││F. Barthがいう「その行為者自身が意味あると考えているもの」として││「アイデンティティを示すために探し求め、誇示している弁別的特徴」は、とくに祭祀や芸能であり、華僑としての「基本的価値指向││それによって振る舞いが判定される、道徳や美徳の基準││」も、その中で無意識的に培われてきた。このように、華僑が文化の日常的側面において社会化・同化の傾向を示す一方で、文化の非日常的側面としての祭祀や芸能は、エスニシティの維持と復活・再編において、大きな役割をになうようになったのである。
本書の主目的はエスニシティ論そのものを論ずることではなく、すでに多くの研究者によって議論されてきたエスニシティ概念を用いながら、日本華僑の事例分析を通じて、その文化変容を整理し、再検討することである。ただ、従来のエスニシティ研究では、一つのエスニック・グループ内の差異にはそれほど注意が払われることなく、それが一枚岩であるような印象を受ける事例研究が少なくなかった。そこで本書では、長崎、神戸、横浜の三地域の華僑社会を比較し、諸地域の特質の解明を試み、また、各地域の華僑社会内部の変異についても配慮したい。日本華僑は大都市に集中しており、東京や大阪にも多くの華僑が居住しているが、この三地域をとくに取りあげるのは、そこに華僑社会のシンボルであり活動の中心でもある中華街が存在し、近年著しい伝統再編の動き(本書の中心的テーマ)がその中華街を中心に起こっているからである。
(中略)
本書の構成は、第1部で長崎華僑を扱い、第2部で神戸華僑、第3部で横浜華僑をそれぞれ扱い、第4部で比較考察を行う。
第1部では、まず第一章は華僑社会の概要、すなわち江戸時代初期まで遡る華僑の歴史の概要、華僑の来日経緯と家族・親族関係等の事例分析、華僑組織の変化等について論じる。華僑社会の伝統文化の再興の背景には、近年、本国との民間レベルでの交流が盛んになり、華僑がその出身地との行き来を復活したこともあげられる。本国における、文化大革命以後の伝統文化の見直しの動きの影響も見落とすことができないのである。そこで、ここでは、出身地の福建省で改訂再版された宗族の族譜を保持する陳氏の事例をとくにとりあげる。第二章から第四章までは、長崎華僑社会の祭祀・芸能を時代背景に沿って取りあげてゆく。第二章では、長崎の日本人社会に受容され根付いた華僑の芸能と祭祀の事例として、明清楽、及び「長崎くんち」を中心とする年中行事を取りあげる。これは現在の華僑社会内部の問題ではないが、相互交渉を重視する視点からは重要と考えるからである。第三章では伝統的な芸能や祭祀として、普度(盂蘭盆)を中心に論ずる。第四章では新たに再編・創出された祭祀である灯籠祭とそれが長崎全体の祭として拡大された過程について論じる。
第2部と第3部では、長崎との比較のため、神戸華僑と横浜華僑の祭祀と芸能を取りあげる。第2部では神戸を取りあげるが、まず第一章で、神戸華僑の概要、第二章で祭祀・芸能の継承についてまとめ、第三章では神戸の南京町(中華街)の歴史及び南京町商店街振興組合の設立と春節祭の創出について取りあげ、阪神・淡路大震災とその復興過程における振興組合と春節祭創出の意義についても論じる。第3部は横浜を取りあげるが、第一章と第二章で、横浜華僑の概要と祭祀・芸能の継承についてまとめ、第三章では横浜華僑の中華街の歴史及び中華街発展会協同組合の設立、春節祭の創出等について論じる。
第4部は伝統とエスニシティの再編に関する考察部分である。まず第一章で日本華僑における芸能と祭祀の類型についてまとめ、次いで第二章では、長崎華僑社会における新たな祭の創出とエスニシティ再編について考察し、さらに長崎と比較しながら、神戸華僑社会と横浜華僑社会における新たな祭の創出とエスニシティ再編について、それぞれ考察する。第三章では、三地域の華僑社会における芸能と祭祀の類型及び伝統の再編とその背景についての比較分析を行い、エスニシティ再編に関する総合的な考察を試み、三地域の共通点とそれぞれの特質を探る。
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著者紹介
王 維(Wang Wei)
1962年生まれ。名古屋大学大学院博士後期課程修了。
中部大学・中部高等学術研究所研究員。
論文に「長崎華僑における祭祀と芸能──その類型およびエスニシティの再編」(『民族学研究』63-2)、「長崎に伝承される中国音楽──『明清楽』の再考」(長崎史談会編『長崎談叢』89号)など。