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両班

変容する韓国社会の文化人類学的研究

両班

両班化の主体としての「門中」、実践の場としての儒式儀礼に焦点をあて、李朝末期から今日にいたる社会変化の中でその本質を探る。

著者 岡田 浩樹
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2001/02/28
ISBN 9784894890046
判型・ページ数 A5・318ページ
定価 本体6,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに

序章 現代韓国社会と両班 

第一章 両班と両班化 

   第一節 歴史の中の両班
   第二節 両班の概念をめぐる諸問題
   第三節 両班および両班化の歴史的背景
   第四節 韓国人の上昇志向と「両班化」
   第五節 韓国社会へのアプローチの再検討
   第六節 人類学における韓国親族研究

第二章 斐山高氏府使公派門中 

   第一節 斐山高氏府使公派門中の概略
   第二節 斐山高氏族譜
   第三節 斐山高氏門中と「派」
   第四節 斐山高氏門中の運営組織
   第五節 門中の系譜的論理と現実

第三章 地域社会と儒林・両班 

   第一節 阿房の地域社会
   第二節 阿房の儒林と両班
   第三節 地域社会における儒林
   第四節 阿房の地域社会と斐山高氏門中
   第五節 両班のイメージと地域社会
   第六節 両班の変質とイメージの強化
   第七節 両班文化の生産者と消費者

第四章 両班的行動の実践としての儒式儀礼 

   第一節 時亨祭
   第二節 時亨祭における細かな規範
   第三節 忌祭

第五章 近代の社会変化の中での両班的行動の実践 

   第一節 阿房郡の変化
   第二節 時亨祭と門中の変化
   第三節 忌祭の変化

終章 民族国家の「国民化」と両班化 

 あとがき 
 主要参考文献 
 索引 

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内容説明

「両班化」(=現代韓国に顕著な社会的・文化的上昇志向)の概念をフィールドから再検討。両班化の主体としての「門中」、実践の場としての儒式儀礼に焦点をあて、李朝末期から今日にいたる社会変化の中でその本質を探る。


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はじめに 岡田浩樹


本書は、両班を手がかりにして、韓国社会の社会・文化的変容について論じるものである。本来、両班とは李氏朝鮮時代に科挙の受験資格を有し、官僚を出すことの出来た上層階層を指す。この両班は過去の歴史的遺物ではなく、今日の韓国社会を理解する上でも重要な文化的焦点でありつづけている。本書はこの両班を重要なテーマとして正面から取り扱い、現地調査によるデータに基づき考察していく。


もちろん、かつての両班と今日いう両班とはまったく同様に考えることはできない。この一世紀の朝鮮半島は大きな社会変動を経験してきた。李氏朝鮮時代末期の混乱、日本の植民地支配、解放後の分断と朝鮮戦争、軍事独裁政権と民主化運動の間の緊張、そして経済の高度成長と産業化、都市化などの出来事と変動は、人々の日常生活にまでも大きな変化をもたらしている。


これまで、両班に関しては歴史学者が実証的な研究を積み重ねてきた。ただし、その対象は李氏朝鮮時代の代表的な上層両班に集中していた。社会学者は両班ではなく、上層階層やエリートといった抽象度の高い概念を好む傾向がある。文化人類学者は両班は韓国社会に関する民族誌的記述の上で不可欠であるとし、階層、親族システムなど社会構造との関連で取りあげてきた。


だが、両班には今日でも歴史的過去、あるいは社会階層の一部としてのみ位置づけられる以上の重要性がある。多くの韓国人さらには在日韓国朝鮮人が自らの両親の出自を「両班であった」と述べ、その出自を語る。これらの語りが客観的事実かどうかが問題なのではない。それよりも重要な問題は、韓国人そして在日韓国朝鮮人がなにゆえ「両班」に言及し語るのかという、文化やアイデンティティに関わる問題である。このように今日言及される「両班」と、歴史的用語、社会階層としての「両班」との間には明らかに齟齬がある。この齟齬を本書では「両班化」の問題としてとらえ、その背景にある韓国社会の変容について検討を加えていく。


ここで、この「両班化」という概念が筆者のオリジナルではないことをお断りしなければならない。この概念は末成道男[一九八七]、李光奎[1989]が用いている。それらの研究者は従来の韓国研究における家族・親族研究、社会構造研究の成果の上に「両班化」という概念を提示したのであり、本書もその成果から多くを学んだ。このため本書の記述は、一見したところオーソドックスな記述スタイルをとっている。


しかし「両班」というテーマは、歴史のある時代区分あるいは「伝統社会」さらには韓国研究といった「地域研究」という限られた枠組みにとどまるものではない。人類学のみならず、社会科学におけるより広い理論的可能性をもつ問題領域である。両班は植民地支配、国民国家の成立、産業化といった近代の緊張から見直すべき文化的現象であり、理論的問題から様々なアプローチが可能であろうし、また理論的課題に寄与しうるものと思われる。例えば、両班をめぐる問題は正当性と社会変動の関連についてのウェーバーの古典的議論、さらには構造│行為関係を視野に入れたブルデューの文化的再生産論、あるいは支配的文化の形成過程と近代国家の形成を関連させたエリアスの議論、構造の再生産と主体的な行為者との関係を論じたギデンズなどの議論等と関連していくであろう。


ただし本書は一般理論上の議論を第一の目的としているものではない。本書はまず日本人の韓国研究として韓国社会・文化の記述と理解をめざしている。そして両班を切り口に韓国を記述することは、近年ますます盛んになってきた韓国社会論、韓国文化論に一つの視点を提示することにあると考える。


「韓国は近くて遠い国」あるいは「似て非なる国」といった語りは、近年盛んに聞かれるようになった。それは海外旅行のパンフレットのキャッチコピーにまで登場するようになっている。そこにはある種のノスタルジア(どこかで見た懐かしい光景)やエネルギッシュで猥雑な「高貴な韓国人」を見いだそうという視線が少なからずある。これらは、いまだ日本人が韓国社会を異文化として対象化し、記述、理解することの意味を十分に吟味しているとは言い難いことを示すのではないだろうか。あるいは日本社会における民俗学や社会学のテーマをそのまま韓国社会に適用、比較する研究にもまた、そこで描かれる韓国社会を日本社会の陰画にしてしまう問題が存在する。


日本人にとって韓国とは単に地理的な距離や文化的親近性から重要なのではない。韓国という存在は日本人の自己認識、日本人のアジアに対する視線、日本および日本人の異文化との相互関係のプロセスの問題点を問い返す。歴史的にも現在的状況においても、日本および日本人との相互関係のプロセスが韓国文化や韓国人のアイデンティティの自己形成に大きな影響を与えてきた。


本書は、両班というテーマが伝統文化や社会の価値基準、さらにはライフスタイルなどと密接な関わりをもつだけでなく、今日の韓国文化や韓国人のアイデンティティの問題に関わる問題であることを明らかにし、日本人の韓国理解の一助になればと願っている。


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著者紹介
岡田浩樹(おかだ ひろき)
1962年、岐阜県生まれ。
総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学修了。博士(文学)。
現在、甲子園大学人間文化学部助教授。
著書に、『住まいに生きる』(共著、学芸出版、1997年)、『装いの人類学』(共著、人文書院、1999年)等。

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