目次
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序章 モノから見る「社会」
第一節 モノ研究と「布Cloth」という課題
1 インドネシア・テキスタイル研究
2 モノや技術がつなぐ関係
第二節 フィールドワーク
第三節 検討課題と本書の構成
第一章 スンバ島とその社会的環境変化
第一節 東インドネシアのなかのスンバ島
1 スンバ人の伝統的な民族文化
2 スンバ島を取り巻く周辺地域の歴史
第二節 九〇年代の東スンバ県の状況
1 東スンバ県の概況
2 小規模工業育成政策と布作り
第二章 在来製布技術の特徴
第一節 手織機と身体運動
1 手織機
2 スンバ島の手織機
第二節 在来技術による布作りの工程
1 製布工程と技法による製品の違い
2 イカットの製布工程
3 布作りの技術システムと変化
第三章 二つの世界をつなぐ布
第一節 スンバ島における布の利用と社会的身体
1 布と伝統的な社会的身体の構成
2 洋装の浸透と近代化の過程
第二節 売られていく布の行方
1 布の収集と展示
2 布を売る人々
第三節 売る布と贈る布
第四章 「布を織る村」の変貌
第一節 家屋と祭祀集団
1 「家」という社会単位
2 東スンバ社会と「家」
第二節 集落Pの変遷
1 オランダ植民地体制下での「中核村」の形成
2 インドネシアの中での近代化
3 慣習家屋の再建と家屋の増加の背景
第三節 「大きな家」と「小さな家」の相互関係
1 「小さな家」の自立
2 「大きな家」と埋葬儀礼
第五章 日常生活の諸局面
第一節 日々の活動と変化
1 日々の活動
2 助産マッサージから母子保健活動への変化
第二節 共同の機会
1 共同作業
2 集落Pを巻き込んだ行政行事
第三節 「世帯」と「家族」
1 「世帯」と住民組織
2 「世帯」と「家族」
第六章 暮らしを支える布作り
第一節 布作りと労働交換
1 首長の布作り
2 布作りと労働交換
第二節 織り出される「世帯」間の関係
1 マランバ「世帯」の布生産
2 布商人たちの「世帯」
3 布生産者の「世帯」
4 作業者たちの「世帯」
5 布生産事業者
第三節 家内工業と家内的領域
終章 原始機のパラドクス
第一節 原始機のパラドクスとその意義
第二節 ものづくりと地域社会
参考文献
索引
内容説明
インドネシア・スンバ島の伝統的絣織り布=モノをめぐり、「作り・売る人」「買い・使う人」」の織りなす多重で多層な関係を緻密に考察。モノをつくる現場から家族や社会を見直した野心的論考。
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はじめに 田口理恵
本書では、暮らしの中に生きる生産技術の問題、言い換えれば、モノづくりが地域社会の暮らしを支えているとはどういうことなのかを、インドネシア、スンバ島における布作りの事例から考えていきたい。
近年、アジアの布やアジア雑貨を特集するファッション雑誌が目に見えて増えてきた。スンバ島の布は、アジアの布のなかでもイカット(絣織り)の代表格とされるものである。本書では、産地から我々の暮らしの場へと、布が取り結ぶ国際的な関係が広がるなかで、スンバの布がどのような暮らしの中から生まれてくるのかを明らかにする。スンバ島の、布の作り手たちの日常的な活動や人間関係を踏まえ、「布作り」をめぐる総体を描いたが、それをモノづくりに支えられた人間の暮らしの一事例として提供したい。
ところで、作られたモノやその技術を扱った研究は膨大にあり、しかもその分野は多岐にわたる。ただし膨大多岐な先行研究は、もっぱら作られたモノそのものよりも、作り出す主体の側に関心が置かれてきたといえる。例えば、これまでの文化人類学的研究やインドネシア・テキスタイル研究では、モノから、それを創り出した過去の文明や、個別民族集団の文化・社会を論じてきた。その流れのなかでは、スンバ島の布は、布作りの技術、布を作る人々、彼らの暮らしの場が一つにおさまった、閉じた文化内的世界を読み解く手段として扱われてきた。もっとも本書では、モノから「モノを作る人」を見るような従来の方法論的視点を逆転させ、「モノがつくる人の関係」に注目し、そこから産地社会の今日的状況を問い直していきたい。
この「モノがつくる人の関係」という観点は、文化人類学のなかでモノを扱ってきた分野、つまり物質文化研究の伝統を再考した上で、モノを新たに扱いだした新しい研究動向とその方法論に依拠するものである。本書では、従来の物質文化研究と区別するために、筆者の依拠する後者の研究動向をモノ研究と呼び、そこで扱われる物質文化をモノと呼ぶ。そして本書では、モノ研究の立場から、スンバ島の布と、モノとしての布を介して展開される人間の様々な交渉や相互行為を丹念に記述していく。布が媒介する様々な人の関係の記述を通して、スンバ島東部の、布作りが盛んな一集落を舞台に、その場所に、様々な社会的関係が累積されてきた過程を明らかにし、そこで暮らすことの意味を検討する。また本書では、人々の相互交渉や相互行為の束を「社会」とみる視点[今村 二〇〇〇]に立っており、布がつくる人の関係の記述から、布作りに関わる人々が生きる社会的関係の総体、つまり、彼らの「社会」の像を立ち上げていくことを目指した。
本書で記述する、布がつくる人の関係の資料は、比較的長期にわたるスンバ島との関わりを通して得られたものである。筆者は、一九九三年~一九九六年の約三年間に、人から人へと移動する布を追いかけた広域調査と、産地スンバ島の一集落に住み込んでの村落調査と、二種類の調査を行った。この三年間は、二つの期間に分けられる。在留許可の種類により、外国人の活動への制約内容が異なるためでもあるが、第一期の約二年間(一九九三年九月二七日~一九九五年八月)は、ジャワ島のジョクジャカルタに生活の拠点を置いていた。大学、専門学校が多く物価も安いジョクジャカルタには、インドネシア各地から学生が集まってくる。当時のジョクジャカルタには、二〇〇人近くのスンバ島出身学生がおり、彼らはスンバ同郷会を組織していた。ジョクジャカルタ滞在中、スンバ島出身の学生たちと関わりを持ち、スンバ・カンベラ語の習得につとめた。またスンバ島からジャカルタやバリへと布を売りに出かける商人たちは、ジョクジャカルタにいる近親者の下宿先に立ち寄り、しばしば逗留していくため、筆者はこうした商人たちの活動を追跡し、島外における布製品の流通経路の調査を行なった。また留学先の大学の休み期間を利用してスンバ島を訪問している。一九九二年に集落Pで開催された埋葬儀礼に参加する機会を得たこともあって、それ以降、スンバ島を再訪するたびに、集落Pの人々との親交をあたためてきた。一九九四年六月末からのスンバ島訪問では、集落Pの人々のおかげで、筆者は三二年ぶりに実施された儀礼を参与観察する貴重な経験を得ている。こうした経緯もあって、一九九五年からのスンバ島滞在調査では集落Pを調査地に選んだ。
第二期は、インドネシア科学院(LIPI)からの調査許可を得て、一九九五年九月から約一年間、スンバ島に滞在した期間となる。この期間に集落Pでの住人への聞取り調査と、島内での布売りたちの活動に関する調査を進めた。また、一九九五年一二月~一九九六年一月には、産業省東スンバ県局に共同調査企画を申し込み、産業省県局職員とともに、産業省が事業支援する作業グループの実態調査を行なった。産業省県局の協力もあり、産業省による小規模工業育成政策に関する資料の入手や、これまでの政策実施に関わってきた現場職員の側が抱える問題などをも議論しつつ、県内に散在する作業グループの把握と生産センターでの実態調査が可能となった。
帰国から二年後の一九九八年九月~一〇月に、スンバ島を再訪し、補足調査を行っている。
ところで、筆者が三年間の本調査を終えた後、補足調査で訪れるまでの約二年の間に、インドネシアは大きな経済的政治的な転換期を迎えている。経済的な変化とは一九九七年七月のタイ・バーツ暴落の余波を受け、ルピア暴落から始まるインドネシア通貨危機とその長期化である。政治的変化とは、一九九八年五月二一日のスハルト大統領辞任によって三二年に及ぶスハルト体制の幕がおり、ハビビ大統領就任からメガワティ大統領の登場を生んだ民主化路線と、今日まで続く国情不安である。限られた期間での現地調査から民族誌を記述する以上、本書で議論する対象社会の状況は、非常に限定された期間の歴史的断面でしかありえない。それは、一九九三年~九六年の滞在期間を中心に、国内が経済的政治的にも安定していた、九〇年代のスハルト体制下における状況となる。それでも、本書において、九〇年代、特に第六期スハルト開発内閣期における調査地の状況を詳細に記述することは、未だ混乱の続くポスト・スハルト時代がもたらす暮らしの変化の意味を、今後の調査によって冷静に見極めていく上での、一つの参照点を提供する意義を持つと考える。
布の産地、スンバ島での暮らしも、それを取り巻く経済的政治的な環境も変化してきたし、今後も変化していくだろう。それでも、アジアの布の宣伝文句で見られるように、布に産地の伝統的な社会像を投影する見方は依然として強い。手にした布に惹かれ、憧れをもってスンバ島を訪れた人々が遭遇するのは、布をもって執拗に追いかけてくる売り手たちであり、口々に「あそこの村では化学染料を使っているからだめだ。ここにあるものが本物だ」という、売り手たちの販売競争である。このような状況は、一九七〇年代以降、スンバ島産の布が広く島外に流通していくにつれて生じたものだ。しかもこの過程は、バリ島が国際的観光地へと発展していく経過に連動したものでもある。さらに九〇年代に入ると、地元行政も布の商業生産を後押しするようになる。国家による小規模工業の支援奨励を受けた州や県が、布作りを主要な地場産業と位置づけ、住民による布の生産事業を積極的に支援するようになった[田口 一九九七]。こうした産地の状況に対して、これまでの研究で強調されてきた、布を生み出す民族集団の伝統文化やその独自の世界を求めても、違和感や失望感を抱かざるをえない。本書では、島の外へと流通していく布や布作りの商業化なども含めた産地の現状を、布がつなぐ人の関係から問い直していく。
本書で描く、スンバ島に暮らす作り手たちの暮らしのありようは、布を作り続けていくということが、技術を稼動させる独自の身体をつくり、人の関係を生み、人のつながりを支え、地域的な社会性を生みだしていることを我々に教えてくれる。つまり、モノ作りは、人をつくり、「社会」をつくることでもある、というのが本書の主張であり、それを本書タイトルにあげる“ものづくり”という言葉に込めている。
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著者紹介
田口理恵(たぐち りえ)
1965年 愛知県に生まれる。
1989年 南山大学文学部人類学科卒業。
1992年 南山大学大学院文学研究科修了。
1998年 お茶の水女子大学大学院人間文化研究科(博士課程)単位取得退学。国立民族学博物館(地域研究企画交流センター)COE研究員を経て、現在 東京大学東洋文化研究所非常勤講師。博士(学術)。専攻 文化人類学