目次
一 問題の所在
二 ベンガル農村の民俗誌的研究
三 一九八〇年代以降の南アジアの人類学的研究
四 人類学的王権論への視角
五 五一の女神の聖地について
六 調査村の選定
第一部 村落の概況
第一章 ベンガル農村社会の歴史的背景
一 ベンガルのカースト
二 カースト体制の変遷
三 カースト社会とイスラーム
四 英領期のカースト観
第二章 調査村の社会的背景
一 村落社会の概況
二 カースト構成
第三章 調査村の歴史的背景
一 ジョガッダ女神の起源伝承
二 ボルドマン王権と女神
三 女神寺院の構成
四 村の女神の禁忌
第二部 ヒンドゥー王権と女神
第一章 ジョガッダ女神寺院の祭祀組織
一 寺院に帰属する土地
二 祭祀の担い手のカースト
三 祭祀組織とチャクラン地
四 寺院への寄進地
五 王宮の祭司局の直接管理
第二章 ジョガッダ女神寺院の年中行事
一 寺院の日々の祭祀(ニット・セバ)
二 年間の寺院祭祀の構成(一九五三年以前)
三 寺院における祭祀
第三章 ジョガッダ女神寺院の儀礼
一 女神の壷の勧請(キルコルシ)
二 水を運ぶ儀礼(ジョルアナ)
三 暦の宣布の儀礼(ログノ・ウッソブ)
四 祭火壇での儀礼(ジョッゴクンドゥ)
五 パート・ノラン儀礼
六 犂耕の儀礼(ハル・ナゴル)
七 女神の大祭(モハ・プジャ)
第四章 ジョガッダ女神祭祀と村落社会
一 供犠の構成
二 儀礼過程の分析
三 独立後の変化
第三部 村落社会と女神
第一章 寺院祭祀と村落祭祀
一 調査村における年間の祭祀の構成(一九九四─九五年の資料から)
二 カルティック月のカリ女神祭祀
三 その他の年間の祭祀
第二章 ドゥルガ女神祭祀
一 女神寺院におけるドゥルガ女神祭祀
二 クシャトリヤのリネージにおけるドゥルガ女神祭祀
三 世帯内におけるドゥルガ女神祭祀
第三章 モノシャ女神祭祀
一 モノシャ女神祭祀の構成
二 モノシャ寺院における祭祀の構成
三 モノシャ女神の祭壇
四 世帯ごとの祭祀
五 考察
第四章 農耕儀礼
一 農耕儀礼と農業技術
二 ラクシュミー女神の祭祀
三 その他の農耕儀礼
第四部 家庭祭祀と女神
第一章 少女による雨乞いの儀礼
一 聖なる池のブロト儀礼(プンニプクル・ブロト)
二 儀礼の意味と当事者の説明
第二章 ブロト儀礼に関する民俗学的研究
一 ブロト儀礼研究の前史
二 ブロト儀礼の分類
三 ブロト儀礼とプジャ儀礼
第三章 ブロト儀礼に関する文化人類学的研究
一 ブロト儀礼のイデオロギー論
二 ブロト儀礼の主体性論
三 ピアソンの視点
四 考察
第四章 調査村におけるブロト儀礼
一 人類学的研究の必要性
二 調査村におけるブロト儀礼の特色
第五章 ブロト儀礼の体系
一 ブロト儀礼の通年構成
二 ブロト物語の普及本について
三 ブロト儀礼の構成
第六章 ビポッタリニ・ブロト儀礼
一 ビポッタリニ・ブロトの儀礼過程
二 儀礼に参与する集団
三 考察
四 まとめ
第七章 ショスティ女神のブロト儀礼
一 ショスティ女神の儀礼
二 ブロト儀礼におけるショスティ女神
三 調査村のショスティ儀礼
四 調査事例の検討
第八章 少女によるブロト儀礼(クマリ・ブロト)
一 聖なる池のブロト儀礼
二 セジュティ・ブロト(サート・プジュニ)
三 シブ・ブロト
四 ジョムプクル・ブロト
五 トゥショラ・ブロト
六 シヴァラトリ
第九章 ラクシュミー女神のブロト儀礼
一 ラクシュミー女神の儀礼
二 調査地の事例
第一〇章 その他のブロト儀礼
一 チョンディ女神のブロト儀礼
二 既婚女性のブロト儀礼(ショドバ・ブロト)
三 寡婦のブロト儀礼(ビドワ・ブロト)
第一一章 ブロト儀礼と女性
一 女性が構築する社会関係
二 女性の社会化とブロト儀礼
あとがき
参照文献
語彙集(文中ベンガル語)
付表─1 ベンガルの月と季節の対応
付表─2 ベンガル暦における月齢の名称
図表・写真一覧
索引
内容説明
カーストや階層、集落や世帯の多様さを、女神祭祀を中核とし相互に密接に連関した複合的ネットワークとして描き出し、同時に王権・カースト・親族・ジェンダーなど、南アジア人類学の課題の核心に迫る、画期的なモノグラフ。
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あとがき 外川昌彦
本書は、インド西ベンガル州の農村社会に伝承されている、ヒンドゥー社会の宗教的世界についてまとめた民俗誌である。扱われている資料は、地域のヒンドゥー王権によって基礎付けられた村落の祭祀組織や、その女神祭祀に規定される村落のカーストや親族組織、さらには村落世帯の家庭祭祀に見られるジェンダーの問題に及び、多岐にわたっている。本書では、調査地のフィールド資料に基づくことで、これらの問題を相互に結びついたひとつの複合的なネットワークとして描き出している。言い換えると、村落のカーストや階層、世帯ごとの多様性を、調査村の女神祭祀を中核に据えることで、中世後期の王権から現代の少女の儀礼までを視座に入れた、ベンガル農村の宗教的世界の広がりを跡付けるものとなっている。
本書に関わる調査資料は、主に一九九四年二月からの約一年半の調査村での住み込み調査に基づいている。そのため、ここで依拠している資料は、筆者の滞在期間中に見聞きしたものを中心としており、ローカルな社会の内部に沈潜することで、その極小の社会に生起する多様な現実に焦点を合わせて、記述を行っている。
ところで、かれこれ四〇年近くインド通いを続けているある知人が、よく私に話してくれる言葉がある。毎年のようにインドの隅々を歩いて取材を続けているうちに、この知人は、ますますそのインドの広大無辺さに圧倒されるようになり、いつのまにか自分が、巨大な象の背中を這っている小さな蟻のような気持ちになってゆくというのである。
インド三千年とも言われる大河のような歳月の歩みを持つヒンドゥー的世界を、本書のようなひとつの村落社会の現実によって代表させるのは、あまりに大胆な試みと言えるかもしれない。それがフィールド・ワークを基本とする文化人類学の慣わしであるとしても、ミクロな社会の現実がどれほど詳細に解き明かされたとしても、それを通してインド社会のとてつもない多様性や何世紀にもわたる歴史的な変遷を、どうして語ることが出来るのかという疑問は、直ちに想起される所だろう。このような問題に対しては、当然のことながら、人類学的研究に従事する当事者からも、近年、様々な問題提起がなされている。やや常套句となりつつあるが、例えば、地域文化をあたかも太古から存続する「伝統」として固定して描いてしまう「民族誌的現在」という記述のスタイルや、宗教や社会のあり方を何らかの理念的な姿に一元化して描こうとする「本質主義」への批判といった文化の記述に対する批判的提起には、これまでになかった人類学的研究への根源的な反省が込められている。インドの村落社会研究としてはやや古典的なスタイルを取った本書の「民族誌的記述」の立場については、すでに序論でも触れているので繰返しは避けるが、ここではそれをより一般的な問題にひきつけることで、二つの見地に整理して述べてみたい。
第一は、「民族誌的現在」を、どこまで深く理解出来るのかという問いかけである。本書で用いられた一次資料は、一定期間の筆者の住み込み調査に依拠している。その後の現代的な変化といった事象はもちろん指摘できるとしても、同一時期の同一フィールドの資料が有する共時的な相互関係に、あくまでも分析のひとつの座標が設定されている。すなわち、村落の少女の儀礼から地域のヒンドゥー王権の儀礼的実践までが、女神祭祀を導きの糸とすることで、相互に関連づけられたダイナミズムとして描き出されている。このような分析によって、ヒンドゥー王権の普遍的で歴史的な世界や、ローカルな村落の女性のジェンダー規範が、ベンガル農村の複合的で多元的な生活世界の一部を構成していることが明らかにされる。このことは、現実の多様性や多元性の広がりが、通常、想像されているよりも遥かに広がっていて、私たちが当たり前に受け止めている目の前の現実に、より深い相互関係の結びつきを与えている可能性を示唆するだろう。
本書は、可能な限り共時的な記述を体系化してゆくことで、いわば自明なものとして考えられている「現在」を、そもそもどこまでその深みと広がりにおいて理解できるのか、という問い掛けとなっている。そのことが結果として、後年の時代や地域を超えた比較に耐え得る一次資料としての、「民族誌的記述」の条件になるのではないだろうか。
第二は、「本質主義」的視角に対する歴史的検証である。本書では、英領期の行政史料や儀礼伝承を掘り起こすことで、調査地で観察される多様な現実を可能な限り通時的に遡ることを試みた。例えば、第二部で提示された女神寺院の供犠のリストは五二回を数えるが、それはかつてのボルドマン王権の寄進によるものであった。第三部で検討された村落の供犠のリストでは、その数は一〇まで削減されるが、その代わりに村落の支配カーストによる供犠の新たな寄進によって、全体では四八を数えるまでに回復された。ここから、二つの推測を引き出すことができるだろう。ひとつは、女神祭祀が決して太古から永続している「伝統」といったものではないこと。そして同時に、このような通時的な「変化」が、必ずしもある時点から、まったく新たな儀礼的な意味を生成するものでもないことである。
ヒンドゥー世界の記述にさいして、しばしば常套句のように、「古い伝統」の存在やその変化が指摘される。論者によって、それは調査地で観察された独立以後の数十年間の変化を意味し、あるいは英領期に見出され自覚された「伝統」を指している。しかし、この「古い伝統」という言説は、別な論者にとっては、千年以上の歴史的スパンを持つ中世のヒンドゥーやイスラーム文明よりもさらに古いという意味での、ヴェーダ的伝統や古代的な仏教文化を意味するのである。興味深いことに、しばしばこのような諸文明の伝統さえも凌駕する最も古い基層文化という意味で、別な論者は、それを優に四千年以上もの歳月を持つ、「インダス文明」や「非アーリヤ文化」として理解するのである。ところで、本書中でも論じているが、調査村の祭祀の一部は、このような四千年前に遡るかもしれない少数民族の儀礼が、独立後の数十年の間に、新たに村落の儀礼伝統の一部として取り込まれた可能性を示唆するのである。
「文化は常に変化する」という言葉は、現実の社会動態から「民族誌的記述」を遊離させないために重要な示唆を与えるものである。しかし、他方で、そもそも「文化」は、一瞬にして目の前から姿を消してしまうほどに、柔なものだったのかという疑問も浮かんでくるだろう。このことは、ともかく文化の変化という問題を、どのような枠組みにおける変化なのかという座標軸を明確にすることの、必要性を示しているだろう。
本書がことさらに、村落モノグラフの体系化の試みを標榜しても、その意味ではやはり、自らの置かれた村落での位置づけや視点に限定されたものに過ぎないことを痛感する。だから、無闇に大部となった本書に見るべきものがあるとすれば、それは決して網羅的なヒンドゥー世界の見取り図を明らかにするという、かつての植民地官僚のような野心的な試みからではなく、その社会の内部に沈潜した時に現れた、村人の振る舞いや語りに込められた生活世界のリアリティーにあるとすれば、これにまさるものはないと考えたい。
以下では、読者への便宜として、本書の構成を要約して述べてみたい。本書は全体で四部構成をとっている。序論では本書の基本的な枠組みと資料の位置付けを論じている。次いで、調査村で見出される多様な社会組織の構成を大きく四つの枠組みに整理している。すなわち、第一部はカーストを中心とした村落社会の基本構成が述べられる。第二部は、広域的な地域のヒンドゥー王権であったボルドマン王権と在地社会との多様な関係を扱っている。第三部は、村落社会の内部に構成されるカーストやリネージが構成する複合的な関係を扱っている。さらに第四部では、親族組織や世帯内に構成されるジェンダーを中心とした複合的な関係を扱っている。フィールドで見出された資料は、同一期間内のひとつの村落社会内で実践されたものとして、共時的な背景を持っている。また、同時に一八世紀以来の地域のヒンドゥー王権であるボルドマン王権と村落社会との歴史的な関わりを、植民地政府の土地台帳や儀礼伝承に依拠することで、可能な限り遡り通時的に再構成している。次に、各部の内容を簡単に紹介する。
第一部では、ベンガル地方のカースト的体制の成立を歴史的に概観し、それとともに村落のカースト集団の社会構成について分析を加えている。また、村落社会と、中世後期以来この地方で強大な覇権を揮ったボルドマン王権との関わりについて、村落社会や女神寺院の歴史的な形成を通して検討した。第二部では、この村落寺院の女神祭祀の儀礼過程の分析を通して、ボルドマン王権がいかに村落の社会組織の構成に深く関与していたのかを明らかにしている。その前提として、英領期に残された地籍台帳の史料を検討し、女神寺院の土地制度に関わる問題を論じている。また、女神の大祭などの寺院祭祀の分析を通して、これらの問題を今日も観察される儀礼資料に結びつけて検証している。第三部では、カーストやリネージ組織に基づく固有の祭祀組織の分析を通して、村落社会の社会組織の構成を考察している。特に、村落内の地主層であるクシャトリヤの集落と、かつての不可触民カーストであるバグディが主宰する村落儀礼が分析されている。ここでは、在村地主であるクシャトリヤの一族が主宰する祭祀組織が、ドゥルガ女神祭祀の儀礼過程を通して、村落寺院の祭祀組織と密接な関係を構成していることが明らかにされる。また、バグディが主宰するモノシャ女神祭祀の分析を通して、不可触民カーストを媒介とした村落内のカースト関係のダイナミズムが分析され、バグディ・カーストもまた、両義的な民俗神であるモノシャ女神の祭祀を通して、ヒンドゥー王権と密接な関わりを持つことが明らかにされる。第四部では、村落の各世帯の女性によって実践されるブロト儀礼を中心とした、家庭祭祀の問題を論じている。ベンガルの代表的な家庭祭祀として知られるブロト儀礼が、女性たちの社会的現実を構成する重要な儀礼的契機として実践されている過程が、体系的に明らかにされる。特に、ビポッタリニ・ブロト儀礼においては、村落の女神寺院における祭祀組織の構成が検討され、ショスティ女神の祭祀においては儀礼に関わる女性の間に形成される階層的な社会関係の問題が検討され、さらには、少女たちが行うブロト儀礼においては、ブロト儀礼を通したヒンドゥー女性の社会化の過程が考察される。
以上のように、村落の女神祭祀を中心として、調査地の人々が、王権の祭祀に関わりながら、同時にカーストや一族の祭祀、さらには家庭内の祭祀を実践してゆく過程に注目することで、その儀礼の実践体系の多元的な構成が明らかにされる。このような儀礼過程においては、その行為体系はそれぞれのレヴェルでの規範的な構成を持ちながら、同時に多元的な相互交渉を通した対立や葛藤の契機を含みつつ、全体としてダイナミックな村落社会の宗教的・社会的な実践体系を構成している。五一の女神の聖地として知られる村落のジョガッダ女神の寺院祭祀は、このような複合的な社会関係のネットワークの中核に置かれているのである。
(後略)
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外川昌彦(とがわ まさひこ)
1964年生まれ。
2000年、慶應義塾大学大学院社会学研究科より博士号(社会学)の取得。文化人類学専攻。
現在:広島大学大学院国際協力研究科・助教授。
主な著作:「路上から──カルカッタの相貌」『カルカッタ』(アジア民俗写真叢書、共著、平川出版社、1992年)、「人々の生活とイスラーム」『もっと知りたいバングラデシュ』(共著、弘文堂、1993年)、「インド農村社会における農村開発と留保制度──西ベンガル州バグディ・コミュニティの事例から」『叢書カースト制度と被差別民:第五巻』(共著、明石書店、1995年)、『バングラデシュのスーフィー教団の展開に関する予備的考察──シャハ・アリ廟におけるイスーラム宗教者』(文部省科学研究費・特定領域研究Discussion Paper No.11. 2000年)、Multiple Discourse in the Relationship between Women and Priests in the Ritual System of Durgapuja in Bengal. The Journal of Social Studies. No.96. 2002年など。