目次
序論
一 本書の問題意識と課題について
二 歴史学と人類学の接近
三 人類学的歴史
四 歴史的視点とアイデンティティ
五 満族に関する人類学研究と本書の位置づけ
第一章 近現代中国における民族政策および民族研究の展開
一 民族政策変化の流れ
二 中国における民族研究の展開
第二章 神話的系譜の構築と「旗人」の形成
一 起源神話
二 「満洲」(マンジュ)の出現
三 八旗制度と「旗人」、「民人」
四 おわりに
第三章 族譜とアイデンティティ──ハラ(哈拉)と族譜
一 ハラ(哈拉)とモクン(穆昆)
二 「歴史」としての族譜
三 おわりに
第四章 「旗人」から「満族」へ
一 一九一一─一九四九 政治的カテゴリーから民族集団への転換
二 「満族」の誕生─下位集団の少数民族として
三 おわりに
第五章 民族政策の象徴──新賓満族自治県の成立
一 新賓満族自治県の概要
二 自治県の成立過程
三 自治県成立後の政策的変化
四 エリートの役割
五 厚生籍としての「民族」
六 おわりに
第六章 観光の場における歴史・文化の再構築
一 伝統の「復元」
二 仮構としての観光の場
三 おわりに
第七章 生きられた歴史──肇家村の事例から
一 村落概況
二 公的歴史と歴史認識
三 口頭伝承としての歴史
四 祖先祭祀と墓─儀礼空間における歴史
五 忘却された人々──もう一つの歴史
六 おわりに
第八章 風水伝説に見られる歴史・文化の再構築
一 天命と風水
二 清の永陵の「神樹」伝説
三 永陵とヘトアラ城の風水
四 おわりに
第九章 民間信仰、族譜、歴史認識
一 族譜と伝説──二つの「歴史」
二 祖先と信仰
三 おわりに
第一〇章 空間、歴史とアイデンティティ
一 福州駐防八旗の創建
二 オーラル・ヒストリー──二人の満族女性のインタビューから
三 記憶としての空間
四 されどわれらは満族──琴江三江口水師旗営の後裔たち
五 おわりに
結論 歴史とアイデンティティ
一 複数の変種としての過去
二 集団の名称とアイデンティティ
三 創出される民族、想像される民族
あとがき
参照文献
索引
内容説明
かつて清朝を創り、「満洲国」の中軸にも擬せられた満族は、現在中国の少数民族として認知されている。しかし、その内実は漢族等も含む歴史的・政治的産物である。謎と矛盾に満ちたその生成過程を史料と実地調査から克明に迫る労作。
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序 劉正愛
本書は、主として一九九二年六月から二〇〇四年四月の間、断続的に行われた中国遼寧省新賓満族自治県における現地調査および二〇〇三年二月の福建省調査に基づくものである。本書は古典的民族誌のような、ひとつの村落やコミュニティを対象とした研究ではない。一つの集団の中でもアイデンティティの表出は極めて多様であるが、満族の場合は、都市と農村、エリートと一般大衆、満族の故郷といわれる東北地方と東北以外の駐防八旗など、それぞれのアイデンティティの表出は決して一様ではなく、様々な要因が複雑に絡み合っている。それを十分に分析し、多様性を明確に描き出すにはアイデンティティの一枚岩的な記述を避けなければならない。そのためには一つの村を研究対象にするのではなく、同じ集団の複数の事例を取り上げ、多声的かつ多角的な分析が必要とされる。
したがって、本書ではまず、地域的には歴史的・地理的差異の大きい遼寧省と福建省に注目し、遼寧省の中では一九八五年に設立された新賓満族自治県を、福建省ではかつて八旗の駐防地であった福州と水師旗営の琴江村を事例として取り上げる。
また、新賓満族自治県の中でも複数の村を対象とし、様々な角度から今日満族と呼ばれる人々のアイデンティティを分析する。これは単純な地域の比較研究ではない。「満族」はその特有の歴史経験から、それぞれおかれた歴史的・社会的状況が異なり、一つの地域に限定することは、他地域の特徴を見逃すことに繋がる。
また、歴史、系譜、文化・歴史の再構築、観光開発、民間信仰、風水など多様な側面に視点を据えながら、「満族」が国家によって創出され、その創出された「満族」に人々が自らをアイデンティファイするという二つの方向性を描き、その過程における満族の歴史認識やアイデンティティの諸相を分析したい。それぞれの章の内容は一見それぞれ相互の関連が乏しいように見えるが、歴史を縦軸とし、アイデンティティを横軸にすることで、全体は一貫した論理に基づいているといえる。
すなわち本書では歴史学や人類学の先行研究を踏まえた上で、満族のアイデンティティを語る上で欠かせない歴史的経験の共有、政権との関係などの要因を視野にいれ、一一章に分けて考察する。
第一章では、中国における民族政策の展開や民族研究の流れを概観し、中国における「民族」概念の特殊性を論じる。
第二章では歴史人類学の視点から、満族の神話的系譜の構築を考察し、「満洲」・「旗人」・「民人」などの名称を通して、軍事・政治的カテゴリーであった「旗人」が「満族」という国家の下位集団(少数民族)として実体化されていくプロセス、そしてそのプロセスにおける八旗制度の役割や「旗人」というカテゴリーの多元性およびそれによって表象されるアイデンティティを分析する。
第三章では歴史記述のもう一つの形態でもある族譜を取り上げ、満族にとって族譜が持つ特殊な意味とアイデンティティとの関係について論じる。
第四章では一九世紀末二〇世紀初頭の中国ナショナリズム運動との連動の中で、かつて軍事的・政治的カテゴリーであった「旗人」が民族集団として転じる過程を描く。特に清王朝の崩壊・辛亥革命以降における「旗人」の境遇の逆転および彼らのアイデンティティの諸相を概観し、一九四九年中華人民共和国成立以降、「旗人」が一転して公定の民族──「満族」として国家に名付けられる過程を描き、現代満族の状況を概観する。
第五章では民族政策の象徴ともいえる満族自治県の成立を取り上げ、中国における民族の厚生的一面およびアイデンティティの実利性を描く。
第六章では満族のアイデンティティとは直接関係のない政府主導の観光開発を取り上げ、観光の場における歴史・文化の再構成活動および歴史・文化が商品として開発・展示される過程を考察し、観光を広い意味でのモニュメント、あるいは出来事とし、そこから歴史意識が定着していく過程を分析する。
第七章では遼寧省新賓満族自治県肇家村を事例として挙げ、愛新覚羅の傍系子孫である肇姓一族および山東移民を主体とする外来姓の人々の口述史を通して、草の根レベルでの村落史や家族史を復元し、民族政策実施後、民族籍を漢族から満族に変更した人々の歴史的・文化的・社会的背景を考察し、彼らのアイデンティティを分析する。
第八章では、風水伝説を通して、歴史と伝統文化の構築を考察する。
第九章では、遼寧省新賓地区の民間信仰を通して満族の祖先観念や歴史認識を考察する。
第一〇章では、福建省の満族(福州における八旗満洲の後裔と琴江における八旗漢軍の後裔)を取り上げ、東北地方の満族とは違った歴史・社会・文化的背景を考察し、国家による名付けを積極的に受け入れることによって自らの存在に根拠を与えるという、もう一つの満族像を描く。そして最後は結論に導かれる。
本書では、用語の問題にぶつかった。今日の満族はかつて満洲、旗人、満人、満洲人など複数の呼称をもっていた。英語では通常Manchusと一括されており、日本語では「満洲族」あるいは「満族」が使用されている。したがって、用語の混乱を避けるため、それぞれの文脈に応じてそれぞれ異なった呼称を用い、満族と呼ばれる人々を動態的な姿勢で記述するという前提を踏まえた上で、「満族」という用語に関しては特別なコンテクストを除き、その非本質性を表すための括弧「」はつけないことにする。
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著者紹介
劉 正 愛(Liu, Zheng-ai りゅう せいあい)
1965年中国遼寧省生まれ、東京都立大学博士課程修了(社会人類学博士)。武蔵大学、明治大学非常勤講師を経て、現在、北京大学社会学人類学研究所ポストドクター。
専攻、社会人類学。
主要論文に「マンジュ(満洲)、旗人そして満族:民族集団の特異な形成パターンの例として」(『白山人類学』第六号、1999年)、「仮構としての観光空間:中国満族のヘトアラ城の復元をめぐって」『社会人類学年報』Vol.31、2005など。