目次
総論──アジア移民のエスニシティと宗教 (吉原和男)
在日ベトナム系住民の宗教実践とエスニック・アイデンティティ (川上郁雄)
一 はじめに
二 問題の所在──在外ベトナム系住民にとっての宗教実践とは何か
三 在日ベトナム系住民の宗教実践
四 考察──エスニック・アイデンティテイの形成
五 結語
在日ビルマ人と日本人の相互行為における自己表象──「期待」と「ずれ」 (田沼幸子)
一 はじめに
二 「在日ビルマ人」
三 「ビルキチ」と在日ビルマ人
四 日本人支援者と在日ビルマ人
五 結語
中華街における祭祀・芸能の創出と華僑エスニシティの再編──長崎・神戸・横浜を比較して (王 維)
はじめに
一 祭祀と芸能の類型
二 新伝統祭祀の創出過程
三 新伝統祭祀の創出とエスニシティ再編
四 三地域の比較│マクロとミクロの分析
おわりに──エスニシティ再編の違いにみられるコミュニティの特質
中国朝鮮族社会におけるキリスト教の受容と展開──韓国人による影響を中心として (韓 景 旭)
一 中国における朝鮮族
二 キリスト教の受容と展開
三 「改革開放」とキリスト教の復興
四 キリスト教の社会的な影響と今後の趨勢――結びに代えて
移民の宗教の〈社会的形態〉とエスニシティ──台湾系仏教運動を手がかりとして (藤井健志)
はじめに
一 移民を媒介とした宗教の広がり
二 宗教とエスニシティをめぐる研究視点
三 「仏光山」と台湾仏教
四 移民社会における台湾仏教と「仏光山」
おわりに
拡散する台湾社会と宗教──新興宗教を例として (五十嵐真子)
はじめに
一 新興宗教としての霊仙眞佛宗
二 拡大する霊仙眞佛宗と台湾社会
おわりに
台湾ナショナリズムについての一考察──廟宇を通じた両岸交流を契機として (三尾裕子)
一 はじめに
二 台湾におけるナショナリズムの変遷
三 宗教交流に見る台湾ナショナリズムの形成
四 エスニシティからナショナリズムへ
五 おわりに
イスラーム復興とアイデンティティの政治学──スールー諸島サマ人の事例から (床呂郁哉)
一 はじめに
二 スールー諸島の人々と信仰
三 スールーからの移住・出稼ぎ
四 スールーにおけるイスラーム復興とその帰結
五 パイ・バハウ儀礼と「イスラーム」の再解釈
六 メッカ巡礼とアイデンティティの政治学
七 結語
交錯する呼称とモノのやりとり──フィリピン華僑・華人研究再考に向けて(宮原 曉)
一 導言
二 交錯する呼称
三 Cをめぐるモノのやりとり
四 ディスカッション
ベトナム華人カトリック教会研究序説──移民・難民研究の応用例 (芹澤知広)
一 文化人類学と移民・難民研究
二 今日の香港におけるベトナム難民問題とカトリック教会
三 ベトナム・ホーチミン市の華人カトリック教会
四 香港在住神父へのインタビューから
五 「歴史」を通じたベトナムと香港との結びつき
パターン・アイデンティティの変容──タイ国北部パターン系移民の宗教とエスニシティ(村上忠良)
はじめに──本稿の問題関心
一 タイ国における宗教と民族
二 パターン人コミュニティの構成
三 コミュニティの中心と外延
四 パターン・アイデンティティの変容
雲南系漢人における移住・家族・祭祀──タイ北部の事例から (谷口裕久)
一 はじめに
二 「雲南系漢人」研究の意味と研究モデル
三 移住経験と家族の構造
四 祖先祭祀と位牌祭祀
五 おわりに
あとがき(クネヒト・ペトロ)
索引
英文目次
内容説明
現代アジア最大の緊張要因=宗教と民族の問題は、移民社会において鮮鋭に立ち現れる。在日ベトナム・ビルマやタイのムスリム・漢人をはじめ多様な現場から、その構造と諸相を分析した期待の論集。〔南山大学人類学研究所叢書の6〕
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はじめに 吉原和男
本書は南山大学人類学研究所のプロジェクト「アジア移民のエスニシティと宗教」の成果報告書である。研究プロジェクトがスタートしたのは一九九七年の初夏であった。南山大学での学部改組が具体化しつつあった時期であったため、人類学研究所も大学全体の動きに連動してなにかと慌ただしく、今になって思うと、三年計画のプロジェクトがスタートできたことは不思議なくらいである。またこの年、英国植民地であった香港の主権が六月の末に中国へ返還されようとしていて、「移民」や「トランスナショナリズム」、あるいはまた「グローバリゼーションと人口の国際移動」といった言葉やトピックスがマスコミでもしきりに取り上げられ、話題になっていた。
プロジェクトの計画を立案し申請する時点での研究課題は、人類の歴史と共に始まったとも言える「人の移動」と「文化の創造・再編」という問題を現代における人口の国際移動と関係づけて考察する事であった。このテーマは、近年に日本が経験するようになった外国人労働者の流入や日系人労働者の回帰現象が引き起こしている諸問題に触発されたものである。
人口の国際移動が一つの原因となっている異文化接触と文化摩擦への理解と対応が必要とされる時、日本人にとって盲点となりやすいのは何であろうかという問題意識があった。我々が想定したものの一つは、宗教的イディオロギーと宗教に由来する生活慣習への基本認識であった。南アジア、東南アジア、南アメリカなどから日本に来て短期あるいは長期に滞在する出稼ぎ労働者の文化的背景にはそれぞれの宗教、たとえば上座部仏教、イスラム教、カトリックなどがあるが、これらの宗教は多くの日本人にとっては決して生活に密着した身近なものではない。また、中国・台湾や朝鮮半島の出身で、日本に定住する少なからぬ人口規模を有する人々の世界観や価値観と密接に関係するのが宗教である。これらは近隣の国々の宗教である故に、一見すると理解しやすいように思えても決してそうではない。
移民や出稼ぎ労働者が日本を含む彼らの母国以外の土地での生活において、宗教への信仰をどのように維持しているか、また宗教が彼らの人生と生活にとってどのような意味を持つかは、専門的な観点から十分に研究されているとは言えない現状である。
グローバリゼーションの進展に伴って人の移動が常態化し、地理的境界についての認識が曖昧になっていく状況が日本に暮らす我々にとっても強く意識される現在、将来に日本が直面するであろう様々な問題はいくつもある。その一つとして、異なる宗教文化を身につけた外来の人々と共存・共生することの可能性とその方途を探ることがある。そのためには、日本国内での定住の歴史が比較的長い東アジアからの移住者に目を向けると同時に、海外にも目を向けて、既にそうした異文化接触と文化摩擦の事例を豊富に有する諸地域・国家に注目することが大切であろう。
本書の書名の中で使われる用語について少し補足説明しておきたい。「アジア移民」の語を私が最初に目にしたのは、おそらく角山榮「世界資本主義とアジアの移民──一九世紀後半から二十世紀初頭」『社会経済史学』(第四七巻四号、一九八一年)であり、その本文中では「アジア移民」とも表記されている。そして角山は第二次大戦後に日本政府の文書では「移民」が「移住者」と表記換えされたのは、この語にまつわる侮蔑的ニュアンスを避けるためであったと記しているが(同誌、一│七頁)、この指摘は私自身にとっては意外な発見であった。過去の日本からの「移民」には貧困からの脱出あるいは朝鮮半島や〈満州〉への征服的植民のイメージがあまりにも強い、というのが二〇世紀中頃までの大方の日本人の思いであったかもしれない。しかし、集団的な日本人移民の出国が政府の支援を受けては行われなくなり、海外移住事業団が他の関連団体と統合されて発展的に解消されて、現在の国際協力事業団になった時代に成人した世代にとっては、「移民」の語は前述の特殊なニュアンスよりも、むしろ現在の日本人には直接的な関係があまりない「過去の海外への人口移動」ないし「外国人の国際移動」というイメージが強いものであるかも知れない。しかし最近では「移民」という用語の意味は、英語のmigrantないしmigrationの語義に近い、より広義なものに確実に変化しつつあり、それに付随するイメージも中立的なものになってきた。
「アジア移民」の語を書名に明示しているもう一冊の著作に刺激を受けたことを記しておきたい。重松伸司編著『現代アジア移民──その共生原理をもとめて』(名古屋大学出版会、一九八六年)は、おそらく過去の日本における「移民」のイメージからは解放されて企画された研究書であったと思われる。編者は「本書は近代的意識規範としてのアイデンティティ・エスニシティを共通課題として設定し、具体的、実証的な個別研究の比較考察によって、アジア系移民集団の同質性・異質性を明らかにしようという試みである」と研究の意図を述べ、「アジア移民」の用語を「アジア諸地域出身」で、「近代過程で生じた様々な要因による移動の結果もたらされた集団・個人の存在形態を総称する」(同書、 │ 頁)と規定している。
本書『アジア移民のエスニシティと宗教』においては、重松編著『現代アジア移民』とほぼ同じ視点から研究対象を扱っているが、論点の置き方が異なっている。本書の主たる論点はアジア内の、あるいはアジアから「移動した、あるいは移動する人々」の「エスニシティ」と「宗教」の関係性を問うということである。しかし両書に通底する問題意識は、多民族・多文化化に向けて急速に変化しつつある社会・国家における異民族・異文化間の相互理解と共存・共生の実現を志向するという実践性であろう。
こうした課題設定の意図を理解して下さった適任の研究者を協力者として迎えて、南山大学でのプロジェクトがスタートできたのは幸いであった。プロジェクトの立ち上げからこの研究報告書が刊行されるまでにほぼ四年が経ったことになる。共同研究の期間は実質的に二年間であったが、この間にプロジェクトメンバーによる研究発表のほかに、特別講師による講演を実施することができた。プロジェクトメンバー各人の論考に貴重な示唆と強い刺激を与えて下さったことに深く感謝して、特別講師として講演して下さった方々のご氏名(敬称略)と論題を記しておきたい。
関根政美(慶應義塾大学)
「エスニシティについての覚え書き──政治社会学からのアプローチ」
前山 隆(阪南大学)
「エスニシティを祀る──ブラジル日系人の場合」
別府春海(京都文教大学・スタンフォード大学)
「グローバル化する日本の人的拡散、その段階的分析──移民・移住・転住」
吉野耕作(東京大学)
「マレーシアにおけるマルチ・エスニシティ」
林 淳 (愛知学院大学)
「マレーシアにおける創価学会の展開史」
当初の予定では二〇〇〇年春に刊行の予定であったが、一九九九年中に編集会議を開催することができず、計画は延期となった。本書に収録できたのは、諸般の事情により残念ながら、口頭で研究発表されたものの全てではないが、当初の研究テーマにとっても極めて重要な論文が多く含まれている。日本での人口が多い朝鮮半島に出自を持つ人々についての論考を収録できず、中国系の人々だけにしか論及できなかったこと、また南アジアからのムスリムの労働者にも言及できなかったことは、プロジェクトとして力が及ばなかった点である。論文集の刊行準備として重要な編集会議をついに一度も持てなかったことによって生じる不都合と、刊行の遅れによって一部の執筆者に迷惑をかけることになったことをお詫び申し上げたい。
出版助成をしてくださった南山大学と、それを実現してくださった人類学研究所所長のクネヒト・ペトロ教授には記して感謝を申し上げたい。風響社の石井雅氏は、編集事務の作業だけではなく忍耐強く入稿プロセスを見守りながら、適切なアドバイスをたびたび下さった。記して感謝したい。
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編著者紹介
吉原和男(よしはら かずお)
1949生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了。
慶應義塾大学教授。
論文に「タイ華人社会の民衆教団」『講座文化人類学 第11巻:宗教の現代』(岩波書店)、「宗親総会と大宗祠がつなぐ:タイ華人社会」『民族で読む中国』(朝日新聞社)、「再構築されるエスニシティ:北カリフォルニアのインドシナ系潮州人」『アメリカの多民族体制:「民族」の創出』(東京大学出版会)など。
KNECHT, Peter (クネヒト・ペトロ)
1937生まれ。東京大学大学院社会学研究科文化人類学専攻博士過程修了。
南山大学人類学研究所長。
論文に「口寄せに呼ばれる霊」『民族文化の世界 上』(小学館)、The crux of the cross: Mahikariユs core symbol. Japanese Journal of Religious Studies; The ritual of kuchiyose. (LIT Verlag) など。
川上郁雄(かわかみ いくお)
1953年生まれ。大阪大学大学院博士課程単位修得退学。博士(文学・大阪大学)。
宮城教育大学教授。
著書に『越境する家族──在日ベトナム系住民の生活世界』(明石書店)、共著に Images of Asians in Multicultural Australia (University of Sydney, Multicultural Centre) など。
田沼幸子(たぬま さちこ)
1972年生まれ。大阪大学大学院博士課程在学中。
論文に、改題「在日ビルマ人:その政治・国家認識と人的移動」(未刊行修士論文)、「他人が『他者』になるとき:移民研究と『他者』再考」『人間科学年報』20(1)など。
王 維(Wang Wei)
1962年生まれ。名古屋大学大学院博士後期課程修了。
中部大学・中部高等学術研究所研究員。
著書に『日本華僑における伝統の再編とエスニシティ』(風響社)、論文に「長崎華僑における祭祀と芸能──その類型およびエスニシティの再編」『民族学研究』63(2)、「長崎に伝承される中国音楽──『明清楽』の再考」長崎史談会編『長崎談叢』89など。
韓景旭(かん けいきょく)
1966年生まれ。中京大学大学院博士課程修了(社会学博士)。
西南学院大学助教授。
論文に「中国『内地朝鮮族』のエスニシティ」『民族学研究』60(3)、「中国朝鮮族にみる村の生活」『国立民族学博物館研究報告』21(3)、「中国民族政策論」西南学院大学『国際文化論集』15-2など。
藤井健志(ふじい たけし)
1954年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。
東京学芸大学教授。
論文に「戦前における仏教の東アジア布教」『近代仏教』6、「戦後台湾における天理教の布教過程」『東京学芸大学紀要(第二部門)』49-51など。
五十嵐真子(いがらし まさこ)
1965年生まれ。南山大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。
神戸学院大学助教授。
論文に「台湾光復後の宗教動向(「リトルワールド研究報告」第16号)、共著に『文化人類学への誘い』((株)みらい)など。
三尾裕子(みお ゆうこ)
1960年生まれ。東京大学大学院博士課程中退。
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授。
編著に『東アジアにおける文化の多中心性』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)、『台湾民間信仰研究文献目録』(風響社)など。
床呂郁哉(ところ いくや)
1965年生まれ。東京大学大学院博士課程中退。
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授。
著書に『越境──スールー海域世界から』(岩波書店)、論文に「越境の民族誌」『講座文化人類学 第7巻:移動の民族誌』(岩波書店)など。
宮原 曉(みやばら ぎょう)
1964年生まれ。東京都立大学大学院博士課程中退。
大阪外国語大学助教授。
論文に「通婚とエスニック・バウンダリー――フィリピン・セブ市の華人社会の事例から」『アジア経済』39(10)、「相続をめぐる世代間の政治学――フィリピン華人社会の事例から」『EX ORIENTE』1など。
芹澤知広(せりざわ さとひろ)
1966年生まれ。大阪大学大学院博士課程修了。博士(人間科学)。
奈良大学専任講師。
論文に「公共住宅・慈善団体・地域アイデンティティー──戦後香港における社会変化の一面」『香港社会の人類学──総括と展望』(風響社)、「文化とアイデンティティー──『香港人』・『香港文化』研究の現在」『講座文化人類学 第13巻:文化という課題』(岩波書店)など。
村上忠良(むらかみ ただよし)
1966年生まれ。筑波大学歴史・人類学研究科修了。博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員。
論文に「タイ国境地域におけるシャンの民族内関係──見習僧の出家式を事例に」『東南アジア研究』35-4など。
谷口裕久(たにぐち やすひさ)
1962年生まれ。神戸大学大学院博士課程単位取得退学。
京都文教大学助手。
論文に Transitional Migration and Identity: The Case of the Yunnanese-Han-Chinese in Northern Thailand. In Nation-State, Religion and Ethnicity. Singapore: Society of Asian Studies など。