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中国江南農村の神・鬼・祖先

浙江省尼寺の人類学的研究

中国江南農村の神・鬼・祖先

華中の尼寺という新たなフィールドに密着。尼僧や信徒の日常生活から、人びとの他界観を摘出。従来のモデルとは異なる観念を提示。

著者 銭 丹霞
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2007/02/20
ISBN 9784894891128
判型・ページ数 A5・294ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次



序論
 一 本書の目的について
 二 分析概念と民俗概念
 三 先行研究と問題意識
 四 調査の方法
 五 本書の構成

第一章 象山県における寺庵と廟
 一 象山県概況
 二 象山県における仏教と祖先祭祀の復興
 三 《死者》の戸籍を管理する廟とその祭祀

第二章 尼寺の日常生活
 一 S村概況と尼寺
 二 尼僧と《信者》
 三 尼寺の一日と生活

第三章 尼寺の仏・〈菩薩〉と諸儀礼
 一 尼寺に祀られる諸仏・〈菩薩〉
 二 仏教経典と〈経〉
 三 尼寺で行う儀礼と儀礼用の経典
 四 年間に行う大小の行事(二〇〇三年の事例)
 五 相談役としての尼寺の仏・《菩薩》

第四章 尼寺に祀られる祖先と〈人客〉
 一 尼寺の位牌について
 二 放蒙山儀礼から見る祖先と〈人客〉
 三 祀るものと祀られるもの
 四 人々が語る祖先と〈人客〉

第五章 家庭に祀られる祖先と〈人客〉──丹城街道の事例
 一 地方志から見る祖先と〈人客〉の祭祀
 二 七月半における祖先と〈人客〉の祭祀

第六章 寺院の〈菩薩〉と廟のそれとの比較──丹城街道の事例
 一 寺院の〈菩薩〉
 二 廟の《菩薩》
 三 〈菩薩〉から見た寺院と廟の機能

結語
 一 神・〈菩薩〉について
 二 祖先について
 三 〈人客〉について

あとがき

参照資料
 1 象山県寺庵管理規則
 2 延生普佛功徳文疏
 3 金光明齋天功徳集福文疏
 4 「蒙山」儀礼科儀

参照文献(日、中、洋書の順)
索引

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内容説明

民族誌的に空白だった華中の、しかも尼寺という従来注目されなかった対象に密着。尼僧や信徒、一般信者などの生活・活動から、人びとの「神・鬼・祖先」に関する観念を考察。ウルフらのモデルとは異なる観念を見出し提示した意欲的論考。


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序論より


一 本書の目的について


本書は、主として二〇〇〇年七月から二〇〇六年四月の間、断続的に行われた中国浙江省象山県における寺院、廟の現地調査、及び二〇〇三年に行われた同県S村の尼寺における長期調査に基づくものである。その研究目的は人々の神・祖先・「鬼」に対する観念を、彼らが営む日常的生活と祭祀実践を通して明らかにすることにある。


漢民族の宗教に関する社会人類学的研究は主に台湾、香港、海外の華僑漢民族社会を中心に、一九七〇年代から行われてきた。欧米人類学者、日本人類学者、そして台湾など自文化を対象とする「本土」人類学者により行われた研究は殊に漢民族における神、祖先、「鬼」などの話題をめぐり、活発に展開され、大きな成果を挙げてきた。A・P・ウルフ[1974]は神、祖先、鬼という三つの分析枠組を提起し、多くの議論を呼び起こした。M・フリードマンの東南中国の宗族に関する研究は漢民族の親族組織研究の出発点となり、親族組織研究が人類学における漢民族研究の一大課題になった。一方、彼は親族組織と祖先祭祀、風水と祖先祭祀といった視点から漢民族の祖先祭祀を考察し、多大な示唆を与えた。そして、日本人学者により台湾や香港で行われた研究も注目を集めた。末成道男[一九七七、一九七八、一九八五、一九八八]、瀬川昌久[一九八九、一九九一]、植野弘子[一九八九、一九九二]、植松明石[一九九一]、三尾裕子[一九八八、一九九〇、一九九九]、渡邊欣雄[一九九一]など、いずれも台湾や香港における実地調査をもとにした漢民族の神々や祖先、「鬼」に関する研究である。


しかし、これらを含む従来の漢民族の宗教に関する研究において、いくつかの偏りが見られる。第一に、調査地、研究対象が台湾、香港、華南の福建省、海外の華僑社会を中心に展開してきたため、地域差が大きい中国大陸における漢民族の宗教、民間信仰の実態は手つかずの状態にある。当然、これは研究者自らの問題だけではない。中国大陸を調査地とする場合、外国人研究者の長期滞在や「宗教活動場所」における外国人研究活動への制限などが大きな問題となるからである。第二に、漢民族、殊に大陸における漢民族の宗教や民間信仰に関する従来の研究は、文献記録が中心となって、草の根レベルの人々の考え方、行為に関心が払われなかったことが少なくない。第三に、寺院と廟が共存する漢民族社会に関して、民間信仰の場である廟とそこで現世利益を追求する信者をめぐって行われた調査が盛んである一方、仏教寺院における人類学的調査は少ない。僧尼が習得する深奥な教義は仏教学が行うが、人類学が行うところの、人々の日常生活に浸透し、人々の来世観、神、祖先や「鬼」に関する観念に影響を与えたものとしての仏教思想については未解明の状態にある。


本書は、筆者が中国華中農村の一尼寺に住み込み、伝統的な人類学研究方法である参与観察を通して信者たちの日常生活と祭祀活動を綿密に記録したもので、家庭、村、廟においての祭祀活動も視野に入れている。個人志向的な求道より、世俗的ニーズに積極的に応じる、開かれた僧尼の姿勢には寺院の復興を進める熱意が感じられる。一方、仏教儀礼がもっぱら祖先、「鬼」の祭祀・追善儀礼となったことは、日常生活に定着している仏教思想の一様相で、人々の神、祖先、「鬼」に関する観念を考える際に重要な示唆としても考えられる。そうした今日の中国仏教のあり方を詳しく紹介していきたいと思う。


二 分析概念と民俗概念


資料提示と分析にあたって、このテーマに関するいくつかの既成概念だけでは、民俗概念を十分表現しえないので、先行研究を検討した上で、いくつかの民俗用語を採り入れた。以下、本書での用法を明らかにしておきたい。


1 〈菩薩〉・仏教系《菩薩》・仏教《信者》
漢民族社会のカミサマを扱う諸書に分析概念として「神明」[渡邊 一九九一:三]、「神々」[渡邊 一九九一、植松 一九九一]、「神仏」[劉枝萬 一九九四:一二四]、「神祗」[瀬川 一九九一:一一四]などが見られ、いずれもカミの総称である。


調査地において、カミサマと相似する概念は〈菩薩〉であり、中国共通語の「神」(GODS)ではない。同じ漢字のこの「神」に関して、調査地では、ソンと発音し、共通語の「神SHEN」(GODS)とかなり異なる意味を持つ。ソンは普通、野神(ヤソン)とも呼ばれ、祀られない浮遊する低位のカミだけを指す。これらのカミは人間や動物からなるし、木などからもなる。ソンが病気の原因とされると、人々は厄払いをする。
英語のGODS、中国共通語の神(SHEN)に近い民俗用語である〈菩薩〉はカミガミの総称で、人々は寺院にも廟でも参詣に行く時には、〈拝菩薩〉といい、それらを信ずることを〈信菩薩〉(菩薩を信じる)という。

(中略)

五 本書の構成


第一章は、調査背景として、象山県の位置、交通、方言、年中行事、祖先祭祀、火葬の普及などを紹介する。寺院に関しては、国の法令に触れ、現在の寺院のあり方が深く政治的影響を受けていることを明らかにする。また、その歴史と現状を紹介し、祖先祭祀の復興と寺院の再建との関係を検討する。一方、「宗教活動場所」としての寺院と比較するために、宗教活動場所でない廟、〈当境廟〉を例として紹介し、〈当境廟〉において行う人々の信仰活動に仏教的要素があることを明らかにする。こうして、祭日に各寺院において大規模な祖先祭祀を行なうこと、廟においても僧侶を招いて仏教の済度儀礼を行なうことに触れ、同じく祖先祭祀を頻繁に行う調査対象の尼寺の事例が特殊な一例ではないことを裏付ける。


第二章は、調査対象の尼寺と所在するS村を紹介する。行政と宗教両方においてS村と尼寺は組織的関係がないものの、尼寺に通う《信者》は各村の村人であり、S村は《信者》が置かれた社会環境の一例として紹介される。それによって、現在江南中国の農村の政治、経済などの事情が窺える。尼寺に関しては、尼僧、《信者》、尼寺の一日を中心に紹介する。
第三章は、尼寺に祀られる仏・〈菩薩〉と行う諸儀礼を紹介する。信仰対象としての〈菩薩〉は、尼寺に祀られるもの、日常的に供香されるもの、《信者》の家庭の祭壇に祀られるもの、儀礼中に礼拝されるもの、その四部分に分けて紹介する。その後は《信者》が日常的によく読む仏教経典や〈経〉、尼寺で行う儀礼と経典との関係を紹介し、二〇〇三年のほぼ一年間に尼寺で行った儀礼を表で提示する。表には儀礼の名称と内容、目的を示す。最後は、ことある度に尼寺を訪問し、釈迦牟尼様のご教示を受ける人々の姿を豊富な事例をあげ、紹介する。


第四章は、尼寺で行う祖先と〈人客〉の祭祀の実態を放蒙山儀礼や人々の語りを通して検討し、人々が持つ祖先と〈人客〉の観念を明らにする。まずは尼寺に置かれた位牌を紹介し、位牌祭祀が祖先祭祀の重要な形のひとつであることを指摘する。次は、放蒙山儀礼において、供卓の位置、供物の相違、儀礼で呼びかけられる祖先と〈人客〉とはなにか、について紹介し、祀るものと祀られるものとの関係、祖先と〈人客〉との関係、人間と〈人客〉との関係を明らかにする。最後は、人々の語りに基づいて、観念上祖先と〈人客〉の居場所、人々が祖先や〈人客〉を祭祀する目的を分析し、人々がもつ他界観を究明する。


第五章は、尼寺で行う祖先と〈人客〉の祭祀実態と比較するため、文献資料を踏まえた上で、家庭において人々がどのように祖先と〈人客〉を祭祀するかを、丹城街道の村が行う農暦七月半儀礼、そして家で行う〈謝菩薩〉儀礼を記録分析し、一般の人々がもつ祖先と〈人客〉の観念を検討する。


第六章は、丹城街道に所属する各村の廟と寺院の調査データに基づいて、寺院に祀られる〈菩薩〉と廟のそれとの実態を明らかにし、人と〈菩薩〉との関係を検討し、人々がもつ《菩薩》と《菩薩》以外の〈菩薩〉観念に微妙な相違が見られることを明らかにする。


結語は、これまで検討した課題を総括的に論じる。


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著者紹介
銭丹霞(Qian Danxia せん たんか)
1868年中国浙江省生まれ。
中国人民大学新聞学院新聞学部卒、東洋大学博士課程修了(社会学博士)。
専攻、文化人類学。
主要論文に「客としての鬼:中国浙江省象山県の事例より」(『白山人類学』第7号、2004)、「清明節における祭祀儀礼:中国浙江省象山県S村Q庵の事例より」(東洋大学大学院紀要40号、2004)、「村境と廟界:中国浙江省象山県の事例より」(『白山人類学』第9号、2006)など。

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