目次
一 本書の主題
二 バタックについての概説
三 バタック研究史
四 研究のための方法と手順
●第一部 バタック宗教の静態的研究
第一章 バタック宗教小史
一 孤立の時代
二 イスラム教化とキリスト教化の時代
三 キリスト教と土着宗教のかかわり
第二章 さまざまなバタックの土着宗教像
一 ヴァルネックのバタックの土着宗教像
二 ヴィンクラーのバタックの土着宗教像
三 トビンとシナガのバタックの土着宗教像
第三章 バタックの神話、神々、生霊と死霊・祖霊、および儀礼
一 神話
二 神々
三 生霊と死霊・祖霊
四 儀礼
五 儀礼と神々等との関係
第四章 集団的儀礼
一 準備儀礼
二 陳列儀礼
三 清めの儀礼
四 転換儀礼
五 祖霊儀礼
六 供犠儀礼
七 祝宴
第五章 個人的儀礼
一 バタック文書とは
二 ダトゥの術の概要
三 ダトゥの術の詳細(1)──天理図書館所蔵のプスタハを用いて
四 ダトゥの術の詳細(2)──バタック人の宿命観
第六章 バタックの土着宗教の構図
●第二部 バタック宗教の動態的研究
第一章 バタック社会の変動
第二章 土着宗教の解体
第三章 土着宗教の再生の試み(1)──千年王国運動
一 千年王国運動とは
二 パルマリム運動
三 パルフダムダム運動
四 二つの運動の意味
第四章 土着宗教の再生の試み(2)──祖霊崇拝の復活
一 トゥグのある風景
二 トゥグとは何か
三 バタック人の伝統的な祖霊崇拝
四 改葬儀礼
五 改葬儀礼の実例
六 トゥグに見るバタック人の現代の祖霊崇拝
七 まとめ
第五章 土着宗教の再生の試み(3)──土着宗教の再解釈
一 トビンのバタック宗教論
二 シナガのバタック宗教論
三 まとめ
終章──まとめ
あとがき──追想と謝辞
参照文献一覧
索引
内容説明
スマトラ北部に住むバタックの人々は、インドネシアで有数のキリスト教圏を形成している。本書は解体されたかに見えた土着宗教に着目し、その再生と変貌を考察。近代化の中で二つの宗教がいかに受容されてきたかを示す動態的研究である。
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序章より
主題の設定とその背景
一 本書の主題
さまざまな信仰現象を通してバタック人の宗教生活のありようを調べ、もってバタック宗教の特質を明らかにし、さらにはバタック的なるものの所在、いいかえればバタック人やバタック文化のアイデンティティを明らかにすることが本書の主題である。
本書でバタック宗教ないしバタックの宗教というとき、それはバタック人がその生活のなかで営む宗教生活の総体を指す。一九世紀にキリスト教が伝わる以前にバタックの土地に成立していたものをバタックの土着宗教と呼ぶとすると、本書でいうバタックの宗教は、この非キリスト教的土着宗教と外来のキリスト教の両方を含み、それらが綯い混じって作りだされるバタック人の宗教生活の総体を指すものである。
この主題を展開するために、まずバタックの宗教のうちのキリスト教伝来以前の土着宗教の全体像を静態的に把握する。ついで、静態的に把握したバタックの土着宗教とキリスト教がどのようにかかわりあい影響しあってきたかを動態的に把握する。最後に、これらの静態的研究と動態的研究から立ち現れてくる特質を分析して、バタック的なるものの所在について考察することにしたい。
(中略)
四 研究のための方法と手順
第一節で本書の主題を規定しておいたが、それをいいかえれば、本書が目指すものは、バタックの文化が外来の、とりわけ西洋の文化と接触することによって、一方ではどのように変化し、他方ではどのように変化しなかったかを、バタックの宗教を素材にして調べ、その変化と非変化の両面を通してバタック人やバタック文化がバタックである所以、すなわちバタック人とバタック文化のアイデンティティを明らかにしようとすることである。
ここでバタックのアイデンティティを明らかにするための素材として分析の対象にする宗教とは、第一節で述べたように、バタック人がその生活のなかで営む宗教生活の総体のことである。これを本書ではバタックの宗教、ないしバタック宗教と呼ぶことにするが、このバタックの宗教とは、キリスト教伝来以前からのバタックの土着宗教とキリスト教が綯い混じるところに形成される宗教現象を指していうものである。つまり、バタックの土着宗教のみを研究対象とするものではない。また、キリスト教化以前の土着宗教のみに関して述べる場合であっても、その土着宗教を、ヨーロッパの人類学的な宗教研究史上で展開された未開宗教論の諸概念を用いて説明することはしない。後述するように、バタックの宗教研究の重要な先行研究であるヴァルネックやヴィンクラーの研究は、バタックの土着宗教をアニミズムといういわゆる未開宗教の一類型として説明するものであるが、このような説明は本書がとるところではない。
また、神的なるものへの関わり方の違いによって呪術と宗教を区別するフレーザー以来の呪術宗教論に従って、バタックの土着宗教を呪術、キリスト教を宗教として捉えることも本書がとる立場ではない。したがって宗教の本質を論じることは本書の目的ではない。
さらには、制度的宗教と非制度的民間信仰を区別する宗教の類型論に立脚するものでもないし、さらに付言すれば、インドネシア共和国での政策上の区分、すなわち、イスラム教、カトリック教、プロテスタント教、仏教、ヒンドゥ教、儒教という六つの公認宗教(アガマagama)とそれ以外の諸信仰(クプルチャヤアンkepercayaan)を区別するという政治的操作概念に従うこともしない。
以上のような方法論上の立場を踏まえて、本書では宗教という用語を最も広義で用いることにしたい。すなわち、どのような形であれ非日常的・非経験的な世界や存在に関わって人々が営む現象のすべてをここでは宗教と呼ぶことにする。したがって、ここでいう宗教には、高度に宗教的な現象から、いわゆる呪術現象までがすべて含まれることになる。このような広がりをもった現象を指す用語として本書では一貫して宗教という用語を用いることにしたい。
こうすることによって、従来の先行研究にみられたキリスト教と非キリスト教的土着宗教が乖離する傾向を克服することができるであろう。すなわち、キリスト教を高度な制度的宗教とし、非キリスト教的土着宗教を未開の非制度的宗教として両者を峻別し、あるいはまた、キリスト教を外来の夾雑的なものとし、非キリスト教的土着宗教をバタックの本来的宗教として両者を分け、そのいずれか一方に傾斜する形でバタックの宗教を理解しようとする傾向、すなわち、非キリスト教的土着宗教をもってバタックの宗教の本質としたり、逆にキリスト教をもってバタック人が持つべき宗教のあるべき姿、なるべき姿とする態度を克服し、両方をあわせ持つものをバタックの宗教と呼ぶことが可能となる。これは先行研究にはなかった点である。
バタックの宗教をこうした広がりで捉えることによってはじめて、キリスト教と非キリスト教的土着宗教の乖離を乗り越え、西洋化や近代化や国民国家化に伴う自己認識の分裂の危機を乗り越えようとするバタック人の努力を視野に収めることができる。すなわち、かれらの宗教生活のありようの中に、現在のバタック文化が立っている地点と、バタック人が自己の集団としてのアイデンティティを確認しようとする仕方が浮かび上がってくるのである。
このような方法で先述の主題を追求するための手順として、まず、キリスト教伝来以前のバタックの土着宗教の全体的構図を把握する静態的研究を行う。ついで、この土着宗教とキリスト教が接触することによって起こる変容の動態的研究を行う。
バタックの土着宗教の全体的構図を把握するためには、キリスト教との接触以前の土着的なバタック人の宗教生活を、キリスト教伝道の初期時代の宣教師達による報告と研究から再構成する。その際、彼らはアニミズムやアニマティズム等の当時の進化論的宗教論の枠内でバタックの宗教を未開宗教として扱うが、先述のように本書は、このような未開宗教論、アニミズム論、アニマティズム論等の議論に関わるものではない。未開宗教という進化論的理論枠をはずしてみると、アニミズム論、アニマティズム論は今なお興味深い議論ではあるが、その議論は本書の意図するものではない。この静態的研究の重要な一環として、従来のバタック宗教研究ではあまり活用されてこなかった、バタックの宗教的職能者ダトゥが書き残した文献であるプスタハの研究を取り入れる。
土着宗教とキリスト教の接触と変容の動態的研究のためには、自身のフィールドワークの成果を使って、また歴史学分野での研究成果を取り入れ、さらにはバタック人研究者による神学的=宗教学的研究を材料にして、キリスト教との接触以後のバタックの土着宗教の変容の実態とそれが意味するところを考えることにする。
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著者紹介
山本春樹(やまもと はるき)
1946年 京都に生まれる。
1977年 東北大学大学院文学研究科修士課程(実践哲学・宗教学)修了。
現在 天理大学国際文化学部教授。博士(文学)。
専攻 宗教学、インドネシア研究。
編著書に『文化と現代世界:文化人類学の視点から』(1991年、嵯峨野書院)、『台湾原住民族の現在』(2004年、草風館)、訳書に、『魔術師:事例と理論』(マックス・マーヴィック著、1984年、未来社)、『これからのインドネシア:発展を模索するパンチャシラ社会』(イマム・ウォルヨ、コンス・クレーデン編著、1985年、サイマル出版会)、『プサントレンの人々:インドネシア・イスラム界の群像』(サイフディン・ズフリ著、1993年、勁草書房)など。