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ベトナムの少数民族定住政策史

ベトナムの少数民族定住政策史

ベトナム中部高原に適用された、水源開発や開墾・入植などの政策の問題点を分析し、循環型で持続可能な開発を提言。

著者 新江 利彦
ジャンル 社会・経済・環境・政治
出版年月日 2007/02/28
ISBN 9784894891159
判型・ページ数 A5・440ページ
定価 本体8,400円+税
在庫 在庫あり
 

目次

推薦のことば(山路永司)
はしがき

序章
 1 はじめに
 2 研究の背景
 3 既往の研究
 4 本書における研究の目的
 5 研究の方法

第1章 中部高原における少数民族政策の形成
 1 中部高原少数民族の歴史
 2 FULROの誕生:中部高原における少数民族問題の起源
 3 中部高原における少数民族定住政策の形成
 4 構造調整導入後の少数民族の困窮
 5 1990年代の少数民族政策研究状況
 6 2000年以降の少数民族暴動の発生
 7 中部高原における少数民族問題の解決方向

第2章 チャム王家による中部高原支配
 1 中部南方における高原と沿海の関係史
 2 カロン渓谷の土地とその所有者
 3 チャム王家の中部高原支配
 4 チャム王家による中部高原支配の本質

第3章 灌漑事業の恩恵が受けられない人々
 1 ダテ灌漑事業とマー族
 2 主穀生産―焼畑農業をめぐる村人と林業公社の関係
 3 日雇い労働―竹取りをめぐる村人と水利施設保安担当者の関係
 4 ダテダム建設以後の人々の生存戦略
 5 隣接するコーヒー栽培地域との比較
 6 新たな移住開拓計画
 7 コンオ山塊における定住化の教訓

第4章 灌漑事業の享受を拒絶する人々
 1 ファンリ・ファンティエト灌漑事業とカロン渓谷
 2 カロン渓谷の人と歴史
 3 被影響住民の不安
 4 過去の移住の経験
 5 王家の水田の現状
 6 移住が人々に及ぼした影響と,これからの移住への展望

終章
 1 結論
 2 提言

引用文献

付録
 付録1 コンオ世帯調査票
 付録2 カロン世帯調査票
 付録3 コンオ村 旧ボライクダムボール柵頭目夫人カ・ヒウ女史の口承家譜の例
 付録4 カロン渓谷ソップライ地区ポーケイダプ(ポーダム)祭祀考察
 付録5 カロン渓谷の山岳民とチャム族の漢語姓名
 付録6 チャム王年代記による王統一覧

あとがき 411

定住・再定住に関する越語(ベトナム語)語彙
索引
写真・図表一覧

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内容説明

焼畑を生業とする少数民族が散居するベトナム中部高原は、戦後、水源開発や開墾・入植など様々な政策が適用されている。本書はODAのための調査で浮かび上がった問題点を分析し、循環型で持続可能な開発を提言する労作である。


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はしがき


本書が扱うのは,ベトナム(越南)少数民族の焼畑,水田,集落の由来と現状に関する野外調査と文献精読から得たデータにより再構築した,ベトナム少数民族定住施策の歴史と,ダム水没に伴う再定住施策の過程である。


国際協力や地域研究に従事する研究者にとって,複雑微妙で時に陰惨なフィールドが,どんな国・地域にもある。中国・北朝鮮・ロシア三国国境,インドネシアのマルク諸島,東チモール,ミャンマー・インド・バングラデシュ三国国境,ネパール・中国国境など,当該国政府や敵対的外国勢力が関与・干渉あるいは放置する人権侵害が起きている地域がそうである。たとえ最悪の事態を脱し,正常化への歩みを始めた地域であっても,不要で有害な国内外への情報漏洩を防ぐため,入域制限が続くところは多い。ボルネオ(カリマンタン)やアチェがそうであり,本書で扱うベトナム中部高原山岳民の諸集落と,中部沿海南端チャム族の諸集落もまた,「タイグエン・伝統ゴング音楽」や,「チャンパー・ミーソン聖域」など,ベトナム観光の大きな目玉であり国際連合UNECSO世界文化遺産の保持者・継承者であるにも関わらず,観光目的以外の入域が著しく制限されている。


ベトナムにおいて,山岳民やチャム族などの先住少数民族を研究対象とすることは,ベトナムの中央及び地方の行政・治安機関及び共産党組織に対し,自分は要注意人物であると宣言するに等しい。今日のベトナム共産党政権は山岳民やチャム族を弾圧しているわけでは決してない。むしろ,山岳民の貧困比率の目覚しい改善や,チャム族の国平均を大きく上回る大学進学率,人口当たりの医師数は,当該地域において,経済や教育・医療に関して,政府がグッドカヴァナンス(良い統治)を部分的に達成していることを示している。しかし,独立以来,中央政府が国民全体の公平に配慮して行っている資源分配は,過剰人口に喘ぐ多数民族─京族(越族)に資源を集中させる結果となり,国が少数民族から収用した農地や山林をキン族を中心とする移民たちに譲渡するのを見た山岳民やチャム族が憤激し,多数民族移民と軋轢を起こし,武装勢力FULROを組織して中央政府に反旗を翻す事件が1975年以前の南ベトナム時代にあり,その紛争が1975年の統一後も,1986年の市場経済化以後も,ベトナム共産党に敵対する外国勢力の支援により続いている。こうした状況の中,外国人にはなるべく山岳民やチャム族と接触してほしくないというのが,現在のベトナムにおける政府関係者の偽らざる本心であろう。


2000年以後,ベトナムは日本にとって中国・インドネシアに次ぐ最大の政府開発援助(ODA)供与対象国となり,その資金協力の中には少数民族地域開発―農村開発,森林保全,貧困緩和事業などにあてられるものが少なくない。この複雑微妙な中部高原で長期滞在型調査ができたのは,ベトナムの中央及び地方において外国人による学術調査への許認可権を持つ人々が,日本への期待から,ODAに関わる調査の枠組みの中で提出された筆者の調査許可申請に対し,上記の懸念を越えて,敢えてゴーサインを出したからである。筆者は,本書が,彼らのその判断が正しかったことを証明するものであると信ずる。ここには,実効支配者に対する阿諛追従ではなく,口承史料と文字史料に基づく過去200年間の歴史考察と,定性・定量データに基づく現行政策への評価,そしてベトナムの政府と人々にとってより有益な農村計画への提言がある。


ベトナムのみならず,開発途上国の少数民族地域開発に関心を持つ全ての人々にとって,本書が有用な情報を提供することをこい願うものである。


なお,本書のベトナム語固有名詞記述に当たって,以下の原則で表記した。


本文では原則として音写カタカナを,注では漢字・ローマ字表記を主に用いた。音写カタカナは「ヴイエトナム(越南)」「ヴィエト族(越族)」のみ「ベトナム」「ベト族」とする例外を含め基本的に日本国外務省方式に依拠し,長音や撥音の表記は可能な限り避けたが,「レ(黎)」「ヴ(武)」「ヴォ(武)」などの人名表記においては「レー」「ヴー」「ヴォー」のように長音とした。


漢字表記は日本工業規格(JIS)に示された日本漢字に依拠し,ベトナム漢字(含む字喃)を採用しないが,日本漢字にベトナム漢字に対応する字体が無い場合,「*」を付し,「*」以下にその原字の偏・旁を示した。


本文と注との関連性を確保できるよう注の漢字表記には適宜〈 〉でカタカナ音写を補った。これはベトナム語表記の歴史と現行のローマ字表記(国語文字表記)を考慮し,また,本書が歴史文献や現行公文書を多く引用していることから,読者がベトナム語固有名詞のローマ字・漢字・音写カタカナ表記に関して適切な情報を得られることを意図したものである。そのため,歴史文献を多用する第二章では本文に漢字語彙を用いるなど,内容によって原則を使い分けている。

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著者紹介
新江利彦(しんえ としひこ)
1967年、広島県に生まれる。
1990年、東洋大学文学部卒業後、静岡県龍山村森林組合林業技術員、ベトナム・ホーチミン市総合大学(現・人文社会科学大学)日本語講師、フエ師範大学日本語講師、フエ遺跡保存センター日本語ベトナム語通訳を経て、1999年東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻国際環境協力コース(現・環境学研究系国際協力学専攻)入学、2004年修了。博士(国際協力学)。
現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科COEポストドクター研究員。
専攻は阮朝時代から現代に至るベトナムの少数民族政策史、チャンパー史。

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