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韓国サーカスの生活誌

移動の人類学への招待

韓国サーカスの生活誌

外部社会との関係や内部統制、団員の個性・人生観などを、天幕生活の内側から見つめ、韓国の人と社会の特質に鋭くせまる。

著者 林 史樹
ジャンル 人類学
シリーズ アジア・グローバル文化双書
出版年月日 2007/10/30
ISBN 9784894891173
判型・ページ数 4-6・256ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき サーカスに魅せられる人々

序章 韓国におけるサーカスの位置づけ

 一 韓国におけるサーカスとサーカス研究
 二 「韓国サーカス」とは
 三 韓国サーカスから何がみえるか
 四 韓国サーカスの見方──本書の構成

一章 韓国サーカスの過去から現在

 一 韓国サーカスの「生い立ち」
 二 韓国サーカスの現在
 三 Dサーカス団の構成員
 四 サーカスの日常生活

二章 対「外」関係と内部組織

 一 韓国サーカスと外部社会
 二 サーカス集団組織の構造

三章 移動生活にともなう意識と流動性

 一 意識と行動パターン
 二 構成員の流動とその要因

四章 移動生活と構成員の流動

 一 集団からの離脱と集団としての統合
 二 背景としての移動と所有の関係

終章 移動のこれから

 一 移動からみる韓国社会
 二 展望──移動にみる変化と持続

あとがき 天幕からの風景
 
参考文献

索引

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内容説明

華やかで哀しく、濃密で儚いサーカス団生活の悲喜こもごもを描く「近代的」移動芸能集団の実相。外部社会との関係や内部統制、団員の個性・人生観などを、天幕生活の内側から見つめ、韓国の人と社会の特質に鋭くせまる。


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まえがき


サーカスに魅せられる人々


“サーカスがやってきた”、この言葉にひかれて天幕に寄せられる人たちがいる。彼らは決して特殊な人たちではない。“サーカスなんて興味がない”という人にも、この言葉にひかれる部分が心の片隅に残っているものである。


風にたなびく幟旗に、「史上最大のショー」と書かれた垂れ幕が大きく目に入ってくる。劇場からつり下げられた絵看板には、女性を空中に浮かべているおどろおどろしい大魔術師が不気味に笑い、華やかなパレードに赤い鼻のピエロが躍り歌い、空中ブランコにオートバイ・ショーが拍手喝采を浴びている。そして、その横では、可愛い子犬が飛び回り、大きな象が鼻を高くもちあげている。


赤と白で縁取った券売所の前では、マイクを握った呼び込みが身振り手振りをまじえて、今から始まるサーカス・ショーをおもしろおかしく紹介している。“さあ、今からサーカスが始まるよ、スリル満点の空中動物大サーカス・ショーの始まりだ。さあ、入ってごらんよ、可愛い子犬たちがみんなをお出迎えだ”。


サーカス小屋の外には、客寄せの親猿に菓子を投げている子供たちがいる。その隣りで小猿をからかっている男性は、一杯ひっかけてきたのか猿より赤い顔をしている。馬をなでようと手を伸ばしているのは地元の高校生のようである。土手の高台からは老夫婦がさっきから座ってこちらをみている。学校には通っているのだろうか、一〇代後半にみえる少年は毎日のように看板のオートバイ・ショーの絵に釘づけである。いつものサーカスの天幕を取り囲む風景に見飽きて青い空をみあげた、そのとき、その少年が口を開いた。“オートバイ・ショーは今日もやってるの? 僕もサーカスをやってみたい。オートバイに乗ってあの絵のようなことができたらカッコイイだろうなって”。


サーカスには、さまざまな人たちがやってくる。曲芸を覚えたくて入団してくる少年、象がみたくて待ちきれない小学生、遊んできたらどうですかと家から放りだされるようにでてきた農村に住む老夫婦、学校の帰りにいつも猿をみにくる女子高生、ニュースを拾いにくる地方紙の記者、天幕の下で繰り広げられる曲芸にとりつかれたように毎日通う写真家、最終公演になると必ず無料で入れてくれとやってくる酔っぱらい、利権を求めてくる地元のやくざ、行く当てもなく戻ってきた元サーカス団員、そして、何かおもしろいことを期待してくる研究者、サーカスを取り巻く人たちは実に多様である。人であふれていて、おもちゃ箱をひっくり返したようににぎやかで、何かでてくるようで、でてこないような、気ままにみえる旅をしてまわるサーカス団。


サーカスには、表現しようがない魅力と吸引力がある。


筆者が韓国のサーカス団に入団したのは、一九九四年一一月である。もともと韓国の放浪芸人集団である男寺党[Nam-sa-dang]に関心をもっていたが、調査の実行をめぐって躊躇していた。すでに移動(放浪)生活を行っていなかったためである。ところが、一九九三年にテレビのドキュメンタリー番組で韓国のサーカス団が放映された。それをみて関心をもっていたところ、先輩の研究者から薦められて始めたのがサーカス調査であった。不安な気持ちの反面、このまま悩んでいても仕方がないといった気持ちがサーカス調査を後押しした。結果的に、そのおかげで貴重な経験を多くした。


Dサーカス団に入団するうえで、まず韓国観光公社に連絡をし、サーカスがみたいということで連絡先を訊ねた。その後、サーカス団に連絡をし、現場に押しかけていって入団の約束を取りつけるまで時間はかからなかった。「調査をかねているので賃金は要らない、半年後にくるので雇ってもらいたい」といった約束に対し、「いつでもこい」という答えだけが返ってきた。あまりにも簡単に入団許可が得られたことに驚いたが、これは後になってサーカス団がもつ特質、とくに本書のテーマであるところの構成員の流動性と大いに関係していることがわかった。ともかく約束を取りつけた後は、異国のサーカス団の入団に向けて渡航手続きなどを済ませるだけで、無事に半年後の浦項公演からトランク一つをもって参加した。Dサーカス団は、総勢三〇─四〇名ほどの集団で、往時より規模が大幅に縮小していた。そうとはいえ、当時、韓国内で活動していた四つのサーカス団のうち、最大のサーカス団であった。そこが約一〇ヶ月にわたる筆者の寝床となった。


さて、多くのサーカス団は「移動」する「集団」である。つまり、当たり前のことであるが、?移動生活を常に繰り返す。?個人でなく、集団で生活をしている。これらに着目することで、単に魅力あふれる曲芸をみせてくれる以外のサーカスの側面がみえてくる。そして、これらの側面こそが、日々、私たちが繰り返し行っている「移動」についてヒントを与えてくれるのである。


たとえば、拙著『韓国のある薬草商人にみるライフヒストリー』では、「移動」を「繰り返される移動」と「単発的な移動」に分けて考えた。そして、「繰り返される移動」こそはパターン化され、日常生活をつくりあげているが、ときに人々は「単発的な移動」を取り入れて、気分転換を図り、日常生活を維持していると指摘した。これらは「規則的な移動」と「規則性を破る移動」と置きかえられるが、人々はこの二つの「移動」を巧みに使い分けることで、閉塞しがちな日常生活を乗り切ってきたのである。指摘自体を経験的に周知なことと片づけるのはたやすいが、実際の調査を通して指摘することに意味がある。本書ではさらに「移動」と「所有」の関係について考えていきたい。


そもそも「移動」に関しては、筆者が一人旅が好きであったことから漠然と関心を寄せ始めたように思う。まったく縁もゆかりもない土地を訪問し、その土地に居住している人たちと会話を交わすことで、その土地に居場所をみつける経験を私たちはしているし、また逆に異邦人と会話を交わすことで受け入れたりもしている。ところが、異邦人は必ずしも歓迎すべき存在でないこともある。地元の人たちとトラブルを巻き起こす原因となるからである。また、地元の人たち(定住者)にしてみれば、異邦人が訪れて初めてする経験であっても、異邦人(移動者)にとっては日々の経験である。これまで定住者の側にたった見方は多く紹介されていても、移動者の側にたった見方はあまり紹介されてこなかったし、移動者につきしたがって移動研究を行った先駆者があまりいなかったように思う。とくにサーカス団は、そのような移動生活を集団で行っており、彼らの視点から新たに発見させられることは多い。それがサーカスを移動集団として捉えることの意義であり、本書のおもしろさである。

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著者紹介
林 史樹(はやし ふみき)
1968年生まれ。総合研究大学院大学博士課程修了。
現在、神田外語大学外国語学部准教授。
著書に『韓国のある薬草商人のライフヒストリー』(御茶の水書房、2004年)、『韓国がわかる60の風景』(明石書店、2007年)、訳書に鄭勝謨『市場の社会史』(法政大学出版局、2002年)など。

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