目次
第一章 現代中国における「文化」の再編
一 問いと方法
二 場所
第二章 水かけ祭り──「民族伝統文化」の基準
はじめに
一 擺夷の浴仏節からタイ族の水かけ祭りへ──一九四〇年代~一九六五年
二 「宗教迷信」から「風俗習慣」そして「民族の伝統節日」へ──一九六六~一九九〇年代
三 表象の膨張──一九九〇年代~二〇〇一年
四 表象の分裂──二〇〇二年以降
五 まとめ
第三章 ポイ・パラ──「宗教」の名のもとで
はじめに
一 中国の宗教政策と徳宏州の仏教
二 ポイ・パラ──〈仏の教え〉
三 まとめ
第四章 〈仏の教え〉──近代性との邂逅
はじめに
一 ポイ・パラと「文化」のカテゴリー──「宗教」「風俗習慣」「民族伝統文化」
二 正統性への希求──「仏教」カテゴリー
三 社会主義精神文明の波──「風俗習慣」と「移風易俗」
四 「仏教」の排除と回帰──「民族伝統文化」と文物としての「宗教文化」
五 まとめ
第五章 神々の宿る場所──文化的カテゴリーの空白
はじめに
一 ムアン・ホアンの神々
二 関公廟におけるタイ族と漢族
三 「漢族」の所在
四 狭間の実践の不可視性
五 まとめ
第六章 生活の詩学
一 「文化」の再編の限界
二 「文化」再編の政治をめぐる生活の詩学
三 日常的実践──結びにかえて
あとがき
引用文献
索引
内容説明
水かけ祭りやポイ・パラ儀礼等に見られる国家と民族の問題を、「抵抗」や「服従」の観点ではなく、言語的・非言語的な「実践」の視点で捉え、歴史や文化からの引き剥がしベクトルに対する、人々のしなやかな「立ち位置」を動態的に描く。
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序文
本書は、中国の雲南省徳宏タイ族自治州に暮らすタイ族──本文では便宜的に「徳宏タイ族」と呼んでいる人々──についての調査に基づき、「文化」にまつわる近代的な言説の制度が人々の生活を再編しつつ、それ自身変容していく様子を描いたモノグラフである。同時にそうした制度と共に生きていくための、人間の日常的実践のあり方や可能性について考察している。
私をこうした研究に向かわせたのは、フィールドワークを始めたころに体験したいくつかの出来事である。その一つは例えば、最初の調査で徳宏タイ語の通訳と教師役を務めてくれたある女性との対話である。ある村の寺を訪れたときのこと、その寺を管理していた老人は話し好きとみえて、抗日戦前のこの地域の有力者と寺の関係や、戦時中この地に駐留していた日本軍兵士が寺に来たときの様子などを通訳の女性に徳宏タイ語でさかんに話していた。当時徳宏タイ語がほとんど分からなかった私でも、そうした内容を話しているらしいことは分かったので、私は女性に詳しく通訳してくれるように頼んだ。しかし彼女はにべもなくそれを拒否した。「あなたが知りたいのは『風俗習慣』でしょう? 『政治』や『歴史』は関係ないはずです」。
私は、「風俗習慣」と「政治」や「歴史」の間には相互作用などないと言わんばかりの彼女の口ぶりに面食らった。ほかにも、ある知識人に「『迷信』と『宗教』を区別するのは難しい」という私見を述べたら、「研究者のくせに、そんな簡単な区別もできないのか」とあきれられたり、田舎で知りあったおじさんに「あなたが『日本人』の代表だとすれば、私は『中国人』の代表です。仲良くしましょう」と挨拶されたりもした。私はそのたびに「この人たちはなんと大袈裟で生硬なカテゴリーの使い方をするのか」と驚いたものである。本文に出てくる博物館の分類方法の話もその一つといってよい。つまり、私が中国で受けた最大のカルチャー・ショックは、徳宏タイ族のどんな風俗習慣よりも、人々との対話の端々に現れるこの生硬なカテゴリーにあったと言える。「政治」「宗教」「歴史」「日本」「中国」などのカテゴリーは、私自身にとってすでに馴染み深いものであったから、それが異様なほどかたくなな様相をもって現れたとき、余計にグロテスクに感じたのかもしれない。
しかし、それが常に頑強に人々の心を縛っているわけではないと気付くのに、時間はかからなかった。人々はそうした生硬なカテゴリーに完全にとらわれているのではなく、それらをある程度政治的に運用していることは明らかだった。とくに公的な場面ではいつのまにか政治的圧力が働くのである。たとえば中国政府が法輪功を邪教として取り締まっているさなかに、「『迷信』と『宗教』の区別は難しい」と主張するのは、政治的に危険なことである。かつて日本軍が進駐した徳宏という場所で、公的な研究機関から通訳を委託された女性が、日本人である私に軽々しく「政治」や「歴史」の話をするのも政治的に危険なのである。たとえ現実にはそれが思い過ごしだとしても、その不安があるだけで人々の語り口は生硬になる。だがそうした語りはある意味で氷山の一角であり、実際にはそういうカテゴリーをほとんど意識せずに生活している局面も当然多いのである。中国の人々の生活をより深く理解するには、表面的なカテゴリーの使われ方を知ると同時に、そうしたカテゴリーの語彙では汲みつくされない生活の深層レベルにまで踏み込む必要がある。
本書ではこうした問題意識に基づき、表面的で生硬なカテゴリーの一領域としての「文化」をめぐる近代的な語彙や言説の制度に注目し、この制度が人々の生活のなかに引き起こす作用について調査し、論じている。その際先の考察に鑑みて、言説の制度に則った語りが意識的に回避されたり、ほとんど意識されていなかったりする状況を考慮に入れる工夫をしている。
近代における様々な変化のなかで、文化やアイデンティティが再編される過程をとりあげた研究は数多いが、私見によればそれらの大半は、新たに創出されて少なくとも言説上実証的に存在していると言える文化やアイデンティティを論じている。しかし存在しているものは存在していないものとの対比によらなければ真に知られることはない。「文化である」と語られるものは、「文化でない」と語られるものや、文化であるともないとも語られないものとの対比によって、初めて意味を生じる。つまり文化に関する語りという「図」は、文化として語られないものごとという「地」の上に成立するのであって、こうした「地」としての日常的実践を掬い上げる方法論的な試みを示すことも、本書の目標の一つである。
本書では、一九四〇年代以降の現代中国における国民化の過程で、「文化」に関わる言説が少数民族の人々の生活を再編する様子に着目している。中国では、国民が身につけるべき思想や生活様式の理想を掲げる社会主義的な語りの制度が発達しており、とりわけ少数民族に対しては、「民族伝統文化」のほか、「風俗習慣」「封建迷信」「宗教」などの近代的なカテゴリーの語彙群が、国民化のために用いられてきた。
ただし各カテゴリーの内包的意味は、それが現実の社会で運用される過程で刻々と変化し、またそれが外延として指示する儀礼や祭りのような現実の行為も、異なる時間と場所での繰り返しという差延のなかで変化している。たとえば「民族伝統文化」というカテゴリーが、あるときは文芸などの「高尚」とされる文化のみを意味することもあれば、あるときは素朴な風俗習慣としてイメージされることもある。水かけ祭りという行為の内容も、数十年前には仏像に水をかけることがメインだったのに、後には人間同士が水をかけ合って楽しむことがメインになる、というふうに変化することもある。そしてたとえば政府が、水かけ祭りという具体的な行為を、「これこそ『民族伝統文化』である/ではない」、という形で「民族伝統文化」という概念に連結/切断しようとしたとしても、ある時にはその連結/切断に失敗し、ある時には成功するというように、その関連づけ自体もやはり時と場合によって変化するのである。このように、語りの制度は国家が自ら望むほどには完全にコントロールできるものではなく、人々の日常的実践や、グローバリゼーションといった現象の影響を、そのときそのときの状況に応じて考慮する必要があるのである。
本書は「文化」カテゴリーに関わるこうした各レベルでの言語的・非言語的実践全体の動態を追うことによって、生硬なカテゴリーの言説に揺さぶりをかける「詩学的な」日常的実践の様相を描き出し、少数民族という視点からみた中国的近代性の一端を明らかにするモノグラフとして構成されている。なお、ここでいう「詩学」とは、ごく単純に、定型的で常識的な言語の運用によって作られる文章とは異なる詩的文章を作り出す技法のことを意味する。中国で流通している官製の言説制度をかいくぐり、揺さぶりをかける人々の、自由な実践のあり方のメタファーとして、「詩」以上に適切な語彙を私は思いつけない。ただし、人々がその実践において駆使する技法は言語のみに限られるわけではない。命じられたことを無言のうちに無視したり、面従腹背したりすることも考えられる。したがってその技法を、坂部[一九九七]にならって必ずしも言語レベルのみに限定せず、〈ふるまい〉と言語行為の両方のレベルに通底するものとして拡張的にとらえ、それを成立・構成させる契機についての理解に到ることが私の望みである。(以下略)
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著者紹介
長谷千代子(ながたに ちよこ)
1970年、鹿児島県生まれ。九州大学大学院博士課程修了。博士(文学)。
現在、国立民族学博物館外来研究員、総合地球環境学研究所プロジェクト研究員。
論文に「他者とともに空間をひらく」(『社会人類学年報』第30号、弘文堂、2004年)、「中国における近代の表象と日常的実践」(『民族学研究』第67巻1号、日本文化人類学会、2002年)ほか。