目次
●第1部 文字・記録と表象
貴州におけるミャオ文字の創作とバイリンガル教育(曽 士 才)
はじめに
一 中国における言語文字政策と少数民族教育
二 ミャオ文字の創作と普及
三 学校におけるバイリンガル教育
四 ミャオ族知識人の願いと苦悩
おわりに
ベトナムにおける前近代ターイ民族史研究について(樫永真佐夫)
はじめに
一 ターイ史の通説
二 黒タイ年代記資料
三 黒タイ中心のターイ研究
四 ターイ研究の多様化
おわりに──ターイ民族史の課題と展望
県級「民族誌」における民族表象──広西・三江トン族自治県の事例から(兼重 努)
はじめに
一 社会主義新地方誌における民族の記述
二 民族誌の編纂過程──『送審稿』が書かれるまで
三 『送審稿』への改訂意見と執筆者の対応
おわりに
ハニ語と中国語の間
──ハニ語の中国語訳における知識人による表象の政治経済(稲村 務)
一 問題の所在
二 ハニ語の政治的状況
三 ハニ語と中国語の間
四 アマhhaqmaと「龍」
五 アマと「寨神」(村神)
六 アマと「生態」および観光産業
七 ネneivqとラペ lavqpieil
八 「文化」、ゾzaol、ガgal
九 民族工作の変化と表象の政治経済学
●第2部 歴史と表象
海南島における[ン+先]夫人とその信仰をめぐる表象と変遷(塚田誠之)
はじめに
一 [ン+先]夫人に関する研究史
二 [ン+先]夫人の事績とその信仰の由来
三 海南島への漢族の移住と[ン+先]夫人信仰の変遷
四 中国学界における[ン+先]夫人研究の政治性
五 整理
清末雲南タイ系土司の近代化ヴィジョン──刀安仁とその周辺(武内房司)
はじめに
一 干崖宣撫使刀安仁
二 近代化と革命のはざまで
三 「改土帰流」問題
おわりに
韶山の聖地化と毛沢東表象(韓 敏)
一 はじめに
二 韶山の文物化、聖地化、観光化と教育基地化の軌道
三 現代中国の国家的参拝の地
四 モニュメントの管理と政治的表象
五 観光業者と村人による毛沢東表象の比較
六 結び
南雄珠[王+幾]巷をめぐる広東ローカリズムと中華ナショナリズム(瀬川昌久)
一 はじめに
二 南雄珠[王+幾]巷伝承についての学術的解釈
三 南雄珠[王+幾]巷における歴史公園の建設
四 珠[王+幾]巷と宗親会ネットワーク
五 珠[王+幾]巷の諸表象とナショナリズム
六 おわりに
●第3部 エスニック・シンボルと表象
槃瓠神話の創造?
──タイ北部のユーミエン(ヤオ)におけるエスニック・シンボルの生成
(吉野 晃)
一 緒語
二 ユーミエンの文化復興運動その後
三 ユーミエン文化教本とその利用
四 『民俗知識体系の要点』に見る犬祖神話と渡海神話
五 エスニックシンボルとしての「評皇巻牒」の利用
六 結語
ナムイ・チベット族の選択──集落の解体と山の神祭りという民族表象(松岡正子)
はじめに
一 四川省冕寧県聯合郷と西部大開発
二 木耳ナムイの選択
三 山の神祭り
おわりに
表象の中の地域と民族
――徳宏タイ族の水かけ祭りをめぐるポリティクス(長谷千代子)
一 はじめに
二 擺夷の浴仏節からタイ族の水かけ祭りへ――一九四〇年代─一九六五年
三 「宗教迷信」から「風俗習慣」そして「民族の伝統節日」へ
四 表象の膨張――一九九〇年代─二〇〇一年
五 表象の分裂――二〇〇二年以降
六 まとめ
都市のなかの民族表象
──西双版納、景洪市における「文化」の政治学(長谷川 清)
一 はじめに
二 観光都市の誕生
三 観光都市と民族表象
四 表象主体の多様化と民族表象
五 地域イメージの刷新と民族表象
六 おわりに
あとがき
索引
内容説明
文字、人物、施設、エスニック・シンボルなど多様な表象形態が、民族文化を生産し、流通・消費させる磁場となっていることを明示。その政治性と表象主体のせめぎあいの中に、民族文化とその変容のダイナミクスを読み解く斬新な論集。
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はじめに 塚田誠之
本書は中国南部地域における民族表象のポリティクスについて人類学と歴史学の視点から検討した論文集である。おさめられている論文は平成一五年度から一七年度にかけて実施した国立民族学博物館共同研究「中国における民族表象のポリティクス――南部地域を中心とした人類学・歴史学的研究」での研究報告をもとに書かれている。
以前にわれわれは、中国南部に居住する諸民族の民族表象について、諸民族が様々な接触交流や相互関係を展開するなかでいかなる表象を紡ぎ出すに至ったかに焦点を当てて、具体的な事例分析にもとづく比較研究を試みた。検討は、表象装置としてのメディア、民族表象と文化的アイデンティティの動態、民族表象をめぐるポリティクスの三つの側面から行われた[長谷川清・塚田誠之編 二〇〇五]。検討を通じて民族表象の実像を描き出すことに成果を挙げたが、しかし同時に、さまざまな問題について今後はより掘り下げた検討が必要な課題として残された。それらの課題として挙げられるのが、第一に、民族表象の政治性という問題である。
民族表象は為政者によって操作され、歴代王朝の統治体制や国家統合の政治的文脈において民族政策の対象になってきた。民族の枠組み自体や、民族という器に盛り込むのにふさわしい民族文化が往々、政策によって創出され育成されてきたのである。
そもそも民族政策を担う各民族出身のエリートたちは中華人民共和国成立後の民族政策の実践の過程において誕生した。少数民族を公定民族として認定し、各級の民族行政区を建設した中国では、そうした民族を代表する民族幹部の育成が急務とされた。少数民族幹部に対する任務と職責の積極的な付与、幹部訓練班・幹部学校での幹部育成、民族学院や大学など高等教育機関あるいは人民解放軍関係の教育機関などでの民族幹部の育成などを通じて、民族幹部が組織的に育成されていった。数量で言えば、人民共和国成立前夜のころはわずか四・八万人だったのが、一九六六年には八〇万人に、一九八八年には一八四万人に達した[『当代中国』叢書編輯委員会編 一九九三:二九五─三二一]。それら民族幹部は一大政治勢力に成長した。たとえば、広西では一九五二年に壮族を民族として認定するや、壮族の幹部団を発展させる大規模なキャンペーンを始めたが、この幹部団がのちに?小平の改革開放政策期において発展して一大政治勢力になった[Kaup 2000 : 76-78]。各民族出身のエリートには、官僚のみならず学者や学校教師も含まれ、民族文化の育成・保護に重大な役割を果たしてきた。こうした民族出身のエリートが、国家から地方に至る各レベルの政治権力、ローカルな地域社会や民族集団内部における重層的な権力関係にどのように関わり、どのように民族表象を選択あるいは再解釈してきたかが問題なのである。
対外開放政策の実施以降、観光が急速な展開をとげてきた。今日では経済のグローバル化にともない観光開発事業は各地で盛んに繰り広げられている。そのなかで民族文化がエスニック観光として観光の対象になり、観光の文化資本として活性化し産業化される動きを呈している。外部の他者に対してのみならず地域振興・地域の見直しという点で地域住民をも巻き込んでの動きも見られる。こうした動きのなかで表象行為が多様化し、地方政府の観光キャンペーンや民族文化の再編の政策も関わって、様々な政治的駆け引きや交渉が展開されている。観光開発の発展につれて当該民族出身のエリートや知識人の役割はますます重要になっている。
第二の問題として、表象の現場において複数の表象主体が介在し、それらのせめぎあいが見られる点である。観光地では、地方政府、観光業者、一般の村人など、多様な表象主体が競合し、表象する側・される側に二分することがもはや不可能な状況にある。それほど表象生産の担い手や主体間の関係は今や錯綜しているのである。こうした表象行為をめぐるせめぎあいは、漢族・少数民族間で生ずる場合もあるし、少数民族内部でも、幹部・エリートと農民・一般民の間で生ずる場合もある。あるいは同一の民族でも世代によって民族文化に対するスタンスが異なっており、世代の相違に起因して生ずる場合もある。これに加えて往々、各級政府が民族文化を育成・管理したり、あるいは民族文化を地域振興のための観光の文化資本に流用し産業化するなどの形で介在している。したがって、錯綜した関係を解きほぐし表象をめぐるせめぎあいの実態を解明することが、表象のポリティクスの把握には不可欠なのである。
本書の狙いは、これらの問題点に留意しながら、文字、記録、歴史人物、施設、民族文化の象徴的なエスニック・シンボルなど多様な表象形態を広く対象として検討し、民族表象のポリティクスを解明することにある。言うまでもなく表象の形態は実に多様である。前著[長谷川・塚田編 二〇〇五]でも表象の装置と対象の多様性に配慮したが、この面でもさらなる検討の余地が少なからず残されている。また、対象地域として、中国南部に重点を置くが、中国大陸のみならず、香港、あるいは中国に隣接するベトナムやタイなどの異なる地域の集団の動向にも留意が必要である。そのことで中国大陸の事例検討に一層の説得力が付与されるであろう。(後略)
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編者・執筆者紹介(掲載順)
塚田誠之(つかだ しげゆき)
1952年、北海道生まれ。北海道大学大学院博士課程修了。博士(文学)。
現在、国立民族学博物館先端人類科学研究部教授。
著書に『壮族社会史研究:明清時代を中心として』(国立民族学博物館、2000年)、『壮族文化史研究:明代以降を中心として』(第一書房、2000年)など。
曽 士才(そう しさい)
1953年、兵庫県生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。
現在、法政大学教授。
共編著書に『世界の先住民族:ファースト・ピープルズの現在 01東アジア』(明石書店、2005年)など。
樫永 真佐夫(かしなが まさお)
1971年、兵庫県生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(学術)。
現在、国立民族学博物館助教。
著書に『東南アジア年代記の世界:黒タイの「クアム・トー・ムオン」』(風響社、2007年)など。
兼重 努(かねしげ つとむ)
1962年、山口県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。
現在、滋賀医科大学准教授。
論文に「エスニック・シンボルの創成:西南中国の少数民族トン族の事例から」『東南アジア研究』35巻 (4)(特集:東南アジア大陸部における民族間関係と「地域」の生成、京都大学東南アジア研究センター、1998年)など。
稲村 務(いなむら つとむ)
1966年、佐賀県生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科中退。
現在、琉球大学准教授。
論文に「中国ハニ族の『支系』について:民族識別と『支系』概念の整理」(『歴史人類』30号 筑波大学歴史・人類学系 2002年)など。
武内房司(たけうち ふさじ)
1956年、栃木県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。
現在、学習院大学文学部教授。
論文に「中華文明と『少数民族』」『岩波講座 世界歴史 第28巻・普遍と多元』(岩波書店、2000年)など。
韓 敏(かん びん)
1960年、中国遼寧省生まれ。東京大学大学院博士課修了。学術博士。
現在、国立民族学博物館准教授。
著書に『回応革命与改革:皖北李村的社会変遷与延続』(南京:江蘇人民出版社、2007年)など。
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年、花巻市生まれ。
現在、東北大学東北アジア研究センター長。著書に『族譜:華南漢族の宗族、風水、移住』(風響社、1996年)など。
吉野 晃(よしの あきら)
1954年、東京都生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。博士(社会人類学)。
現在、東京学藝大学教授。
論文に「タイ北部、ミエン族の出稼ぎ:二つの村の比較から」塚田誠之編『民族の移動と文化の動態:中国周縁地域の歴史と現在』(風響社、2003年)など。
松岡正子(まつおか まさこ)
1953年、長崎県生まれ。早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。
現在、愛知大学現代中国学部教授。
著書に『中国青蔵高原東部の少数民族:チャン族と四川チベット族』(ゆまに書房、2000年)など。
長谷千代子(ながたに ちよこ)
1970年、鹿児島県生まれ。九州大学大学院博士課程修了。博士(文学)。
現在、総合地球環境学研究所プロジェクト研究員。
著書に『文化の政治と生活の詩学:中国雲南省徳宏タイ族の日常的実践』(風響社、2007年)など。
長谷川 清(はせがわ きよし)
1956年、埼玉県生まれ。上智大学大学院博士後期課程単位取得退学。
現在、文教大学教授。
論文に「フロンティアにおける人口流動と民族間関係:雲南省西双版納タイ族自治州の事例」塚田誠之編『民族の移動と文化の動態:中国周縁地域の歴史と現在』(風響社、2003年)など。