目次
大英帝国の大逆罪人となったケースメント(崔 吉 城)
はじめに
一 大英帝国のアイルランドの征服と植民地
二 ポストコロニアル時代におけるケースメントへの評価
三 アイルランドの反英思想とナショナリズム
四 クリスチャンとしてのケースメント
結論
●第一部 接触・変容する近代日本と朝鮮
「支配のための朝鮮語学習」を考える(山田寛人)
はじめに
一 朝鮮語奨励政策の対象となった官吏
二 朝鮮語試験制度の問題点
三 朝鮮語学習の動機の多様性
四 朝鮮語使用がもたらした効果
おわりに
植民地朝鮮における日本語教授法の変遷(上田崇仁)
はじめに
一 外国語教授法の史的展開と特徴
二 植民地朝鮮における「国語」教科書の特徴とその変遷
三 「国語」教科書の特徴と教授法の反映
四 師範教育における「国語」教科教育について
おわりに──第二言語習得に関する理論と朝鮮における「国語」教育
朝鮮植民地期における巫俗に対する現地調査方法の系譜(崔 錫 栄)
はじめに
一 日本の朝鮮支配以前から一九一〇年代にかけての朝鮮巫俗の現地調査方法
二 朝鮮総督府による朝鮮巫俗に対する現地調査方法
三 京城帝国大学の教授(秋葉隆)による朝鮮の巫俗に対する現地調査方法上の変化
結びに代えて
●第二部 交差する近代と現代
女性を活用した観光戦略──植民地朝鮮及び戦後の韓国を中心に(李 良 姫)
はじめに
一 植民地以前の妓生の歴史と役割
二 植民地時期における妓生を活用した観光客誘致戦略
三 一九七〇年代以降の日本人観光客誘致戦略
おわりに
現代の日本社会と台湾植民地支配のインタラクション
──「日本人だった」という語りをめぐって(上水流久彦)
はじめに
一 「日本人であった」という発話と日本人の困惑
二 植民地期の同化政策
三 測定される日本人性
四 「日本人である」と「日本人になる」の齟齬
おわりに
日本の戦死者祭祀における遺骨のゆくえ(池 映 任)
はじめに
一 陸軍墓地における遺体と埋葬
二 忠霊塔における遺骨の意味
三 海外戦没者の遺骨収集活動と千鳥ヶ淵戦没者墓苑
おわりに
●第三部 読み直される現代韓国
竹島/独島研究における第三の視角(福原裕二)
(本章の内容に関して、著者からのお詫びと訂正があります。ホームから「お知らせ」をご覧下さい。)
はじめに
一 問題の所在
二 日韓交渉における「竹島」
三 島根県における「竹島」
結びにかえて
韓国における「日本文化」研究(金 弼 東)
はじめに
一 韓国社会の対日観の限界
二 先駆的日本文化論の登場と消滅
三 対日観の変化と日本文化論の開花
四 日本文化論の展開過程で表れた諸問題
五 日本文化研究の活性化のための提言
結び
韓国における養子縁組にみる儒教言説の批判的考察(中村八重)
はじめに
一 国内養子縁組の推進
二 養子縁組における男児忌避に関する知識層の儒教の語り
三 養子縁組を広報する機関とその活動にみる家族
四 養子をとった経験から
おわりに
●エッセイ
崔吉城先生 長い間ありがとうございました、これからもよろしく(諏訪春雄)
崔吉城さんとのおつきあいから感じること(末成道男)
崔吉城さんの人となり(伊藤亞人)
つきつ離れつ──崔吉城さんと私(嶋 陸奥彦)
●崔吉城先生略歴および業績一覧
一 略歴
二 業績一覧
あとがき(上田崇仁)
内容説明
韓国におけるシャーマニズム研究・植民地研究の第一人者の古稀を祝う。柔軟で細心の視点から、東アジア現代社会研究に新たな地平を拓き続けてきた足跡を追い、教え子による縦横の論集。
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はじめに
本書『交渉する東アジア~近代から現代まで──崔吉城先生古稀記念論文集』は、東亜大学教授・広島大学名誉教授の崔吉城先生の古稀を記念して、広島大学時代の教え子が中心となって企画したものである。巻頭論文として、先生の玉稿も頂戴した。崔吉城先生は、韓国を中心に東アジアの宗教、歴史、植民地支配の問題をこれまで広く研究され、調査地域は、東アジア(サハリンを含む)は当然のこと、アフリカやヨーロッパにまで及ぶ。本書の巻頭論文では、その調査の成果としてアイルランドが取り上げられている。
崔吉城先生の研究の大きな功績・特徴は三点ある。一つ目は、秋葉隆という戦前の朝鮮半島の研究者に注目し、韓国の人類学研究においてシャーマニズム研究という新たな領域を確立した点である。韓国のシャーマニズムを研究するにおいて、崔吉城先生の研究を踏まえないことはあり得ないと言っても過言ではない。二つ目は、韓国の植民地支配を研究するにあたって、韓国と日本のナショナリズムと距離をおいて研究を行った点である。植民地支配の研究が往々にして、自国の立場からのものとなりがちな状況において、客観的立場から論じることは、口で言うほど容易なものではない。その研究姿勢が、崔吉城先生の植民地支配研究の評価の高さにつながっている。三つ目は、比較という視点である。韓国の人類学研究が蓄積されるにつれて、韓国のなかで議論が終わる傾向が生まれつつある。それは中国や台湾の人類学においても同様である。そのような現状において、常に他地域との比較を意識し、他地域でも調査を行い、広い視野から論じる姿勢を貫いている。崔吉城先生は、東アジアの植民地支配の問題を他の地域との関連のなかで論じることができる希有な研究者である。
教え子の研究は、それらの功績・特徴を十分に引き継いだとは言えないが、広く関心を持つ先生のもと、様々な地域と時代を研究する者が巣立っていった。教え子の研究の成果の一部を本書に掲載するにあたって、「第一部 接触・変容する近代日本と朝鮮」、「第二部 交差する近代と現代」、「第三部 読み直される現代韓国」の三部構成とした。
これらは次のような意図から構成したものである。「第一部 接触・変容する近代日本と朝鮮」では、いわゆる植民地期を中心に扱っている。だが、敢えて「植民地」という言葉を使わずに、その時代の両国の関係を考察することを意識した。「植民地」という言葉で前景化され、捨象される問題もあろう。「第二部 交差する近代と現代」では、戦前と戦後と分断するのではなく、連関して考える思考のもと分析を試みた。国家の歴史から考えれば、国家制度や国際関係は戦前と戦後で大きく変わり、そこで分断されることは当然である。だが、生活する世界では継続して時間が流れていた。「第三部 読み直される現代韓国」では、日本と韓国の関係を考える新たな手がかりを提示するためのものとなっている。従来の問題意識や理解では把握されない課題を論じることを意識し、「読み直す」という言葉を用いた。この部を通じて新たな日韓関係、学術的交流、韓国理解を生み出す契機としたい。
以下では、順を追って簡単に掲載論文の概要と意義を述べる。巻頭の崔吉城論文「大英帝国の大逆罪人となったケースメント」は、日本による近隣のアジア諸国への植民地支配の様相を考察するにあたって、参考ないし比較の例としてイギリスによるアイルランドの植民地支配の歴史に焦点をあてたものである。この論文では、植民側と被植民側の立場を経験したアイルランド出身のケースメント(Roger David Casement, 一八六四─一九一六)がイギリスの植民地支配状況の下で植民地官僚となりながらアイルランド独立運動を企てたことで絞首刑にされたことを取り上げ、時代の変化によりその評価が異なるとはいえ、実は彼のような人が何を求めて生きてきたかを総体的に考察しなければならないと提起する。その考察にあたって、両国のナショナリズムとは無縁のキリスト教の信仰に注目することが不可欠であるという。東アジアの研究においても、近年、キリスト教の信仰に目を向けるものが出てきており、先駆的な指摘である。本論は植民地研究において新たな視角を提示しており、今後の植民地研究における一つの指標となるであろう。
次に「第一部 接触・変容する近代日本と朝鮮」である。山田寛人論文「『支配のための朝鮮語学習』を考える」は、植民地時代の日本人の朝鮮語学習の実態を詳細に明らかにする作業を通じて、言葉を学ぶ動機としての個人的利益を明らかにする。日本人の朝鮮語学習は、朝鮮人だけに日本語を強制したのではないという日鮮融和(内鮮融和)の根拠となり、その指摘は逆に植民地統治の暴力性を曖昧にするものだと言われてきた。これらの議論のなかで山田論文は、曖昧化の問題点を踏まえつつ、詳細な実証的な研究の必要性を指摘する。その狙いは、個々人の行為が統治政策によって如何に担保され、統治権力の意向に取り込まれていったかにある。山田論文は政策間ではなく、政策と実践の関係を解明するための第一歩である。
上田崇仁論文「植民地朝鮮における日本語教授法の変遷」は、外国語教授法理論の発展が植民地朝鮮における教科書にどのように反映していたかを論じたものである。従来、植民地における語学教育が論じられるとき、イデオロギーにかかわる語彙分析などが行われる傾向にあったが、上田は植民地朝鮮の文化変容を研究した崔吉城の影響を受け、教科書の内容分析とその変化の研究を行ってきた。その変化を促す要因として教授法があるが、本論はその教授法に注目し、植民地時代に使われた「国語」教科書が、内地の国語教授法の、時期によっては外国語教授法の影響を受けながら、発展したことを明らかにしている。本論は、学校または家庭における第二言語習得過程での文化変容の実態を明らかにするための基礎的な考察となっている。
崔錫栄論文「朝鮮植民地における巫俗に対する現地調査方法の系譜」は、日本人によって行われてきた巫俗の現地調査方法を時系列的に論じ、戦後の韓国において民俗学の現地調査の方法にどのように受け継がれていったのかを述べるものである。主として鮎貝房之進、鳥居龍蔵、村山智順、秋葉隆による現地調査方法を丹念に比較して調査方法の発展を論じている。筆者は、彼らのシャーマンたちを呼んで演出によってデータを採集する調査方法を問題視し、この流れを引き継いだ現在の韓国の民俗学界を批判している。映像情報の蓄積が顕著になった現在、調査方法の発展と資料の理論的整理を求める主張は、韓国の学界のみならず日本の研究者にも内省を促すものであろう。
「第二部 交差する近代と現代」だが、李良姫論文「女性を活用した観光戦略──植民地朝鮮及び戦後の韓国を中心に」は、日本の植民地統治以前の「妓生」と戦後の「キーセン」との関係を丹念に追ったうえで、その連続性を明らかにする。日本の植民地統治を全否定する風潮の戦後の韓国社会において、女性の「性」を商品とする構図は統治者に引き継がれているという指摘は、戦前と戦後を断絶させて分析してきたことの問題点を適確に浮かび上がらせている。さらに李良姫の指摘は、植民地批判のなかで見落とされるジェンダーの問題を明確にする。植民地統治の批判的作業は必要だが、同時に植民地統治の仕組みを、その後の統治者が如何に利用、流用したかも重要な課題である。戦前と戦後を分断し、前者を悪、後者を善とするような二項対立的議論は、戦前、戦後もマイノリティであった人々の問題を等閑視することへとつながる。この点について李良姫の論文は警鐘を鳴らす。
上水流久彦論文「現代の日本社会と台湾植民地支配のインタラクション──『日本人だった』という語りをめぐって」は、フィールドとした台湾で日本の統治を経験した世代の方から発せられる「私は日本人だった」という語りがどのような背景から、またどのような文脈の中で生まれていくのか、また、「日本人だった」自分自身を自分の中でどのように位置付けているのかについて検討した。「日本人である」ことと「日本人になる」ことの齟齬を示す部分は、「ネーション(民族/国民)」に対する台湾と日本の理解の違いから分析するもので非常に興味深い。上水流の研究が、植民地支配を指弾するだけではなく、崔吉城の植民地研究が目指している「植民地支配からの完全な解放」を指向しつつ進められていることは、本論からもうかがえる。
池映任論文「日本の戦死者祭祀における遺骨のゆくえ」は、世界でもみられない日本独特の戦死者の祀られ方を検討する。日本では死者祭祀において遺体や遺骨は不可欠なものであるにもかかわらず、戦死者の遺骨は靖国神社には祀られることはなく、個人の家や村の共同墓地にまつられるようになっている。こうした状況を考察するため、池は陸軍墓地、忠霊塔、千鳥ヶ淵戦没者墓地をとりあげ、それらの経緯を詳細に論じる。戦死者の遺骨が遺族に戻らなかったという現実もあるが、靖国神社は国家の英霊として戦死者を顕彰するようになり遺骨をまつる施設として成立し得なかったという。その一方で依然として遺族は遺骨に対するこだわりは消えてないと指摘する。国家統合をめぐる政治的な側面から論じられがちだった戦死者祭祀を、遺骨にこだわる祭祀方法という日本人の死生観の観点から考察した点で新たな研究視角を示す論考である。
最後に「第三部 読み直される現代韓国」である。福原裕二論文「竹島/独島研究における第三の視角」では、日本と韓国の間に生じている「どちらの領土か」というような議論を打破するための試みとして、「省察」という手法と「地域・人々」という視点を加味することを提案している。福原の指摘しているこれまでの研究の問題点の一つ、「研究手順の倒錯」は、はじめに結論ありきという研究姿勢を批判したもので、本論文の扱う竹島・独島問題に限らず、植民地研究全般に見られる傾向であることは否めない。福原論文はさらに、研究上の第一の視角としての領有権をめぐる「国家」、第二の視角としての第一の視角に基づく「人々の認識」とは別に、国家のレベルからこぼれ落ちる第三の視角を通史的な検討を踏まえて提示しようとする。福原の論考は、この問題が国家や認識レベルにおいて重要であることを認めつつ、それを乗り越える、第三の視角をもつことを主張する。
金弼東論文「韓国における『日本文化』研究」は、韓国における対日認識の変化とそれに伴う日本研究の流れを通史的に記述することで、今日的課題を明らかにしたものである。冒頭で韓国における日本研究の限界を描き、資料の詳細な検討と客観的な記述が必要であるという金論文の指摘は、通史的な韓国における日本研究の流れをおさえた後での記述であるだけに重みをもつものである。日韓併合から一〇〇年を迎える今年、過去を冷静かつ客観的に見つめ、今日とこれからの問題に向かうための論文である。
中村八重論文「韓国における養子縁組にみる儒教言説の批判的考察」は、「韓国は儒教社会である」という認識を問い直すものである。その方法として、養子縁組について公的空間で発せられる説明と実際に養子縁組をしている人々の理由との食い違いを分析する。公的空間では、「韓国は儒教社会である」という認識を強化するような説明が、養子縁組組織の幹部、研究者、政府関係者から出される。その一方で、実際に養子縁組をした人々からは、育てやすさやキリスト教的理念の実現、自らの喜びが実際的理由として提出される。そのズレから「儒教の説明言説と実際との乖離を批判的に考察する研究をしていかなければならない」と述べる。流布するこうした言説を批判的に考察することは、対象社会を理解するうえで不可欠な作業である。
本書の題名は、「交渉する東アジア~近代から現代まで」というものである。得てして、東アジア社会を論じる場合、近代以前は中華文明圏や朝鮮半島から日本へ、近代以降であれば、日本からそれらの地域へと一方向的な議論が行われることがある。こうした議論の背景には各国のナショナリズムが見え隠れする。崔吉城先生は、一方的で相互性のない議論を厳しく批判してきた。崔吉城先生の姿勢を継承する意味でも、相互に影響し、連関する東アジアを映し出すものとして「交渉する」という言葉を選んだ。本書の各論文において、崔吉城先生の教えが反映できていれば幸いである。
なお、崔吉城先生と親交の深い四名の先生から、崔吉城先生の人柄を偲ばせるエッセイをいただいた。編集委員一同、諏訪春雄先生、末成道男先生、伊藤亞人先生、嶋陸奥彦先生に深く御礼を申し上げる次第である。
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編者紹介
上田崇仁(うえだ たかひと)
1969年生、広島大学大学院社会科学研究科博士課程後記修了(博士〈学術〉)。愛知教育大学教育学部准教授。
主な著書等:『植民地朝鮮における言語政策と「国語」普及に関する研究』(関西学院大学出版会、2000年)、「第4章 朝鮮でラジオは何を教えたのか」(貴志俊彦・川島真・孫安石編『戦争・ラジオ・記憶』勉誠出版、2006年)、「『放送教本初等国語講座』に見る「国語」教育」(原田環・崔吉城編『植民地の朝鮮と台湾』第一書房、2007年)、「朝鮮総督府「国語読本」と国定「国語読本」を比較して見えるもの」『徳島大学留学生センター紀要』第3号(2008年)ほか。
崔錫栄(チェ ソクヨン)
1962年生、広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期修了(博士〈学術〉)。韓国国立民俗博物館の学芸研究士、韓国檀国大学東洋学研究所研究助教授を経て国立劇場公演芸術博物館学芸研究官(館長)。
主な著書等:『日本統治下同化イデオロギーの作り出し』(韓国語、書景文化社、1997年)、『日本統治下巫俗論と植民地権力』(韓国語、書景文化社、1999年)、『韓国博物館歴史100年』(韓国語、民俗苑、2009年)ほか。
上水流久彦(かみづる ひさひこ)
1968年生、広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期修了(博士〈学術〉)。県立広島大学地域連携センター助教。
主な著者等:『台湾漢民族のネットワーク構築の原理-台湾の都市人類学的研究-』(渓水社、2005年)、「自画像形成の道具としての『日本語』―台湾社会の『日本』を如何に考えるか」(五十嵐真子・三尾裕子編『戦後台湾における〈日本〉─植民地経験の連続・変貌・利用』風響社、2006年)、Common-Surname Tong-ism in Contemporary Taiwanese, in Shima Mutsuhiko (ed.), Status and Stratification -Cultural Forms in East and Southeast Asia. Tohoku University、『台湾外省人の現在-変容する国家とそのアイデンティティ』(西村一之と共訳、風響社、2008年)ほか。
中村八重(なかむら やえ)
1974年生、広島大学大学院国際協力研究科博士課程後期修了(博士〈学術〉)、韓国・韓国外国語大学校日本語大学日本学部助教授。
主な著書等:「現代韓国社会における火葬と「孝」の理念」『アジア社会文化研究』(2001年)、The Expression of Confucianism in Modern Medical Care in Korea, with a Focus on Organ Transplants, Japanese Review of Cultural Anthropology .8 (2007)、「韓国の現代医療における儒教の語られ方─臓器移植を中心に」『東北亜文化研究』16(2008年)ほか。
エッセイ執筆者紹介(掲載順)
諏訪春雄(すわ はるお)
1934年生、東京大学大学院博士課程。学習院大学名誉教授。
主な著書等:『安倍晴明伝説』(ちくま新書、2000年)、『歌舞伎の源流』(吉川弘文館、2000年)、『北斎の謎を解く』(吉川弘文館、2001年)、『視覚革命─浮世絵』(勉誠出版、2003年)、『鶴屋南北』(ミネルバ書房、2005年)、『日本王権神話と中国南方神話』(角川書店、2005年)、『文明の錯誤を正す新家族論』(勉誠出版、2007年)、『天皇と女性霊力』(新典社、2008年)、『天地 女性 太陽─三語で解く日本人論』(勉誠出版、2009年)、『鶴屋南北』(山川出版社、2010年)ほか。
末成道男(すえなり みちお)
1938年生、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学(1970年3月)。同上社会学博士(1971年9月)。東洋文庫研究員。
主な著書等:『台湾アミ族の社会組織と変化』(東京大学出版会、1983年)、『ベトナムの祖先祭祀─潮曲の社会生活』(風響社、1998年)、「(韓日相互理解の為に)」『日本学誌』創刊号別冊(啓明大学校日本学研究所、1980年)、「韓国社会の“両班”化」『現代の社会人類学』(東京大学出版会、1987年)、Unilateral Kindred: A Reconsideration in East Asian Societies. The Anthropology of Korea: East Asian Perspectives (Eds.Shima Mutsuhiko & R. L. Janelli, Osaka: National Museum of Ethnology, 1998年)ほか。
伊藤亞人(いとう あびと)
1943年生、東京大学大学院社会学研究科博士課程中退(1970年6月)。早稲田大学アジア研究機構上級研究員、教授、東京大学名誉教授。
主な著書など『韓国』(河出書房新社、1996年)、『韓国珍島の民俗紀行』(青丘文化社、1999年)、『韓国夢幻』(新宿書房、2006年)、『文化人類学で読む─日本の民俗社会』(有斐閣、2007年)ほか。
嶋 陸奥彦(しま むつひこ)
1946年生、トロント大学大学院博士課程修了、Ph.D.(anthropology)。東北大学名誉教授。
主な著書等:『変貌する韓国社会─人類学調査の現場から』(朝倉敏夫と共編著、第一書房、1998年)、The Anthropology of Korea: East Asian Perspectives (co-edited with R. L. Janelli, Osaka: National Museum of Ethnology, 1998年)、『韓国 道すがら─人類学フィールドノート30年』(草風館、2006年)、『韓国社会の歴史人類学』(風響社、2010年)ほか。
執筆者紹介(掲載順) *編者を除く
崔吉城(チェ ギルソン)
1940年生、筑波大学大学院歴史人類学系大学院。東亜大学教授。
主な著書等:『恨の人類学』(真鍋祐子訳、平河出版社、1994年)、『樺太朝鮮人の悲劇』(第一書房、2007年)、『朝鮮民俗への招待』(風響社、1996年)、『映像が語る植民地朝鮮』(韓国語、民俗苑、2009年)ほか。
山田寛人(やまだ かんと)
1967年生、広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期修了(博士〈学術〉)、広島大学非常勤講師。主な著書等:『植民地朝鮮における朝鮮語奨励政策』(不二出版、2004年)ほか。
李良姫(イ ヤンヒ)
広島大学大学院国際協力研究科博士課程後期修了(博士〈学術〉)。大阪観光大学観光学研究所客員研究員、阪南大学・奈良大学・神戸国際大学・京都成美大学・高崎経済大学非常勤講師。
主な著書等:『イベント経営論』(高勝益・金潤と共著、白山出版社、2007年)、「日本植民地下の観光開発に関する研究」(『日本語文学』、2004年)、「植民地朝鮮における朝鮮総督府の観光政策」(『北東アジア研究』、2007年)、「地域イベント参加満足度に関する研究―韓国固城エキスポを事例に」(『日本地域政策研究』、2008年)、「韓国における民族分断と観光」(福原裕二と共著、『北東アジア研究』、2009年)、「韓国における食祭りの現状と課題」(『大阪観光大学観光学研究所報』、2009年)ほか。
池映任(チ ヨンイム)
1972年生、広島大学国際協力研究科博士後期課程修了(博士〈学術〉)。東京大学次世代人文学開発センター研究員。
主な著書等:「朝鮮戦争の記憶と戦死者儀礼」(『戦争と戦死者をめぐる死生学』、東京大学グローバルCOEプログラム、2010年)、「済州4・3関連‘国家有功者’慰霊儀礼の変化とその意味」(『季刊日本思想史』ぺりかん社、2007年)、『奪われた時代奪われた時間─聞き取り調査の方法と意味』(韓国語、共著、ソンイン出版社、2007年)など。
福原裕二(ふくはら ゆうじ)
1971年生、広島大学大学院国際協力研究科博士課程後期修了(博士〈学術〉)。島根県立大学大学院北東アジア開発研究科/総合政策学部准教授、北東アジア地域研究センター副センター長。
主な著書等:「北朝鮮の核兵器開発の背景と論理」(吉村慎太郎・飯塚央子編『核拡散問題とアジア─核抑止論を超えて』国際書院、2009年)。福原裕二他編『日本・中国からみた朝鮮半島問題』(国際書院、2007年)ほか。
金弼東(キム ピルトン)
1959年生、広島大学大学院国際協力研究科博士課程後期修了(博士〈学術〉)、韓国・世明大学校日本語学科教授。
主な著書等:『日本・日本人論の再発見』(J&C、2007年)、『日本のアイデンティティ』(サルリム、2005年)、『近代日本の民衆運動と思想』(J&C、2005年)、『日本的価値観からみた現代日本』(J&C、2004年)、『リアクションの芸術 日本大衆文化』(セウム、2001年)(いずれも韓国語)ほか。
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【お詫びと訂正】
第3部掲載の福原裕二「竹島/独島研究における第三の視角」(163-178頁;以下、当該論文)に記載した記述内容に関して、次の通りの説明を行い、訂正並びにお詫びを申し上げます。
当該論文171頁8〜10行目の記述に関して
本記述は、注16(177頁)に記載した通り、2006年4月9日に開催された研究会(第240回朝鮮近現代史研究会)において、藤井賢二氏が「竹島問題と日韓会談」と題して研究報告を行った内容及びレジュメに基づくもので、氏の先駆的な研究業績の一部に依ります。
本記述が氏の未公表の研究成果を利用し、氏が行うべき公表の権利を毀損するような内容となってしまったこと、また事前の記述内容掲載の許可の確認を怠ったことにつきお詫び申し上げます。
以上、ご指摘下さった藤井賢二氏には、重ねてお詫びを申し上げます。
福原裕二