ホーム > 〈他者/自己〉表象の民族誌
目次
はじめに
第一章 序論
一 目的と課題
二 チェパンとM村
第二章 チンランの象徴世界
一 チンラン
二 肉と狩猟
三 肉と結婚
四 系譜と所有
五 トンコロン
六 魂の旅
七 チンランとは何か
第三章 チョールの象徴世界
一 チョールと森
二 ラナ家の専制政治とチェパン
第四章 サールの象徴世界
一 学校のサール
二 官僚、政治家のサール
三 開発とサール
四 サールとチェパンの対置
第五章 ドゥキの象徴世界
一 ドゥキとは何か
二 出来事と日常の傾向
結論 チェパンとは何者か
一 チェパンのミクロ存在論
二 異文化解釈の世界と再会の世界
三 再会後の世界
あとがき
引用文献
写真・図表一覧
索引
第一章 序論
一 目的と課題
二 チェパンとM村
第二章 チンランの象徴世界
一 チンラン
二 肉と狩猟
三 肉と結婚
四 系譜と所有
五 トンコロン
六 魂の旅
七 チンランとは何か
第三章 チョールの象徴世界
一 チョールと森
二 ラナ家の専制政治とチェパン
第四章 サールの象徴世界
一 学校のサール
二 官僚、政治家のサール
三 開発とサール
四 サールとチェパンの対置
第五章 ドゥキの象徴世界
一 ドゥキとは何か
二 出来事と日常の傾向
結論 チェパンとは何者か
一 チェパンのミクロ存在論
二 異文化解釈の世界と再会の世界
三 再会後の世界
あとがき
引用文献
写真・図表一覧
索引
内容説明
チェパンの語るチンラン(人喰い鬼)、ドゥキ(苦痛に悩む人)等の世界を読み解き、自らの眼差しと、チェパンから著者への眼差しを交差させ、表象構築の双方向性を丹念に記述。伝統文化解釈への新たな地平を切り開いた注目の論考。
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はじめに
資本主義体制がますます広がり世界を覆うなか、私たちの生活は益々ボーダーレスなものとなっている。身の回りに世界の様々な地域で大量に生産された物や情報が溢れ、便利さや消費の悦びが享受されているのは、世界的な資本の中心に近い大都市だけでなく、程度の差こそあれネパールの山深い、かつて「僻地」とされた村を見ても同様である。私がフィールドワークをおこなったそのような山村でも、九〇年代以降急速に人びとは中国製やインド製、あるいは日本製の工業製品で身を固めるようになり、ラジオで日々国内だけでなく世界のニュースを確認するようになった。日本で大きな地震が起きれば、うちの村に来た日本人はどうしているかと話題になる。二〇〇八年に私がその村を訪れたときには、まだ電気が通っていなかったが、すでに携帯電話を持つ人もいた。
こうして世界中と物質的、情報的に繋がった「どこでもない場所」が生み出され、便利さや自由な消費の快楽と引き換えに土地と結びついた人間の生の価値や記憶は薄れていく。また、そのような価値や記憶が商品化され、産業によって利用、管理されていくと、次第に私たちの「自分らしさ」も見え難くなっていく。そうしたなかで、「伝統文化」やアイデンティティ、あるいはそれらの基礎となる象徴をいかに再生、再創造できるかという課題が、世界共通の同時代的なものとして浮かび上がっている。人類学者のM・オジェはそうした今日の時代を「スーパーモダニティ」とし、「個」や「イマージュ」が過剰となって、私たちは日常的に強烈な意味づけの必要を感じていると、同様な問題を異なった表現で指摘している[一九九二、二〇〇二(1994)]。また、哲学者のB・スティグレール[二〇〇六(2004)]は、産業化の展開により自己への配慮や世界そのものが失われていく「象徴の貧困」の問題を訴え、産業が逆に象徴を生み出す道筋を探ろうとしている。
「伝統文化」やアイデンティティ、あるいは象徴をどのようにして再生、想像することができるのだろうか。とりあえず私たちは、歴史に目を向けるほかないだろうが、ネーションとしての民族の歴史は国民国家の成立以降に構築されたものであり、国民としてのアイデンティティ以上に容易に広がるものではない。また、そうした国民的アイデンティティの構築が、しばしば排他的民族主義といった他者の暴力的な排除に繋がることを見て、文化的アイデンティティ構築の難しさを私たちは痛感せざるを得ないのである。
そうした排除に繋がる歴史や「伝統文化」の本質主義的な把握を回避するため、近年の民族誌的な記述は、人類学が蓄積してきた神話や儀礼など文化のいわゆる伝統的要素の分析を切り捨てる傾向にあった。本書では、そうした従来の文化の分析を批判的に継承するため、「ミクロ存在論」という分析枠組みを導入し、それによって多層的な象徴世界の記述を行い、「伝統文化」と民族、国家や開発との関わりの新たな歴史的な分析を試みた。ここでその成否を論じることはできないが、読者の御判断を仰げれば幸いである。
私が本書に繋がる調査をネパールでおこなっていた一九八九年、ベルリンの壁が崩壊し、それに呼応するかのようにして九〇年にはネパールでも民主化を求めるデモが拡大し、当時のビレンドラ国王は民主化を許すことになった。その後、ネパールでは先住民が平等を訴え、権利獲得の運動を活発化させてネパール先住民族連合を設立、自己の民族的アイデンティティ再構築を模索するようになった。
本書で調査の対象としたチェパンの人びともそのようなネパール先住民の一つである。私の調査地では元来の自称は「チョオバン」とされているが、一般には「チェパン」という名で知られてきた。言語学、民族学などの世界で用いられてきたのも「チェパン」である。この人びとは、採集狩猟などを中心とする生業を一九六〇年代頃まで続けてきたことなどから「後進的」とされ、現在に至るまでネパールや外国政府、NGOによる開発の対象とされてきた。
チェパンの人びとは、開発の対象とされるなかで、臣民や市民を意味する「プラジャ」という民族名称も与えられ、一九九〇年代まで「プラジャ」と呼ばれることを好み「チェパン」という名称を嫌っていた。ところが九〇年の民主化以降、王政への反発が表面化し、臣民を想起させる「プラジャ」の名称は捨てられ、「チェパン」が正式な名称とされることになった。これには、近年設立されたチェパンの権利団体「ネパール・チェパン協会」が中心的な役割を果たした。このように民族名称の問題を追っていくだけでも、チェパンの人びとの自己のあり方が国家の状況に大きく左右されており、人びとのアイデンティティ構築が困難であったことが垣間見えてくるのである。
グローバル化の進行や周辺地域の開発が進められる状況で、国家によって常に周縁化されてきた先住民が、いかに他者から表象され、逆に他者を表象し、自己を形成してきたのか。さらにそうした他者/自己表象の連鎖が、現実の社会関係にどのように反映されているのか。今後の国家や世界における先住民社会のあり方は開発にどう左右され、逆に開発の姿を変えるのか。本書は、そのような問いに導かれた民族誌的研究である。そして、それは先住民だけではなく、上に述べた現代の同時代的状況を生きる人すべてに繋がる問題だという認識で編まれている。
ただし、本書の民族誌的実践が、もし「非近代的先住民〈対〉近代化された私たち」や「かわいそうな人たち〈対〉そうではない私たち」という図式に陥るようなら、同時代的な共同性は開かれないだろう。では、どのように民族誌を記述したら、そうした自己を優位なものとして他者を劣位なものとする、あるいはそれを逆転させた対立図式をゆるがすことができるのだろうか。
そのような問題意識と、チェパンにとっての他者と自己との複雑な関係を描き出す目的で、本書では通常の民族誌的記述とは異なる方法を採った。それが「〈他者/自己〉表象」で、これは、私という他者に対するチェパンの人びとによる表象、チェパンという他者に対する私自身による表象、他者と自己に対するチェパンの人びとによる表象からなる。その記述は他者と自己に対する表象を交差させながら、チェパンにとっての多様な他者と自己の姿を浮かび上がらせることになった。だが、それは同時に、インフォーマントとの関係など、私の個人的な状況の披瀝とも受け取れる記述にも繋がった。その点に違和感を持つ読者も少なくないかもしれない。しかしながら、そのような構成が前述の問題に対する著者なりの試行錯誤の結果であり、筆者と人びととの表象の場における長年の格闘から生まれていることをご理解頂ければ幸いである。
本書は東京外国語大学提出の博士論文『市民という名の民族──ネパール、プラジャにおける四つの異人表象から見た象徴世界と民族的自己イメージに関する研究』に加筆修正を加えたものである。最新の調査により判明した誤りを正し、新事実を追加、さらに議論を明確にするために序論と結論、それに各章のまとめの部分を書き改めたが、全体としての主張の方向性は変わっていない。
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著者紹介
橘 健一(たちばな けんいち)
1965年東京都生まれ。筑波大学第二学群比較文化学類卒業。筑波大学大学院環境科学研究科修了。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程単位取得退学。修士(環境科学)、博士(学術)。現在、夙川学院短期大学、京都ノートルダム女子大学、立命館大学非常勤講師。
専攻は、人類生態学、文化人類学、地域政策学。ネパールでフィールドワークを続けながら、環境問題や民族、地域に関わる制度の改編と、それらについての記述を再構築する可能性を考えている。
主著書に『講座世界の先住民族 第3巻 南アジア』(共著,明石書店,2008年)、『流動するネパール』(共著,東京大学出版会、2005年)、『ネパールを知るための60章』(共著,明石書店,2000年)など。
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はじめに
資本主義体制がますます広がり世界を覆うなか、私たちの生活は益々ボーダーレスなものとなっている。身の回りに世界の様々な地域で大量に生産された物や情報が溢れ、便利さや消費の悦びが享受されているのは、世界的な資本の中心に近い大都市だけでなく、程度の差こそあれネパールの山深い、かつて「僻地」とされた村を見ても同様である。私がフィールドワークをおこなったそのような山村でも、九〇年代以降急速に人びとは中国製やインド製、あるいは日本製の工業製品で身を固めるようになり、ラジオで日々国内だけでなく世界のニュースを確認するようになった。日本で大きな地震が起きれば、うちの村に来た日本人はどうしているかと話題になる。二〇〇八年に私がその村を訪れたときには、まだ電気が通っていなかったが、すでに携帯電話を持つ人もいた。
こうして世界中と物質的、情報的に繋がった「どこでもない場所」が生み出され、便利さや自由な消費の快楽と引き換えに土地と結びついた人間の生の価値や記憶は薄れていく。また、そのような価値や記憶が商品化され、産業によって利用、管理されていくと、次第に私たちの「自分らしさ」も見え難くなっていく。そうしたなかで、「伝統文化」やアイデンティティ、あるいはそれらの基礎となる象徴をいかに再生、再創造できるかという課題が、世界共通の同時代的なものとして浮かび上がっている。人類学者のM・オジェはそうした今日の時代を「スーパーモダニティ」とし、「個」や「イマージュ」が過剰となって、私たちは日常的に強烈な意味づけの必要を感じていると、同様な問題を異なった表現で指摘している[一九九二、二〇〇二(1994)]。また、哲学者のB・スティグレール[二〇〇六(2004)]は、産業化の展開により自己への配慮や世界そのものが失われていく「象徴の貧困」の問題を訴え、産業が逆に象徴を生み出す道筋を探ろうとしている。
「伝統文化」やアイデンティティ、あるいは象徴をどのようにして再生、想像することができるのだろうか。とりあえず私たちは、歴史に目を向けるほかないだろうが、ネーションとしての民族の歴史は国民国家の成立以降に構築されたものであり、国民としてのアイデンティティ以上に容易に広がるものではない。また、そうした国民的アイデンティティの構築が、しばしば排他的民族主義といった他者の暴力的な排除に繋がることを見て、文化的アイデンティティ構築の難しさを私たちは痛感せざるを得ないのである。
そうした排除に繋がる歴史や「伝統文化」の本質主義的な把握を回避するため、近年の民族誌的な記述は、人類学が蓄積してきた神話や儀礼など文化のいわゆる伝統的要素の分析を切り捨てる傾向にあった。本書では、そうした従来の文化の分析を批判的に継承するため、「ミクロ存在論」という分析枠組みを導入し、それによって多層的な象徴世界の記述を行い、「伝統文化」と民族、国家や開発との関わりの新たな歴史的な分析を試みた。ここでその成否を論じることはできないが、読者の御判断を仰げれば幸いである。
私が本書に繋がる調査をネパールでおこなっていた一九八九年、ベルリンの壁が崩壊し、それに呼応するかのようにして九〇年にはネパールでも民主化を求めるデモが拡大し、当時のビレンドラ国王は民主化を許すことになった。その後、ネパールでは先住民が平等を訴え、権利獲得の運動を活発化させてネパール先住民族連合を設立、自己の民族的アイデンティティ再構築を模索するようになった。
本書で調査の対象としたチェパンの人びともそのようなネパール先住民の一つである。私の調査地では元来の自称は「チョオバン」とされているが、一般には「チェパン」という名で知られてきた。言語学、民族学などの世界で用いられてきたのも「チェパン」である。この人びとは、採集狩猟などを中心とする生業を一九六〇年代頃まで続けてきたことなどから「後進的」とされ、現在に至るまでネパールや外国政府、NGOによる開発の対象とされてきた。
チェパンの人びとは、開発の対象とされるなかで、臣民や市民を意味する「プラジャ」という民族名称も与えられ、一九九〇年代まで「プラジャ」と呼ばれることを好み「チェパン」という名称を嫌っていた。ところが九〇年の民主化以降、王政への反発が表面化し、臣民を想起させる「プラジャ」の名称は捨てられ、「チェパン」が正式な名称とされることになった。これには、近年設立されたチェパンの権利団体「ネパール・チェパン協会」が中心的な役割を果たした。このように民族名称の問題を追っていくだけでも、チェパンの人びとの自己のあり方が国家の状況に大きく左右されており、人びとのアイデンティティ構築が困難であったことが垣間見えてくるのである。
グローバル化の進行や周辺地域の開発が進められる状況で、国家によって常に周縁化されてきた先住民が、いかに他者から表象され、逆に他者を表象し、自己を形成してきたのか。さらにそうした他者/自己表象の連鎖が、現実の社会関係にどのように反映されているのか。今後の国家や世界における先住民社会のあり方は開発にどう左右され、逆に開発の姿を変えるのか。本書は、そのような問いに導かれた民族誌的研究である。そして、それは先住民だけではなく、上に述べた現代の同時代的状況を生きる人すべてに繋がる問題だという認識で編まれている。
ただし、本書の民族誌的実践が、もし「非近代的先住民〈対〉近代化された私たち」や「かわいそうな人たち〈対〉そうではない私たち」という図式に陥るようなら、同時代的な共同性は開かれないだろう。では、どのように民族誌を記述したら、そうした自己を優位なものとして他者を劣位なものとする、あるいはそれを逆転させた対立図式をゆるがすことができるのだろうか。
そのような問題意識と、チェパンにとっての他者と自己との複雑な関係を描き出す目的で、本書では通常の民族誌的記述とは異なる方法を採った。それが「〈他者/自己〉表象」で、これは、私という他者に対するチェパンの人びとによる表象、チェパンという他者に対する私自身による表象、他者と自己に対するチェパンの人びとによる表象からなる。その記述は他者と自己に対する表象を交差させながら、チェパンにとっての多様な他者と自己の姿を浮かび上がらせることになった。だが、それは同時に、インフォーマントとの関係など、私の個人的な状況の披瀝とも受け取れる記述にも繋がった。その点に違和感を持つ読者も少なくないかもしれない。しかしながら、そのような構成が前述の問題に対する著者なりの試行錯誤の結果であり、筆者と人びととの表象の場における長年の格闘から生まれていることをご理解頂ければ幸いである。
本書は東京外国語大学提出の博士論文『市民という名の民族──ネパール、プラジャにおける四つの異人表象から見た象徴世界と民族的自己イメージに関する研究』に加筆修正を加えたものである。最新の調査により判明した誤りを正し、新事実を追加、さらに議論を明確にするために序論と結論、それに各章のまとめの部分を書き改めたが、全体としての主張の方向性は変わっていない。
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著者紹介
橘 健一(たちばな けんいち)
1965年東京都生まれ。筑波大学第二学群比較文化学類卒業。筑波大学大学院環境科学研究科修了。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程単位取得退学。修士(環境科学)、博士(学術)。現在、夙川学院短期大学、京都ノートルダム女子大学、立命館大学非常勤講師。
専攻は、人類生態学、文化人類学、地域政策学。ネパールでフィールドワークを続けながら、環境問題や民族、地域に関わる制度の改編と、それらについての記述を再構築する可能性を考えている。
主著書に『講座世界の先住民族 第3巻 南アジア』(共著,明石書店,2008年)、『流動するネパール』(共著,東京大学出版会、2005年)、『ネパールを知るための60章』(共著,明石書店,2000年)など。