目次
●本論編
第一章 マラヤ共産党の戦後史
一 マラヤ共産党の結成とライテク書記長
二 抗日戦争から武装闘争開始まで(一九四一年一二月~一九四八年六月)
三 武装闘争期(一九四八年六月~一九八九年一二月)
第二章 マラヤ共産党と中国、中国共産党
一 重要闘争路線の決定と中国共産党
二 幹部の中国滞在
四 「マラヤ革命の声」放送
五 医療援助
第三章 マラヤ共産党とタイ、タイ共産党
一 マラヤ共産党とタイ共産党
二 マラヤ共産党とタイ政府、タイ軍
第四章 マラヤ共産党とインドネシア共産党
はじめに
一 両党の相互支援:非常事態宣言まで
二 マラヤ共産党員のインドネシア滞在──非常事態宣言後の両党関係
三 公式文書から見た両党関係
むすび
第五章 マラヤ共産党とベトナム労働党(共産党)
一 マラヤ共産党結成とホー・チ・ミン
二 マラヤ共産党のベトナム抗仏戦争支援
三 マラヤ共産党幹部のベトナム駐在
四 地下経路、軍事訓練、医療訓練、放送局
五 両党の離間
むすび
第六章 北カリマンタン共産党と兄弟党
一 北カリマンタン共産党前史
二 インドネシア共産党、ブルネイ人民党との関係
三 北カリマンタン共産党の結党、発展、終焉
四 文銘権委員長の役割
五 北カリマンタン共産党と中国
むすび
結語
●資料編 マラヤ共産党の重要文献
資料解説
資料一 マラヤ人民は自由のために闘う
資料二 マラヤ共産党宣言――マラヤの独立、民主、和平を実現するために闘う
資料三 武装闘争の偉大な赤旗を掲げ、勇躍前進しよう
資料四 マルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想の偉大な赤旗を高く掲げて勇躍前進しよう
資料五 マラヤ共産党万歳
資料六 当面の具体的綱領を実現するために闘おう
あとがき
文献目録
北カリマンタン共産党関連主要年表
索引
内容説明
マラヤ共産党など東南アジア各国の共産党と中国、ベトナムなど社会主義国は、近い将来各国に社会主義政権を打ち建てるために、「密かな国際協力」を進めていた。見果てぬ夢に終わった、知られざる歴史の一面を多くの史料をもとに克明にたどる。
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はじめに
マラヤ共産党についての研究は数多くなされているが、その多くは一九六〇年の非常事態終了までを扱ったもので、以後同党がマラヤ、マレーシアの政治に直接の影響力をもつことはなくなったためか、一九八九年一二月の和平協定締結までさらに三〇年近く続いた武装闘争については、本格的な研究は少ない。とりわけ、マラヤ共産党が様々な形で中国からの支援を受けていたこと、一九五〇年代後半以降マラヤ共産党の軍事拠点はマレーシア国境に近い南タイにあったこと、などはよく知られていたにも拘らず、中国がどのような形で具体的にマラヤ共産党に関わってきたか、タイ共産党とマラヤ共産党とはどのような関係にあったのかなど、マラヤ共産党と「兄弟党」との関係については、管見の限りではまとまった研究は未だに全く出ていない。陳平(Chin Peng)書記長を中心とするマラヤ共産党幹部の多くが長らく中国に滞在していたことが和平協定締結後次第に明らかになり、今ようやく、滞在の顔ぶれ、時期、状況などを整理することで、中国や中国共産党とマラヤ共産党との関係の具体的な姿の一端を捉えることが可能になった。南タイにあったマラヤ共産党とその軍隊がタイ政府、周辺のタイ住民、タイ共産党とどのような関係を築いていたかについても、当事者側からの資料が得られるようになった。従来、太平洋戦争直後に二、三人のインドネシア共産党(Partai Komunis Indonesia. 以下、PKI)幹部がマラヤ共産党指導に当たったことくらいしか知られていなかった同党との関係や、ホー・チ・ミン主席が一九三〇年にマラヤ共産党創建会議を主宰したこと、イギリスのスパイとして送り込まれ一九三九年から一九四七年までマラヤ共産党書記長の任にあったライテク(Lai Teck)がベトナム出身でかつてインドシナ共産党員だったことくらいしか知られていなかったベトナム労働党(共産党)との関係も、一端ながら明らかになってきた。本書は、こうした状況の中で、マラヤ共産党の対外関係、兄弟党との関係を解明しようとするものである。これによって、マラヤ共産党の闘争がどのような状況の中で進められたか、それはなぜ敗退せざるを得なかったか、の一端が解明できるのではないかと思う。
東南アジア各国の共産党は、それぞれ独自の路線、闘争方針をもつものではあったが、一九四八年に多くの党が踵を接して武装闘争に踏み切ったように、東南アジア諸党間の横の連携やソ連、中国からの「指導」を窺わせる面も併せもっていた。この一九四八年のいわば一斉蜂起については、すでに幾多の研究がなされている。ところが、その後の、一九五〇年代半ば以降の「平和共存」期、一九六〇年代半ば以降の中国文化大革命の影響を受けたいわば「武装闘争再開・隆盛期」、一九七〇年代初頭に中国が各国政府との友好関係構築に努めるようになって以降のいわば「武装闘争下降期」については、こうした横のつながりを分析した研究はほとんどなされてこなかったといってよい。一九五〇年代後半に中ソ対立が起き、ベトナムを除く東南アジア各国の共産党はいずれも強硬路線の中国共産党に与して同党との関係を一層緊密化させ、ソ連共産党を修正主義と批判して同党との関係はほぼ失われた。しかし、この時期の各国共産党について、中国、中国共産党との関係や各党間の関係を具体的に系統だって分析した研究が現れることはなかった。
共産党(労働党)が政権の座にあったという意味で中国同様に東南アジアの非合法共産党の闘争を国家として支援する立場にあったベトナムは、第二次大戦終結から一九七五年の最終的勝利まで、フランス、次いでアメリカとの厳しい戦いを強いられていた。マラヤ共産党はじめ東南アジア各国共産党は、折に触れてこの戦いにおけるベトナム支持、アメリカ糾弾の声明を発表しており、それは多くの場合、人民日報など中国の報道を通して世界に伝えられた。しかし、一九七〇年代末、中国とベトナムとの対立が深まると多くの共産党は中国の側に立ち、ベトナムを「ソ連の手先」「ソ越覇権主義」と非難した。一九八〇年台初頭になると、マラヤ共産党は「ソ越覇権主義」を主要な敵に位置づけ、“ソ越から祖国を守るために、政権内愛国勢力を含む「民主連合政府」を樹立しよう”と呼びかけるようになった。こうした情勢の激変の中で、東南アジアの共産党とベトナムとの関係は具体的にどのような状況におかれることになったのか。「ベトナムが共産化すれば東南アジア諸国が次々に共産化する」との「ドミノ理論」は西側諸国でかなり広く唱えられていたが、共産勢力側にも、逆の立場から、そのような意味でベトナムの抗米戦勝利に期待する声があった。こうした期待が水泡に帰したことは、東南アジアの共産党に具体的に何をもたらしたのか。そうした視点からの分析も、ほとんどなされたことがないように思う。
インドネシアのPKIは、一九四八年のマディウン反乱で大きな痛手を負ったもののその後合法政党として着実に力を蓄え、スカルノ政権下では東南アジア最大の勢力を誇る共産党となっていた。一衣帯水のマラヤにあるマラヤ共産党は、一九六五年の九月三〇日事件でPKIが壊滅させられるまで、こうしたPKIから様々な支援を期待できたはずである。実態はどうだったか、本書ではその点も具体的に調べたい。
マラヤ共産党は、マレーシアの正史の中では、長いこと国と国民の安全を脅かす勢力、国家への反逆者、国賊の扱いを受けてきた。党員、支持者のほとんどが華人だとされ、マレー人に敵対する組織だとも指弾されてきた。しかし、一九八九年の和平会談合意に際して政府側が「マラヤ共産党の評価は歴史の判断に任せよう」との立場を打ち出したこともあって、和平協定締結後様々な回想記の出版が認められるようになり、状況に変化が生じてきた。
当事者側資料は、かつてイギリス植民地当局によってマラヤから中国に強制送還(中国国籍でない者もいたから、送「還」は適切ではないかも知れない。華語では「駆逐出境」)されたマラヤ共産党関係者が一九九二年に香港で出版した二書を手始めに、一九九〇年代末からは和平協定締結後南タイの入植地に住む元幹部の回想記が香港で、二〇〇〇年代に入ってからはマレーシアに帰還した元幹部の回想記がマレーシア国内で、多数出版されるようになった。マレーシア政府が帰国を未だに認めない陳平書記長の回想記も、シンガポールで二〇〇三年に出版された(本書は、主に、こうした回想記と元幹部からの聴き取りをまとめている)。
マラヤ共産党の闘争に密かに共鳴する者の少なくなかった華人社会が、もう一つの角度から見た歴史があって然るべきだとしてこうした回想記を迎え入れたばかりではない。一九八八年以来党委員長の地位にあるアブドゥラー(Abdullah C. D.)はじめマレー人最高幹部の回想記も多数出版され、党内で華人とマレー人との融和が図られていたこと、マレー人も委員長、政治局員、中央委員として重要な役割を果たしていたことなども知られるようになった。マレー人最高幹部が敬虔なイスラム教徒でもある旨を再三強調し、和平後多くがメッカに巡礼したことも、紹介されるようになった。マレー人研究者がマラヤ共産党の活動をマレー人の英雄的な長い反植民地闘争の歴史の中に位置づけた本も、出版された。マラヤ共産党が活動を止めた後、その役割を、冷静かつ公正に、客観的に位置づけようとする機運が高まっているのである。本書は、こうした客観的評価を国際的な視野から捉えてみようとする、ささやかな試みである。
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著者紹介
原不二夫(はら ふじお)
1943年長野県生まれ。
1967年東京大学経済学部卒業。学術博士(1997年東京大学大学院)。専攻はマレーシア現代史、東南アジアの華人社会。
アジア経済研究所を経て、現在、南山大学外国語学部アジア学科教授。
主著書に、『英領マラヤの日本人』(1986年、アジア経済研究所)、『忘れられた南洋移民――マラヤ渡航日本人農民の軌跡』(1987年、アジア経済研究所)、『東南アジア華僑と中国』(1993年、アジア経済研究所、編著)、Malayan Chinese and China: Conversion in Identity Consciousness, 1945-1957,(1997年、 Institute of Developing Economies. / 2003年、Singapore University Press)、『マラヤ華僑と中国――帰属意識転換過程の研究』(2001年、龍渓書舎)、『馬来亜華僑与中国』(劉暁民訳)(2006年、Bangkok、泰国曼谷大通出版社)など。