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広東の水上居民

珠江デルタ漢族のエスニシティとその変容

広東の水上居民

「蛋家」「水上人」とも呼ばれ、今は漢族と認定されているかつての水上生活者。「陸上漢族」の間の様々な「境界」を克明にたどる。

著者 長沼 さやか
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2010/02/20
ISBN 9784894891548
判型・ページ数 A5・304ページ
定価 本体5,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

序章

 第一節 本書の目的と問題の所在
 第二節 調査地概況
 第三節 調査の概要と本書の構成

第一章 水上人とは誰か──広東省中山市を例に

 第一節 はじめに
 第二節 水上人の地域性の検討
 第三節 水上人の特殊性と普遍性の検討
 〈考察〉水上人とは誰か──相対的差異から生じるバウンダリー

第二章 水上人の国民化の過程──民族識別工作および集団化政策を経て

 第一節 はじめに
 第二節 蛋家から水上人へ──民族識別工作を経て
 第三節 水上人から専業集団へ──集団化政策を経て
 〈考察〉水上人の国民化の過程

第三章 定住化過程における水上人の生活の変容──黄圃鎮M村を事例に

 第一節 はじめに
 第二節 M村民の定住化と生活の変容
 第三節 M村の風俗習慣の変容
 〈考察〉水上人は陸上人になりうるのか

第四章 「咸水歌」の変遷と「水郷文化」の創出

 第一節 はじめに──「僑郷」と「水郷」
 第二節 咸水歌の変遷と復興
 第三節 水郷文化表象のなかの水上人
 第四節 水郷文化は誰のものか──咸水歌をめぐる人々の語り
 〈考察〉創られる水上人

結論 広東の水上居民──珠江デルタ漢族のエスニシティとその変容

 第一節 広東の水上居民──一九四九年から現在まで
 第二節 相克する人々──珠江デルタ漢族のエスニシティ

おわりに
引用文献一覧
索引

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内容説明

「蛋家」「水上人」とも呼ばれる船上生活者は、経済・政治的動因によって断続的な陸地定着を果たし、今日では漢族と「認定」されている。今も彼らと「陸上漢族」の間に見られる様々な「境界」に着目、そのあり方を克明にたどる。


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まえがき


水上居民とは、現代中国語で船上生活者を意味する。東アジア周辺において、このような人々が暮らしている(または、暮らしていた)とされる地域は、日本列島から中国南部を経て東南アジアに至るまでの沿海域と内陸水域にひろがっている。そのうち、日本、香港、東南アジアの各地において、これまで重要な研究の蓄積がなされてきた。


たとえば、日本の瀬戸内海や九州地方では「家船」(エブネ)と呼ばれる船上生活者の定住化過程について一九八〇年代までに調査研究がおこなわれた[伊藤 一九八三、河岡 一九八七、野口 一九八七]。これより以前から、日本においては戦後の高度経済成長により、船上生活者が定住化の過程にあったからである。さらに、家船の人々が定住して数十年が経過した近年においては、長期出漁にともない、あらたに家船生活を戦略的に取り入れた瀬戸内海の漁業従事者の事例が報告されている[金 二〇〇三]。


また、東南アジアではかつてD・E・ソファーによって、「漂海民」(Sea Nomad)の起源と移住の足跡を解明する試みがなされた[Sopher 1965]。ソファーの研究領域と対象となる漂海民は、マレーシアの「オラン・ラウト」や、メルグイ諸島の「モーケン」、フィリピンの「バジャウ」など広範に及んでいた。ソファー以後は、分布範囲が広く人口の多いフィリピン・スールー海域周辺のバジャウに関して、多くの研究成果があげられている。とりわけ、二〇世紀後半からは、近代国家の成立にともない漂海民の陸地定住化が進んだことから、主としてその定住化過程と文化変容に関心が払われた[ニモ 二〇〇五(1972)、Sather 1997]。このほか、海を生活舞台に移動する人々と、近代以降に画定された国境との関係性を考察した床呂[一九九九]や、定住化をとげた元漂海民に対する開発援助と、それにともなう経済生活の変容をあつかった青山[二〇〇六]など、多様な切り口から研究がおこなわれている。


一方で、中国南部は水上居民について記された文献資料が数多くあるにもかかわらず、かつてイギリス領であった香港をのぞいて調査研究は十分におこなわれてこなかった。それは中国本土において一九四九年に中華人民共和国が成立して以降、学術調査の実施にさまざまな制限が課せられたことと関係している。しかし、そうした状況も中国が改革開放路線に踏み切った一九八〇年代以降、緩和のきざしをみせ始めた。このような背景から、本書は、中国本土においてはじめての水上居民研究と位置付けられる。ゆえに、本書が掲げる目的の一つは、一九五〇年代から今日までの中国本土における水上居民研究の空白を埋めることである。


また、本書が対象とするのは、数多くの文献資料において水上居民の生活舞台として描かれてきた広東省珠江デルタ地域(以下、珠江デルタと称する)である。当地は広東省都の広州を中心に、古くから中国南部における政治や海上交通の要衝となってきただけでなく、広大なデルタ地帯では水田耕作や養蚕、果樹栽培などが営まれ、豊かな地域として発展をとげてきた。このような恵まれた経済状況のもと、当該地域においては、「宗族」と呼ばれる父系親族集団が大きな力を持つようになった。宗族は、「族譜」と呼ばれる一族の歴史や系譜の記録を保持し、「祠堂」という建物において共同で祖先を祭祀しながら、つながりの強固な親族組織として発達していった。とくに王朝時代においては、多くの官僚を輩出した有力宗族が、地域社会の政治・経済に多大な影響を及ぼすようになった。その勢力を顕著に示すのが、土地所有の状況である。古くは宋代以降より、低湿地であったデルタ地帯を干拓して整備した耕地は、中華民国期の一九三〇年代、ほとんどが宗族の所有となっていた[陳 一九四〇(一九三四):四一]。


本書が対象とする広東の水上居民とは、このような宗族中心の珠江デルタにおいて、土地にしばられず、家族単位で移動をくり返していた人々であり、つねに社会の「周縁」におかれた存在であった。そのような水上居民が、宗族の人々、すなわち陸上漢族との関係性のなかでいかなるエスニシティを形成し、それが今日までどのように変容してきたのかについて考察することが、本書のめざすもう一つの目的である。


私がはじめて調査のために珠江デルタをおとずれたのは、二〇〇一年九月のことであった。翌年から予定していた長期フィールドワークにそなえて現地の研究機関をおとずれ、調査候補地の参与観察をおこなった。その後、受け入れ先の大学が決定し、二〇〇二年九月から二年間の長期滞在が可能となった。そうして実現したフィールドワークであったが、そこで目の当たりにしたのは、思い描いていたものとはかけ離れた水上居民像であった。


調査をおこなう以前は、先行研究や歴史資料の読み込みから、広東地方の歴史や社会、水上居民に関する知識を得た。すでに述べたように、珠江デルタの水上居民については多くの文献資料が残されている。そこに描かれているのは、「船を以って家と為す」、「魚を捕って糧食に代えている」、「代々、住むところを定めない」といった土地にしばられない船上生活者としての姿である。また、一九六〇年前後の香港では、水上居民に関する著名な研究がいくつかおこなわれているが、それらが対象としていたのも船上生活の漁民であった[Anderson 1972; Ward 1985; 可児 一九七〇]。これら文献資料より得た知識から、船に住む漁民を水上居民と考えていた私は、調査地において目や耳にした状況に戸惑った。デルタ地帯において、水上居民は必ずしも船に住んでおらず、陸の小屋を住まいとする者も少なくなかった。生業も、漁業はむしろ少数で、農業に従事する者のほうが圧倒的多数であった。陸上に住み、陸上の生業に従事していながら、水上居民と呼ばれる人たちがいる。その事実は、水上での特殊な居住形態や生業こそ、陸上居住者との境界であるとする私の予想を、あっさりと否定したのである。


さらに時が経つにつれて、先にあげたような生活様式への言及はいくつもある水上居民像の一つであり、それを語る人、語る場所、場面によって少しずつ異なってくることがわかってきた。船上生活の漁民を水上居民とみなす場面もたしかにある。たとえば、広東の古い歴史や文化を語る際、船に住み、漂流しながら漁業をしていた人たちは広東の先住民の末裔であり、水上居民であると説明されることがある。しかし一方で、新しい時代に話がおよぶと、珠江デルタの低湿地で過酷な農業労働に従事し、今日の発展の基礎を築いた人たちこそが水上居民であると、その功績が讃えられる。


こうなると水上居民とは、単に生業や居住形態の違いによって特徴づけられ、カテゴリー化された存在ではないと見なすべきである。場面によってさまざまな語られ方がされているにも関わらず、それらがすべて水上居民という一つのカテゴリーに落とし込まれている。その背景には、そうすることで満たされる何らかの都合や事情が存在していると考えられる。その事情が誰のものであり、どういった都合を満たすために水上居民というカテゴリーが生み出されてきたのかは、本書のなかで解明されている。


さて、以上のような疑問は、特殊な生業や居住形態によって水上居民が描き出されていたかつての香港において、提起されてこなかったものである。その点において本書は、香港研究の成果を乗り越えられたと言えるだろう。戦後間もない香港には、中国大陸から多くの移民が押し寄せ、船上生活者の数が爆発的に増加していた。そうした状況において水上居民は、船に暮らす人と同義でとらえられていた。このように、居住する地域の自然条件や社会の成り立ち、時代背景によって水上居民はさまざまなとらえられ方をしている。


一方、本書があつかう事例は、珠江デルタの水上居民にとどまっている。中国南部では広東省全域のほか、福建省、海南省でも古くから水上居民が暮らしていたと言われている。これらの地域において、どのような人々が水上居民と呼ばれ、どういった理由でそのカテゴリーが保たれてきたのかについて、今後明らかにしてゆく必要があるだろう。そのような見通しにおいて、本書が小さいながらも初めの一歩となればと思っている。


なお、本文中に示す人名や地名はすべて仮名とした。水上居民はしばしば、陸上漢族から差別的なまなざしを向けられてきた。そのため、現在でも水上居民の出身であることを積極的に示す人はほとんどいない。こうしたことへの配慮から、地域や個人が特定できないよう仮名を用いた次第である。以上をご了承願いたい。

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著者紹介
長沼さやか(ながぬま さやか)
1976年、群馬県生まれ。
総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
現在、国立民族学博物館外来研究員。
共著論文に、「水上居民の家船居住と陸上がりに関する文化人類学的研究 中国両広とベトナムを中心に」(『住宅総合研究財団研究論文集34号』2008年)など。

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