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広西移民社会と太平天国☆(全2巻)☆

本文編・史料編

広西移民社会と太平天国☆(全2巻)☆

移民・少数民族接触地域の社会的流動性と階層上昇エネルギーから、運動参加に至るメカニズムを解明。史料編:解題・註・系図等。

著者 菊池 秀明
ジャンル 歴史・考古・言語
出版年月日 1998/02/20
ISBN 9784938718046
判型・ページ数 A5・1262ページ
定価 本体25,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

〈本文編〉

 はしがき

 序 章 太平天国史と中国移民社会史研究をめぐる諸問題
    1 中国民衆反乱史研究をめぐる課題──太平天国と義和団、白蓮教
    2 中国社会史研究をめぐる新動向──移住と宗族、少数民族

●第1部●「客籍」エリートの成立と土官の「漢化」──広西における「上等の人」の形成と変容

 第1章 「客籍」エリート集団の形成と変容──桂平県「安良約」のリーダー達をめぐって
    1 桂平県北部における漢族移民の入植
    2 「客籍」エリート集団の形成
    3 「客籍」エリート集団の成熟と安良約──古程村黄體正1族を中心に

 第2章 チワン族土官の「漢化」と科挙
    1 明代広西における新設土官の活動と「漢化」──藤県五屯覃氏と忻城県莫氏
    2 清初広西西部の少数民族政策と土官──泗城府岑氏の改土帰流を中心に
    3 広西西部における土官の「漢化」と科挙──西林県岑毓英一族の軌跡

●第2部●移民宗族のリーダーシップと地域社会──「中等の人」の上昇、下降移動と「オン食」

 第3章 新興宗族と彼らをめぐる社会関係──桂平県江口地区の族譜分析を中心に
    1 非官僚移民の移住原因と成長過程──いわゆる「オン食」の諸相
    2 「客籍」エリート集団への参入
    3 新興勢力をめぐる社会関係と成功──「結拝兄弟」と団練結成

 第4章 平南県における中流宗族の動向と国家──胡以晄一族の「オン食」と太平天国参加
    1 平南県北部における漢族移住
    2 清代中期における軍人移民の没落とその原因
    3 太平天国期における中流宗族の「オン食」とその特質
    4 中流宗族のリーダーシップと「客籍」エリート、国家
 
●第3部●客家・チワン族の移住と中国専制王朝──「下等の人」をめぐる民族関係と太平天国

 第5章 両広南部における客家移民と国家──広東信宜県凌十八蜂起の背景
    1 両広南部地区における客家の入植──「新図」の形成と国家政策
    2 定着期の客家に対する国家政策の影響──辺境ゆえの科挙熱と宣講
    3 客家の生業形態と国家政策──いわゆる「オン食」をめぐる対立

 第6章 広西チワン・漢両民族の移住と「漢化」──桂平県「講壮話」韋昌輝の拝上帝会参加
    1 明代チワン族の桂東南入植と漢族移民──桂平県武靖土州の事例を中心に
    2 清代チワン族の階層分化と「漢化」──桂平県古城村侯氏と容県龍胆村陸氏
    3 太平天国前夜におけるチワン族と「客籍」エリート、中国専制王朝
    4 チワン族の「漢化」と漢族下層移民──韋昌輝親子の拝上帝会参加
 
●附編●桂平県・藤県山区の移住と拝上帝会──紫ケイ山・大黎郷における太平天国調査報告

 第7章 「金田団営」の前夜──桂平県紫ケイ山区における移住と拝上帝会
    1 紫ケイ山の現在──1989年の調査から
    2 紫ケイ山における移住──大藤峡ヤオ族反乱の弾圧とチワン族佃戸の入植
    3 清代中期における客家移民の紫ケイ山入植──石人村王氏と大冲村曾氏
    4 紫ケイ山における客家移民と少数民族──拝上帝会参加者をめぐって

 第8章 藤県北部における移住と太平天国──李秀成ら「四王」の族譜分析を中心に
    1 大黎の現況と太平天国調査の報告
    2 明代藤県北部の開拓──五屯千戸所と漢族の移住
    3 清代前期の大黎開拓──漢族諸宗族の形成
    4 太平天国前夜の大黎──宗族組織の発展と社会矛盾

 終 章 広西移民社会と太平天国

  あとがき
  索引(事項・人名・地名/図表一覧)


目次
〈史料編〉
  序文

●第1部●桂平県金田鎮

  1─1   王謨村『劉氏族譜』
           解題・系図
  1─2─1 彩村『羅家族譜』
  1─2─2 広東高明県『高明羅氏族譜』
  1─2─3 『広西郷試シュ巻』羅啓コウ
  1─2─4 彩村『建造社亭碑記
           解題・系図
  1─3─1 古程村『黄氏族譜』
  1─3─2 黄體正『帯江園雑著草』
  1─3─3 黄體正『帯江園詩草』
           解題・系図
  1─4   鰲田村・莫村『許氏族譜』
           解題・系図
  1─5   莫村『傅氏族譜』
           解題・系図
  1─6   理村『楊氏族譜』
           解題・系図
  1─7   理村韋氏『宗支部』
           解題・系図
  1─8   安衆村・吉嶺村鍾氏『族部』
           解題・系図
  1─9   禾寮村『呉氏祠堂碑記』
           解題・系図

●第2部●桂平県江口鎮、ドウ心郷

  2─1─1 江口鎮竹斐村『陳族世系』
  2─1─2 『広西選抜貢巻』陳志元
           解題・系図
  2─2─1 江口鎮盤石村『黄氏族譜』
  2─2─2 江口鎮盤石村『黄氏信亭公族譜』
  2─2─3 江口鎮盤石村『萬霊廟碑』
           解題・系図
  2─3─1 江口鎮古練村『黄氏族譜』
  2─3─2 江口鎮古練村『黄廷勲墓碑』
  2─3─3 『広西郷試シュ巻』頼鶴年
  2─3─4 江口鎮古秀村『重修3宝寺碑記』
           解題・系図
  2─4─1 江口鎮石頭脚村『陳光業墓碑』
  2─4─2 江口鎮石頭脚村陳氏『家史』
  2─4─3 江口鎮蓮塘村『陳氏族譜』
  2─4─4 江口鎮尋線村陳氏『真明公族譜草案』
           解題
  2─5─1 ドウ心郷王挙村『謝氏族譜』
  2─5─2 ドウ心郷王挙村謝氏『王挙2世祖建菴公家訓』
  2─5─3 『広西郷試シュ巻』謝宗清
           解題・系図
  2─6─1 ドウ心郷上瑶村陳氏『族部』
  2─6─2 ドウ心郷陳氏『上瑶嶺之文表府』
           解題・系図

●第3部●桂平県(その他)

  3─1   桂平県蒙墟鎮古城村『侯氏族譜』
           解題・系図
  3─2   『広西郷試シュ巻』陳鳳誥、陳岱コン
           解題

●第4部●平南県、藤県、蒙山県

  4─1   平南県官成鎮官村『羅氏族譜』
           解題・系図
  4─2   平南県官成鎮『胡氏族譜』
           解題・系図
  4─3   藤県和平・太平鎮、平南県同和鎮『呉氏族譜』
           解題・系図
  4─4   藤県5屯江『覃氏族譜』
           解題・系図
  4─5─1 蒙山県『西馬陸氏家譜』
  4─5─2 藤県大黎郷古制村『陸氏族譜』
           解題・系図

●第5部●その他

  5─1   容県石寨郷龍胆村『陸氏家譜』
           解題・系図
  5─2─1 広東信宜県銭排鎮凌氏『河間流水譜』
  5─2─2 広東信宜県銭排鎮『凌氏族譜流水部』
           解題・系図

 あとがき
 参考文献

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内容説明

現地踏査で得た新史料・族譜の精緻な分析から、移民・少数民族接触地域における社会的流動性と、階層上昇エネルギーを跡づけ、運動参加に至るメカニズムを解明。史料編には、40余の史料に解題・註・系図等を付す。


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はしがき(本文編) 菊池秀明


名古屋郊外の私立大学に赴任して5年、著者はいつも学生に「国際人になるためには、まず地元の歴史に強くなろう」と教えている。異文化を理解するためには、自分達の足下から見つめて欲しいという願いをこめてそう話しているのだが、実際のところ我々日本人の生活は相当に無機質なものになっており、「生きること」の意味を問い直す手がかりを捜し出すのは決して容易ではない。
中国は長い間「近くて遠い隣人」であった。古くから日本は中国を師と仰ぐことで自らの文化を形成してきたが、わずかなケースを除いて中国社会に直に触れるチャンスは存在しなかった。こうした傾向は日本の中国史研究においても例外ではない。中華人民共和国の成立に軍国主義の道を歩んだ日本と異なる「近代」の可能性を見た時代、文化大革命の主張に少なからず影響を受けた時代は無論のこと、華僑に代表される移民のバイタリティーに関心が集まる現在もなお、我々日本の研究者は中国人の「素顔」を明らかにし得たとは言いがたい。
本書は中国近代史上の重要事件であった太平天国運動(1850年~1864年)の社会的背景を、実地調査の成果に基づいて解明しようとする試みである。特に運動の発祥地となった広西移民社会の形成とその特質について、著者が現地で発見、収集した第1次史料を中心に分析を進める。この第一次史料は多くが族譜(日本の家系図に相当)や碑文であり、野に埋もれていたこれらの史料を系統的に発掘出来たことは太平天国史及び中国社会史研究の進展において大きな意義を持つものと考えられる。また歴代祖先の誕生から死までを綴ったこれらの史料は、当時の人々の息づかいや様々な「想い」を鮮明に伝えてくれている。なおそのうち重要な4十3篇の史料については、『広西移民社会と太平天国』【史料編】に収録した。併せて参照して頂ければ幸いである。
本書はこれらの史料と農村調査における知見をもとに、広西移民社会の構造と太平天国運動の発生原因について人口及び社会階層の流動性、異民族間の接触(とくに少数民族の「漢化」)に注目しながら検討する。本書が繰り返し投げかける問いとは、「太平天国の参加者(または反対者)である彼(彼女)は、いかなる歴史的背景の下に生まれ、育ったのか」「いかなる理由から太平天国に参加(もしくはこれと対立)したのか」という問いである。それは辺境における移民の入植によって今日のスケールまで膨張を遂げた中国社会において、その担い手であった民衆が何を求め、どのように生きたかを理解する作業にほかならない。
本来歴史家の使命とは、文字史料の行間に隠れた人々の「想い」や「痛み」を掘り起こし、これを後世に伝えることにある。また異文化世界の歴史を描くことは日本人である我々を相対化し、見つめ直す上で不可欠の作業であろう。本書は広西フロンティアを彩った移民達の行動様式と、安定や成功を求める彼らの情熱が生み出した様々な社会現象を取り上げることで、中国民衆の「素顔」に迫ろうとするものである。混迷を深める現代日本において、我々が「遅れた社会」という名の下に否定ないし無視してきたアジアの農村と、そこに生きた人々の姿に目を向けることは、我々自身のあり方を問い直す上で大きな意味を持っていると思われるのである。
なお本書では、史料用語などの漢字にふったルビは原則的に普通話プートンホワ(北京官語)音を用いるが、いくつかのキーワードについては調査地の標準語である「白話バッワー(広東語系の土語)」「客家話ハッガーワー(客家語)」音を用いる。煩雑を避けるため、両者の区別は特に必要がない限り注記しないことにしたい。
序文(史料編)
菊池秀明
歴史家の仕事は大きく分けて3つある。その1つはある歴史的事象について歴史家自身が生きた時代の要請に基づいて分析する作業であり、第2はその内容を後世に語り継ぐ作業である。そして第3の仕事とは、歴史家自身が野に埋もれた史料を捜し出し、風化しつつある史実を掘り起こす作業である。
この第3の仕事の重要性については、司馬遷が『史記』を執筆するにあたり、多くの父老を訪問して伝承を記録した例が思い起こされる。また日本史研究者にとってみれば、文書の発掘は今更取り上げるまでもない日常の作業であろう。だが外国史研究、特に国内所蔵の漢籍史料を中心に研究を進めて来た日本の中国史研究においては、長く日中の国交が断絶していたこともあって、新史料の発掘を行なう可能性は殆んど存在しなかった。
近年中国との交流が盛んとなり、日本の中国史研究者が現地を訪問し、様々な研究活動を行なうことが可能となった。また中国に長期滞在し、中国社会に身を置く中から問題意識を形成することも出来るようになった。だが現状を見る限り、我々はこのチャンスを存分に活かして、先達が果たせなかった右の課題に取り組んでいるとは言いがたい。その原因として言語や習慣の壁、性急な結果を求める日本社会の圧力、中国側研究機関の受け入れ体制など様々な要因が挙げられるが、何よりも我々が研究そのものを「図書館(或いはトウ案館)で史料を閲覧すること」と自己規定し、新たな史料を発掘する努力を怠っていることが大きいのではないかと思われる。
本書は『広西移民社会と太平天国』【本文編】において、論拠として挙げた族譜、碑文などの第一次史料のうち、重要と考えられる四十三篇を収録したものである。その多くは編者が1989年から1993年までに広西桂平市(旧桂平県)、平南県、藤県、広東信宜県で行なった農村調査において発見、収集したもので、従来の研究では用いられたことがないか、部分的に紹介されるに止まっていた文献史料である。
これらの史料を収集するにあたり、編者は次の3点を重視した。1)広西移民社会の形成過程を把握するに足る系統的な発掘作業であること、2)出来る限り史料的信憑性の高い文献史料を収集すること、3)太平天国運動の発生原因を多方面から明らかにするため、運動参加者とこれに対立した勢力の双方について調査を行なうことである。
各県における調査に先立っては、地方志と建国後の中国で行なわれた太平天国に関する調査報告をベースに調査対象の村落及び宗族を選定した。この作業では地方志の列伝、科挙合格者の1覧表、各種公共事業における参加者リストを活用し、多くの科挙合格者を生んだエリート層に焦点を定めた。また科挙合格者の数そのものは少なくとも、地域社会でリーダーシップを発揮したと思われる宗族、人物についてはこれを重視した。
この結果例えば桂平県金田、江口鎮で清代に進士、挙人に合格した四十名余りのうち、二十二名の人物に関する記載を本編に収録することが出来た。また科挙エリートとして成功を収められなかった宗族についても、太平軍参加者、団練指導者を中心に出来るかぎり調査した。さらに広西の主要な少数民族であるチワン族についても、数篇の族譜を収録している。なお族譜を発見出来なかった幾つかの宗族については、『広西郷試シュ巻』(科挙合格者が作成する試験答案の小冊子)によってこれを補った。
本編に収められた史料は族譜、碑文が中心であるが、それぞれが一定の目的を持って作成されたものである。特に祖先の功績を称えることに重点が置かれた族譜の場合、その活用は慎重を期すべきである。そこで本書は収録した各史料について考証作業を行ない、地方志などの記事と照合することで記載内容の信憑性を確認し、これを注記した。また史料(或いは宗族)ごとに解題を加え、史料の性格と特徴、発見時の状況など明記した。これらの作業は現時点で必ずしも完全なものとは言えないが、今後さらに調査を継続することで不足部分を補いたいと考えている。
本書の編纂にあたっては、史料の体裁を出来る限り忠実に再現するよう努めたが、「抄録」の史料については読者の便宜を考えて1部配列を変更した場合がある。また広西で盛んだった「風水」に関する記載や、個人の生年月日、死亡日時に関する記録は一部省略した。なお文中の括弧のうち、[ ]は文脈を補うもの、( )は補足を意味するが、その他原註に関わる括弧は史料ごとにその内容を記している。
末筆になったが、調査に協力して下さった方々、史料の閲覧を快く許可して下さった諸老人に心からお礼を申し上げたい。桂平市は1994年に洪水が発生し、金田、江口両鎮の被害は甚大だったと聞く(本編に収録した史料の中にも被害を受けた例があると推測される)。一日も早い復興をお祈りする次第である。


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著者紹介
菊池秀明(きくち ひであき)
1961年、神奈川県生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、文学博士。
1987年から1990年まで広西師範大学歴史系、広西社会科学院歴史研究所に留学し、農村調査を行なう。
現在、中部大学国際関係学部助教授。
〈主要論文〉
「太平天国前夜の広西における移住と『客籍』エリート」
「明清期、広西チワン族土官の『漢化』と科挙」
「明清期の両広南部地区における客家移民の活動と国家」

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