秩父事件とパリ・コミューン
19世紀の末、パリと秩父で起きた2つの事件。フランス人神父が、豊富な史料と実地調査から掬い上げた、民衆蜂起の論理と倫理。
著者 | コルベジエ,A. 著 |
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ジャンル | 歴史・考古・言語 |
シリーズ | アジア・グローバル文化双書 |
出版年月日 | 1995/10/18 |
ISBN | 9784938718152 |
判型・ページ数 | 4-6・200ページ |
定価 | 本体2,000円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
第一章 困民軍の総理・田代栄助が語る秩父事件──田代栄助の尋問調書
夢と現実(第一回尋問)
農民たちの蜂起(第二回尋問)
秩父(大宮郷)への侵入(第三回および第四回尋問)
自由党との関わり(第五回尋問)
徹底的な取り調べ(第六回尋問)
第二章 秩父事件ノート
「猫をかもうとする鼠」の闘い
「貧民を救うため」
「屯集の村民」の役割
栄助と常次郎
新しい時代に属する者たちによって起こされた秩父事件
第三章 パリ・コミューンと秩父事件
「パリ・コミューン」とは
搾取する者への闘い
自由を目指す闘い
暴力を抑えようとした人びと
第四章 フランス革命におけるパリの労働者たち
あとがき
初出一覧
参考文献
内容説明
19世紀の末、パリと秩父で起きた2つの事件を結びつけるものは何か。在日40余年のフランス人神父が、豊富な史料と実地調査から掬い上げた、民衆蜂起の論理と倫理。困民軍の総理・田代栄助の尋問調書の精読から、事件の真相に迫る。
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「秩父事件」をご存じか──序に代えて アルベール・コルベジエ
「秩父」という町は、東京からおよそ百キロたらずのところにある伝統的な町である。東京の池袋駅から二つの路線を利用して、行くことができる。その一つは、所沢と飯能経由で、多くのトンネルをくぐり抜けていくものであり、もう一つは、秩父・熊谷線の寄居町まで行き、寄居から荒川沿いに進んでいく路線である。非常に美しい山々に囲まれたこの町は、十二月の大祭のおりは言うに及ばず、ハイキングを楽しもうとする観光客や、一番から三十四番までに及ぶ札所巡りをしようとする熱心な巡礼たちを、一年中、全国から迎え入れているが、よそから移り住み、長い年月をこの町で過ごすようになると、いささか閉鎖的な感がしなくもない町でもある。
一八八四年、「明治」に入って十七年目のことであるが、秩父の農民たちは政府当局に反旗をひるがえして立ち上がり、この出来事は、工業の近代化に伴い、経済成長を目指してその道をひた走っていた日本を驚かせることになる。高校の歴史の教科書に何ページにもわたって記述されるほどの事件ではないとしても、当時、これは社会に大きな波紋を投ずるような事件であった。埼玉県民や自由民権運動に関心を抱く人たちにとっては、今なお、忘れることのできぬ事件であり、ある種のシンボルともなっている。この後、本書の本文冒頭で紹介する「田代栄助」という農民救済運動の最高幹部にあたる人物の尋問調書を読めば分かることであるが、事件勃発の主な原因は、いわゆる松方デフレによる不況と輸出生糸の暴落によって、養蚕地帯の人びとが悲惨な状態に追い込まれたことにあり、武装蜂起が起こったのは、農民たちの代表者と、政府当局や官憲並びに高利貸しとの交渉が失敗に帰したことに起因するものであった。
両者間の交渉が開始されたのは、一八八三年暮れのことであった。それから年あけて三月にも交渉がもたれた。これは秩父町の北東部に位置する「吉田」という山麓地帯に住む農民の若いリーダーたちが始めたのだったが、九月には秩父に住み養蚕を営むと同時に、資格なしの代言人(弁護士)を務めていた田代栄助と、群馬県からやって来て、自由党員として豊かな経験を持つ小柏常次郎の二人を迎え、破産の危機に迫られていた農民たちを助けるための最後の交渉を開始した。しかし、郡長や官憲が高利貸しの側に立ったため、これらの交渉はすべて決裂したのだった。
そして十一月一日に農民たちは立ち上がった。下吉田の∈椋むく∋神社境内に集まった農民たちは、二つの部隊の形で隊伍を組み、まず小鹿野町、次いで秩父町を占領し、そこに住んでいた高利貸しを懲らしめたり、金持ちからは「軍用金」を徴収したりした。
秩父町が農民たちの手に落ちたのは、ほんの三日だけのことである。リーダーたちが郡長の逃げ去った郡役所に「困民軍本部」を置いたのは、ただ一日だけである。十一月三日には、政府軍や官憲、警官たちの手で秩父の町は包囲された。四日になると、百人以上の農民を引き連れて埼玉県児玉郡の方へ逃げ、政府軍と激しい小競り合いを起こした大野苗吉と、二百ないし、三百人の農民を引き連れて長野県に向かい、九日まで戦闘を続けた菊池貫平を除き、田代栄助を含む他のリーダーたちやその指揮下の農民たちは散り散りばらばらになり、困民軍ははかなく崩れ去ってしまったわけである。
この秩父事件が起こったのは、貧しいパリっ子たちがフランスでパリ・コミューン(パリ市会)の指導の下に政府軍と闘ってから十三年後のことである。フランスの歴史をひもといてみると、「フランス革命」後、結束する権利を奪われ、雇用者や政府当局と話し合いを持つ場も失うことになってしまったパリの多くの労働者たちは、十九世紀に入り工業化が進むにつれてますます貧困状態に追い込まれ、数度にわたって立ち上がる以外に救われようがなくなってしまったことが分かる。高利貸しや政府当局との交渉をうまく運ぶことができぬまま、農民たちが引き起こしたこの秩父事件は、世界的にも名高い「パリ・コミューン」というスケールの大きい出来事といくらかなりとも類似した面があり、フランスと日本はかなり遠く離れているとはいえ、この意味で、秩父の貧しい農民たちは、「パリ・コミューン」の貧しい労働者たちと同じ仲間に属していた、と言えるのではないかと思われる。
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著者紹介
アルベール・コルベジエ(Alvert Corvaisier)
1921年、フランス・フージェール生まれ。パリ外国宣教会司祭。レンヌ神学校、パリ・カトリック学院に学ぶ。
1951年来日。1953年以降、埼玉県で宣教。川口、浦和、秩父、上福岡等のカトリック教会司祭を歴任。
主な著書に、『神は人々と共に』(中央出版社)、『福音シリーズ(1)(2)(3)』(オリエンス宗教研究所)、『火の種蒔き──1884年秩父事件』(あかし書房)、『うれしい便り』[バイブル・クラス・シリーズ全6巻](あかし書房)。