転機に立つタイ
都市・農村・NGOから
スラム・森林破壊・少数民族問題・伝統文化の喪失……、現代社会の歪みに笑顔と工夫で対応するNGOからの最新のレポート。
著者 | 新津 晃一 ・ 秦 辰也 編 |
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ジャンル | 社会・経済・環境・政治 |
シリーズ | アジア・グローバル文化双書 |
出版年月日 | 1997/02/28 |
ISBN | 9784938718176 |
判型・ページ数 | 4-6・255ページ |
定価 | 本体2,500円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
プログラム/タイ全図
序論 タイ人の目からみた日本 (クラセー・チャナウォン)
日本の経済的繁栄とその要因/タイ農村の抱える問題と地域社会の発展
第一章 タイの社会動向と日本
一 タイ経済発展の光と影 (スリチャイ・ワンゲーオ)
「光」の部分/「影」の部分/タイ社会のひずみ/バランスのとれた発展を
二 タイの文化 日本の文化 (プッサディー・ナワウィチィット)
日本のイメージ/日本文化の流入/タイのイメージ/マスコミの役割
三 タイの所得分配について (池本幸生)
不平等の拡大/中間階層の拡大/貧困層の減少と格差の拡大/貧困の中身と福祉の推進
四 タイのスラム (新津晃一)
スラムとは/都市貧困者の諸形態
第一回目の総括と質疑
第二章 気になる社会問題の現状
一 最近のタイの社会変化 (末廣 昭)
地域間・地域内格差/農村社会と工場社会/政治の方向性
二 社会面から見たタイの今日 (萩尾信也)
消費の拡大/タイ米騒ぎ/外国人労働者の問題/民主化と新しいアジアの構図
三 バンコクのスラムから (ローイ・シーハーポン)
四 タイの民主化とNGOの役割 (プラティープ・ウンソンタム・秦)
都市が作り出す農村の問題/NGOの役割/NGOの活動
第二回目の総括と質疑
第三章 変わりゆく農村
一 近年におけるタイの農村の構造的変化 (ソムキャット・ポンパイブーン)
タイ農業の現状/農村の問題/改革の道
二 タイの農村と森林事情 (樫尾正一)
近代化以前のタイの森林と農村社会/近代化の中での林業の展開と農村社会/森林資源の枯渇と農村社会の貧困/森林管理経営の問題点と住民参加/人類文明と農業──二一世紀への新しいビジョンを求めて
三 東北タイにおける農民たちの運動 (パーイ・ソーイサクラーン)
運動の始まり/運動の拡大/農村の未来に
四 転機に立つ日本とタイの農村 (小松光一)
危機に瀕する日本の農業/世界システムという問題/「離脱」の戦略と「産直革命」/日タイ農民の連帯/「アジア民衆生命圏」をめざして
第三回目の総括と質疑
解説 転機の真っ只中にあるタイ (新津晃一)
一 これまでにおけるタイ国の転機
二 今回の転機とその推移
三 今後の方向は
関係略年表
主な参考文献・関連図書
写真・図表一覧
索引
内容説明
発展著しいタイの都市や農村で、その影にあるさまざまな矛盾に立ち向かう日タイのボランティア達。スラム・森林破壊・少数民族問題・伝統文化の喪失……、現代社会の歪みに笑顔と工夫で対応するNGOからの最新のレポート。
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はじめに 秦 辰也
これからの日本とアジアとの関係を模索する上で、「一九九五年」はとりわけ私たちにとって大きな意味のある年であったのではないだろうか。
戦後五〇年。世界各地では様々な式典が開催され、戦争体験者も、そして戦争を知らない数多くの人たちも、恐らく複雑な思いでこの半世紀をとらえてみたに違いない。
この五十年間に執着すべきなのか、それとも長い歴史の中のただの通過地点と位置づけるのか。歴史観は国民や民族によって多様なものであるが、日本という国家とその国民が過去にどう行動し、今日まで何を思って生きてきたのかを振り返るには絶好のチャンスであったことには違いない。
私がこれまで一二年間暮らしてきたタイでも、戦争の傷跡をいくつかの地域でみることができる。日本のマレー半島攻略軍が当時の国際法を遵守せず、タイ南部のソンクラー県やパタニー県などに上陸し、タイ軍や警察と交戦したのは一九四一年の一二月のことだった。これにより、当時のピブン・ソンクラーム首相は日タイ同盟条約を結び、日本軍への協力を進めることになるのである。また、バンコクから二〇〇キロ余り西にあるカンチャナブリは、連合軍の捕虜たちやアジア人労働者たちを使用して多くの犠牲者の上に建設された、「戦場に架ける橋」があることで知られている。
大戦中は、セーニー・プラモート氏やプリディー・パノムヨン氏などが率いる抗日運動、「自由タイ」運動が活発化するが、当時のことを、去年八〇歳で他界したタイ人の義母はこう振り返った。
「バンコクのクロントイ港の近くに日本軍の石油貯蔵タンクがあってね。盗んだ者は息の根を止められたんだよ」。
日本軍の船が港に着くたびにあたりでは大きなサイレンの音が鳴り響いたのだというが、その話を聞くたびに、妻や義兄姉たちは、「日本人はきっとまげを結い、着物を着て腰に刀を差した鬼のような人たちであろう」と思ったそうである。
ところが、戦後のタイの教育は、その「侍」たちにならうところが多かった。学校や家庭では、「敗戦後、見事に経済的に立ち上がった日本人のように、不屈の精神で努力を怠らず、お金持ちになるように」としつけられたそうである。
一九六〇年代から始まった日本政府のタイに対する開発援助も、八〇年代にはピークに達し、一九九四年度をもって無償援助は一応終了した。高度成長期に入って順調な経済発展を遂げるタイとの、政府としての新たな関係の始まりともいえる時なのかもしれない。
一九八〇年代といえば、戦後に深まりをみせた政府間や企業間の相互依存関係の他に、NGO(民間公益団体)と呼ばれるボランティア精神に基づくグループや組織の、新たな関係がアジア各地で生まれた。お互いの利害にのみ執着した関係から、同じ人間として共に心を通わせて学び合い、同じ地球上に生きるもの同士の関係を構築しようという試みである。
そして、九〇年代、さらにこの動きは加速されているようだ。カンボジア問題などを契機として政府レベルから地方自治体レベルへ、そしてNGOからさらに個人レベルにまでその関係づくりは小規模化してきているとも言えるのである。
こうした新たな関係を象徴するような出来事が起きたのは、一九九五年一月一七日に突如襲った阪神・淡路大震災の惨事であった。死者は六〇〇〇人をはるかに越え、その無残な光景は世界各地に映像と化してその日のうちに伝えられた。そして、このむごたらしい近代都市の殺戮に胸を締めつけられ、協力の手を差し伸べようと各国の人たちがボランティア活動に参加したのである。
とりわけ戦争で日本軍が侵略したアジアからの反応は、私たちにとっては感動を与えるものであるとともに衝撃的なものだった。これまで援助を受けてきた側の、タイのバンコクに散在するスラムの住民や子供たちが募金活動を実施し、世界最貧国に数えられるラオスの人々もそれに応えた。また、カンボジアの要人たちにもそうした動きはみられ、フィリピンのピナツボの人々もわずかだがと温かい気持ちを罹災地に届けた。
こうした関係は、政治や宗教、国籍や民族の違いを越えた、人間としての真の行動ではなかったかと振り返る。そしてまた、富めるものが貧しいものへという固定観念を越えた、二一世紀にも通じる関係づくりの象徴の一片であったとも思っている。
さて、こうした親密な関係がアジアの各地でみられる今日、私たちはさらに多くの隣人たちのことを知る必要があるのではないかと思う。そして、お互いがさらに多くの友人たちを地球上に作っていくことで、良好な関係もますます深まっていくであろうと考える。
そのためにも、私たちはアジアの中でもとりわけ長年にわたる関係を築き、政治、経済、あるいは社会的な部分であらゆる角度からの交流が持たれているタイに焦点を当てることにした。戦後、とりわけ経済成長の著しいタイは、開発と同時に環境や人権、貧困など、様々な社会問題も抱え込んでいる国であり、今後のアジア諸国との関係を模索していく上で、一つのモデルケースとして取り上げることができるのではないかと思ったからである。
そこで私たちは、「アジア教育シンポジウム」をバンコクで企画・主催し、タイの実情をより具体的に理解するために、各分野における日タイ双方の専門家や実践家の人たちに参加を願い、在タイ日本大使館やタイ国日本人会、国際交流基金、アジア経済研究所、バンコク週報やタイ・日本民衆交流フォーラムの協力を得て「転機の真っ只中にあるタイ」と題して三回にわたるシンポジウムを開催した。第一回目は一九九四年三月二七日に、第二回目は一九九四年八月二七日に、そして第三回目は一九九五年八月二六日にそれぞれ行なった。この間、タイの政権は一九九二年五月に起きた流血事件後の九月に成立したチュアン政権から、一九九五年七月には与野党が逆転してバンハーン政権へと移行した。
参加していただいたあるシンポジストにはバンコクで研究活動を続けている途中に発言をお願いし、ある人はこのためにモンゴルから飛んでこられた。また、タイ側からも貴重な時間を割いて経験豊富な人たちがシンポジストとして駆けつけてこられ、これまでの体験から湧き出てくる鋭意でしかも専心な意見を述べて下さった。在留邦人の人たちや短期でタイを訪問してきた人たち、あるいはタイの学生たちなど、三回とも予想を上回る参加者が会場を埋め、今後のアジアとの関係を深めていくための勇気づけともなった。
この本の編集については、タイ在住でドゥアン・プラティープ財団のボランティアである中川紀子さんや、国際基督教大学大学院の夏目恵美子さん、タイに調査で滞在しているインディアナ大学大学院の石黒宏さん、曹洞宗国際ボランティア会の森山園生さん、佐々木智司さん、田中美香さん、伊藤丈二さんなどにも協力いただいた。また、風響社代表の石井雅さんのご協力なくしては、貴重なこの記録も日の目を見ることはなかったであろう。これらのひとびとに心から深く感謝の意を表したい。
最後に、この本が、一人でも多くの人たちのアジア理解の一助になればと願っている。
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編者紹介
新津晃一(にいつ こういち)
1940年、横浜市生まれ。67年立教大学社会学研究科博士課程単位修了。同大学社会学部助手。69年より一年半、インドのシュリラム産業関係研究所の研究員。その後、現代文化研究所研究員、余暇開発センター研究員などを経て国際基督教大学へ。85~86年、92~93年、チュラロンコーン大学客員教授。現在、国際基督教大学教授。主な著作に、「特集・発展途上国のスラムと社会変動」(編著、「アジア経済」、1984年)、『産業社会論』(共訳、至誠堂、1986年)、『現代アジアのスラム』(編著、明石書店、1989年)などがある。
秦 辰也(はた たつや)
1959年、福岡県生まれ。アメリカに渡り、サウスウエスタン・ルイジアナ州立大学卒業。84年、曹洞宗国際ボランティア会に参加しバンコクに赴任、難民問題などに取り組む。87年、社会福祉活動家プラティープ・ウンソンタム女史と結婚。現在、曹洞宗国際ボランティア会事務局長。1995年、外務大臣賞受賞。著書に、『バンコクの熱い季節』(アジア・太平洋賞特別賞)、『アジア発、ボランティア日記』(いずれも岩波同時代ライブラリー)などがある。