目次
第一章 問題提起──客家研究における巨視的視点と微視的視点
一、漢族と民系
二、一般的「客家」像
三、客家特殊論を越えて
第二章 地域社会の中の客家──香港新界地区の場合
一、香港新界における漢族の諸グループ
二、「圍頭」ならびに「本地客家」
三、香港の都市化とエスニシティーの新展開
四、香港新界における客家と本地の文化的相違
五、香港新界における本地/客家関係
第三章 客家をめぐるエスニシティーの歴史的展開
一、香港新界地区における「本地」の形成とその変遷
二、広東ならびに台湾各地における客家像
三、客家と他の民系の械闘──珠江デルタ西方地域および台湾の事例から
四、民系間に械闘が発生しなかった地域との比較
五、客家エスニシティーの多様性を生んだ諸要因
第四章 漢族/少数民族境界の再考──客家とショ族
一、ショ族の漢化ならびに客家との接点
二、広東省潮州地区のショ族における漢化
三、ショ族のアイデンティティーと客家文化
四、漢族/少数民族境界の動的視点へ
第五章 客家のアイデンティティーと歴史意識
一、外来性と土着性──客家の正統意識の背景
二、客家の歴史意識と羅香林の族譜研究
三、民系アイデンティティーにおける移住伝承のもつ意味
四、民系と系譜
引用文献一覧
おわりに
索引/地図・図表・写真一覧
内容説明
「客家特殊論」を人類学の立場から批判検証し、その歴史と実像を解明。漢族と少数民族の境界地域=華南に見られる「民族意識」の生成と変容のメカニズムから、中国全体のエスニシティーに新たな論点を呈示。〔渋澤賞受賞〕
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はじめに 瀬川昌久
筆者がフィールドワークのために初めて香港新界に赴いたのは、今からほぼ一〇年前のことになる。当初、この調査は客家の研究を直接的な目的とするものではなかったが、香港新界地域には客家系の住民が少なくなく、筆者は調査の進展を通じて次第に客家の人々と深く関わるようになっていった。香港に到着後、最初の一年間住んでいた香港中文大学の隣村も客家の村であったし、二年目に調査地として選定して住み込んだ新界中部・八郷地区のS村もまた客家の村であった。
この香港新界での調査は、その後、拙著『中国人の村落と宗族──香港新界農村の社会人類学的研究』[瀬川一九九一]として発表したとおり、あくまで村落、村落連合、宗族など漢族の社会組織の分析を主眼としたものであった。しかし、この時の調査の過程を通じて、客家と他の漢族サブ・カテゴリーとの文化的・社会的相互関係についての関心は、筆者の中で大いに高まった。それ以前に筆者が客家についてもっていた予備知識といえば、わずかに羅香林の著作と香港、台湾を研究した人類学者らによる言及を通して得たもののみであったが、香港新界で実際に目にした漢族内部におけるサブ・カテゴリーの分化とその相互関係の展開のあり方は、こうした従来の研究により構築された客家像に比べて、はるかに複雑で興味深いものに思えた。そこで、香港新界において筆者が目にした客家の姿というものを、他地域、他時代を包括するこれまでの客家研究が描き出してきた客家の全体像の中に、自分なりに位置づけてみる必要が生じたのであった。
その後、中、日、欧米それぞれにおいて各分野の研究者により蓄積されてきた従来の客家研究を読みなおし、また一九八七年と一九九〇年には中国本土における調査の機会を得た。だが、そのようにして筆者の客家についての知識が深まるにつれ、自分が香港新界のフィールドにおいて直感した問題は、香港新界という一地域の特殊性の枠をはるかに超える問題であること、すなわち、華南各地に住む客家全体に関わり、ひいては漢族、非漢族を含む華南における諸々のエスニックなカテゴリー全体にも関わる普遍的な問題であるとの確信をもつようになった。
本著はこのように、香港新界のフィールドにおける客家の人々との出会いによって生じた問題関心を出発点とし、その後、文献資料や新たな実地調査の結果をも踏まえながら、筆者が華南漢族の内外に展開されるエスニックな諸関係について折に触れて考察してきたことがらを、ここにあらためて整理しなおしたものである。第一章は、全体の問題提起として、従来の客家研究の傾向性とそこで不足していた視点の存在を明らかにする。第二章は、主に香港新界での筆者自身の実地調査資料をもとに、特定の地域社会内部における客家の実像というものと概説的な「客家民系」研究が提示してきた客家像とのズレを明らかにする。そして第三章は、香港新界の資料に加え、中国本土の実地調査結果や文献資料をも用いつつ、客家のエスニシティーの歴史的な展開過程についての仮説を提示する。第四章は、客家との深い文化的関係が認められる少数民族の~Q~∈~GAJFB04A~○ショオ∋~Q~族にスポットを当てることにより、華南漢族の民族的境界についての再考を試みる。そして最終の第五章では、客家のアイデンティティーならびに歴史意識に分析を加えつつ、羅香林以来の客家研究が依拠してきた方法論的基盤というものを批判的に検証する。
なお、本著において地名や現地用語などの漢字にふったルビは、先頭に○印を付けたものが普通話(漢語標準語)音、●印を付けたものが広東語音、▲印を付けたものが客家語音、そして■印を付けたものが~GAJFB121~南方言音(潮州語を含む)に基づくものである。地名に関しては、原則的に香港の地名以外は普通話音読みでルビをふり、香港の地名は広東語音読みでルビをふることとする。
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著者紹介
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年、岩手県花巻市生まれ。1986年、東京大学大学院博士課程中退。国立民族学博物館助手、東北大学教養部助教授を経て、現在東北大学文学部助教授。学術博士。
専攻、文化人類学。
著書に、『中国人の村落と宗族──香港新界農村の社会人類学的研究』(1991年、弘文堂)、訳書にM・フリードマン『中国の宗族と社会』(共訳、1987年、弘文堂)、論文に「村のかたち──華南村落の特色(『民族学研究』47巻1号、1982年)、「香港新界における宗族の発展と墓地風水──族譜を通じた分析」(『国立民族学博物館研究報告』17巻2号、1992年)など。