目次
地図
ヤオ族の〈家先単〉とその運用──漢族との境界維持の視点から (竹村卓二)
一 はじめに
二 〈家先単〉とは何か
三 〈家先単〉の運用
四 〈家先単〉の儀礼的意義
五 考察
六 むすび
タイ北部のミエン・ヤオ族の儀礼・総体的祭司制・漢字使用
──儀礼に見られるヤオ族の「漢化」の一側面 (吉野 晃)
一 はじめに
二 儀礼・祭司・漢字使用
三 総体的祭司制
四 儀礼的知識の修得
五 漢字修得と漢族
六 おわりに
清代貴州東南部ミャオ族に見る「漢化」の一側面──林業経営を中心に (武内房司)
一 はじめに
二 会館とその機能──漢族移住民とミャオ族社会
三 林業をめぐる二つの抗争
四 おわりに
年中行事と民族間関係──火把節からみた民族境界 (横山廣子)
一 中国における統一性と地域差
二 現代における火把節の状況
三 火把節の由来
四 火把節の展開
チャン族の「羌暦年」──理県蒲渓郷大蒲渓村の事例を中心として (松岡正子)
一 問題の所在
二 蒲渓郷大蒲渓村の概況
三 羌暦年
四 牛王会と祭牛会
五 結語
チュワン族の年中行事の地域差について──漢族との比較において (塚田誠之)
一 序言
二 チュワン族の年中行事の概要と由来
三 チュワン族の年中行事の地域差
四 整理
広東漢族の文化的多様性──本地人と客家の年中行事を中心として (瀬川昌久)
一 はじめに
二 地方志の利用価値についての民族誌論的考察
三 広東各地の年中行事
四 おわりに
香港ゴウ涌十年大ショウ──道教儀礼の中に見る漢族文化の地域性と異質性 (王ショウ興)
一 ゴウ涌聯郷の概況
二 建ショウの組織と予備行事
三 ショウ場の配置
四 建ショウ儀礼
五 結びにかえて
編集後記 (塚田誠之)
索引
内容説明
ヤオ族・ミャオ族等、中国南部に住む少数民族は、圧倒的な漢族の中で、自らのアイデンティティを保ちながら共生している。その複雑でダイナミックな「民族境界」の維持・変動を、各民族の儀礼に焦点をあて検証。注目の共同研究。
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序文 竹村卓二
一九八〇年代以降の中国本土では、開放政策の展開の下、「少数民族」についてのフィールド・ワークに基づく民族学的研究が進み、その成果が着実に積み重ねられてきた。また、広大な土地において多くの民族集団により複雑な歴史過程を経てきた中国大陸に関しては、共時的研究のみならず、長期にわたる時間軸を設定しての歴史民族学的な研究が不可欠であるが、この点についても近年人類学・歴史学双方の側からの研究が結実しつつある。このような背景のもとに、中国、とくに南部地域(華南)の少数民族に関する民族学的研究のキー・コンセプトの一つである「漢化」の問題をメイン・テーマとする研究の企画を思い立った。そして関係諸方面の協力を得て、平成三年度~五年度の三年次にわたり〈国立民族学博物館共同研究〉「中国大陸少数民族の『漢化』の諸側面──儀礼を中心とした整理と分析──」(研究代表者・竹村卓二)を実施することができた。本書はその研究成果である。(なお、同共同研究は本書に論文を収録した八名に加えて他に若干名の協力を得て行われた。)
研究のサブ・テーマとして掲げた「儀礼」は、言うまでもなく文化の重要な構成要素の一つであり、その中には様々な性格の習俗が包含されている。そしてそれは、外来の要素の受容とそれにともなう内容的変化を跡付けることができる点で、また人びとの世界観やアイデンティティを透視することができる点で、諸民族の文化の形成の歴史と現状の解明、ひいては諸民族のエスニシティの深層に接近するための糸口を我われに提供する格好の素材である。そこで中国南部の「漢化」の問題へのアプローチに際しても、諸民族の「儀礼」、特に祖先祭祀や神祇祭祀・年中儀礼(年中行事)などが極めて有効な切り口になり得ると考えたのである。
このプロジェクトの最大の特色は、少数民族研究者と漢族研究者が、緊密な協同のもとに所与の課題に取り組んだことである。華南の少数民族が歴史上、政治的経済的に優位を占める漢族からの影響を不断に受容してきたことに思いを致すならば、儀礼をめぐる漢族との関係の分析が不可欠となる。そして、その場合、漢族内部において多様な地域性が見られ、かつ少数民族諸集団にも民族による相違や民族内部での地域性などの条件の相違によって漢族的文化要素の受容の方式や内容において変差が生じたことを考慮に入れるならば、双方の内部的多様性を視座に置く必要がある。さらに、民族の枠組を越えて一定の地域範囲に共通する基層文化の存在、漢族と少数民族との相互の影響という事実には両者の二極対立的な側面のみならず連続性の側面が見出されるのである。その中で民族の「境界」がどのように人びとに意識され、どのようなシステムで維持されているのか、といった問題にも留意する必要がある。また、中国のみならず国境を越えて東南アジア大陸部に跨る民族の存在にも注意が払われなければならないであろう。こうした共通の方法論的前提のもとに、各自のフィールドにおける分析結果を材料としながら、広い視座からの共同討議を重ね、上に掲げた課題に対する討究を行った次第である。
ここにこの三年間行われた共同研究の成果を世に問う運びになったのであるが、以下に各論文の内容の概略を紹介しよう。まず、一定程度漢族の影響を受けながら、そのエスニシティの「境界」を維持し得た民族集団として知られるのがヤオ(瑶)族、とくに「過山ヤオ」(ミエン・ヤオ)である。竹村論文は、ヤオ族の境界維持機構について、ヤオ族の「家先単」の形式とその儀礼的背景を中心にヤオ族のアイデンティティとの関連において検討し、それが漢族の「宗譜」に着想の契機を得ながらも形式・内容・運用のあらゆる面で漢族の場合とは相違が見られること、そして漢族体制側が「同化」装置として用意した(「家先単」を含む)ハードウエアをヤオ族側が「渡海神話」「掛灯」儀礼などのソフトウエアの開発によって逆利用し境界の維持に成功したことを指摘したものである。
このヤオ族が漢族から受容したハードウエアの要となるのが「漢字」であり、漢字使用能力は儀礼知識の習得と儀礼体系の運用において必須とされた。この点に注目して検討したのが吉野論文である。すなわち、タイ国のヤオ族(ミエン・ヤオ)の儀礼体系とそれぞれの儀礼に対応する祭司の等級を分類した上で、高レベルの儀礼になるにしたがって漢字(三種類の読みがある)の知識・儀礼知識がより多く必要とされること(その場合、一定以上のレベルの儀礼においては成人通過儀礼「掛灯」を受礼した男子に祭司資格が認定される)、そして漢字を習得する際には代々漢族教師を雇用したことからすれば不断に「漢化」して行かなければその儀礼体系を維持できなかったことを指摘し、さらに近年のタイ国における変化(ヤオ族のタイ化)についても言及したものである。
ヤオ族とともに「漢化」しながらも「漢族化」しなかった民族集団としてミャオ(苗)族がすぐに思い浮かぶ。武内論文は「漢化」に際してのミャオ族内部での対応について、清代貴州東南部の場合を対象として検討したものである。すなわち、木材業を通じ全国的な商品経済に巻き込まれ、漢族移住民や商人の脅威にさらされて行く中で、一面では漢字の習得・科挙への応試、婚姻習俗の改変などにおいて「漢化」の道を歩みながらも、他方では直接国家権力に働きかける行為を通じてミャオ族独自の民族意識が成立して行く過程を論じたものである。武内論文には同時に「漢族」「ミャオ族」が決して一枚岩的存在ではなく、社会階層や地域の相違、および歴史的状況の変化に応じて極めて複雑な様相を呈することが示唆されているが、それは民族とその下位集団が錯綜して居住する華南地域の研究に不可欠の視点である。
これらの論文から民族の境界の維持が重要な問題となることが窺われるが、この点について年間で一定の時期に慣例的に行われる年中儀礼(年中行事)の側面から検討を行ったのが横山論文である。すなわち、雲南の少数民族の「火把節」を対象として、地方志を主に歴史文献を駆使して検討し、雲南の中でもイ(彝)族が優勢な地域では六月二四日、ペー(白)族の集中地(ないし歴史的にペー族との関係が窺われる地域)では六月二五日と儀礼の期日が分かれること、それは集団間の境界の明示としての意味をもつことを指摘するとともに、「火把節」(星回節)に関する記事が省レベルの地方志に見られることからすれば、それは雲南の「漢族文化の伝統」の流れの中にあり、雲南各地の漢族がそれぞれの地域に有力な少数民族の伝統を取り込んで行ったことを指摘したものである。
横山論文からは漢族の地域集団における少数民族的要素の存在、漢族と少数民族との文化的連続性を窺い知ることができるが、少数民族の年中行事において漢族から受容した要素が認められる場合も少なくなく、その場合漢族的要素のみならず民族に独自の要素との双方が併存する場合が少なくない。この点について、四川のチャン(羌)族について検討したのが松岡論文である。すなわち、チャン族の収穫祭「ルマジ(新年)」行事を中心に、そこに見られる伝来の要素と漢族から取り入れた要素との関連性(その場合漢族との接触の場としてチャン族による漢族地区への出稼ぎ労働が指摘される)を生業様式に十分な注意を払いつつ検討し、さらに近年の民族政策(政府主導による「羌暦年」の設定)の実施と民族側の対応の問題にもふれながら論じたものである。そこに漢族的要素を取り込みながら民族文化が形成されて行く過程と、民族内部での地域差の発生を窺うことができる。
この年中行事の地域差という問題について、広西のチュワン(壮)族を対象に検討したのが塚田論文である。それは歴史文献を駆使する従来の塚田の研究方法の土台に立って、実地調査による材料を主に使用して検討したもので、広西各地での漢族諸集団との関係のあり方に起因するチュワン族の行事の地域差について論じている。すなわち、広西のチュワン族の中でも北部や西部に居住するものの行事にはチュワン族の独自性が比較的濃厚に維持されているが、中部、東部に行くに従って「漢化」の度合いが高くなって行くこと、また北部や西部でも独自の要素のみならず漢族的要素もまた併存すること、さらに漢族の地方集団の中でもチュワン族の影響を受けたもの、ほとんど影響を受けていないものなど様々な場合が見られることを指摘している。
塚田論文では漢族内部での地域的多様性が重要な手がかりとなっているが、この点について、広東の漢族について検討したのが瀬川論文である。漢族、とくに本地人と客家を対象に、実地調査資料と地方志の記事とを組み合わせて行事の地域的変異の程度と傾向性を検討するとともに、地域差を単なる言語集団による相違として捉えるだけではなく、都市と農村との相違、移住民、基層文化など多様な要素の存在をも問題提起する。先の諸論文とともに従来の人類学、歴史学の研究の枠組を越えた新しい歴史民族学的研究の可能性を感じさせるものがあり、この点、複雑な歴史過程を経てきた華南地域の研究において重要な意味を持つ。
漢族文化の多様性という問題は王論文でも検討されている。香港西貢地区の「広東系本地人」の村落連合、ゴウ涌聯郷において、地域の安泰や孤霊の鎮魂などを目的として行われる道教儀礼(祀天儀礼と普渡儀礼を含む)である「太平清ショウ」について、儀礼の詳細な行程についての資料を提供するとともに、台湾の「做ショウ」との比較を通して民系ごとの儀礼内容の相違をも明らかにしている。そして従来、道教儀礼の研究を始めとして中国文化・社会の研究はその均一性と同一性の解明が中心であったのに対し、今後は地域性や異質性、各地域・民系の基層文化についての研究が不可欠であることを力説している。
少数民族の「漢化」は、空間的拡がりや時間的持続性を持ち、また多様な側面を持つ現象である。儀礼は民族の世界観やアイデンティティを浮き彫りにする重要な文化要素であるが、「漢化」の多面性という点からすればその一つの側面に過ぎない。今後、儀礼の側面のみならず、他の生活文化・社会組織などの側面の検討も必要であり、こうした民族文化の諸側面を視野に入れて多面的に検討する作業を通じて、「漢化」とその意味について、より説得力をもつ解釈が可能となるであろう。また、少数民族の研究に当っては漢族の研究者との緊密な連係の下に行われるべきであるが、すでに紹介したように、少数民族の儀礼における漢族の影響の受容や少数民族と漢族との文化的連続性という点を考えれば、それは今後一層強化されて行く必要がある。
儀礼を中心とするこの共同研究の試みは、少数民族および漢族の研究、あるいは民族の枠組を越えた華南地域の民族学的研究の将来における飛躍的発展を展望するための、一つの試みである。
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執筆者紹介
竹村卓二(たけむら たくじ)
1930年、東京都生まれ。東京都立大学大学院博士課程修了。
東京都立大学助手を経て現在国立民族学博物館教授。
著書に『ヤオ族の歴史と文化』(弘文堂、1981年)など。
吉野晃(よしの あきら)
1954年、東京都生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。
東京学芸大学講師を経て現在同大学助教授。
論文に「祖先への登録──タイ北部におけるミエン・ヤオ族の居住集団に関する諸観念と〈添人口〉」(『比較家族史研究』5、1990年)など。
武内房司(たけうち ふさじ)
1956年、栃木県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。
現在学習院大学文学部助教授。
論文に「太平天国期の苗族反乱について──貴州東南部苗族地区を中心に」(『史潮』新12号)など。
松岡正子(まつおか まさこ)
1953年、長崎県生まれ。早稲田大学文学部文学研究科博士課程修了。
現在鶴見大学文学部講師。
論文に「羌族の山の神祭り」(『日中文化研究』、勉誠社、1993年)など。
横山廣子(よこやま ひろこ)
1953年、東京都生まれ。東京大学大学院修士課程修了。
東京大学助手、東洋英和女学院短期大学講師を経て、現在東洋英和女学院大学助教授
論文に「多民族国家への道程」(宇野重昭編『講座現代中国3・静かなる社会変動』、岩波書店、1989年)など。
塚田誠之(つかだ しげゆき)
1952年、北海道生まれ。北海道大学大学院博士課程修了。
国立民族学博物館助手を経て、現在同博物館助教授。
論文に「チュワン族の年中行事に関する史的考察──成立過程を中心に」(『国立民族学博物館研究報告』17巻2号、1992年)など。
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年、岩手県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。
国立民族学博物館助手、東北大学教養部助教授を経て、現在東北大学文学部助教授。
著書に『客家──華南漢族のエスニシティーとその境界』(風響社、1993年)など。
王ショウ興(おう しょうこう)(ショウは山+松)
1935年、台湾生まれ。東京大学大学院博士課程修了。
台湾中央研究院、香港中文大学教授を経て、現在千葉大学文学部教授。
論文に「中国人──その中心と周辺」(黒田悦子編『民族の出会うかたち』、朝日選書、1994年)など。