目次
第一章 族譜と歴史意識
一 はじめに
二 族譜の編纂──その遡及的プロセス
三 編纂者に近い世代についての記載
四 開基祖ならびに分節始祖についての記載
五 開基祖以前の遠祖の系譜についての記載
六 おわりに
第二章 移住と地域社会の形成
一 はじめに
二 族譜に見る人々の移動性──新界原居民の祖先の移住
三 移住と地域社会の形成──その一・明末以前
四 移住と地域社会の形成──その二・清代初期から中期
五 国内移住から海外移住へ
六 おわりに
第三章 宗族間の連合と連帯
一 はじめに
二 M・フリードマンの宗族モデルと新界の宗族
三 宗族連合の形成過程──錦田トウ氏の事例を中心に(その一)
四 宗族連合の形成過程──錦田トウ氏の事例を中心に(その二)
五 宗族間の婚姻連帯──泰坑文氏の事例を中心に
六 おわりに
第四章 風水と宗族の発展過程
一 はじめに
二 事例分析・その一──蓮花地郭氏の族譜における墓地風水
三 事例分析・その二──水流田トウ氏の族譜における墓地風水
四 事例分析・その三──河上郷・金銭・燕崗侯氏の族譜における墓地風水
五 事例分析・その四──粉嶺彭氏の族譜における墓地風水
六 おわりに
第五章 風水と出自
一 はじめに
二 錦田トウ氏一族における祖先と風水
三 女性の墓と風水
四 「機械論」的風水と「人格論」的風水の共存
五 風水と民俗的出自モデルの連関
六 おわりに
第六章 客家の族譜と移住伝承
一 はじめに
二 寧化石壁伝承をめぐる諸解釈
三 香港新界客家系諸宗族の族譜にみる寧化石壁
四 おわりに
第七章 少数民族の漢化と漢族のエスニシティー
一 はじめに
二 壮族の狄青伝説
三 壮族の珠キ巷伝説と広東本地人
四 ショ族の河南伝説
五 おわりに
引用文献一覧
後跋
本著の中で参照した香港新界の族譜のリスト
図表一覧
索引
内容説明
人類学の立場から族譜の記載を徹底検証し、その仮構性と事実の間に潜む漢族の歴史意識の初源形態を追求。宗族の形成や風水、移住伝承など複雑多彩な記述を、フィールドの中から捉え直した画期的な論考。
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序 瀬川昌久
筆者は、一九八三年以来、漢族の社会組織を主たる研究テーマとして、香港新界、中国本土の広東省、福建省、海南省などを実地調査・研究してきた。その中でも最も長期のフィールドワークは、香港新界で二年間にわたり行ったそれであった。この香港新界調査では、現地の農村部に明・清時代から存続してきた村々について、その村落組織や宗族組織を詳しく分析する機会を得た。それは、社会人類学的な共時的分析の枠組みに沿った研究、すなわち現在の人々の活動そのものの観察と、彼らの語る主として近過去についての聞き書きに基づき、村落組織や宗族組織、それに方言集団アイデンティティー等の現状を分析してモデル化することを目指した研究であった。
しかし、当然ながら漢族社会のような歴史の長い有文字社会にあっては、儀礼の観察や口頭伝承の聞き書きのみが、彼らの生きる/生きてきた世界のリアリティーに接近するための手段であるわけではない。そこにはさまざまな形での文字資料が存在している。中でも「族譜」はフィールドにおいて最も頻繁に遭遇する機会があり、かつ内容的にも彼らの社会生活の実態をのぞき見るために最も利用価値の高い資料である。筆者は、実地調査のかたわら、村において、あるいは現地の大学図書館において、こうした族譜のコピーの収集に努めてきた。
とはいえ、当初はそれらの族譜が実際にどのような分析研究の材料になり得るのか、明確なヴィジョンをもっていたわけではなかった。あくまでフィールド・データの裏付け資料、あるいは村や宗族の過去の歴史についての補助資料としての認識しかなかったと言って過言ではない。したがって、族譜を参照する場合でも、一つの族譜全体を体系的に読み通すというのではなくて、特定の人物、特定の記事を拾い読みするという読み方にとどまっていた。
やがて、最初のフィールドワークから一〇年が過ぎようとするころになって、現地でコピーした族譜の劣化が心配になり出し、スキャナーを用いて画像ファイルとして保存することを思い立った。そしてこのころから、手持ちの族譜をもう少し本格的に、その隅々にわたって深く読み込んでみようと考えるようになった。その結果、あらためて族譜の中に描かれている人々の歴史の深みと、社会的文化的リアリティーに驚かされることとなったのである。族譜は、ロッカーの片隅に死蔵するにはあまりに惜しむべき資料であった。
以来、筆者はそれらの族譜を主たる資料として、そこに描かれた漢族社会の諸側面を分析する試みを続けてきたが、本著はそうした作業を一つにまとめ上げたものである。すなわち、あくまで香港新界地区の諸宗族の「族譜」という媒体を主たる分析材料として据えることにより、そこから華南漢族社会の一体いかなる側面をどの程度まで読み解いて行くことができるのかを見極めようとする試みである。
もちろん、こうした族譜資料は、フィールドワークを通じて得られる口頭伝承資料や観察資料と組み合わせることによって、より意味のあるものとなったり、あるいはそれによって初めて理解可能なものとなったりすることも少なくない。実際、本著において行う分析の中には、そうした実地調査により得た知識を必要不可欠な前提として成り立っているものもある。しかし、全体としては極力族譜そのものが語っていることに依拠し、族譜によって描き出されている限りの世界を明らかにすることを目指している。
当然ながら、族譜の記載は事実ばかりとは限らない。また、そうした族譜の事実性の詮索や、事実レベルでの過去の再構成だけが本著の主眼であるわけではない。むしろ、族譜の記載内容の真偽の判定は保留したままでも、それを括弧付きの「事実」として捉え直し、それを書かしめた編纂者の意識構造やその背後にある社会的・文化的規範を解明して行くことに大きな意味があると筆者は考えている。そしてそのような目で見た場合にこそ、族譜は宗族や祖先祭祀やその背後にある父系出自理念や父祖の地へのアイデンティティーなどについて、極めて鮮やかに我々に語りかけてくれる至宝となるのである。
以下、第一章では族譜の編纂プロセスの検討から、その仮構性ならびに背後にある歴史意識の解明を試みる。続く第二章では、族譜資料を主要な手掛かりとして、香港新界の諸宗族の移住史と地域社会形成の過程を分析する。また、第三章では、主に同地域の大型宗族の族譜をもとに、宗族間の連合と連帯関係を明らかにする。第四章では、族譜の中に書かれた墓地風水に関する記述の分析を通じ、宗族の墓地風水に対する関与のあり方を解明する。続く第五章では、主に本地系トウ氏の事例から、宗族の形成発展と風水への関与との間にどのような意味的関連が存在するのかを探る。そして第六章では、客家宗族の族譜の分析から、彼らの移住伝承である寧化石壁伝承の真偽性とその成立背景について考察する。さらに第七章では、客家の移住伝承を華南の他のエスニックグループの伝承との比較の視点から再考し、華南のエスニシティーの動態について論考する。
なお、本著で資料として利用した族譜の名称、概要、入手経路等については、末尾にリスト化して掲載しており、文中で言及する際にはそのリスト上の番号(《1》、《2》……)を付記してあるので、必要に応じて参照されたい。また、文中のルビについては、香港新界地区の広東語の地名を中心として、各章の初出箇所を原則に付しておいた。ただし、族譜等に記された資料用語としての地名・人名については、あえてルビは付していない。文中に現れる主要な地名については、目次の後に掲載した【地図1】【地図2】を参照されたい。
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著者紹介
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年、岩手県花巻市生まれ。1986年、東京大学大学院博士課程中退。国立民族学博物館助手、東北大学教養部助教授、東北大学文学部助教授を経て、現在東北大学東北アジア研究センター教授(同大学院国際文化研究科教授兼任)。学術博士。
専攻、文化人類学。
著書に、『中国人の村落と宗族──香港新界農村の社会人類学的研究』(1991年、弘文堂)、『客家──華南漢族のエスニシティーとその境界』(1993年、風響社)、編著に『暮らしのわかるアジア読本・中国』(曽士才・西澤治彦両氏との共編、1995年、河出書房新社)、訳書にM・フリードマン『中国の宗族と社会』(田村克己氏との共訳、1987年、弘文堂)、J・ワトソン『移民と宗族──香港とロンドンの文氏一族』(1995年、阿吽社)など。