目次
●第1部 土地政策をめぐる解釈
ポリネシア・クック諸島における土地問題の淵源──歴史的省察 棚橋 訓
イメリナの歴史空間における土地と土地を持たざる者をめぐる言説の変遷 深澤秀夫
土地とアイデンティティ──インド・オリッサ州クルダ地方における土地の文化政治史 田辺明生
南インドにおけるヒンドゥー寺院の土地権益 杉本星子
開発のゆくえ──ソロモン諸島における「開発参加」と土地紛争 関根久雄
●第2部 土地制度をめぐる解釈
タイ国家の領土におけるカレンの土地権──共同性と伝統の構築 速水洋子
北タイ、タイ・ルーの移住と守護霊祭祀──ムアンの解体と「村落」の生成 馬場雄司
石油開発と「伝統」の創造──パプアニューギニア・フォイ社会の「近代」との葛藤 槌谷智子
「生きられた空間」の所有──パプアニューギニアの熱帯雨林に生きる人々と土地 林 勲男
人と政治を動かすヤップ社会の土地制度 須藤健一
「開発」と「文化」──バリにおける伝統的土地権と近代化 中村 潔
インドネシアの土地政策とリオ人の土地権 杉島敬志
土地はなぜ執着を生むか──フィジーの歴史と現在をつうじて考える 春日直樹
●第3部 土地所有をめぐる諸問題
土地の領有と所有──オーストラリア・一九九二年マボ判決を手がかりに 安田信之
慣習的土地制度の外延──ミクロネシアの比較事例から 清水昭俊
ジャワの耕地共有制度とその解体過程 加納啓良
空間の切片 水島 司
あとがき
索引
内容説明
従来の民族誌的分析や、アジア・太平洋的な比較研究と、先住民の「権利」回復や経済開発という現代的文脈を踏まえ、人類学的地平の限界を探る野心的論集。 (民博「アジア・太平洋における民族文化の比較研究」第8回シンポジウムの成果)
*********************************************
序論 土地・身体・文化の所有
杉島敬志
一 人類学の歴史研究
土地所有は近代西洋で成立した所有の概念と密接なかかわりをもっている。その端的な例はわたしたちが直接的な利害関係をもつ土地所有である。日本における土地所有は民法によって規制され、その枠内で成立する現象といえるが、日本民法はフランス民法とドイツ民法第一草稿を一八七〇年から四半世紀ほどかけて折衷し、翻案した輸入法典である。明治政府が民法を輸入せざるをえなかった背景には近代的な法典をもつことが「不平等条約」撤廃の条件として欧米列強から課せられていたという事情があった[篠塚 一九七四:一七四─一九〇]。
また、開国後の緊迫した状況のなかで、歳入を増大し、国力を増強することは国家の存亡をかけた政治課題であった。当時、国家歳入の約八割をしめていたのは地租であり、それを大幅にふやすには税制改革を近代的な土地所有制度の確立とともにおこない、地租の徴収システムを全体として整備する必要があった。こうして、地租改正が一八七三年に着手(地租改正法公布)されたことは周知のとおりである。
したがって、日本の土地所有について語る場合には開国後の日本が欧米列強という近代世界システム(資本主義世界経済)の「中核」諸国とせめぎあい、からみあう過程を考慮する必要がある。同様なことはアジア・太平洋の他の国々における土地所有についてもいえる。しかし、「辺境」の地域社会は世界システムをささえる「中核」諸国起源の規則や信念によって染めあげられてしまうわけではない。「辺境」の地域社会の規則や信念とせめぎあい、からみあうことで、そのいずれにも還元したり、帰属させることのできない状況がうみだされるからである。
この過程を「歴史的もつれあい」(historical entanglement)[Thomas 1991a: 312, cf. Thomas 1991b; 杉島 一九九六:八三─八八]とよぶならば、本書の目的はアジア・太平洋地域における土地所有をとりあげ、それを「歴史的もつれあい」のなかでとらえることにある。従来、近代的土地所有は「中核」諸国における資本主義的農業経営の成立過程を中心に論じられてきた[e.g. 椎名 一九七三]。これに対して、本書では土地政策を介して地域社会が所有の概念とせめぎあい、からみあう過程に焦点があてられる。こうした接近法をとらないかぎり、アジア・太平洋地域における土地所有を適切に把握することはできないからである。
現在、歴史は人類学の重要な研究課題となっているが、その背景にはつぎのような事情がある。近代人類学は特定の地域社会で長期にわたる調査(フィールドワーク)をおこない、そこで観察された社会生活を包括的に記述することをおもな目的としてきた。だが、多くの場合、民族誌のなかでえがきだされるのは解釈をまじえて再構成された「伝統文化」であり、歴史に焦点をあてた研究はまれであった。近代人類学が一九二〇年代に学問として成立したことを考えるならば、これは奇妙な話である。そのはるか以前から人類学者が研究の対象とする「辺境」の地域社会は「中核」諸国とせめぎあい、からみあうことを余儀なくされてきたからである。
この事実は近代人類学の知的系譜が文化を自然種のごとくあつかう一八世紀以来のパラダイムにつらなることをしめしている。それは個々の社会には変化しがたい固有の「本質」(essence)があることを想定し、その把握をとおして社会を一望のもとに分類することをめざす博物学的なパラダイムにほかならない[Fabian 1983: 1-35; Jackson 1989: 128; サイード 一九九三b:九二─九三、四六九、Thomas 1994: 71-104; cf. リーチ 一九七四:二二、Linnekin and Poyer 1990]。このパラダイムにしたがうならば、世界は相互に異質で断絶した社会のつらなりとしてイメージされる。本質概念との関連で近代人類学の創始者たちの功績を問うならば、それは「体系」や「構造」といった科学的な語彙による本質の再定式化であったといえよう[マリノフスキー 一九五八、ラドクリフ=ブラウン 一九七五]。
一九八〇年代以降、人類学では歴史への関心が急速に高まるとともに、近代人類学の「本質(本性)主義」(essentialism)に対する批判がおこなわれるようになる[e.g. Fabian 1983; Handler and Linnekin 1984; Inden 1990; Keesing and Tonkinson (eds) 1982; Linnekin 1983; Thomas 1989]。このことは人類学の歴史研究が単に歴史を人類学の研究対象にとりこもうとする科学的意図にもとづくものではないことをしめしている。それは歴史に焦点をあてることで、オリエンタリズムや人種差別の認識論的な基盤でもある本質主義から人類学を解放しようとする人類学者による人類学のイデオロギー批判なのである。そのために、人類学の歴史研究では貧弱な歴史記述にもとづく危なげな議論が展開されていたり[杉島 一九九六]、フィールドワークからえられる資料と迂遠な関係しかもたない遠い過去の出来事があつかわれていたりする。
このようにのべる理由は「歴史的もつれあい」を記述することに人類学の経験的歴史記述の可能性をかけてみる値打ちがあると考えるからである。
(中略)
三 土地制度
土地制度は「伝統文化」を体系や構造とみなし、その全体像をえがきだそうとする人類学者にとって重要な調査項目のひとつであった。また、土地制度に関する知識は支配や統治をすすめるうえで不可欠な情報であり、その収集や分析に人類学者は協力をもとめられたり、場合によっては自発的に参画することもあった[e.g. Goodenough 1978; 杉浦 一九四四、de Young (ed.) 1958; cf. 馬淵 一九七四a、一九八八]。
こうして、ふるくから土地制度に関する多くの資料が蓄積されてきたわけであるが、その総合をめざす研究もすでに数多くなされている[e.g. Goldman 1970; ter Haar 1939; Hogbin and Wedgwood 1953; 石川 一九七〇、加藤 一九九五、Lundsgaarde (ed.) 1974; 馬淵 一九七四b、Sahlins 1958; 須藤 一九八九、van Vollenhoven 1931-1933]。これらの研究はアジア・太平洋地域の土地制度を概観するうえで現在においても有用であるが、ここではその内容に深入りせず、本書所収の論文でたびたび言及される土地制度の諸側面を三つの項目にまとめてのべることにしたい。
(中略)
五 歴史的もつれあい
土地政策はその実施を阻止しようとする地域社会の住民による騒擾をしばしばひきおこしてきた。日本各地で勃発した地租改正にともなう農民一揆やイギリス植民地支配下のインドにおいて土地政策が喚起した反英反乱〔杉本〕はその典型といえる。しかし、数のうえでは騒擾をひきおこすことなく実施された土地政策の方がはるかに多い。この事実は多くの土地政策が所期の目的を順調に達成してきたことをしめしているように思われる。だが、これは以下でのべるような事象が見えにくい状態にとどまっていることに由来する謬見である。
土地制度の基底には土地にすまう霊的存在への信仰(信念)やこの存在と交流をおこなうための儀礼があり、儀礼はプラクティス(規則にしたがう行為)であった。また、土地政策は経済開発をのぞましい社会的目標とみなす信念や、土地と直接的・間接的に関連する何らかの法規(規則)にもとづいて実施されてきた。こうした法規は、たとえ条文のなかに明確な言及がない場合でも、商品交換の規則の一部をなす所有の概念にもとづいている。
わたしたちは規則や信念を認識の対象とし、解釈をおこなうことができる。規則や信念の解釈はかならずしも特別な能力や植民地支配のような特定の社会状況を不可欠の要件とするものではなく[cf. ホブズボウム 一九九二、Keesing 1982, 1989; Linnekin 1990b]、社会生活のなかでだれもがおこなう、ごくありふれた行為といえる。常識という言葉で総称される規則や信念を例にとると、わたしたちは常識とされる何らかの規則や信念を「差別」とみなし、その廃絶や改変をうったえることがある。また、職場での人間関係や共同作業を円滑化する常識の役割(機能)を賞揚したり、自分の行為を正当化するために身勝手な常識理解を提示することもある。これらの行為はすべて解釈であり、儀礼の機能や意味として語られてきた人類学者による儀礼解釈や、規則としての所有を基礎づけようとするロックの労働所有説と原理的にことなるものではない。
常識の例がしめすように、規則や信念が多様に解釈されるのであれば──そして、クリプキがあきらかにしているように、加法(アディション)のような自明の規則さえもが無限の解釈にひらかれているのであれば[クリプキ 一九八九]──いかなる行為のしかたも規則や信念と一致することになり、その結果、規則や信念は行為のしかたを決定できないことになる[ウィトゲンシュタイン 一九九七:一五八]。これは哲学的フィクションではなく、社会生活のはしばしで観察される事象であることを銘記する必要がある。その好例は日本国憲法第九条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という条文と一致するとも、一致しないともいえる戦力の存在である。だが、「一致も不一致も存在しない」というならば、そこには「ある誤解」があるといえよう。
この事は、我々[が]その思考過程に於いて──それぞれの解釈が、その背後に再び或る解釈を考える迄は、少なくとも一瞬は我々を安心させるかの如くに──解釈に次ぐ解釈をしているという事の中に、既に示されている。この事を通して我々が示す事は、こうである:規則の或る把握があるが、それは規則の解釈ではなく、規則のその都度の適用に於いて我々が「規則に従う」と言い、「規則に反する」と言う事の中に現われるものである[ウィトゲンシュタイン 一九九七:一五八─一五九]。
この解釈ではない規則の把握とはどのようなものであろうか。常識の例はこの点でも示唆的である。常識はつねひごろ常識の何たるかを教え諭すリーダー的存在を中心とする仲間うちで大きな強制力を発揮する。このことがしめすように、規則や信念の強制力は教育や訓練を介して規則や信念の承認をせまる社会関係と表裏一体のものであり、そこに身をおいていることこそが規則や信念に強制力を付与しているのだと考えられる。したがって、解釈につぐ解釈をおこなっても、そこに規則や信念の強制力を発見できないのは当然であり、先述のプラクティスをめぐる同義反復的な説明の例はプラクティスの遂行者にとって解釈が無用であることをあきらかにしている。
だが、社会生活のどのような局面にも前記のようなリーダー的存在が複数いることから理解されるように、社会生活は多中心的な政治のうずまきからなり、そのそれぞれにおいて規則や信念が多様に解釈され、その承認をせまる教育や訓練がおこなわれることはさけがたい。多様な解釈の発生をチェックする場や機関はたとえあったとしても、うまく機能するとはかぎらないからである。日本国憲法第九条をめぐる相反する解釈の存在はこのことを端的にしめしている。また、社会生活には相互につきあわせてみると矛盾する規則や信念が共存し、それらが同時並行的に強制力を発揮している場合があるが、そうなると事態はさらに錯綜したものになる。「歴史的もつれあい」はこうした状況に着目する概念であり、それは「中核」諸国起源の規則や信念と「辺境」の地域社会の規則や信念が多様な解釈を介してせめぎあい、からみあう過程を意味する。
規則や信念の解釈可能性に由来する前記のような事象は当然にも土地政策や土地制度の基底にある規則や信念についてもみられるはずである。これらの規則や信念が地域社会においてさまざまに解釈されることを土地政策の実施主体はふせぎようがなく、それを完全に統制することは例外的にしか成功しえないといえるほど困難なことだからである。そうであるならば、土地をめぐる「歴史的もつれあい」には、土地政策が所期の目的とはおよそことなる土地制度をうみだしたり、土地政策によって土地所有制度が確立される一方で、土地制度が強化あるいは再興されたり、土地所有制度のなかに土地制度が(あるいは土地制度のなかに土地所有制度が)だまし絵のようにはめこまれているといった、ありとあらゆる逆説的とみえる事象が可能性としてふくまれていることになる。
しかし、これは単なる可能性ではない。本書所収の論文のなかで、清水はミクロネシアのポーンペイとマーシャルを比較し、二〇世紀初頭のドイツによる土地政策の実施以降、人々が土地所有制度と土地制度という「二重のルール」を生きてきたポーンペイの状況と、土地政策が実施されなかったにもかかわらず、土地制度がいつのまにか総有的な土地所有制度に変化してきたマーシャルの状況をあきらかにしている。また、本書におさめられている多くの論文は、こうした土地をめぐる「歴史的もつれあい」がミクロネシアばかりでなく、アジア・太平洋地域のいたるところで観察されることをしめしている。
もし、このようにのべることが局地的な現象と全体的な趨勢を混同しているように感じられるとすれば、それは「辺境」の地域社会が「中核」諸国起源の規則や信念によって染めあげられてきたという「歴史ヴィジョン」を自明の事実とみなしているからである。このヴィジョンは、それを賞揚する者によっても、諦観する者によっても[e.g. 富永 一九九〇、一九九六]、さらには慷慨する者によっても[e.g. ウォーラーステイン 一九九七]ひとしく抱懐されているが、実際には「歴史的もつれあい」に関する詳細な記述とまともにつきあわされたことはない。
従来、世界システムに包摂されたあとの「辺境」の地域社会の歴史は近代化や文化変容(変化)の概念でとらえられてきた。近代化は地域社会の「伝統文化」が「中核」諸国起源の規則や信念によっておきかえられる過程に言及する概念であり、文化変容は前者が後者をとりこむ過程に言及する概念である。したがって、この二つの概念は前記の歴史ヴィジョンを基本的に承認したうえで、地域社会の歴史を一方は「中核」諸国起源の規則や信念に還元し、他方は地域社会の「伝統文化」に帰属させて理解するのである。そうであるならば、「歴史的もつれあい」が適切に記述されてこなかったのは当然であり、「辺境」の地域社会が「中核」諸国起源の規則や信念によって染めあげられてきたという歴史ヴィジョンがながきにわたり信憑性を保持しつづけてきたことも不思議ではなくなる。
(略)
*********************************************
執筆者紹介(執筆順、肩書きは刊行時のもの)
杉島敬志(すぎしま たかし)
社会人類学、国立民族学博物館 博物館民族学研究部
総合研究大学院大学文化科学研究科 助教授
棚橋 訓(たなはし さとし)
社会人類学、慶應義塾大学 文学部 助教授
森山 工(もりやま たくみ)
文化人類学、広島市立大学 国際学部 助教授
深澤秀夫(ふかざわ ひでお)
社会人類学、東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 助教授
田辺明生(たなべ あきお)
文化人類学、京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科 助教授
杉本星子(すぎもと せいこ)
社会人類学、京都文教大学 人間学部 助教授
関根久雄(せきね ひさお)
開発人類学、名古屋大学大学院 国際開発研究科 助手
速水洋子(はやみ ようこ)
文化人類学、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 助手
馬場雄司(ばば ゆうじ)
文化人類学、三重県立看護大学 看護学部 助教授
槌谷智子(つちや ともこ)
文化人類学、東京大学大学院 総合文化研究科 大学院生
林 勲男(はやし いさお)
社会人類学、国立民族学博物館 民族社会研究部 助手
須藤健一(すどう けんいち)
社会人類学、神戸大学 国際文化学部 教授
中村 潔(なかむら きよし)
文化人類学、新潟大学 人文学部 助教授
春日直樹(かすが なおき)
文化人類学、大阪大学 人間科学部 教授
安田信之(やすだ のぶゆき)
法学、名古屋大学大学院 国際開発研究科 教授
清水昭俊(しみず あきとし)
文化人類学、国立民族学博物館 民族社会研究部
総合研究大学院大学文化科学研究科 教授
加納啓良(かのう ひろよし)
経済史、東京大学 東洋文化研究所 教授
水島 司(みずしま つかさ)
経済史、東京大学大学院 人文社会系研究科 教授