目次
序論──東アジアにおける文化の比較(崔 吉 城)
はじめに
一 比較の対象と方法
二 シャーマニズムの比較
三 シャーマニズムと表現様式
おわりに
浄土教文化の日韓比較──『観無量寿経』の図像学的展開をたどる(日向一雅)
はじめに
一 韓国月精寺の石仏と中将姫と韋提希夫人
二 迎講をめぐって
三 「二河白道」について
四 迎講の追善儀礼化
五 「二河白道」と古典文学
六 韓国の死霊祭と「白布の橋」
七 韓国の死霊祭と「白布の河海」
八 日本の死者儀礼
「仏伝図」絵解きの東漸──日本・韓国を中心に(林 雅彦)
はじめに──「絵解き」とは
一 インド及び中国の「仏伝図」と絵解き
二 韓国の「仏伝図」と絵解き
三 日本の「仏伝図」と絵解き
おわりに
郷歌「薯童謡」とその文学史的時代(土井清民)
はじめに
一 薯童謡の意訳
二 武王説話
三 真平王の時代と「童謡」
四 元暁伝承
五 説話の「薯童謡」
六 童謡の世紀
おわりに
『三国遺事』における韻文の扱い──漢訳歌からみた収録時の意識について(岸 正尚)
はじめに
一 官の漢詩・民の郷歌
二 「云」と「曰」が提示するもの
三 郷歌漢訳への道
四 童謡の面影
五 名詞としての「歌」
六 対象別の書き分け意識
まとめ
大陸の日月神話と光源氏の王権(金 鍾 徳)
はじめに
一 光と始祖神話
二 日月と高光る皇子
三 光る君と光る源氏
四 日の光と月の光
おわりに
日韓の「祭り」の比較──イザイホー・江陵端午祭・恩山別神祭(伊藤好英)
はじめに
一 琉球の「祭り」の構造
二 江陵の端午祭
三 江陵の端午祭の性格
四 恩山別神祭
五 恩山別神祭の特徴と性格
韓国社会における旅芸人(朴 銓 烈)
一 定住民の側で見る漂泊の芸人
二 旅芸人の流れ
三 旅芸人の様々な姿
四 拒みつつ受け入れられる旅芸人
五 変貌しつつある旅芸人の姿
降神巫堂の鉄乞粒(鉄乞い)──東北アジアのシャーマニズムと韓国巫俗との比較研究序説(李 杜 鉉)
はじめに
一 入巫者の鉄乞粒
二 巫具
むすび
結語(崔 吉 城)
内容説明
古代・中世文学、民俗学・シャーマニズムを専門とする日韓の研究者による共同研究の成果。「仏伝図」絵解きの東漸、『三国遺事』の文学史的時代、大陸の日月神話と源氏物語の王権、韓国の旅芸人と社会等の主題から東アジアにおける両国文化の位相に迫る。
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はじめに 日向一雅
本書は日本と韓国を中心にしながら、東アジアにまで視野を広げて神話、宗教、巫俗にわたって比較を試みた論集である。本書の執筆者は日本側は日本古代中世文学を専攻する者であり、韓国側はシャーマニズム、民俗学、日本古代文学の研究者である。これは異色の組み合わせであろう。そうした本書の出版までの経緯や意図、内容について、はじめに概略を記しておく。
本書のそもそものきっかけは一九九一年から九三年にかけて、「仏教・儒教・シャーマニズムの観点を媒介とした日韓古代文学の比較研究」(研究代表者・日向)というテーマで文部省の科学研究費補助金を受けて、日本の古代中世文学研究者と韓国の文化人類学、民俗学、日本文学の研究者とが共同で韓国調査を行なったことに始まる。本書の執筆者はその時のメンバーが中心である。調査は寺院をはじめ郷校、ムーダン(巫堂=女巫のこと。司祭、巫医、卜占、霊媒などのことを行なう)の祈?所、神話や古代文学の遺跡などを中心に行なったが、多くの事例を見てまわるうちに、日本と韓国とが共通の文化を基底に持ちながら、実際にはさまざまな面で両国の間には大きな違いがあることを一つ一つ確認することになった。それが私にはたいへん印象深かった。
たとえば寺院の建物の外壁は釈迦の一代記や十牛図などの極彩色の仏画で飾られ、屋内の壁にも十王図や極楽変相図などが描かれていて、日本の寺のイメージとはかけ隔たっているのにまず驚いた。仏前では参拝者が五体投地の姿で祈りを捧げるのにも、寺院が葬式や墓地の管理などに関わらず、僧侶は妻帯しないことにも、また葬儀が儒教式であることにも、実際に目にすることによって、同じ仏教といいながら、その違いには実に新鮮な驚きを覚えた。
郷校は儒教の聖廟と学校とを兼ねた施設で、日本でいえば湯島聖堂とか足利学校、閑谷学校のようなものである。全州の郷校を訪ねた時は、夏休みだったが、初老の男性の指導のもとに小学生が千字文を節を付けて暗唱していた。韓国の小中学校では漢字教育はほとんど行なわれていないようだが、全州の郷校はあたかも日本の江戸時代の寺子屋さながらに千字文を暗唱させて、漢字学習を行なっていたのである。千字文が漢字学習の手本として現に生きていること、ソウルの街頭の露店で千字文の教科書が売られている光景は、ハングル中心の文字文化の社会において伝統的な漢字文化の需要の根の深さを感じた。
また郷校では結婚式が行なわれたが、その結婚式は儒教精神に則って父母に対するきわめて丁重な儀礼を尽くすものであった。また南原の郷校の建物には孝子の絵が描かれていて、寺の壁画と同様に絵解きに使われたと思われ、絵が教化の手段として重視された前近代の伝統を伝えていると思われた。今日でもこうした郷校が中心となって儒教の布教活動を行なっていると聞いたが、その様子がよく理解できたように思われたものである。町や村の道ばたに比較的近年の烈女とか貞女とかの顕彰碑が立てられていたのも、韓国社会の一端に触れた思いを強くした見聞であった。
ムーダンの調査は崔吉城氏に案内してもらったが、楊州のカマク山のムーダンの聖地を訪ねた時の光景は忘れがたい。山道を分け入っていくと、途中から人家がなくなって寂れた一軒家にたどり着いたが、周囲には小さな祠や虎を従えた山神の像などが祀られているだけの寂しげな場所であった。その時のクッ(巫が歌舞賽神を中心に行なう除災招福の儀礼)は死霊祭であり、激しく跳躍したり舞ったりしながら神がかりしていくらしいムーダンの口寄せによって、クッを頼んだ家族が泣き悲しむ様子は心を打たれる光景であった。生きた豚を殺し鋤に刺して立てるところや、刀の上に素足で立つ演技など、クッの儀礼の土俗的神秘的な性格をかいま見た気がした。
一方で韓国には日本の神社のようなものがなく、粗末な祠の類がまれにあるくらいなので、日本の八百万の神々に相当する神々はどうなっているのかと疑問であったが、ムーダンがそうした神々を祀っているらしいことが分かった。ムーダンの管掌する領域はきわめて広く多彩なようで、この分野は日本の古代文化や文学の研究に対して示唆する点が多いと思われる。
このほか神話伝説や古代文学に関わる史跡は金海や慶州や蔚山などを訪ね、また王侯の陵墓を調査した。陵墓が風水説に基づく構造であること、その風水説は家地や墓地の選定など今日の生活にも深く根を下ろしていることなど、調査や見聞は多方面におよんだ。それらを総じていえば、仏教も儒教も巫俗も文学に至るまで、韓国の文化は日本よりも中国との間にはるかに濃密な共通点や類似点を持っているであろうことを強く感じたものである。それは歴史的にも地理的にも当たり前の認識であるが、実際に見て回ることによって実感的に理解できたことが新鮮であったのである。そのような経験を出発点にして本書は編まれることになった。
以下、本書の概略について触れたい。全体の論文の構成は仏教、神話、祭り・芸能、巫俗のテーマから成る。
最初の崔吉城「東アジアにおける文化の比較」は、本書の総論に当たり、本書の意図を代弁していると理解していただきたい。現代における比較文化研究の重要性と必要性から説き起こして、氏の専門であるシャーマニズムに即して、韓国を中心として日本、シベリア、満州、蒙古地域との比較を行ない、その上でシャーマニズムが人々の表現様式と深く関わることを論じる。日韓の比較を東アジアの視野で捉えるところが本論文の基本的な立場である。
たとえば韓国の巫俗では世襲巫より、トランス型の降神巫が多く、そのシャーマニスティックなトランスの要素は文化的な表現様式として、日常生活の上での音の過剰をはじめ、仏教の説法の「法席」、儒教式の冠婚葬祭、キリスト教会における「通声祈?」などに、騒ぐことや大声で祈るかたちとして顕著に現れるという。シャーマニズムが韓国社会の基層文化として、その社会の諸々の特性を導いているのであって、韓国社会や韓国人を儒教的と理解することは正確でないという。それに対して日本がいかに対照的な性格であるかを述べる。
このように本論文は日本と韓国とが共通するシャーマニズムを基層に持ちながら、その文化が明らかに異なった展開を示していることを論じるが、これはシャーマニズムに限らず、仏教や神話、祭り、芸能においても同様のこと、ないし似たようなことがいえるはずである。日韓文化におけるそうした基層的な面での共通性・類似性と、その展開における固有性・独自性という構造を、本書の各論文はそれぞれ具体的に検討し分析する。
順序は逆になるが、崔吉城氏の論文との関わりで、李杜鉉氏の「降神巫堂の鉄乞粒(鉄乞い)││東北アジアのシャーマニズムと韓国巫俗との比較研究序説」について触れる。李杜鉉氏は韓国におけるシャーマニズム研究の先駆者であり泰斗である。本論文は氏の最新の研究成果を示すものである。韓国の黄海道の一人の女性が降神巫になるまでの過程を追跡したものであるが、その巫病から入巫儀礼までの成巫過程が具体的に明らかにされる。特に鏡・剣・鈴という巫具をシベリア、東北アジア、東アジアの巫具と比較することを通して、韓国の巫俗がそれらと脈絡を共にすると結論する。これに崔吉城氏の論文を重ねると、日本の沖縄のユタやノロ、東北地方のイタコの巫俗についてもかなり明確な見通しが立つ。
特に李氏の巫具についての検討は、それが韓国においても日本においても王権神話と関連をもつこと、また黄海道の日月星神マジ竿と日本の天照大神の天石窟神話との関わりに言及している点、たいへん興味深い論点であるし、ここで論じられる鏡の役割は邪馬台国の卑弥呼の鏡の意味にまで関わらせて議論されてよい。巫具の検討は古代の王権神話や古代史に対してきわめて示唆に富む。
仏教については、日向一雅「浄土教文化の日韓比較││『観無量寿経』の図像学的展開をたどる」は、浄土教の極楽往生思想が彫刻、絵画、伝説や説話、仏教習俗、巫俗などにわたるきわめて多様な展開を見せることを検討する。たとえば『観無量寿経』の韋提希夫人説話が韓国では月精寺や神福寺趾の石像彫刻として残され、日本では中将姫説話や当麻寺の迎講として展開したこと、その迎講が中国の七世紀の代表的な浄土教家、善導によって説かれた「二河白道」説の影響下にあること、古典文学にもその明らかな影響が見られることなどを論じ、これに対して韓国では「二河白道」は教義としても説話や文学においても注目されることはなかったとされるが、死霊祭の巫俗に「二河白道」との習合が見られることなどを検証した。
林雅彦「『仏伝図』絵解きの東漸││日本・韓国を中心に」は、釈迦の伝記を図に描いた「仏伝図」がインドで成立し、中国を経由して韓国、日本へと伝わる中で、韓国では「釈迦八相図」の形態で広まるのに対して、日本では「涅槃図」として独自の展開を遂げたことを論じる。これらの論は従来の日韓の仏教文化の比較研究ではほとんど取り上げられなかったところであり、先鞭を付けたといえよう。
神話関連では、土井清民「郷歌『薯童謡』とその文学史的時代」は、百済の武王説話の中に出てくる郷歌「薯童謡」を東アジア全域に広がる、日本でいう「炭焼き長者譚」のコンテクストに位置づけて検討し、「薯童謡」の解釈、「炭焼き長者譚」との関わり、日本の「童謡(わざうた)」の渡来の問題などを論じるものである。郷歌「薯童謡」は最初は「炭焼き長者譚」の系譜に立つ「王女と貧しい薯掘り男との結婚」をうたう民衆歌謡であったが、その薯掘り男が武王に見立てられる時代が来て、新羅公主と百済王の結婚という武王説話へと展開したとする。その過程に民衆歌謡が全面にとりあげられる「童謡」の時代の到来があったと考える。すなわち新羅公主と百済王の結婚というモチーフに三国抗争時代における国家統一への民族的要望が潜んでいたと捉え、郷歌「薯童謡」はそうした時代の民衆の要望を反映して作られた「童歌」物語の「童謡」であったと論じる。日本における「童謡」の時代はやや遅れるが、似たような歌謡の成立は古代国家の形成と関わるとする。本論文の観点は古代文学や文化の比較研究ないし対照研究の可能性を豊かに指し示すものであるといえよう。
岸正尚「『三国遺事』における韻文の扱い││漢訳歌からみた収録時の意識について」は、『三国遺事』の漢訳歌(漢詩形式の歌)を取り上げて、それがどのように扱われているかを、表記の形態に即して検討した論である。漢詩、翻訳歌、童謡、郷歌を提示する表現に一定の規則があったことを明らかにするもので、こうした表記形態の面から『三国遺事』の韻文の性格があぶり出されるという指摘は、『三国遺事』の解釈に貴重な視点であろうと思う。なお、漢字により自国文学を表記するのは、日韓共通の工夫である。韓国では漢字の音訓を借用して表記する吏読と、更に、朝鮮語を記すのに文全体を漢字によって表記する郷札(新羅文)体等が創出された。郷歌は郷札体によって記載されているが、その郷歌を漢訳歌化する相をも視点に入れている。
金鍾徳「大陸の日月神話と光源氏の王権」は、中国、韓国、日本における王権の始祖の誕生を語る日月神話や「光」の比喩表現の類似を検討し、それを源氏物語に媒介することによって、光源氏の王権の性格や特色を論じる。従来光源氏の王権論が準拠論や「光」の比喩表現に関わりつつ、日本の古代文学史に限定される傾向が主流であったのに対して、大陸の王権神話を対比することで新しい照射を試みた論である。本論は東アジアを視野に入れることで、日本の古代文学の大陸との相互関連性と同時に固有性や独自性という面を客観的相対的に理解できること、把握すべきことを示した。日本の古代文学研究が中国文学との影響関係や比較研究に関しては精緻で膨大な蓄積を重ねてきたが、韓国文学との関係についてはないがしろにしてきたことに対して反省を促すものである。
祭り・芸能については、伊藤好英「日韓の『祭り』の比較││イザイホー・江陵端午祭・恩山別神祭」は、はじめに沖縄の久高島のイザイホーの次第を述べ、その祭りの構造を論じ、次いで韓国の江陵の端午祭、恩山の別神祭を取り上げて、それぞれの祭りの次第に触れた後に、各祭りの構造の比較を行ない、その性格や特徴を論じる。一見したところ全く異なった印象を受けるそれぞれの祭りに、きわめて類似した構造が存することを指摘する。
朴銓烈「韓国社会における旅芸人」は、社会的に蔑視された旅芸人の歴史、芸能の内容、旅芸人と社会との関係を検討したものである。旅芸人や芸能の記録は古代においては皆無に近いが、まず『三国遺事』の新羅の僧元暁の記事、『三国史記』の「楽志」の崔致遠の記事に七世紀から九世紀の旅芸人の芸能として、瓢?踊りや西域系の散楽の流れの仮面戯、獅子舞いなどが伝えられたことを明らかにする。次いで高麗朝から朝鮮朝における旅芸人の活動や芸域を鳥瞰して、旅芸人の暮らしがどのようなものかを問いながら、呪術宗教性を標榜する集団と娯楽性を強調する集団とに大きく分類できるとして、それぞれの芸域や集団としての性格、また定住民の側の受け入れかたを論じる。現代にいたって彼らの芸能に対する評価の逆転に言及する。本論文は旅芸人の世界とその歴史についての最新の研究成果を示すものであり、これまで研究の手薄な領域であったが、日本の芸能との比較も随時行ないながら、芸能の観点からの日韓比較論を提示する。
以上、本書所収の論文について概要をまとめてみた。本書の立場は日韓文化の比較を日本と韓国という二国間の範囲に限るのではなく、その背後に東アジアを想定すべきことを念頭に置いていることである。それが十分に達成できたかどうかはともかく、従来の日韓比較論に対する新しい観点であろうと思う。執筆者の幅の広さや取り上げたテーマの多様さも、本書の特色としてご理解いただければ幸いである。
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執筆者紹介(執筆順)
崔 吉 城(チェ・キルソン)
1940年、京畿道生まれ。筑波大学歴史・人類学系・文学博士(文化人類学)。広島大学総合科学部教授。『韓国のシャーマニズム』(弘文堂、1984年)、『韓国民俗への招待』(風響社、1996年)等。
日向一雅(ひなた・かずまさ)
1942年、山梨県生まれ。東京大学大学院博士課程修了(日本文学)。明治大学文学部教授。『源氏物語の王権と流離』(新典社、1989年)、『源氏物語の準拠と話型』(至文堂、1999年)等。
林 雅彦(はやし・まさひこ)
1944年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程修了(説話文学、宗教民俗学)。明治大学教授。『日本の絵解き』(三弥井書店、1984年)、『穢土を厭ひて浄土へ参らむ──仏教文学論』(名著出版、1995年)等。
土井清民(どい・きよたみ)
1939年、中国長春市生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了(日本古代文学)。鶴見大学文学部教授。『山上憶良──行路死人歌の文学』(笠間書院、1979年)、『万葉東歌 古代東方の歌謡』(笠間書院、1997年)等。
岸 正尚(きし・まさなお)
1943年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了(日本文学)。関東学院女子短期大学教授。「八千矛の神の命──歌語として存在する意味」『古事記研究大系5? 古事記の神々・上』(高科書店、1998年)、「周淮の珠名娘子の歌──虫麻呂の東方への眼差し」『東京経済大学・人文自然科学論集』第107号(1997年)等。
金 鍾 徳(キム・チョントク)
1953年、慶尚南道生まれ。東京大学大学院博士課程修了(国文学)。韓国外国語大学校日本語科教授。「光源氏の栄華と予言」(『国際日本文学研究集会会議録』〈第10回〉、国文学研究資料館、1986年)、「韓国における源氏物語研究」(『源氏物語講座』9、勉誠社、1992年)等。
伊藤好英(いとう・よしひで)
1948年、長野県生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了(国文学)。明治大学講師。『折口信夫 まれびと論研究』(共著、桜楓社、1983年)、「折口信夫の学問と韓半島」(『日本学報』32、韓国日本学会、1994年)等。
朴 銓 烈(パク・チョンヨル)
1949年、ソウル市生まれ。筑波大学大学院博士課程修了(文化人類学)。中央大学校教授。『「門付け」の構造』(弘文堂、1990年)、『日本 文化 芸術』(ハンヌリ、1998年)等。
李 杜 鉉(イ・ドヒョン)
1924年、咸鏡北道生まれ。ソウル大学校師範大学国文科卒業。ソウル大学名誉教授、大韓民国学術院会員。『韓国仮面劇』(ソウル大学出版部、1994年)、『韓国民俗学論考』(学研社、1984年)、『朝鮮芸能史』(東京大学出版会、1990年)等。