目次
序説
第1部 マリア会
第1章 創立者・シャミナード師
第2章 マリア会の活動
第3章 マリア会の教育法
ラランヌ師の小伝
教育の専門家・ラランヌ師
実際の教育
第2部 日本に向けて
第1章 日本におけるカトリック布教の状況
第2章 日本への派遣
二人の偉大な交渉相手
書簡による交渉の内容
第3章 5人の創設者
各人の小伝
彼らの航海
第3部 マリア会会員の進出
第1章 東京での学校創設
第1期 オズーフ司教の神学校
第2期 学校発足の地・麹町区元薗町
第2章 最終期
承認へのプロセス
公式の折衝
学校の組織
学校の評判
第3章 様々な出来事
成果のあった出来事
遺憾な出来事
結語
付録・文献
Avant-propos
Intoroduction
PREMI餝E PARTIE : LA SOCIサ DE MARIE
Chapitre I : Chaminade
Chapitre II : LA SOCIサ DE MARIE EN ACTION
A. Quelle forme dユaction adopter ?
B. Lユ仕ucation de la jeunesse
C. La soci師 de Marie et le pouvoir politique
Chapitre III : LA PゥAGOGIE MARIANISTE
A. Biographie de Lalanne
B. Lalanne, sp残ialiste de lユ仕ucation
C. P仕agogie en action
1. Climat spirituel
2. Philosophie de lユ仕ucation Marianiste
DEUXI餉E PARTIE : VERS LE JAPON
Chapitre I : LユサAT DE LA MISSION CATHOLIQUE DU JAPON
A. Ouverture du Japon
B. Monseigneur Petitjean
C. Monseigneur Osouf
Chapitre II : LE CHOIX DU JAPON
A. Les deux grands interlocuteurs
1. Joseph Simler
2. Prosper-Bernard Delpech
B. Les pourparlers
1. Premiers contacts
2. Questionnaire pr四iminaire
C. Les cinq fondateurs
1. Courte biographie
2. Leur voyage
TROISI餉E PARTIE : LユIMPLANTATION MARIANISTE
Chapitre I : FONDATION DE T?Y
A. Premi俊e 師ape : Le s士inaire de Mgr. Osouf
B. Deuxi塾e 師ape : Motosonocho
1. Le nouveau local
2. Lユ残ole provisoire
3. Le probl塾e des langues
4. Le syst塾e scolaire du Japon
Chapitre II : サAPE DェINITIVE
A. Processus dユun accord
1. Devant cette situation pr残aire que pouvait-on faire ?
2. Une solution sユimposait : acheter et b液ir
3. Lユaccord de principe de lユAdministration G始屍ale mais insuffisant
4. La volont tenace des Fr俊es de T冖y191
B. Pourparlers officiels
1. Voici en r市um les tractations qui ont abouti une conclusion satisfaisante
2. Le local d伺initif de lユツole de lユフoile du Matin
C. Organisation de lユ残ole
1. O il sユagit des livres
2. Autres objets dユusage personnel
3. Au sujet du laboratoire et du mus仔 des sciences naturelles
4. Le pensionnat
5. Les programmes et les frais de scolarit
D. Renomm仔 de lユツole de lユフoile du Matin
1. Commen腔ns par quelques jugements favorables
2. Un m士oire critique
3. La vie dans la communaut des Fr俊es
Chapitre III : シクEMENTS DIVERS
A. De quelques 四士ents positifs en faveur de lユ残ole
1. La cr斬tion de la vice-province du Japon
2. Les maisons de formation
3. Les autres fondations
B. Mais dユautres 思始ements f営heux port俊ent tort lユフoile du Matin
1. La premi俊e guerre mondiale 1914-1918
2. Le grand tremblement de terre de 1923
Conclusion g始屍ale
Annexes
Bibliographie
Table des mati俊es
内容説明
『暁星学校 日仏文化の一交流』は、フランス語教育およびフランス文化の紹介に大きな役割を果たした暁星学校の創立期を、日仏文化交流史の観点から描いた仏文著作。母体のマリア会の活動や来日修道士の評伝、教育内容を詳細に記す。
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刊行にあたって 田中貞夫
我が国とフランスとの公式の交流は幕末に始まり、その関係は比較的安定したものだったといえる。文化面に限ってみれば、フランス側からの移入が多く、必ずしも均衡が保たれていたとは言えないが、日本側からの影響も少なくない。例えば、浮世絵が19世紀フランスの印象派に与えたインパクトなどは、その証左であろう。
ところで、我が国におけるフランス語学習の嚆矢は、1808年(文化5年)、6名の長崎オランダ通詞達によるものである。残念なことに、このフランス語学習は、幕府の対外政策を反映して、途中で沙汰止みになってしまう。結局、フランス語の最初の修得者といえば、村上英俊(1811~90)その人であろう。英俊のフランス語学習は全くの独学であったため、蘭学事始にも似た、幾多の困難と労苦を伴うものであった。その間の事情については、すでに公刊の拙著に詳しい。
さて、我が国におけるフランス学は、明治以降、幕末の入門段階の域を脱し、次第に各分野に細分化される傾向にあった。すなわち、フランス語を媒介として、それぞれの専門的な領域で行われることになる。文化面でも、その点は例外ではなく、東京帝大をはじめ、大学のフランス文学科などが拠点となって、その任を負うことになる。一般的にフランス文化の研究は、もっぱらこれら高等教育機関において行われ、紹介されてきたといっても過言ではあるまい。
ところが、こうした時期、中等教育界においても、フランス語教育を実施し、フランス文化の普及に努め、各界に多くの人材を輩出した学校があったことを、忘れてはなるまい。その代表的な例として、暁星学校(L'ツole de l'フoile du Matin)の名を挙げることができるであろう。この学校は現在、暁星学園として本年(1998年)に創立110周年を迎えている。
本書の目的は、この暁星学校の設立事情、およびその教育内容を紹介しながら、明治黎明期のフランス語教育ならびに日仏の文化交流の歴史の一端を明らかにしようとするものである。したがって、この学校の設立母体となったフランスの修道会・マリア会の活動から述べなければならない。幸い同会の所蔵する貴重な史料を閲覧する機会を得たので、その内容を踏まえて日仏にわたる暁星学校の歴史と淵源を詳細に報告してみたい。
ただ、本書はその目的からして校史全体を述べるものではない。およその執筆範囲は関東大震災(1923年)頃までとなっている。それは、ちょうどその頃まで学校とフランスの関係は深く、創設以来の流れを受けていたからである。それ以降は、日仏両国の事情もあって次第にフランスの影響が薄れ、さらに第二次大戦を前後して、学園の環境も一新されていったのである。
本書は、フランス語で書き下ろしたものである。それは、冒頭にも述べたように日仏の文化交流において、日本の方が輸入過多の状態が続いており、まずもって、フランスにおいて交流史の一端を発表するべきであると感じたからである。したがって日本の読者、あるいは日本の事情に詳しいフランス人読者には、すでに周知の事柄にも、あえて註を加えてあることをお断りしておきたい。
また、本書執筆にあたっては長年の友人である、Jean MONエGER神父に助力を仰いだ。神父は草稿の段階から原稿に朱を加えてくれたばかりでなく、カトリックに関する筆者の初歩的な質問にも丁寧に答えてくれた。また、それ以外にも数多くの方の助言と励ましを受けたことを付記するものである。
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著者紹介
田中貞夫(たなか さだお)
創価大学教授。パリ第3大学博士号(D.L.)取得。
主な著書に『幕末明治初期フランス学の研究』(1988年、国書刊行会)、『Les D暫uts de l'師ude du fran溝is au Japon』(1983年、フランス図書)。