〈宗族〉と中国社会
その変貌と人類学的研究の現在
街や村の襞に分け入り、人々の暮らしに密着し、変化と基調を見つめる手法から取り出された、中国社会の「現在」。
著者 | 瀬川 昌久 編 川口 幸大 編 |
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ジャンル | 人類学 |
シリーズ | アジア・グローバル文化双書 |
出版年月日 | 2016/03/31 |
ISBN | 9784894892316 |
判型・ページ数 | 4-6・320ページ |
定価 | 本体2,500円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
宗族研究史展望(瀬川昌久)
──二〇世紀初頭の「家族主義」から二一世紀初頭の「宗族再生」まで
一 はじめに
二 宗族に対する視線──欧米人、中国人、日本人
三 中国本土における宗族再生と文化資源化
四 考察──香港新界における宗族研究と中国本土における宗族研究の総合から
五 おわりに
「中国人研究者」の中国社会文化研究における宗族(聶莉莉)
一 はじめに
二 社会の「複雑な連帯の網の目に依存」する親族組織─│宗族を研究する
三 中国の社会文化研究における宗族
宗族制度と宗族組織──湖北省の事例(秦兆雄)
一 問題意識
二 調査地の概況
三 族譜から見た宗族の分散化と組織化
四 村人が語る宗族内部の分裂化と組織化
五 解放後の宗族と村幹部
六 考察
社会的住所としての宗族(小林宏至)
──福建省客家社会における人物呼称の事例から
一 はじめに
二 調査地概要と宗族組織
三 調査地における親族名称と人物呼称
四 女性の「輩字」と名前の呼びかけ
五 出来事(event)としての呼びかけ
六 おわりに
現代中国に息づく親族組織──水上居民の祖先祭祀からの分析(長沼さやか)
一 はじめに
二 珠江デルタ概要
三 事例考察──広東省中山市M村何氏
四 おわりに
現代中国の「漁民」と宗族──広東省東部汕尾の事例から(稲澤 努)
一 はじめに
二 水上居民研究と宗族
三 汕尾の「漁民」にとっての宗族
四 おわりに
現代中国における移民と宗族──福建省福州市の事例から(兼城糸絵)
一 はじめに
二 調査地概況
三 宗族の「復興」と「新興」
四 おわりに
宗族の形成、変遷そして現在──広東省珠江デルタの一宗族の事例から(川口幸大)
一 はじめに
二 宗族の形成
三 宗族の衰退
四 宗族の復元
五 宗族の復興
六 宗族の形成、変遷、そして現在
七 おわりに──人類学において宗族を研究すること
あとがき(瀬川昌久)
索引
内容説明
「宗族」という古典的テーマを軸に、実は今、中国社会は新たなうねりを見せている。街や村の襞に分け入り、人々の暮らしに密着し、変化と基調を見つめる手法から取り出された、中国社会の「現在」とは。
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序
瀬川昌久
中国の漢族社会は、近隣の他の社会、例えば日本社会や東南アジアのタイ、マレーシア、インドネシアなどの諸社会と比較する限り、明確な父系出自の原理をもっている点に著しい特色がある。この点は、今日でも生まれた子供の圧倒的多数が父の姓を名乗り、また父方の親族と母方の親族を明確に区別する親族名称体系を使用し続け、自分の祖先といえば父系の同姓祖先を意味し続けていることからも分かるように、現在なお根強く保たれた「文化」の一部なのである。社会主義化やその後の経済発展にともなう諸変化の中で、かつての家父長権的な家庭内秩序や大家族的な生活様式が影をひそめるにしたがって、こうした中国漢族社会の父系出自的性格自体も弱まっているように錯覚されたり、あるいは社会的リアリティーをもたない「どうでもよい」習慣の一部のようにみなされがちである。しかし、近隣諸社会との比較において、父系出自は依然として中国漢族社会の顕著な特色であることは疑い得ない事実である。
文化人類学は、人文社会科学諸分野の中でも、特にこの中国漢族社会の父系出自的性格に強い関心とこだわりを抱き続けてきた学問分野の一つである。とりわけ、二〇世紀初めの草創期から一九七〇年代に至るまでの時期に、文化人類学者たちの目を惹きつけたのが「宗族」の存在であった。宗族とは、字義的に言えば「同宗」の関係、すなわち共通の祖先からの父系出自を共有する関係にある者たちの「族類」(同種のものの集合)を意味し、つまり父系の系譜でつながる人々を集合的に呼ぶ言葉である。特に中国南部の農村地域では、宗族は同一地域社会内部に集居し、高度な組織性を帯びてさまざまな社会機能を発揮してきたとされている。それは、二〇世紀前半の欧米の人類学者がアフリカ社会に見出したローカライズド・リニージ(localized lineage)にも比肩されるべき存在とされた。ゆえに宗族は七〇年代に至るまで、文化人類学的な中国社会研究の中でも中心的なトピックとしての地位にあった。
他方、中国共産党による社会主義的改革の中で、宗族は古い中国社会制度の弊害や病理を象徴する存在のようにみなされ、しばしば批判・弾圧の対象ともなった。その結果、一九六〇年代から七〇年代にかけては、宗族は中国社会研究者にとって主要なトピックでありながら、同時代的にはもはや中国本土から姿を消すという状況が現出した。そしてその時代、宗族研究のフィールド調査地としての役割を担ったのは、政治的に本土とは隔離された漢族社会としての香港と台湾であった。しかし、その後の「改革開放」政策と経済発展を経た現在、我々は中国本土東南沿海部を中心に宗族の華々しい復活・再生を目にしている。そしてまたそれらの現象は、新たな調査研究の対象として文化人類学者の目を惹き付けている。
このように、近一〇〇年来の宗族をめぐる研究は、中国近現代史の歩みとも連動して揺れ動いてきたわけであるが、その中で研究者たちは二種類の大きな変化を体験してきたと言える。すなわち、(1)宗族を取り巻く中国の社会状況の変化、(2)人類学的パラダイムならびに研究者の問題関心の変化、の二つである。これら二つの変化を、二つながらに対象化し、それを客観的に検証することは、現在の文化人類学的中国社会研究の立脚している諸前提を明確にし、今後のあり方を展望するための地歩を築く上でも、極めて有用な作業である。本著は、まさにこれら二つの変化を総括し、客観化して記述することを目指すとともに、文化人類学的な視角からの中国社会研究の今後の可能性を展望することを目指している。
第一章「宗族研究史展望──二〇世紀初頭の『家族主義』から二一世紀初頭の『宗族再生』まで」(瀬川昌久)は、まず二〇世紀前半から後半に至る宗族の研究史を概観するとともに、二〇世紀の中国社会のたどった大きな社会変化にともなう宗族自体の変成を跡付ける。また、自身の一九八〇年代香港新界での宗族調査と、一九九〇年代以降の宗族再生現象についての調査の総括から、今現在宗族という対象を研究することの意義をあらためて考察している。そして、それは単に中国社会の文化的な持続性の証例としてではなく、歴史的な正統性を主張し他者との差異化を図るためのツールとして、現代社会の中で重要な価値を帯びるに至っていると論じている。
第二章「『中国人研究者』の中国社会文化研究における宗族」(聶莉莉)は、一九八〇年代に著者の行った中国本土での調査研究において宗族が関心の対象として選び取られるに至った背景を自己分析的にたどりつつ、社会主義的な改革の中で宗族に加えられた圧力こそが、当時の社会変化を映し出す重要な鏡であったことを論じている。また、その後著者が展開した農民社会への儒教倫理の浸透についての研究や、日中戦争期の細菌戦被害地の研究などの個別的な研究テーマの中でも、宗族は依然として重要な要素として関わりをもっていることを具体的に示している。
第三章「宗族制度と宗族組織──湖北省の事例」(秦兆雄)は、M・フリードマンをはじめとする宗族研究史を批判的に検討した上で、団体化・組織化された父系出自集団としての「宗族組織」と、その形成の背景となる親族理念や制度としての「宗族制度」を区別する必要性を提起する。そして、著者自身の調査地である湖北省の事例をもとに、一九七〇年代までの社会主義的な改革が、宗族組織を根底から破壊したにもかかわらず、宗族制度そのものは大きな変化を被らなかったこと、また、現在は宗族組織の再生に積極的に関わる動きはみられないが、人々の関係としての宗族は依然として社会的な重要性を保っており、宗族制度が一種の文化資源として再利用されつつあると論じている。
第四章「社会的住所としての宗族──福建省客家社会における人物呼称の事例から」(小林宏至)は、福建省南部の円形土楼で知られる宗族村落での調査データをもとに、日常生活の何げない会話の中で人々が交わす呼び名などに、宗族を形作る原基とも言うべき父系出自の関係が散りばめられていることを示し、いわば儀礼や族譜などのフォーマルな次元での宗族の認知とは異なる、人々の日常次元での宗族の認知を、ありのままに取り出そうとした意欲的な試みである。
第五章「現代中国に息づく親族組織──水上居民の祖先祭祀からの分析」(長沼さやか)は、広東省中部の珠江デルタの沙田地域に暮らす水上居民出身の人々を取り上げ、かつては宗族組織や集団的な祖先祭祀儀礼の習慣をもたなかった人々の間で、二〇〇〇年代以降親族集団の組織化と集団的な祖先祭祀儀礼の実施がみられるようになったことを示している。そして、宗族の政治経済的な機能が失われている今日において、このように新たな宗族形成へ向かうとも読みとれる動向が生じている理由として、周囲の陸上漢族の人々の視線の中で正統な儀礼を行うことにより、正統な漢族の一員として認められたいと望む動機の存在を指摘している。
第六章「現代中国の『漁民』と宗族──広東省東部汕尾の事例から」(稲澤努)は、広東省東部・汕尾市の陸上がりした「漁民」たちを研究の対象とし、もともと宗族組織を有さなかった彼らの間でも、一部に宗族の新生の動きがあることを提示している。ただし、第五章の長沼の分析とは異なり、この地域の「漁民」の間ではそのような動きの背景にある動機は、陸上の正統な漢族に同化することにあるというよりも、より新来で文化的・経済的に他者性の高い四川省などからの出稼ぎ者たちとの社会的差異を明示することにあるとの解釈を示す。
第七章「現代中国における移民と宗族──福建省福州市の事例から」(兼城糸絵)は、福建省福州市近郊の一華僑母村における宗族の復興の事例を提示している。福建省の中にあっても、同村はもともと宗族の発達が顕著な村ではなかったが、一九九〇年代以降、いくつかの姓の住民の間で海外移住者からの資金環流などをもとに祠堂の再建の動きがあったという。ただし、共有地産などの財源を欠く現状では、宗族活動の維持は必ずしも容易ではなく、納骨堂の経営と組み合わせるなど、各々のコンテクストに応じた模索が行われているとしている。
第八章「宗族の形成、変遷そして現在──広東省珠江デルタの一宗族の事例から」(川口幸大)は、広東省中部番禺の調査地の事例をもとに、明代以降の宗族形成の歴史を具体的にたどった上で、中国の南の辺縁に位置する同地域では、社会的文化的正統性を獲得するために、宗族組織の形成こそが他では代替不可能な社会結合の形であったと論じる。また、現代中国においては、農業の集団化等の政策の下でいったん宗族組織が解体した後、一九九〇年代までの宗族組織の復元期と、二〇〇〇年代に入ってからの明確な復興期とを区別することの重要性を指摘し、後者を後押ししている要因として政府による「伝統文化」の喧伝があるとしている。そして、宗族が前近代に有していた政治経済的な機能を喪失しつつも現在復興している背景として父系出自理念の根強い持続性を掲げ、親族研究がドメスティックな領域に局限されがちな現在の文化人類学において、宗族の研究はそれを国家社会レベルの現象へと展開するための手がかりとしての可能性を秘めていると論じている。
以上のように、本書は研究対象自体の変化と、それを研究する研究者の視座の変化というダブル変化を対象化し、客観的に総括することによって、我々の立ち位置を確認し、今後への展望を開く試みである。この種の検証は、ほぼありとあらゆる研究テーマについて同様になされ得る/なされるべき/性格のものであるが、中国の「宗族」に関しては前述の通り過去一世紀の間にそれを取り巻く社会状況が劇的に変化し、またそれを見つめる学術的眼差しも大きく変化した。その意味で、この宗族という題材は、研究対象そのものと研究者の視座というダブル変化を記述する試みにおいては、ひとつのモデルとなり得る存在と考えられる。
今日の中国に関しては、とりわけ経済次元を中心として、急激な社会変化にともなう新奇な事象ばかりが注目される傾向にあるが、そうした時事的な事象を一歩離れ、より持続的な局面においてその文化・社会を研究しようとする視座もまた重要と考えられる。宗族は、中国古代に形作られた宗法に立脚し、少なくとも宋代以来の組織的連続性が認められるという点において、きわめて持続的な文化要素である。またそれと同時に、現代の宗族再生現象には、現代社会の文脈に基づいた新たな意味付けや動機付けがみられる。本書は、このように中国の歴史に内在した持続的な文化要素である宗族について、現代的な社会状況の中での変化と、それを研究し続けることの意義について検証してゆくことを目指すものである。
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編者・執筆者紹介(掲載順)
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年生まれ。
1986年東京大学大学院社会学研究科博士後期課程退学。博士(学術)。
専攻は文化人類学。
現在、東北大学東北アジア研究センター教授。
主要著書として、『客家―華南漢族のエスニシティーとその境界』(風響社、1993年、単著)、『族譜―華南漢族の宗族、風水、移住』(風響社、1996年、単著)、『中国社会の人類学―親族・家族からのアプローチ』(世界思想社、2004年、単著)、『現代中国における民族認識の人類学』(昭和堂、2012年、編著)、『現代中国の宗教―社会と信仰をめぐる民族誌』(昭和堂、2013年、川口幸大との共編著)など。
川口幸大(かわぐち ゆきひろ)
1975年生まれ。
2007年東北大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。
専攻は文化人類学。
現在、東北大学大学院文学研究科准教授。
主著書として、『東南中国における伝統のポリティクス―珠江デルタ村落社会の死者儀礼・神祇祭祀・宗族組織』(風響社、2013年、単著)、『僑郷―華僑のふるさとの表象と実像』(行路社、印刷中、編著)、『現代中国の宗教―信仰と社会をめぐる民族誌』(昭和堂、2013年、編著)など。
聶莉莉(にえ りり)
1990年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。
専攻は文化人類学、中国及び東アジア地域研究。
現在、東京女子大学現代教養学部教授。
主著書として、『劉堡―中国東北地方の宗族及びその変容』(東京大学出版社、1992年、単著)、『大地は生きている―中国風水の思想と実践』(てらいんく、2000年、共編著)、『中国民衆の戦争記憶―日本軍の細菌戦による傷跡』(明石書店、2006年、単著)、論文として「費孝通―その志・学問と人生」(『東アジアの知識人』281-299頁、有志舎、2014年)、など。
秦兆雄(しん ちょうゆう)
1962年生まれ。
1994年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)
専攻は文化人類学、日中比較研究
現在、神戸市外国語大学中国学科教授
主著書として『中国湖北農村の家族・宗族・婚姻』(風響社、2005年、単著)、論文として“Rethinking Cousin Marriage in Rural China”(Ethnology, Vol.XL no.4. University of Pittsburgh. 2001)や「試論日本孔子廟的歴史演変與当代功能―以湯島聖堂與弘道館為例」(『儒学的理論與応用:孔徳成先生逝世五周年記念論文集』台湾中央研究院文哲研究所、2015年)など。
小林宏至(こばやし ひろし)
1981年生まれ。
2013年首都大学東京大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
専攻は社会人類学、中国客家社会研究。
現在、日本学術振興会特別研究員(東北大学東北アジア研究センターPD研究員)。
論文として、“UNESCO World Heritage and the regional powers Changing representations of religious cultural heritage”(Eurasia’s Regional Powers Compared: China, India, Russia, Routledge. 2015年、共著)、「日本人類学的風水研究」(金沢・陳国編『《宗教人類学》第四輯』、社会科学文献出版社、2013年)。「テクストとしての族譜―客家社会における記録メディアとしての族譜とそのリテラシー」(『社会人類学年報』37号、2011年)など。
長沼さやか(ながぬま さやか)
1976年生まれ。
2008年総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
専門は文化人類学、中国地域研究。
現在、静岡大学人文社会科学部准教授。
主著書として、『広東の水上居民―珠江デルタ漢族のエスニシティとその変容』(風響社、2010年、単著)、『中国における社会主義的近代化―宗教・消費・エスニシティ』(勉誠出版、2010年、小長谷有紀、川口幸大と共編著)、論文として「祖先祭祀と現代中国―水上居民の新たな儀礼の試み」(川口幸大・瀬川昌久編『現代中国の宗教―信仰と社会をめぐる民族誌』、昭和堂、2013年)など。
稲澤 努(いなざわ つとむ)
1977年生まれ
2011年東北大学大学院環境科学研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。
専攻は文化人類学、華南地域研究。
現在、尚絅学院大学総合人間科学部表現文化学科准教授。
主著書として、『消え去る差異、生み出される差異―中国水上居民のエスニシティ』(東北大学出版会、近刊、単著)、『東アジア海域世界の生成と展開』(風響社、共著、第11章担当)、2015年、『日本客家研究的視角与方法―百年的軌跡』(社会科学文献出版社、2014年、共著、第7章担当)、論文として「新たな他者とエスニシティ―広東省汕尾の春節、清明節の事例から」(『東北アジア研究』17号、2013年)など。
兼城糸絵(かねしろ いとえ)
1982年生まれ
2013年東北大学大学院環境科学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(学術)。
専攻は文化人類学。
現在、鹿児島大学法文学部准教授。
主論文として、“Social differences in an Emigrant Community in Modern China: A Case Study from Fuzhou city, Fujian Province”, (Stratification in Cultural Contexts. Trans Pacific Press, Victoria, Australia 2013年、共著)など。