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華南

広東・海南の文化的多様性とエスニシティー

華南

文化的差異やエスニック・グループの生成・維持の関係という、人類学にとって普遍的な課題への挑戦の場。多角的研究。

著者 瀬川 昌久
ジャンル 人類学
シリーズ 人類学専刊
出版年月日 2022/12/20
ISBN 9784894893269
判型・ページ数 A5・272ページ
定価 本体3,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次



第一章 広東漢族の文化的多様性──本地人と客家の年中行事を中心として

   一 はじめに
   二 地方志の利用価値についての民族誌論的考察
   三 広東各地の年中行事
   四 地方文化の多様性を生み出すもの

第二章 漢族の地方文化と宗族──広東省海豊県の調査から

   一 はじめに
   二 海豊県漢族の方言分布
   三 尖米話系漢族──西崗羅氏
   四 客家語系漢族──西坑戴氏
   五 海豊話系漢族──黄山圍黄氏
   六 漢族のサブグループと地方文化

第三章 広東ローカリズムと中華ナショナリズム──南雄珠璣巷をめぐる考察

   一 はじめに
   二 南雄珠璣巷伝承についての学術的解釈
   三 南雄珠璣巷における歴史公園の建設
   四 珠璣巷と宗親会ネットワーク
   五 珠璣巷の諸表象とナショナリズム
   六 歴史の連続性と中華ナショナリズム

第四章 漢族の方言集団と地方文化──海南島儋州・臨高地域の調査から

   一 はじめに
   二 「儋州話」話者グループ
   三 「軍話」話者グループ
   四 「臨高話」話者グループ
   五 「客家話」話者グループ
   六 「白話」話者グループ
   七 「海南話」話者ならびに「普通話」話者
   八 「黎族」について
   九 地域的文化集団間の境界維持について

第五章 エスニック観光と「伝統文化」の再定義──海南島南部での調査を中心に

   一 はじめに
   二 海南省のエスニック観光開発とリー族・ミャオ族の対応
   三 貴州・広西のミャオ族における観光開発と「伝統文化」再編
   四 ヤオ族、チワン族、ペー族、タイ族等におけるエスニック観光
   五 中華帝国の磁場と現代社会

第六章 ヤオ族と「盤王節」にみる民族文化表象──広東省連南瑶族自治県の調査から

   一 はじめに
   二 「ヤオ族」の複合性と民族識別
   三 連南瑶族自治県と排瑶
   四 盤王節──民族文化表象の新たな展開

第七章 少数民族籍客家──エスニック・グループの自明性と曖昧性

   一 はじめに
   二 リー族である客家の村
   三 ショオ族となった客家の族譜
   四 エスニック・アイデンティティーの社会戦略と系譜認識
   五 民族集団イメージの普及と文化の資源化

第八章 華南地域文化研究の四〇年をふり返って



引用文献

索引/地図・写真図表一覧

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内容説明

中国南部を彩る文化のパッチワーク
その多様性は中国の中でも異彩を放つが、そこは文化的差異やエスニック・グループの生成・維持の関係という、人類学にとって普遍的な課題への挑戦の場でもあるのだ。

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 本書は、筆者がこれまでの約四〇年間にわたる研究者生活の中で、「宗族」とならぶ主要な研究テーマとしてきた中国東南部・広東省、海南省の地方文化や、その地域に暮らす人々のエスニシティーの問題について、折々に発表してきた論文を集約したものである。同地域には、極めて多様な地方文化が共存しており、またそれに基づいて自他を区分する多様な地域集団の自己意識が存在しているが、そのことが同地域の顕著な特徴のひとつとなっている。本書は、そうした中国南部地域のもつ文化的・社会的な特色を提示するとともに、それを題材とすることにより、文化的差異とエスニック・グループの生成・維持の関係という普遍的な問題についての考察を行うことを目指す。

 

 華南地域の魅力は何かと問われるならば、それはその複雑さにあると筆者は躊躇なく答えるであろう。華北の果てしない平原や、華中の茫洋たる水郷地帯と異なって、概して山地や山間小盆地が複雑に入り組んだ地形をもつ華南では、小地域ごとに独自の地方文化が育まれ、またそうした言語・習俗の相違をもとにして、至るところで人々の間に自他を区分する微細な「われわれ意識」が形成・維持されているのを見ることができる。ともすると、中国政府が公認するいくつかの「少数民族」や、大まかな「漢族」という括りの陰に隠れて、それらは顕在的に語られることは少ないが、中国東南部に暮らす人々の文化的・社会的な多様性は、「中国」や「中国人」という通り一遍のイメージでは到底語り尽くすことのできない華南地域の魅力の一端となっている。

 一九八〇年代前半に香港新界で行った筆者の初めてのフィールドワークでは、住み込んだ上田(セオンティン)村(偽名)という村落がたまたま客家の人々の村であったことから、「客家」という漢族の中の一グループに自ずと関心をもつこととなった。その村は客家語を話し、自らも客家を自認する人々の村落であったが、一〇メートルも離れていない隣村は本地(広東人)の村であった。ほとんど背中合わせにくっついたこれら二つの村は、話す言葉も違い、年中行事や祖先祭祀のやり方も微妙に異なっている他、日常的には驚くほど没交渉であったが、それでも特に互いに反目し合うこともなく二〇〇年以上もの間、同じ地域内に共存してきた。

 その後、香港新界を離れて中国本土に広く調査地を拡大して行くにつれ、こうした状況は上田村だけの特殊事情ではなく、中国東南部一帯に、多かれ少なかれ一般的に見られる現象であることが明らかとなった。一般に広東省の中央部には広東語を話す広東人、広東省の東端部には福建語系の潮州語を話す潮州人、広東省東北部や北部には客家語を話す客家が住んでいることが知られているが、実際にはそのような大きな地域的まとまりごとに方言集団が明確に住み分けているわけではなく、特に中間地帯では互いに入り乱れて、河川沿いの小盆地空間ごと、郷鎮ごと、さらには村ごとに異なる方言や習俗を有する人々が共存していることが珍しくないのだ。

 それは海南省ではさらに著しくなる。海南省は広東省の南西部沖合にある、日本の九州より一回り小さな離島・海南島からなる省だが、一九八八年に独立した省となるまでは、歴史的に広東省の一部としての位置づけにあった。その住民については、海岸部の平地に海南語を話す漢族の一派・海南人が、そして内陸の山間地にはリー(黎)族と呼ばれる非漢族系の少数民族が住んでいることが一般には知られているのみだが、実際にはこれら両者には収まりきれない多様な方言や言語が島内のあちこちで話されており、それにともなってさまざまな自称をもつ地域集団がパッチワーク状に住み分けている。それらは、漢族/少数民族といった単純な二分法や、広東語系/福建語系などといった単純な方言分類では到底整理できない複雑な様相を呈している。

 こうした住民の中の文化的・社会的な多様性を生んだ最大の要因は、断続的な人の移動、つまり歴史的にある時期に移住が生じて新しい住民が住み着き、また別な時代に別の地域からの新たな移住が生じるといった、繰り返し生じた人の移動の痕跡にある。中国南部は中国全体から見れば南の辺境にあり、北方の文明中心地からの不断の移住者の流れが同地に向かって生じていた。そうした、より古くからの住民と新たな移住者との間に存在する文化的・社会的差異は、多年にわたる同一の地域社会内部での共住の結果、同化・消失へと向かう場合もあったが、人々の間に歴史の痕跡として刻印されたまま、長期間にわたって維持されることもあった。

 こうした人の移動にともなう地方文化やわれわれ意識の境界の生成・維持・消失の過程は、単に歴史的な過去の事象にはとどまらず、今日なお他地域からの出稼ぎ労働者の流入などによって引き続き繰り返されている現象でもある。人の移動により作り出された言語・習俗を異にする人々どうしの出会いが、常に自他の区分をともなったエスニック・グループの析出を導くとは限らないが、そうした過去の人々の移動の結果として生じた中国南部における言語・習俗の多様性が、その地におけるさまざまなわれわれ意識や地域的な住民カテゴリーの生成・維持にとっての重要な背景となっていることは疑いない。

 筆者は、とりわけ「客家」の人々の自己意識や、他の集団との境界のあり方を中心としてその問題を考えてきた。その成果は、既に一九九〇年代前半に『客家─華南漢族のエスニシティーとその境界』(風響社、一九九三年刊)、また最近では『客家─エスニシティーの形成とその変遷』(風響社、二〇二一年刊)として公表したが、本書は筆者がそれと並行し、同問題をヤオ(瑶)やショオ(畲)などの少数民族を含めた客家以外の人々における地方文化の差異やわれわれ意識の生成・維持の事例へと考察を展開しつつ、さまざまな機会に個別の論文として発表してきた論考をひとつにまとめ直したものである。

 

 以下の第一章は、主に地方志という歴史文献を用い、その中に記載されている歳事風俗資料を比較検討することを通じて、広東省内の地方習俗の違いの概況を把握するとともに、それがどの程度まで広東人、客家等の方言集団の分布と一致するかについて考察したものである。また、第二章は、広東省東部の海豊県でのフィールドワークに基づき、同県内における多様な方言話者の分布と、それぞれの人々のもつ移住伝承やわれわれ意識について分析したものである。続く第三章は、広東人(広東本地人)に広く共有された祖先移住伝承・南雄珠璣巷伝説のゆかりの地である広東省北部の南雄市珠璣巷において、同伝承にまつわって建設された歴史テーマパークを紹介し、そこにちりばめられた表象の解読を通じて、広東本地人としての自己意識と中国人としてのナショナリズムとの関係について考察したものである。

 第四章は、海南島の北西部・儋州ならびに臨高地域の現地調査をもとに、同地における方言集団の複雑な分布と、それぞれの方言話者間の境界維持について詳細に分析したものである。続く第五章と第六章は、少数民族関連の考察である。第五章は、海南島南部の三亜市周辺での調査に基づき、同地のリー(黎)族、ミャオ(苗)族の民族観光の実態と、現地の民族文化や住民の自己意識の変化について、貴州・雲南など他地域の民族観光の事例との比較を交えて考察したものである。また、第六章は、広東省北部・連南瑶族自治県での調査をもとに、広東・広西・湖南三省のヤオ族がその民族的な共通行事として開催するようになった盤王節の祭典に焦点をあて、国家が公認する民族単位である「ヤオ族」の内部の多様性と、現代的な文脈の中でのその民族文化の変成について分析する。

 第七章は、漢族の一部としての客家と、少数民族との関わりを題材とするエスニシティーの現代的な展開に関する考察である。すなわち、海南島の北西部のリー族籍をもつ客家の人々や、広東省北部において客家語話者の住民の中から生じたショオ族としての認定要求運動など、正統漢族としての客家の自己イメージからは逸脱する事例を検討し、地方文化集団のわれわれ意識の多様性を明らかにするとともに、民族的な帰属についての人々の現代的な社会適応戦略を明らかにしてゆく。そして最後の第八章は、以上の論考を総括しつつ、華南の地を足がかりとして、文化の多様性、自他意識の生成と展開といったエスニシティーの基本問題を考察してゆくことの意義を、あらためて提示する。

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著者紹介
瀬川昌久(せがわ まさひさ)
1957年、岩手県花巻市生まれ。
1986年、東京大学大学院博士課程中退。学術博士(東京大学1989年)。専攻、文化人類学。
国立民族学博物館助手、東北大学教養部助教授、同大学文学部助教授を経て、1996年より同大学東北アジア研究センター教授。
著書に『中国人の村落と宗族』(1991年、弘文堂)、『客家―華南漢族のエスニシティーとその境界』(1993年、風響社)、『中国社会の人類学』(2004年、世界思想社)、『連続性への希求―族譜を通じてみた「家族」の歴史人類学』(2021年、風響社)、『客家―エスニシティーの形成とその変遷』(2021年、風響社)、
Ancestral Genealogies in Modern China: A Study of Lineage Organizations in Hong Kong and Mainland China(Routledge、2022年)など。

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