目次
一 はじめに
二 総説
第一章 蝋祭の系譜と芸能
摘要
一 第一点「農耕感謝祭としての系譜」について
二 第二点「巫覡の祭祀芸能の系譜」について
三 第三点「争闘、対立の芸能の系譜」について
四 第四点「蝋、漢代の臘、民間の社祭などの系譜」について
《祭祀芸能の現在伝承》
1 南島のシツと豊年祭
2 正月の光景
3 巫儀に伴うあそび
第二章 鬼やらい(儺儀)の系譜と芸能
摘要
一 第一点「蝋に由来する儺の探究」について
二 第二点「民間の儺の形成に仏教の影響を考慮すること」について
三 第三点「『南方の儺』の探究」について
傀儡戯についての再認識
第二章のまとめ
《祭祀芸能の現在伝承》
1 儺戯
2 正月祭祀のなかの儺のあそび
3 臨時の儺のあそび
第三章 巫の儀礼の系譜と芸能
摘要
一 巫歌としての九歌
二 九歌と東シナ海周辺の巫俗
《祭祀芸能の現在伝承》
1 戯劇にみられる中国の巫女の名残
2 東シナ海につながる韓国の巫俗儀礼
3 台湾の道士、法師の儀礼
第四章 女神崇拝の系譜と芸能
摘要
一 第一点「観音以前──始祖女神たちと芸能」について
二 第二点「西王母およびその周辺の女神たちと芸能」について
三 第三点「女人観音と芸能」について
四 第四点「観音以後の女神たちと芸能」について
《祭祀芸能の現在伝承》
1 女神としての観音
2 臨水夫人による過関
3 パリ公主による祭祀──未発の芸能
4 中国の戯劇のなかの女勇士たち──西王母の末裔
第五章 花、蛇と祭祀芸能
摘要
一 花の祭祀と芸能
二 蛇の祭祀と芸能
三 「二 蛇の祭祀と芸能」からの展望
《祭祀芸能の現在伝承》
1 花をめぐる祭祀
2 蛇をめぐる祭祀
第六章 仏教、道教と祭祀芸能
摘要
一 寺院の戯場と優人
二 寺院と鎮魂のかかわり
三 南戯のなかの女性とその救済の類型
四 仏教と傀儡戯
五 第六章のまとめ──循環する東シナ海地域の祭祀芸能
《祭祀芸能の現在伝承》
1 寺廟の戯場
2 目連戯の伝承
3 傀儡戯
あとがき
参考文献(五十音順)
索引
内容説明
地東シナ海周辺には今なお数多くの祭祀と芸能がある。朝鮮半島南部の巫女のクッ、沖縄の豊年祭、台湾の王爺祭祀、中国江南の媽祖信仰など、独自の光彩を放つ芸能の諸相を貫く共通の原風景はないのだろうか。著者渾身の集大成。
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一 はじめに
仮に中国芸能史論とか日本芸能史論、朝鮮芸能史論という名の書であれば、何を述べようとしているのか、見当はつくであろう。しかし、東シナ海祭祀芸能史論とは一体、何か。
東シナ海祭祀芸能史論とは 東シナ海祭祀芸能史論とはほかでもない、東シナ海を取り巻く地域に関する祭祀と芸能の史論である。そのようなものに一体、意味があるのか。少なくとも、今までそうした本も書かれていないし、また大学などで、そうした研究領域が設定されたこともない。それゆえ、このようなものに貴重な時間を費やすのは疑問だという人もいることだろう。
それはそれで致し方がない。ところで、東シナ海周辺には今なお数多くの祭祀と芸能があり、その個々の魅力に引きつけられる人は少なくない。わたしも、間違いなく、そんな人たちの一員である。わたしが本書で想定した対象は、そのような人たちにほかならない。
東シナ海周辺の祭祀と芸能──その原風景 東シナ海周辺の祭祀と芸能──わたしの抱くその原風景には次のようなものがある。
朝鮮半島南部では巫女のクッ、農楽隊による地神踏みと堂山のまつりがある。また、仮面戯の一団は保存会による維持の段階となり、わたしの視野から少し遠くなりつつあるが、寺を根城にした放浪芸人男寺党の伝えた傀儡戯は新たな展望を得た。そのため、これはいよいよ鮮明である(本書第二章、第六章末尾参照)。そしてまた、済州島の神房の祭祀には整った体系、豊かな巫歌があり、その歌と巫戯には芸能者を想定させる点もある。
一方、沖縄ではまず聖なる森ウタキ(御嶽)がある。そしてそのかたわらではウンジャミ、シヌグなどのまつりがある。女たちのウスデークやユークイは誰をも安らかにしてくれる。それだけでなく、年の交替期シツ(シチ、シチィ)や豊年祭の奉納芸能は自発的なもので、今なお屈託がない。そして、台湾は今日、聖母媽祖や王爺の祭祀に以前にも増して傾倒している。
他方、中国江南においても、改革開放以来、祭祀と芸能の復興はめざましい。観音(観音媽・観音娘娘)や媽祖信仰は日増しに拡大し、さらに、江南各地における寺廟規模の盛大化と奉納演劇数の増加は驚異的である。南戯とよばれる地方劇は祭祀芸能のひとつの到達点として健在である。
それだけではない。中国の内陸部に目を向けると、そこにはこの二〇年ほどのあいだに、ある種の熱気を帯びて掘り起こされた儺戯という名の祭祀芸能がある。ただし、これはわたしの原風景においてはいささか遠景に位置づけられる。
原風景に筋道を付ける試み ほかにも提示したい原風景はある。しかし、少なくとも、ここにあげた原風景だけでも十分意味があるのではなかろうか。そのどれについても深い歴史と独特の味わいが伴い、その語りは尽きることがない。しかし、本書で試みたのはその個々の語りの羅列ではない。わたしの意図は、こうした原風景に先ずは一定の筋道を付けることである。それには、各地域を連ねると同時に歴史の軸をさかのぼること、そして、またくり返し地域を連ねることが必要である。こうしたいわば、縦(歴史)、横(地理)の軸の検証によって、東シナ海周辺地域に時間と空間の基軸が設定されると考えた。本書は、その最初の試みである。
その方法──現地、表情、歴史 わたしの方法は愚直なものである。まずは現地にいく。そして現在の祭祀と芸能を第一に尊重する。次に、自分の目で確認したことを整序する。その次には、現地の人びとの顔を見失うことなく、できるだけ歴史的に考察する。
この方法には込み入った理屈はいらない。誰にでもできる。ただし、難点もある。いざやってみると、むやみと時間と労力がかかるのである。気がつくと、三〇年ほどが過ぎていた。齢は早くも六〇になろうとする。この間、大学院で「芸能史」という授業を担当していながら、話す内容は拡散するばかり、収束の兆しがない。しかも面目ないことに、わたしには毎年使える、決まり切った講義ノートがない。毎回、課題を模索し試行錯誤の連続である。
このまま進めば、この先、何年かかっても同じ結果になりかねない。若い時分にはそれでいいと決め込んでいた。しかし、より体系的に幅広く学ぼうと意気込む若い受講生にとってはいい迷惑だろう。彼らの顔は困惑している。一体、東アジアの祭祀芸能とは何なのだ? とりとめがないではないか。
確かにそのとおり。一方で六〇という年は否応なく過去を振り返るようにさせるのかもしれない。そこで、わたしはとりあえず東シナ海周辺地域に枠を狭めてまとめることにした。これにより、関心を同じくする受講生や研究者にひとつの見方を提示してみたい。
東シナ海周辺の祭祀と芸能の近さ ここで何よりもいいたいことは、東シナ海周辺の祭祀と芸能は本来は互いに近く、決してわれわれ日本人に縁遠いものではないということである。そして、本書を通して東シナ海周辺の祭祀の光景が今までとは別様にみえてくることがあれば、さいわいである。
一方では厳然とした現実がある。沖縄の祭祀芸能研究者は中国沿海部や朝鮮半島南部の祭祀や芸能をみて歩く機会がない。そして、また日本にいて中国の祭祀や演劇を研究する者は朝鮮半島や日本のことをあまり論じない。こうしたことは日本に限らず、中国、韓国の研究者にもいえる。国家の壁がそれほど強固だからなのか否かはわからない。
他方で、若い人たちにおいても相応の理由がある。何しろ、表面的にはずいぶんと印象が異なる。それゆえ、意気込んで現地に赴き、見学をしたところで、祭祀や芸能の多くのことは違いすぎる。それらは彼我、結びつけようがないようにみえてしまう。
こうした現状がつづく限り、東シナ海は分断されたままである。それでいて、一方では経済や政治の要請もあって、東アジアを冠した書物が氾濫している。その光景は、中国、韓国でもみられるが、とにかく、わたしには不思議である。神の住む森や巫の行為、年の切り替え時の祭祀、寺廟の前の芝居、そうしたことがらに多くの人は生きる意味を委ねてきた。その人びとの顔がつながらなくて「東アジア共同体」がありうるのだろうか。
ともあれ、東シナ海に向かって誰かがはじめの石を投じなければならない。たとえ捨て石となろうとも、それはやむを得ない。捨て石のあとにこそ堅固な土台、建物が築かれるからである。
本書全体の性格と構成 本書は年来、抱いている全体構想のうち、東シナ海地域に関する部分の骨子、いわば提綱である。そこで名付けて序説とした。全体が六章からなる。そのどの章においても、まず歴史的な基軸の提示をした。次に祭祀芸能の現在の姿を踏査の日付とともに図版により提示した(章末《現在伝承》)。ただし、わたしの実際の探求の軌跡はその逆であった。すなわち、まずは現場で考えた。そして、そのあとで時間を遡った。従って、読者はこの順に各章に接しても差し支えがない。
理想をいえば、歴史と現在伝承の探求をくり返しつつ各章を練り上げるべきである。そうおもってできるだけのことはした。しかし、通読後、あるいはこういわれるかもしれない。このていどの現場探求、このていどの時間軸(歴史)の提示、それでは余りにも少ないと。しかし、人には持ち時間というものがある。どうであれ、今は甘受するほかはない。
おもむろにはじめた七〇年代からの祈念 わたしは学部の課程を終えたあとに、何とはなくアジアを志向した。七〇年代の当時は、東アジア云々の機運は少しもない時代であった。当然、それほど堅固な理念があったわけでもない。二〇代も半ばを過ぎてからおもむろに朝鮮語と北京語を学んだ。そうして現地にいってあれこれみて歩いた。そんな道草をしたあげくのことであるから、成果といっても実際、このていどで目一杯なのである。
願わくば、今後、若い人が一念発起し東シナ海周辺地域の祭祀や芸能に接近されんことを。若い人が理念をもって臨めば先行者の行き着けなかったところに到るのはむずかしいことではない。歴史を振り返ると、そんな例はいくらでもある。かつてはこんな領域は学の対象ではなかったなどとということは数多い。多くの若い人が東シナ海を自由に行き来するときはもうすでにきている。「研究」と名の付くものがこの現実に追いついていないだけなのである。
二 総説
本書は全六章からなる。ただし第三、四、五章は巫覡の祭祀と芸能に関連する。従って、この三つを一章とみなすなら、全体は四章になる。各章の中心となる祭祀、儀礼は、
一、農耕感謝祭祀
二、儺(鬼やらい)の儀礼
三、巫俗儀礼
四、仏教・道教とかかわる民間祭祀儀礼
である。本書では、東シナ海周辺地域を範囲として設定し、これらの祭祀のもとでみられる芸能表現あるいは地方劇について横のつながりを意識しつつ述べた。
本文中、各章の冒頭に簡単な要約(摘要)を付した。それをつなぎ合わせてみれば、全体の要旨となる。そこで、この総説ではそれとの重複はなるべく避け、もう少し視点を広げて述べることにした。すなわち前掲の原風景をもとにして、そもそも各章で述べたかった中心主題を手短にまとめた。……
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著者紹介
野村伸一(のむら しんいち)
1949年東京生まれ。慶應義塾大学文学部教授。
著書;『仮面戯と放浪芸人』(ありな書房、1985年)、『韓国の民俗戯』(平凡社、1987年)、『巫と芸能者のアジア』(中央公論社、1995年)、『韓国、1930年代の眼差し 村山が見た朝鮮民俗』(高雲基訳、韓国ソウル;以會文化社、2003年)、編著;『東アジアの女神信仰と女性生活』(慶應義塾大学出版会、2004年)、『東アジアの祭祀伝承と女性救済─目連救母と芸能の諸相』(風響社、2007年)など。