22 ミャンマーの女性修行者ティーラシン
出家と在家のはざまを生きる人々
比丘尼(びくに、女性出家)への道が断たれた上座仏教において、厳しい修行に励み、聖俗の境界に生きる彼女たちの労苦と矜持とは。
著者 | 飯國 有佳子 著 |
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ジャンル | 人類学 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 |
出版年月日 | 2010/11/10 |
ISBN | 9784894897496 |
判型・ページ数 | A5・64ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
一 出家と在家のはざま
1 あいまいな位置づけ
2 ティーラシンの出家式
3 保持する戒の数
4 出俗の媒介者
二 出家動機の変容
1 女性出家修行者の歴史
2 王朝時代における女子の一時出家慣行
3 社会的地位の低下
4 近代教育の導入に伴う知識の変容
5 一時出家慣行の再燃
三 ティーラシンの生活
1 尼僧院と修行形態の多様性
2 教学尼僧院での暮らし
3 サンガとティーラシン
四 比丘尼サンガ復興運動の背景
1 消滅した比丘尼サンガ
2 国際社会における比丘尼サンガ復興運動
3 ミャンマーにおける比丘尼サンガ復興運動
4 比丘尼サンガ復興運動への反応
おわりに
注・参照文献
内容説明
比丘尼(びくに、女性出家)への道が断たれた上座仏教において、今も剃髪し戒を保持し厳しい修行に励むティーラシンたち。聖俗の境界に生きる彼女たちの労苦と矜持とは。ブックレット《アジアを学ぼう》22巻。
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はじめに
ミャンマーをはじめて訪れたときのことだ。旧首都ヤンゴンの街中にあるスコット・マーケットと呼ばれる市場を歩いていると、僧侶ではないが剃髪し、独特の衣を纏って托鉢する人々を見かけた。上座仏教僧であれば緋色一色の衣を身に纏う。しかし、その人々は同じように剃髪しているものの、薄桃色を基調とする衣を纏っている上、女性のようにみえる。一体、この人たちは何者なのだろう。なぜこんなかわいらしい色の衣をつけているのだろう。それが、「ティーラシン」(戒の保持者)と呼ばれる仏教女性修行者とのはじめての出会いだった。
その後、少し調べてみると、緋色の衣は具足戒を受けた正式な出家者しか許されないこと、そして彼女たちは比丘尼という正式な出家者でないため、僧侶と同じ衣を着ることができないこと等がわかった。では、正式な出家者として認められないなか、なぜ彼女たちは出家するのか。ミャンマーにおける仏教徒女性の出家生活とはいかなるものなのだろうか。そんな素朴な疑問が本書の出発点だった。
仏教は約二五〇〇年前インド北部で誕生し、現在アジアを中心に世界中に広がっている。日本でも最も馴染み深い宗教の一つといえるが、仏教と一口にいっても日本の大乗仏教と、スリランカを経てミャンマーやタイなど東南アジア大陸部に伝わった上座仏教(南伝仏教)では大きな違いがある。
上座仏教の第一の特徴として、出家と在家は全く異なる存在と考えられているという点が挙げられる。仏教の究極的目標である涅槃への到達には、出家しブッダの作った出家者集団であるサンガに入る以外の道はないとされる。しかし、悟りは単に出家しただけで得られるような生易しいものではない。そのため、男性出家者は二二七もの戒律を遵守しながら日々経典学習や瞑想などの修行に専念する。僧侶が尊敬されるのは、ブッダが定めた戒律に従い厳しく清浄な生活を営むことでその教えを今に体現するからである。出家した者はもはや「人間」すなわち俗人ではないため、日本でみられるような僧侶の妻帯はありえず、強制還俗の対象となる。
一方の在家信者はというと五戒の遵守が課されるが、こちらは義務ではなく努力目標に留まる。ただし、因果応報の理にしたがい自分の行いはいずれ必ず自分に帰ってくるため、在家は乞食で生活する僧侶の出家生活を物質的に支え功徳を積み重ねることで、涅槃への到達ではなく、より良い来世への転生を目指す。上座仏教は「エリートの宗教」と「マスの宗教」という互いに方位も原理も異にする二つの仏教が結合し存続してきたとされるのは、こうした理由による[奥平 一九九四:九五―九六、石井 一九九一:一二八―一三〇]。
またブッダの時代に近いとされる上座仏教の第二の特徴として、出家に関連し明確なジェンダー差が見られるという点が挙げられる。つまり、女性の比丘尼としての出家が正式に認められる大乗とは異なり、上座仏教では比丘尼サンガの消滅により、女性は在家に留まらざるを得ないとされてきたのである。こうしたなか、出家の世界における男女平等を達成する目的で、一九八〇年代半ば以降上座仏教における比丘尼サンガ復興運動が国際的な場で盛んになっている。欧米を中心とするフェミニストや宗教学者を中心に始まったこの運動の結果、大乗の比丘尼から受戒した上座仏教の比丘尼の数は増加している。しかし、上座仏教サンガで公式に彼女たちを正式な比丘尼と認めるところはないため、比丘尼としての出家生活の継続が難しくなり、元の女性修行者に戻るケースもみられる。また、仏教やフェミニズムを「正しく」理解する西洋の知識人が、アジアの女性修行者に「教育」を授けるといった啓蒙主義的な姿勢から、運動のあり方そのものを問い直す声も聞かれる。。
こう書くと、上座仏教社会の女性は一見男性出家者のような修行ができないように見えるが、比丘尼復興運動が起こるまでにも、女性の出家行為は全くなかった訳ではない。むしろ古くから家を出て剃髪し宗教的生活を営むティーラシンのような女性は、ミャンマー以外の上座仏教社会にも広くみられ、スリランカではダサシルマーター、タイではメーチーと呼ばれている。つまり、上座仏教社会の女性は、比丘尼としての正式な出家への道は絶たれているが、出家行為そのものが禁じられているわけではないのである。
本書が取り上げるのは、比丘尼というブッダが認めた正式な出家者ではなく、在家のカテゴリーに含まれながら、出家生活を営むこうした女性修行者である。上座仏教において明確に区別される出家と在家のはざまで、彼女たちはどのように生き、出家生活をとおして何を目指すのか。本書はミャンマーのティーラシンに焦点をあてながらその宗教的実践や生活を示すとともに、彼女たちが宗教者として目指すものを追うことで、上座仏教社会にみられる多様な宗教的実践の一端を解明することを目的とする。
第一節ではまずティーラシンとはどのような人々なのかを明らかにし、続く第二節で出家動機の変遷を軸にティーラシンの歴史について述べる。それにより、女性の出家の持つ意味が時代によって変化していることを示した上で、第三節では宗教者としての自らの価値を高めるためティーラシンがどのような努力をしているのかを、教学尼僧院における生活から明らかにする。最後に、近年国際社会で顕著な比丘尼サンガ復興運動がミャンマーの宗教界に与える影響を第四節で扱い、まとめを提示する。
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著者紹介
飯國有佳子(いいくに ゆかこ)
1972年、島根県出身。
総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻修了。博士(文学)。
2001年より2003年まで松下アジアスカラシップの助成を受け、ミャンマー連邦大学歴史研究センターに客員研究員として滞在。
現在、国立民族学博物館外来研究員、東京外国語大学・法政大学非常勤講師。
主な論文・著書に、『現代ビルマにおける宗教的実践とジェンダー』(風響社、近刊予定)、「フェミニズムと宗教の陥穽:上ビルマ村落における女性の宗教的実践の事例から」(『国立民族学博物館研究報告』34巻1号2009)、“Why Have Nunneries Disappeared?: A Case Study of a Village in Upper Myanmar”(UHRC(ed.)Traditions of Knowledge in Southeast Asia. Part 2. 2004)、「出家と在家のはざま:ビルマ仏教女性修行者(ティーラシン)の事例から」(『EXORIENTE』第6号2002)などがある。