文書史料が語る近世末期タイ 28
ラタナコーシン朝前期の行政文書と政治
「西洋の衝撃」に応え、近代化を進めたタイ。その基盤は実は近世に形成されていたのではないか。「停滞の近世」のイメージを再考。
著者 | 川口 洋史 著 |
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ジャンル | 歴史・考古・言語 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 |
出版年月日 | 2013/10/25 |
ISBN | 9784894897595 |
判型・ページ数 | A5・68ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
一 ラタナコーシン朝(1782年─)の成立と展開
1 ラタナコーシン朝の成立
2 王朝政府と地方統治
3 国書をやり取りする君主たち──外交関係の形成
4 ラタナコーシン朝の変容
5 大臣たちの履歴──出世コースの変化とブンナーク家の限界
二 ラーマ三世王時代(1824―51年)の文書システムと政治
1 増える行政文書
2 文書に基づく行政──上申文書の処理
3 文書の起草と発給の流れ──命令文書の発給
4 文書処理の担い手──実務官僚の上昇
5 三世王時代の政治構造──イギリス使節ブルックの条約改訂交渉
6 「王は王としか文書を交わさない」──文書システムの論理
三 文書史料が語るラーマ四世王モンクット時代(1851―68年)の政治
1 四世王モンクットとその時代
2 政治に意欲を燃やす四世王
3 親政を目指す四世王──宸筆と上奏文
4 四世王と官僚たち──カンボジア情勢をめぐって
5 チャオプラヤー・シースリヤウォンの台頭と官僚たちの識見
おわりに
注
参考文献
あとがき
内容説明
近代シャムは突然生まれたのだろうか
「西洋の衝撃」に応え、日本と同時期に近代化を進めたタイ。そうした国家の基盤は実は近世に形成されていたのではないか。「停滞の近世」のイメージを史料から再考。
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アユタヤの滅亡と、それを受け継いだラタナコーシン朝の成立、そののちは無変化、あるいは衰退。王朝の交替をのぞけば、その停滞的なイメージは同時代の日本や中国、朝鮮のそれと似ているのかもしれない。そして蓄積された問題を一掃して国家を一新したのが名君五世王であったのだ、と。
しかしである。実は、このような歴史像は五世王などの改革当事者たちが描いたところが少なくない。彼らがそれ以前を否定的に描いたのは当然であり、我々はその歴史像を全面的に信用することはできない。また、このような歴史像では、何の下地もないにもかかわらず、一九世紀末に強力な王権をいただく官僚制的な中央集権国家という、それまでとは正反対の国家へと突然変貌したということになる。しかし、そんなことがありえるのだろうか。
むしろ、なぜ近代シャムがこのような政治体制をそなえるに至ったのかを、近世から解き明かす必要があるのではないか。そのためには、おおむね近世末期にあたるラタナコーシン朝前期(一七八二―一八七三年)を、近代人の言説によらず、同時代に視座を置いて見直さなければならない。
幸いなことに、アユタヤとは異なり、ラタナコーシン朝は行政文書を残している。それらの文書は現在主にタイ国立図書館に保管されている。一世王時代から四世王時代(一八五一―六八年)までのものが約九〇〇〇点現存しており、作成された年次にしたがって分類されている。図1はそれら文書の点数を年次ごとに示したものである。王朝が成立した一七八二年から一八二〇年代までの文書はあまり残っていないが、それ以降現存する文書が増えていくことがわかる。
この変化は、実際に作成された行政文書が増えたということであろうか。もしそうだとすれば、行政制度は衰退するどころか、むしろ充実していったのではないか。また、文書が増えれば、それを処理するものが重要になっていくだろう。それは誰だったのだろうか。国王か、権臣とされたブンナーク一族か、それとも他の官吏だろうか。誰がどのように文書を処理していたのかがわかれば、当時の王朝政府において政治がどのように運営されていたのかを知ることもできるだろう。
文書はその本文だけではなく、その書式や、誰が起草し、誰が決裁したのかといったことから、さまざまなことがわかる。本書はこれら行政文書を史料として用いながら、ラタナコーシン朝前期の政治行政のあり方やその担い手たちを見て行きたい。果たして王朝前期の歴史は制度の衰退や権臣の専横として理解しておけばよいのだろうか。それとも、近年の東南アジア近世史研究が主張するように[Lieberman 2003]、ビルマ、シャム、ベトナムの一八世紀半ばから一九世紀前半とは、国家機構が充実し、それぞれの近現代への枠組みがつくられていく時代なのだろうか。
近世を前提としつつ、「西洋の衝撃」に対応しながら、いかなる政治体制を築くのか。これは一九世紀のアジア諸国が直面した共通の問題と言ってよいだろう。本書がそれを考える材料となれば幸いである。
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著者紹介
川口洋史(かわぐち ひろし)
1980年、愛知県生まれ。
名古屋大学大学院文学研究科東洋史学専門博士後期課程満期退学。博士(歴史学)。
現在、名古屋大学大学院文学研究科博士研究員。愛知大学、名古屋外国語大学非常勤講師。
主な論文に、「ラタナコーシン朝前期における文書処理システム」(『史林』89巻6号)、「ラタナコーシン朝四世王モンクット時代シャムにおける文書処理システムと王権」(『名古屋大学東洋史研究報告』34号)がある。