3 フランス語圏カリブ海文学小史
ネグリチュードからクレオール性まで
文化の混淆性を積極的に肯定した『クレオール礼賛』(1989)をはじめ、主要作品を概観。フランス海外県の現代文学の歩みを紹介。
著者 | 中村 隆之 著 |
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ジャンル | 文学・言語 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 > ブックレット〈アジアを学ぼう〉別巻 |
出版年月日 | 2011/12/25 |
ISBN | 9784894897557 |
判型・ページ数 | A5・68ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
1 クレオール文学
2 『クレオールとは何か』
3 本書の試み
一 ネグリチュードの誕生 一九二〇年代─一九四〇年代
1 前史
2 『黒人世界評論』『正当防衛』『黒人学生』
3 「帰郷ノート」
4 ヴィシー政権時代と『熱帯』
二 脱植民地化運動の時代 一九四〇年代─一九五〇年代前半 20
1 『プレザンス・アフリケーヌ』
2 『植民地主義論』と『黒い皮膚・白い仮面』
3 戦後のカリブ海文学
4 民族詩論争
三 文学と独立 一九五〇年代後半─一九六〇年代
1 二つの黒人作家芸術家会議
2 一九五九年一二月事件
3 民族文学
4 カリブ海文学の探究
四 クレオール文学という企図 一九七〇年代─一九八〇年代 46
1 アンティーユ性
2 クレオール語文学
3 『クレオール礼賛』
おわりに
注・参照文献一覧
あとがき
内容説明
「われわれは自分たちがクレオールであると宣言する」。文化の混淆性を積極的に肯定した『クレオール礼賛』(一九八九)をはじめ、主要作品を概観。フランス海外県の現代文学の歩みを紹介。
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はじめに
中米に位置するカリブ海地域には数多くの島がある。キューバ、ジャマイカの名前は誰でも一度は聞いたことがあるだろう。二〇一〇年一月に未曾有の大震災に見舞われたハイチは、黒人初の共和国として高校の世界史の授業などで学んだはずだ。ではマルティニックという島の名前はご存じだろうか。
マルティニックは、人口四〇万人程度、面積一一〇〇平方キロメートルほどの小さな島である。クレオール語と呼ばれる現地語のほかにフランス語が話されている。一昔前はフランス語は学校教育を通して学ぶ第二言語であったため、フランス語を巧みに操ることはエリートの証だったが、今ではフランス語を母語とする世代も多く、この関係は逆転傾向にある。
マルティニックはフランスの植民地だった。ハイチも同じくフランス領だったが戦争に勝利して一八〇四年に宗主国から独立した。それに対してマルティニックは、近隣の島グアドループ、南米のギュイヤンヌ(仏領ギアナ)と共に、宗主国へ同化する道を選んだ。海外県と呼ばれるこれらの地域は現在でもフランス領である。
この島に住んでいる人々の多くは褐色の肌をしている。その肌の色はアメリカ合衆国南部から中米を経てラテンアメリカのカリブ海沿岸に至る地域で、奴隷制度が敷かれてきたことと無関係ではない。カリブ海地域の住民たちの主要なルーツはアフリカである。アフリカ大陸から奴隷船で運ばれてきた人々が、この島々に生まれた人々の大半の祖先だ。そのような歴史的事情からマルティニックの人々が複雑な思いを抱かざるをえないのは想像にかたくない。自分たちはフランス人である。しかし本土住民ではないし、肌の色も違う。しかも自分たちの歴史の近過去には奴隷制の記憶がある。こうした複雑な背景が、この地域のフランス語文学に、いわゆる「フランス文学」とは異なる趣を与えてきた。
本書の目的は、マルティニックをはじめとするカリブ海のフランス語圏の文学のパノラマを提示することにある。独立国として一線を画するハイチを除いた、マルティニック、グアドループ、ギュイヤンヌの文学の、一九二〇年代から一九八〇年代にかけての展開を跡づけたい。
1 クレオール文学
ところで、この地域の文学を形容する言葉に「クレオール文学」という言い方がある。場合によってはこちらの方が馴染みやすい呼称であるかもしれない。
「クレオール」(créole)とは、新大陸生まれの白人をそもそも意味する語だったが、その後語義が拡張し、肌の色に関係なく新大陸生まれの人々、言語、さらには文化的営みを表すようになった。
一九八〇年末のマルティニックで、この語をキーワードに自分たちの文化やアイデンティティを捉えようとする作家たちが現れた。言語学者のジャン・ベルナベ、作家のパトリック・シャモワゾーとラファエル・コンフィアンである。彼らが『クレオール礼賛』(一九八九)という文学宣言によって示そうとしたのが「クレオール文学」(littérature créole)という視座だった。
「ヨーロッパ人でも、アフリカ人でも、アジア人でもなく、われわれは自分たちがクレオールであると宣言する」[Bernabé et al 1993: 13]。これが『クレオール礼賛』の冒頭の言葉だ。カリブ海地域にはヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系の人々が住んでいるが、自分たちはそのどれでもなく、かつ、そのどれでもある、すなわち自分たちは文化的混血の産物なのだというのがこの宣言の意図するところである。
彼らは、カリブ海地域の人・言語・文化が複数の諸要素の接触と混淆によって生じたという歴史的経緯を重視し、「クレオール」をカリブ海文化の混淆性を表す語として積極的に捉えた。この考えのもとでカリブ海文学を捉えなおすときに、「クレオール文学」という発想が生まれる。
そして、この「クレオール文学」の視座のもとに書かれた「文学史」がシャモワゾーとコンフィアンによる共著『クレオール文芸』(一九九一)[Chamoiseau et Confiant 1999]なのである。
……
3 本書の試み
先に述べたように、『クレオールとは何か』を皮切りに一九九〇年代以降フランス語圏カリブ海文学の作品は日本に紹介されており、その数は少なくない。さらに一九九〇年代以降、この翻訳・紹介を受けてフランス語圏カリブ海文学を専攻する研究者も現れてきた。だが、日本での研究や出版の動向を見た場合、この分野の研究は着手され始めたばかりであるため、フランス語圏カリブ海文学の大まかな見取図を描くような仕事はまだなされていない。これが本書を執筆する最大の動機である。
本書で取り上げる時期は、一九二〇年代から一九八〇年代までである。これはちょうど『クレオール礼賛』の文学図式に従えば、ネグリチュードからクレオール性までとなる。筆者はクレオール作家たちのように発展段階的な見解はとらないが、ネグリチュード、アンティーユ性、クレオール性という思想区分は有効な視座であると考える。したがって本書も大まかにはこの区分を参照して時系列的に文学の流れを記述する。
執筆にあたっては多くの研究書と文学作品に依拠している。巻末に参照文献一覧としてまとめているが、とくに恩恵を被った三人の先行研究に触れておきたい。リリアン・ケステロートの、博士論文に基づいた『フランス語黒人作家』(一九六三)はネグリチュード文学の主要文献として読み継がれてきただけでなく、ネグリチュード文学の展開をめぐる記述や読解の方向性を長らく決定してきた[Kesteloot 1971]。さらに『ニグロ=アフリカ文学史』(二〇〇一)は、前著を発展させた彼女のこの分野での集大成ともいうべき研究書である[Kesteloot 2001]。ジャック・コルザニの『フランス領アンティーユ・ギュイヤンヌ文学』(一九七八)は、博士論文に基づいた全六巻の大著であり、フランス語圏カリブ海文学の見取図を膨大な文献渉猟とその読解作業によって初めて打ち立てた記念碑的著作である[Corzani 1978]。最後は、ロジェ・トゥムソンの全二巻の博士論文『色の侵犯』(一九八九)である。コルザニの衣鉢を継ぐこの仕事で、彼は丹念な文献調査と精緻な読解に基づき、かつミシェル・フーコーの言説概念を理論的骨組とするなどフランス本土の当時の先端的研究を取り入れることで画期的な文学史研究を成し遂げた[Toumson 1989]。
なお、各作家の基本情報に関しては、『フランス語圏クラシック作家事典』[Achour 2010]、『カリブ海文化事典』[Duviols et Uneña-Rib 2008]、トマス・スピアの運営するカリブ海文学サイト「島から島へ」(フランス語)を主に参照する。
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著者紹介
中村隆之(なかむら たかゆき)
1975年、東京生まれ。
東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了。
東京外国語大学リサーチ・フェロー(フランス社会科学高等研究院客員研究員)。
フランス語圏文学(カリブ海文学・地域研究)。
主な共著・論文に『ブラック・ディアスポラ』(小倉充夫・駒井洋編、明石書店、2011)、『反響する文学』(土屋勝彦編、風媒社、2011)、『沖縄/暴力論』(西谷修・仲里効編、未來社、2008)、「エドゥアール・グリッサンの風景へ」(『現代詩手帖』2011年4月)、「フランス海外県ゼネストの史的背景と『高度必需』の思想」(『思想』2010年9月)などがある。