19 カザフの子育て
草原と都市のイスラーム文化復興を生きる
割礼、出生や命名の儀礼……。さまざまに復活しつつある文化状況を、家族の内面から描く温かなドキュメント。
著者 | 藤本 透子 著 |
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ジャンル | 人類学 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 |
出版年月日 | 2010/11/10 |
ISBN | 9784894897465 |
判型・ページ数 | A5・68ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
一 草原の村と多民族都市の人々──多様な歴史経験をこえて
1 中央アジアにおけるカザフ社会の特徴
2 多民族都市に生きる
3 草原の村に生きる
4 社会主義経験とカザフの諸儀礼
二 子どもの誕生と成長──ポスト・ソビエト時代の文化復興のなかで
1 子どもをめぐる状況と儀礼実践
2 出生祝と揺りかごの祝──現代化のなかの変容
3 生後四〇日の儀礼──伝統と再解釈(1)
4 紐切りの儀礼──伝統と再解釈(2)
5 イスラームの命名儀礼──再活性化のきざし
三 割礼・割礼祝の新たな展開──再活性化にこめられた意味
1 手術を読み替える──多民族都市の割礼
2 ムスリムになる/若者になる──草原の村の割礼(1)
3 「伝統的」割礼祝の試み──草原の村の割礼(2)
4 儀礼がつむぐつながり
おわりに
注・参考文献
内容説明
ソ連崩壊後、中央アジアの大国として独立を果たしたカザフスタン。割礼、出生や命名の儀礼……。さまざまに復活しつつある文化状況を、家族の内面から描く温かなドキュメント。ブックレット《アジアを学ぼう》19巻。
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はじめに
中央アジアのカザフスタンというと、何がイメージされるだろうか。遊牧民の末裔が暮らす草原の国、イスラーム教徒(ムスリム)が多い地域、そして天然資源に恵まれ急速に発展を遂げつつある新興国であることなど、断片的な情報が新聞やテレビを通してときおり伝わってくる。しかし、これらのイメージを相互に関連づけ、具体的にカザフスタンに生きる人々の暮らしを思い描くことはなかなか難しいかもしれない。
中国の西隣に位置し、日本との時差わずか三時間という比較的近い国であるにもかかわらず、日本におけるカザフスタンの知名度はあまり高いとはいえない。それは、カザフスタンを含めた中央アジア諸国が、一九九一年のソ連崩壊にともなって独立したまだ新しい国々であるためだろう。ソビエト時代の大半をとおして、中央アジアは旧「西側」諸国に暮らす人々にとってはアクセスしづらい地域であった。
しかし、これまでなじみの薄かった中央アジア諸国と日本の結びつきは、ここ二〇年余りのあいだに強まっている。その特徴は、モノの移動の増大にとどまらず、多様な人的交流がみられるようになったことである。日本政府による開発援助や企業の中央アジア進出、日本・中央アジア諸国間の留学生の増加、そして観光旅行など、アジアの他地域と比較すればまだわずかであるとはいえ、関係が深まりつつあることは間違いない。これまで限られた接触しかなかったところに交流が生まれ始めているという意味で、日本に暮らす私たちと中央アジアの人々は、新たな隣人としてようやく互いを認識し始めた状況にあるといえるだろう。
こうした状況のもと、中央アジアの地域大国カザフスタンを私が初めて訪れたのは、一九九八年のことである。草原に暮らす遊牧民の伝統を残した人たちという、それまで抱いていたあまりに素朴なイメージはすぐにくつがえされて、社会主義的近代化の経験を経て独立した新しい国に生きるカザフ人たちに数多く出会うことになった。そのなかで関心をもったことのひとつが、子どもの誕生と成長をめぐるカザフ人たちの生き方であった。
とりわけ、誕生と成長に際して、生後四〇日の儀礼や割礼といった私たちになじみのない儀礼が、しばしばとても華やかに行われていることには興味をひかれた。多民族都市に暮らしコスモポリタンとしての意識をもつと語った女性までもが、息子を割礼して割礼祝を行ったことには驚かされた。しかも、子どもの誕生や成長にともなうこれらの儀礼の多くは、ポスト・ソビエト時代になって再活性化したものだったのである。
ソビエト時代に社会主義政策に基づく無神論教育が行われ、諸民族の融合がうたわれたにもかかわらず、ポスト・ソビエト時代になって民族的かつ宗教的な儀礼がさかんに行われているのはなぜなのか。また、数あるカザフの「伝統文化」のなかで、なぜこれらの儀礼が焦点化されたのであろうか。
中央アジアを含め、社会主義的近代化を経験した旧ソ連各地では、各民族の伝統文化の再評価や宗教復興が広範に生じている[e.g. Humphrey 1998; Balzer 1999; 山田 一九九八、二〇〇二、二〇〇七、Glavatskaya 2004]。この現象は一定の共通性をもちながらも、各国政府の意図や地域社会に生きる人々の関心を反映して多様な展開を見せている。逆にいえば、いかなる動機によって何が復興されるかをとおして、その地域の文化的・社会的動態の特徴がきわだってみえてくるといえる。
中央アジアでは、伝統的新年ナウルズの祭りや、各民族の歴史上の偉人とされる人々の記念祭などが、政府主導のもとでさかんに行われるようになっている[e.g. Eitzen 1999;帯谷 二〇〇五、坂井 二〇〇三、吉田 二〇〇八]。また、イスラームの公的な復興がみられることも、中央アジア諸国の多くに共通する特徴であり、カザフスタンではイスラーム大学の開設や政府公認のモスクの急増が顕著にみられた[Sultangalieva 1998]。
その一方で、民間でも、ムスリムになる儀礼としての割礼や、死者のためにクルアーンを朗唱する儀礼などがさかんに行われるようになったことが報告されている[e.g. Werner 1999; 吉田 二〇〇四、藤本 二〇〇八a、二〇〇八b]。これらは、政府主導のものに比べてあまり目立たないが、実は中央アジアにおける文化復興の重要な特徴を示している。
こうした実情をふまえ、地域社会に生きる人々の生活に根ざした視点から、中央アジアのムスリムたちの文化復興をとらえることを本書では目指す。政策レベルでの変化をふまえつつ、中央アジアの人々の生活世界にわけいることによって、ポスト・ソビエト時代の文化復興についての理解をより深めることができるといえよう。その生活世界とは、イスラーム受容や社会主義経験のあり方という歴史的経緯によって、幾重にも入り組んだ世界である。
中央アジアに暮らす人々のなかでもカザフ人は、モスク中心でないイスラーム実践を繰り広げてきたことが知られている[Privratsky 2001]。カザフ人たちは、とりわけ死者の霊魂をめぐる儀礼をとおして、彼らの宗教的世界を表出してきたという特徴をもつのである[藤本 二○○八a]。死者をめぐる儀礼は、現代におけるカザフ人たちの文化復興のひとつの中心をなしているのであるが、それと対をなしてもうひとつの焦点となっているのが、子どもの誕生と成長をめぐる儀礼である。本書では、この誕生と成長にともなう儀礼をとおして、中央アジアにおけるカザフ人たちの暮らしを描き出していきたい。
子どもの誕生と成長とは、人に普遍的な生物学的現象であると同時に、文化的・社会的に多様なかたちを示し、時代によっても変化する。誕生と成長にともなう儀礼の再活性化は、ソ連の成立と崩壊、中央アジア諸国の独立という時代の激動のなかでのカザフ人たちの生き方を、ときに鮮やかに浮かび上がらせる。またそれは、現代におけるカザフ文化の特徴を示すものでもある。さらに、子どもの誕生と成長をとおしてカザフ人たちの文化復興を考えることは、グローバル化が進展する現代において、ローカルな文化や宗教が復興していく現象をいかにとらえるかという課題へのひとつのアプローチでもある。
本書の内容は、一九九八年から二〇〇七年にかけて通算四八ヶ月間、カザフスタン共和国教育科学省東洋学研究所に留学した際に行った文化人類学的調査に基づいている。主な調査地は、カザフスタン南東部の多民族都市アルマトゥと、カザフスタン北部のパヴロダル州バヤナウル地区のカザフ人村落ウントゥマクである(図1参照)。この二つの調査地はカザフスタンのなかでもそれぞれ異なる特徴をもち、カザフ人たちの暮らしを多面的に描き出すために適している。
調査は、現地のカザフ人たちと行動をともにしながら行う参与観察と、ウントゥマク村で約七〇名、アルマトゥ市で約三〇名からの度重なる聞き取りを組み合わせて行った。話者が日常的に話している言語で調査を行うことを前提とし、カザフ語とロシア語を使い分けた。なお、人名は基本的に仮名を用い、歴史上の人物など一部に限り実名を用いる。
本書は、次のような構成をとっている。第一節では、中央アジアの歴史的背景をふまえてカザフ社会の特徴を示す。草原の村と多民族都市におけるカザフ人たちの多様な暮らしを描くとともに、それぞれの地域における社会主義経験と儀礼実践の変容について検討する。それをふまえて第二節では、ポスト・ソビエト時代における子どもの誕生と成長にともなう儀礼の再活性化について分析し、文化復興を暮らしというミクロなレベルからとらえる。第三節では、割礼・割礼祝に焦点をあて、草原の村と多民族都市という歴史経験の異なる地域において、カザフ人たちが文化復興に込めた意味について詳しく考察する。
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著者紹介
藤本透子(ふじもと とうこ)
1975年、宮城県生まれ、秋田県育ち。
2008年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程、研究指導認定退学。人間・環境学博士。
現在、国立民族学博物館(先端人類科学研究部)機関研究員。
主な論文に、 Kazakh Memorial Services in the Post-Soviet Period: A Case Study of Northern Kazakhstan Villages. In Continuity, Symbiosis, and the Mind in Traditional Cultures of Modern Societies, Yamada, Takako & Takashi Irimoto (eds.), Hokkaido University Press (in press)、「ポスト・ソビエト時代における大規模な供養アスの展開」、高倉浩樹・佐々木史郎編『ポスト社会主義人類学の射程(国立民族学博物館調査報告78)』、pp.393-428、2008年、「ポスト・ソビエト時代の死者供養―カザフスタン北部農村における犠牲祭の事例を中心に」『スラヴ研究』55号、pp.1-28、2008年、「あるインテリ女性の子育て―ソ連時代からカザフスタン独立後の変動のなかで」、『沙漠研究』14巻4号、pp.231-246、2005年などがある。