20 はかりとものさしのベトナム史
植民統治と伝統文化の共存
地域・時代で様々に異なる計量単位と格闘。度量衡の混沌の中で、頑固でおおらかなベトナムの不思議に迫る。
著者 | 関本 紀子 著 |
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ジャンル | 人類学 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 |
出版年月日 | 2010/11/10 |
ISBN | 9784894897472 |
判型・ページ数 | A5・66ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
1 ベトナム度量衡史との出会い──ベトナム度量衡の不思議
2 ベトナム度量衡制度史研究の諸問題
一 度量衡関連法と地域性・多様な度量衡制度の背景
1 十七、十八世紀の度量衡
2 阮朝(一八〇二ー一九四五年)による度量衡関連法
3 フランス植民地政権による度量衡関連法
4 植民地期インドシナ内の度量衡統一をめぐる地域差
5 阮朝におけるタと植民地期ピクルの導入
二 商業統計における度量衡とその地域的多様性──植民地期前期
1 商業統計(公設市場価格表)の概要
2 商業統計における度量衡記入方法と本書での扱い
3 米穀計量単位・ピクル一単位あたりの重量の差異と分布
4 ピクル以外の単位とその相当量の差異
三 トンキン理事長官府と地方政府の度量衡統一に関する温度差──植民地期中期
1 トンキン理事長官が発信した度量衡統一に関する回状
2 一九二七年トンキン理事長官が発信した度量衡統一に関する回状の内容
3 各省知事の回答の傾向・特徴
4 各省知事の回答内容分析
四 北部ベトナム度量衡の実態──植民地期末期
1 一九三六年省別度量衡現地調査実施の背景
2 度量衡現地調査報告
3 省内における地域差──バックニン省の事例
4 都市内における地域差──ハノイ市の事例
おわりに
注・参考文献
内容説明
膨大な文献の中から幸運にも物価変動史料に巡り会った著者。以来、地域・時代で様々に異なる計量単位と格闘。度量衡の混沌の中で、頑固でおおらかなベトナムの不思議に迫る。ブックレット《アジアを学ぼう》20巻。
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はじめに
1 ベトナム度量衡史との出会い──ベトナム度量衡の不思議
ベトナム北部では現在でも、日常生活の中に伝統的な度量衡制度が残っており、古くからの計量単位、計量器を目にしたり、耳にしたりすることができる。近年では台ばかりも多く用いられるようになってきたが、路上の振り売りや市場では今でも竿ばかりが活躍している。単語も「キログラム」「グラム」より「カン(一キログラム、ca^n、斤)」「ラン(一〇〇グラム、la?ng、両)」が、「キロメートル」より「カイ・ソー(一キロメートル、ca^y so^´)」が一般的である。田畑の面積を計る際には、平方キロメートルより「マウ(三六〇〇平方メートル、ma^?u、畝)」が使われ、家庭で米の計量にはオン・ボー(三八〇グラム、o^´ng b?)と呼ばれるコンデンスミルク缶が広く用いられている。
このように、ハノイで生活していれば日常的にベトナム旧来の度量衡に触れることになる。しかし筆者ははじめからベトナムの度量衡に関心があったわけではなかった。当初の問題関心は、植民地期ベトナムにおいて、いかなる「地域」が多様に形成され、それらがどのような相互関係を持ち、ベトナム版図上に展開していたのかを理解したい、ということだった。ここでカッコ付の「地域」が意味するのは、単に統治上任意に区分された行政区画でなく、その枠を超え、生産、分業、流通、消費など人々の社会・経済活動から生じる人間の共同的生活空間のことである。この「地域」を把握するため、交通、流通、物価といった社会経済活動上重要な分野を選定し、全国的に各省レベルで、長期にわたってその動向を客観的に比較検討できる史料の収集を続けてきた。
その中で、トンキン、アンナン、コーチシナの各省の物価を月別に追うことが出来る商業統計(Statistiques commerciales)、別名公設市場価格表(Mercurial)にめぐり合った。物価史研究は社会経済史の基本ともいえる分野であるが、史料の未発掘から仏領インドシナに関しては物価変動に関する研究はまだ本格的には行われていない現状がある。この大量の商業統計の収集によって仏領インドシナ各省の詳細な物価史研究が実現できると、胸躍らせて文書館に通いつめたものである。さて、いざ物価変動分析をはじめようとした際、大きな疑問、難問が浮かび上がってきた。それが度量衡であった。
この商業統計では、品目別に用いられている現地度量衡単位と、メートル法に換算した場合の相当量が記載されている。品目によって多種多様な度量衡単位が用いられていることはある程度予想していたが、一番困ったのは、どの地域でも主食として消費され、また植民地政権にとって最も重要な輸出産品であった米の公式計量単位であるピクル(picul)ですら、その一単位あたりの相当量が地域、時期によって様々に異なっていた点である。
ピクルとはマラヤ・インドネシア系の言語で「肩に担ぐ荷」[鶴見 一九九三:二〇]、つまり人間一人が担げる荷物の重さ(通常六〇キログラム)で、中国からフィリピン、マライ半島、インドネシアなど東南アジア一帯にかけて海運で使われていた重量単位である[二村 二〇〇二:二七九]。その値は地域によって異なり、インドネシアでは一九世紀前半のラッフルズの時代までに一ピクル六一・七六キログラムの換算比がほぼ確立されていた[加納 一九八六:五一]。マレーシアでは六〇・四八キログラム[堀井 一九八六:三〇]、タイでは約六〇キログラム[野村・末廣 一九八六:六七]、フィリピンではピクルは砂糖の重量単位で六三・二五キログラム[藤森 一九八六:四四]に相当する。
近代国民国家の形成以前に度量衡が統一されていなかったのは、ベトナムに限ったことではない。しかし、地域、国の固有の度量衡単位ばかりではなく、植民地政府が導入した外来の単位であるピクルですら、各省、各時期によって一単位当りの相当量が異なっていたのはいったいなぜなのか。フランス植民地政府が、二〇世紀初頭にはトンキン、アンナン、コーチシナにまたがるかなり高度な政治的統合を実現していたにも関わらず、である。
インドシナ連邦内の、トンキン、アンナン、コーチシナといった各直轄領、保護領間でピクルの換算率が異なっていたことは、植民地政府官僚だったアンリによって紹介されている[Henry 1932 : 15-17]。コーチシナ領内でも、年代や扱う製品・商品によって様々であったことは他の文献でも指摘されている[Schreiner 1901 : 251-252]。しかし、同じ単位で、しかも植民地政府が導入した新来の単位ピクルが、なぜ連邦内、さらには地域内でも多種多様な用いられ方をしていたのか、といった疑問に答えてくれるような研究はまだなかった。
「この疑問を解かない限り、物価史研究には取りかかれない」。当初度量衡研究はそうした、あくまで一時的な課題として位置づけ、スタートさせた。将来的には、共通の度量衡単位を用いている地域、つまり共通文化圏を明らかに出来る点で、当初の問題意識である「地域」の把握にも還元できるだろうという思惑もあった。
ところが、いったん度量衡研究を始めるとその複雑さ、難しさに圧倒され、とんでもないところに首を突っ込んでしまったと何度も後悔することになる。しかし、一方では、度量衡の側面から植民地時代を生きた人々の生き生きとした姿が浮かび上がってくることに心奪われ、今も変わらぬベトナム人らしさを史料の端々から垣間見ることのおもしろさに、すっかり取り付かれてしまった。
そして、その先に待っていたのは、トンキン理事長官府(北部ベトナム管轄の行政機関)とトンキン各地方行政府の間で交わされた、度量衡統一に関しての大量の書簡、という貴重な史料群との幸せな出会いだった。
この史料群というのは、トンキン理事長官府が各省、各軍区、ハノイ市およびハイフォン市の長(これら各地方行政首長は、以下各省知事と記す)に度量衡統一に関して意見や調査を求めた文書(回状)と、それに対する各省知事からの回答で構成されている。筆者がこれら史料群にめぐり合ったのはベトナム国家第一文書館(以下TTLTQGIと略記)においてであるが、そこでは基本的に一つの回状に対しての各省からの回答がひとつのファイルにまとめられ、保存されていた。つまり、特定の年代(回状が発信された年)に北部ベトナムでどのような度量衡制度が用いられていたのか、あるいは度量衡統一へ向けてどのような動きがみられたのかについて、省レベルでの把握や比較を実現しうる大変魅力的な史料群なのである。
筆者が確認できたのは、一八九八年から一九三六年の約四〇年の間の七ファイルである(詳細は第三節第1項参照)。それぞれのファイルには回状と各省からの回答が全て揃っているだけでなく、現行度量衡制度や、度量衡統一に関する多様な史料も一緒に納められている。例えば、各省からの回答をまとめた第一官房の報告、これまでに施行された度量衡関係の法令などの参考資料、度量衡関連法案の立案過程でのトンキン理事長官府内でのやり取り、各省において報告書を作成する際にベトナム人地方高級官僚(tra^´n ph?)に作成させた調査報告書、計量器の図解資料、度量衡統一に関して開かれた地方委員会の議事録、など非常に多岐に渡っている。そのため、一ファイル平均すると一三〇枚前後の史料が納められ、使用言語もフランス語だけでなく、ベトナム語や漢文のものも含まれている。
これらを丹念に読み解いていくことで、度量衡制度の実態や地域性のみならず、度量衡統一をめぐって錯綜する様々な動きや思惑が、立体的に浮かび上がってくる。その中で、植民地時代のベトナム社会の一端が、生き生きと、そして鮮明に目の前に姿を現す瞬間があるのである。
度量衡は制度であり、それは王朝や政府が国家政策として行うものである。しかし一方で、それを受容し、実行していくのはその社会を構成する個々人である。植民地時代という特殊な時代においては、特に宗主国主導の政策、制度の受容には複雑な力関係や思惑が絡み合い、軋轢や葛藤が生まれる。まさにその過程においてこそ、その社会の個性を垣間見ることが出来るといえよう。
本書は、度量衡という具体的な事例をもとに、国家から民間レベルの、四〇年という長期的時系列変化を追いながらベトナム社会の個性に迫ろうという試みでもある。本書が紹介できるのは、膨大な史料群の中のごく一部に過ぎないが、「度量衡」を通じて見えるベトナム社会の生き生きとした個性を少しでもお伝えすることが出来るならば、これ以上の幸せはない。
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著者紹介
関本紀子(せきもと のりこ)
1976年、福岡県出身。
東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程在籍
日本学術振興会特別研究員DC
主な論文に「植民地期北部ベトナムの米穀計量単位に見える地域的多様性の考察」(『ベトナムの社会と文化』9号)、「植民地期ベトナム文献資料所蔵機関案内」(『ベトナムの社会と文化』9号)、Sekimoto Noriko、Vi?c th?ng nh?t ca^n ?o l??ng va` ti`nh tr?ng ca^n ?o l??ng ? ca´c t?nh B?c K? th?i k? thu?c ??a[植民地期北部ベトナムの度量衡統一とその実態] The Third International Conference on Vietnamse Studies Vietnam: integration and Development Paper Collections (CD-ROM). 2. Contemporary Vietnamese history, No.124, pp.1-22, 2008 などがある。