13 ベトナム「おかげさま」留学記
「異文化」暮らしのフィールドノート
本当の異文化を理解するフィールドとは市民の中の日常生活であった。縁に感謝しつつ綴ったユニークな民族誌。
著者 | 川越 道子 著 |
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ジャンル | 社会・経済・環境・政治 |
シリーズ | ブックレット《アジアを学ぼう》 |
出版年月日 | 2009/11/10 |
ISBN | 9784894897403 |
判型・ページ数 | A5・68ページ |
定価 | 本体800円+税 |
在庫 | 在庫あり |
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目次
一 犬も歩けば「ベトナム」に当たる
トゥイさんの美容室
みずたま民間療法
風呂敷一枚でベトナムビジネス
秋の秘密
二 ニャッ・ザー・トゥイ・トゥッ(郷に入れば、郷に従え)――家族と暮らして
ハノイ下宿生活
ベトナム育児考
扉の秘密
風邪の特効薬
三 ディー・ドゥォン・モッ・ガイ・ダン・ハォッ・モッ・サン・ホン (一日旅すれば、ザルいっぱいの賢さを得る)――旅して学ぶ
お土産失敗談
ベトナム南部バスの旅(1)――バックおばさんの万能薬
ベトナム南部バスの旅(2)――「快適」バストラベル
昼寝時間
不法乗車の旅
四 所変われば何が変わる?――「文化」と「文化」の狭間で
女心と文化の間
ベトナム「セクハラ」会話
文化とは?――大家さんの見た日本
お料理一年生
五 河に入れば、波に乗れ
ベトナム買い物指南/至難
愛しのブン
新年の結婚式
想い出のバインチュン
新年と結婚の相関関係
イゥ・ドーイ、人生を愛するということ
おわりに
あとがき
内容説明
ホストファミリーに溶け込み、何気ない日々を過ごす著者にとって、本当の異文化を理解するフィールドとは市民の中の日常生活であった。縁に感謝しつつ綴ったユニークな民族誌。ブックレット《アジアを学ぼう》13。
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はじめに
本書は、私がベトムに滞在していた二〇〇四年七月から二〇〇六年八月までの間、月に一度ほどのペースで家族や友人、お世話になっている方々にむけてメールにて発信していた「おかげさま通信」をもとに執筆したものです。
当時、私は日本とアジアの近現代史に関心を持つ学生として、「ベトナム社会主義共和国」の国家形成の過程やそのなかで想起される個々人の戦争の記憶を調査するためにベトナムに渡りました。この留学以前にも一年間の語学留学をはじめ、現地調査のために何度かベトナムに滞在する機会があり、ベトナムでの生活も次第に「日常の一部」として感じられるようになってきた時期でもありました。
現地調査、いわゆる「フィールドワーク」を行うためにベトナムに滞在していたわけですが、この経験を通して私は、「フィールドワーク」とは何か、「フィールド」とはどこを指すのか、ということをより意識するようになりました。ベトナム国内の戦死者墓地で調査をしていた私には「調査地」と呼べる場所があり、「調査に行ってくるね」といってはホーチミンやハノイの下宿を後にしたものでした。もちろん、この「調査」から私は多くを学びました。しかし、帰国後、ふとベトナムでの時間に想いを馳せるとき、改めて私は、私が暮らしていた生活圏そのものが「フィールド」であり、何気ない日々こそがそのまま「フィールドワーク」であったことに気づくのです。
この「何気ない日々」という「フィールド」において、私は「調査地」という「フィールド」にいるときよりもさらに無防備な状態に置かれました。私は「調査者」や「観察者」というよりむしろ、「調査される者」、「観察される者」となり、生まれ育つなかで身につけてきた規範や思考は、ときに笑われ、ときに正され、驚かれたり、理解されなかったりしました。そのたびに私は「日本が身に付いているのだなぁ」と自分のなかに「日本」を発見し、そして、そのような「日本」とは異なる「ベトナム」を理解しようと試みました。
こうした異文化理解は、ときに自分の「常識」の再構築さえ迫まるものですから、少なからず労力を要します。「異文化理解」というと聞こえがよく、「異文化」を理解する側に立っている気分になりますが、それは同時に、私自身がその文化のなかで「異」となることでもありました。国籍に護られ、自由に国境を越えることのできる私が安易にそう主張することはひかえたいと思いますが、自分の持つ「常識」や「文化」が問われ、ときに正されるとは、自分自身が「マイノリティ」になる経験でもあったのです。
ベトナムにかかわらず、ある国やある文化について語ることは、簡単なことではありません。とりわけ、その文化の内側に居ながら、ある客観性を保つことは、かなり高度な能力のように思います。私がベトナムに渡った当初、ベトナムに長く滞在している人たちの間に、「好きといっているうちは、まだベトナムを分かっていない」とする空気を感じることがありました。確かに、対象を手放しに賛美しているうちは、現実ではなく、自分の見たい幻想を追いかけていることもあるでしょう。あるいは、複数の「常識」や「文化」を渡り歩く徒労を経験してこそベトナムに近づくことができる、という意味だったのかもしれません。そう理解しつつも、同時に、「では、知れば知るほど、私はベトナムを嫌いになるのだろうか?」と素朴に思ったことも事実でした。
ベトナムを理解しているのか、いないのか。日常に埋没しながらもそう自問するうち、徐々に、「これがベトナム」といいきることはできなくても、私が出会った風景や人々のことなら何か語れるのではないか、ときに納得のいかない理不尽さに対面することもあるけれど、そうした経験を含めてベトナムにいることをまるごと味わい、楽しみたい、と考えるようになったのです。そして、それは、どんなに「文化」の内を揺れ動こうとも、多くの「おかげ」――人々から直接的、間接的に与えられる恩恵や刺激、あるいは叱責や無視であっても、そうした触れ合いによって、私そのものがある、それを私なりに表現すれば「おかげ」という言葉になるのですが――によって与えられている「今」への感謝を忘れないでいたい、という私の小さな決意であったようにも思います。
とはいえ、「おかげさま通信」は、家族や友人たちに伝えたいこと、ただ、それだけがテーマでした。しかし、こうして書いてきたものを読み返してみるとき、私が伝えたかったこと、他の人と共有したかったこととは、ベトナムで受け取った様々な形の「人の温かさ」だったのではないか、と思うのです。正直なところ、それぞれの「常識」と「常識」とがぶつかり合い、「くー!『おかげさま通信』じゃなくて、『おれさま通信』書こうかな」と考えたこともありました。しかし、それでも、そうして本気で相手と向き合う経験は、最終的には互いに許容し、許容されている、何か親子のような関係に支えられていた気がするのです。
「おかげさま」という言葉を反芻しながら過ごしたあの時間。書き留めておかなければ、見過ごし、すぐに忘れてしまうような日々や人の気持ち。本書は、ベトナムで過ごしたささやかなの日々のフィールドノート、そして、そのような「ベトナム」を経験をするなかで変容していく「私」を旅する記録といえるかもしれません。もちろん、本書を手にとってくださった方がどのように受け取られるかは自由なものです。短い紀行文やベトナムの小ガイドブック、個人の留学体験記と読まれることもあるでしょう。送りだした後、本書がどこに行ってしまうのか、私にはあずかり知らぬところになります。しかし、たとえほんのひとときであっても、私がベトナムで包まれていたゆるやかな空気が少しでも伝わりますように。そのような願いを込めて、私の過ごした「ベトナム」をお届けしたいと思います。
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著者紹介
川越道子(かわごえ みちこ)
1975年、宮崎県生まれ。
大阪大学大学院文学研究科文化形態論専攻日本学博士後期過程単位取得退学。
現在、ベトナム語通訳翻訳者。
主な論文に「『多文化共生』の経験―神戸市長田のケミカルシューズ産業の現場から」(『日本学報』第21号)、「ベトナムにおける戦争の記憶の形成過程―ドイモイ政策以降の戦死者墓地を中心として」(富士ゼロックス小林節太郎基金2003年度研究助成論文)などがある。